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40 実験

 朝食をとるために食堂に向かうと、クラスメイト達はエルーシアに普通に声をかけていた。その声ににじむ色は、どこか浮ついたものを感じる。

 エルーシアは挨拶を返すものの、特別に愛敬を振りまくわけではない。それでも挨拶を返されたクラスメイトははにかむような笑みを浮かべ、満足そうにしている。


 アネッサが代表して、エルーシアに食堂のシステムを教えていた。朝食も夕食も、基本的には自分で皿に盛り付け、盆にのせる。基本的には毎回人数分には足りる量を作ってはいるが、デザート系は早くなくなることもある。あらかじめさらにもってあるものは一人一つまで。

 みんなの接し方が、初めて会う人へのそれとは違う。昨夜の段階で、エルーシアの存在は噂でしかなかったはずだ。疑問に思うウルスラに、クララがそっと耳打ちをした。


「昨日、倒れたウルスラを運んだのはエルーシアだよ」

「そうなの?」

「すごかったよ。床に激突する前にさっと手を出して体を捕まえて、流れるようにお姫様抱っこしたの。かっこよかった」


 まるで騎士のようだった、とはしゃぐ。ウルスラを部屋に運んだ後に、エルーシアは自己紹介をしているらしい。家名は貴族であるが、出自は平民なので呼び捨てにするように、そしてウルスラの護衛ではあるが、みんなには今まで通り過ごしてもらいたい、と。


「言葉遣いは丁寧だけど、気さくな方」


 エルーシアのことを語るクララは頬を赤く染めていた。


「私はなんか好きじゃないんだよね」


 ただ、ハンナだけが微妙な表情を浮かべる。


「タイミングよく表れたのができすぎって感じで。それに昨日、あの人、よい夢をって」

「よい夢?」

「普通、倒れた人間にそんな言葉をかけないでしょ? 変な感じがして」


 ちょっとした違和感の説明をハンナはできないようだ。比較的なんでも言語化するハンナにしては珍しい。


「ハンナの直感を信じるよ」


 ハンナが違和感を覚えるように、ウルスラも引っ掛かりを感じる。彼女が純白の聖女の生まれ変わりだと思うが、確信が持てない。バルドリックを見た時のように、はっきりと生まれ変わりだと思い出したわけではないからだ。

 バルデマーのそばに立っていた少女と同じ姿だ。だがバルドリックもウルスラも、三百年前とは見た目が全く違う。そこに、何か意味はあるのだろうか。


 朝食のお盆を持ったエルーシアがウルスラの隣に戻ってきた。頭半分高い位置からウルスラを見降ろす灰色の目には、得体のしれない光が宿っている気がした。





 その日、エルーシアはウルスラから離れることはほとんどなかった。

 登下校や授業の時間はもちろん、昼はバルドリックと食べるからと向かった中庭でも彼を威嚇し続け、放課後寄った図書館でも彼に殺意を向けていた。どうしてそこまで、バルドリックを警戒しているのかと思うほど。

 この状況が続くのはさすがにまずい。

 ウルスラが日常に戻ってきたのは、バルドリックとの連携がしっかりととれる状況が続くと思っていたからだ。

 アーベントイアーの民を救うため、禁書庫への侵入方法を探りながら、同時に合成された魔獣を取り除く方法を確立する。そのためにはバルドリックの力が必要なのに、連絡が取れないのは困る。


 寮に戻って、さてどうしようと考えあぐねていると、窓がコツリと鳴った。

 驚いて顔を上げれば、ベランダにバルドリックが立っている。

 ウルスラは慌てて鍵を開け、部屋の中にバルドリックを招き入れた。


「危険じゃないですか。隣にはエルーシアさんがいるんですよ」


 できるだけ声の音量を落として、バルドリックに言う。エルーシアはバルドリックを警戒している。まるで、ウルスラに危害を与えるのが、バルドリックであるとでもいうように。

 バルドリックを心配するウルスラを見て、彼は目を細めた。


「防音の魔法をかけているから大丈夫」


 バルドリックは部屋の中に身を入れたが、必要以上にウルスラに近づこうとはしなかった。なぜ、そんなにも距離をとるのだろう。そばに行きたかったが、彼の目がウルスラを拒んでいるような気がしてそれ以上は近づけなかった。


「でも、魔法の痕跡が残るのでは?」

「彼女は魔力がないから、魔法の痕跡も見つけられないはずだ。そのあたりは大丈夫、安心してくれ」


 バルドリックはやけに自信たっぷりに言う。


「もともとの知り合いなんですか?」


 表向き庶民とは言っているが、ウルスラの予想ではエルーシアは貴族の出だ。バルドリックと旧知の中でもおかしくはない。


「噂でだけ。白乙女には魔力はないが、それゆえに王に囲われている、と。まさかこのタイミングで出てくるとは思わなかったが。というか、剣を扱えるとは驚きだ」

「どういう方なんですか?」

「預言者だよ」


 こともなげに放たれた言葉に、ウルスラは一瞬、思考が追いつかない。


「エルーシアさんが預言者?」

「おそらく。俺も直接見るのは初めてだが、あれだけ白い人間はそうそういないだろう」

「預言者って、もっとこう、お年を召した方なのかと」

「俺もそう思っていた。世襲制なのかもしれないな。勇者や聖女以上に扱いが慎重な存在だ。基本的に、王以外との接触を赦されていない。が、今回は特別なんだろう。何せ、ようやく魔王を殺すことができる聖女が帰ってきたのだから」


 バルドリックがウルスラに向ける目は、期待が込められている。ウルスラは不機嫌さに顔を歪めた。


「私はあなたを殺しませんよ」


 そのために、いろいろと調べる気でいるのだ。三百年前の知識だってある。どうにかして、バルドリックを殺さなくてもいい方法を見つけ出したい。

 ほんとは、バルデマーを助けたかった。代替行為でしかないのは分かるが、それでもバルドリックを呪いから解放したい。


「いずれそうなる。君に殺されるのなら、案外悪くない」

「私にとっては最悪ですよ。もしかして、それだけを言いにいらしたのですか?」

「いや。魔国において来たあの獣人の話を聞きにいかないか?」


 そう、いったい誰が彼を合成獣人にしたのか。確かにそれを知る必要がある。


「ぜひ、お願いします」


 ウルスラが口元を引き締めると、バルドリックは薄く笑って手を差し伸べた。いつもと違って恐る恐る差し出された手にウルスラはいつものように手を乗せる。

 足元に魔法陣が浮かび上がり、体が浮遊感に包まれる。

 これから先、どうなるのか未来は全く見えない。それでも一つずつできることをやり遂げていくしか、道はなかった。





 転移先で待ち構えていたガリアナに案内され、ウルスラは合成獣人の捕らえられている牢に向かった。


「足が滑るのでご注意ください」


 地下へ続く階段で、前を歩くガリアナが松明で先を照らしながら言った。

 天井から滴る水が足元で跳ねて、あたりに水滴の音が反響する。ウルスラは用心深く壁に手をつきながら階段を下りた。

 だが、足がぬめりを帯びたなにかを踏み、注意を受けながらもずるりと足が滑った。咄嗟に何かをつかもうとするが、指先が石壁をひっかいただけで手は宙をさまよう。


 もう駄目だ、と腰の強打を覚悟した時、腕を引っ張り上げられた。

 後ろからついてきていたバルドリックが、何とかウルスラの腕をつかんでいたのだ。呆然と見上げるウルスラの腰を支え、そっと床の上に立たせる。

 顔が間近に迫っていた。誰をも惹きつけてやまない美貌に、ウルスラは見とれる。恋心を認めてしまえば、怖さなど欠片も感じない。ただ、ウルスラが愛したのはバルドリックではなく、前世のバルデマーだ。


「ありがとうございます」

「結構ドジなんだな。前も部屋の中でつまずいていた」


 バルドリックはウルスラの視線を避けるように、視線を外した。耳が赤く見える気がするのは、心配したガリアナが松明をこちらに向けて掲げたからだろう。


「大丈夫?」

「平気よ。ところで、例の合成獣人は?」

「こっちさ」

 ガリアナは階段下の鉄扉を開ける。錆びついた音を響かせて開いた扉の向こうには、鉄格子で区切られた部屋がいくつかあった。その一つに、うつろな目をして座る男がいる。


「さて、合成獣人さん、あなたが知っていること、いろいろ吐いてもらうから、覚悟してちょうだい」


 ウルスラは顔立ちから言って迫力が全くないので、見守る側に徹する。尋問のほとんどはガリアナが行い、時々バルドリックが声をかける。

 そうしてわかったのは、男は自分の本名も忘れてしまっており、『ラッテ』と通称で呼ばれたこと、秘密警察で極秘の実験が行われ、動物と合成されたこと、オーディーの手引きでアダリーシアに引き合わされ、彼女の命令に従っていたことなどを告白した。


「特に重要なことはないようだな」

「オーディーが裏切ったこと、悲しくはないの?」


 予想していたとはいえ、こうもはっきりと名を出されたのはショックではないのだろうか。主従関係だったかもしれないが、ウルスラにはオーディーとバルドリックは仲の良い友人に思えた。


「かなしい? どうして?」

「オーディーは殿下を裏切ったでしょう?」

「あいつは俺が暴走しないようにと、見張っているだけだったからな。友人ではない。君が心配するようなことはない。それに、裏切ったのは、俺もそうだ。秘密警察と対立しているナハト側についたんだから」


 牢の向こうで、ラッテが目を大きく見開いた。顔がみるみる青ざめていく。


「そういえばラッテは、ナハトの正体を知らないんだっけ?」

「言ってなかったのか」

「実験に付き合ってもらおうと思って、連れてきただけなので」

「人体実験をするのか? 君は意外と非道だな」

「意外でもないですよ。今まで、どれほどの命を犠牲にしてきたか」


 魔族化したウルスラを逃がすために命をなげうった人間たちだけではない。バルデマーの呪いを解くために犠牲にした命の量は数えきれない。

 そして、そのどれもが無駄になった。


 ――魔王にかかわるものは皆、ゆがんでいく。狂気に染まっていく。


 微笑みながらそう言ったのは、前世で出会った白い少女。

 呪いが発動する前から、ゆっくりと狂気を振りまいていくのだという。近くにいればいるほど、その進行は早い。だからこそ、魔王の最もそばにいる聖女が、彼を殺すのだ、とも。


 ――呪いを反転させる方法もあるの。魔王に聖女を殺させればいい。

 

 ウルスラは大きく息を吐き、そして吸い上げて脳裏に迫ってきた大昔の記憶を振り払った。そして鉄格子に近づく。

 今必要なのは、前世の白い少女の言葉ではない。魔獣と人間を分離する方法。その前段階として、動物と人間の分離方法を探らなくては。


「じゃあ、ほんの少しだけ、付き合ってね」


 そう言った途端、ラッテの足元に浮かび上がった魔法陣は、多重構造の浄化の魔法陣だ。人間の体としての異物とみなされる部分を切り離そうとする。

 ラッテは断末魔を挙げながら、地面の上に転がった。治癒の魔法も同時に発動しているのに、地面には血の海が広がり始める。

 単純に耳と尻尾を切り離さなければいけないわけではないらしく、いくつかの器官が体内でひしゃげる。人間ではないとみなされた、人間の部分もぼろぼろと崩れ始める。

 ガリアナは苦い目でその様子を見守り、バルドリックは心配そうにウルスラを見ていた。


「大丈夫ですよ」


 バルドリックの視線にこたえるようにウルスラは視線を向ける。顔を上げた拍子に、頬から雫が零れ落ちた。どうやら、無自覚のまま泣いていたらしい。

 いったん魔法陣の展開を中止し、治癒魔法を全開する。瞬きの間に治癒は完了して、痛みも完全に消えているだろう。

 ただ、どうしたって記憶は消せない。恐怖はゆっくりと降り積もっていくはずだった。

 青ざめた顔のラッテは、恐怖の目でウルスラを見つめた。


「地獄へようこそ。完全に分離が終わるまで、精神が壊れても続けます」


 冷徹な目で、ウルスラはラッテの目の奥を覗き込んだ。

 精神が壊れていくのは、一体どちらの方なんだろうと思いながら。

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