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32 三人の魔王

「ある人物って、魔王ですよね?」


 歴史書には、紅の魔王が純白の聖女を殺したと記されている。ウルスラの記憶でも、紅の魔王が「聖女を殺すと決めた」と言っている。実際に殺した記憶はないが。


「あの時代、紅の魔王の他にもう一人、魔王が存在したんです。呪いにより魔王になった男が」


 紫の目を細め、彼は語る。

 複数の魔王が存在することがあるのか。そう聞きそうになってウルスラは思い出す。もともと魔王は千三百年前に世界を蹂躙しスティード王国の開祖に殺された「災厄の魔王」をさす。それと区別した形で、三百年前の逢魔の七日間を引き起こした「紅の魔王」がいる。そして目の前の男も魔王だ。


「あなたも魔王ですしね。あなたのことは何て呼べば?」

「僕はナハトですよ」

「私の中で、ナハトはあくまで、もう一人の方なんですけど」

「ではレヴ、とでも呼んでください」


 レヴは薄く笑う。本当に表情がもう一人のナハトとまるきり違う。


「では話を戻しましょう。呪いの魔王、すなわち勇者こそが純白の聖女を殺したんです」


 衝撃的な発言に、ウルスラは目を見開いた。


「勇者が魔王?」


 レヴは紫の目をすっと細める。どこかウルスラの反応を楽しむように。


「まあ、驚きますよね。僕もそれを聞いた時は驚きました。まさか、国を治める王家にこそ、魔王が生まれるなんて」


 え? え? とウルスラは混乱する。


「実はスティード王家は、災厄の魔王を葬り去った時に呪いを受けているそうです。呪いが発動されるのは世代に一人、成人した時。主に、末子が犠牲になっているようです。成人前に末子が死ぬようなことがあれば、その上の子が」


 ウルスラの心臓がドクン、と脈打った。末子といえば、バルドリックがそうだ。


「呪いが発動されれば、災厄の魔王同様、命を刈り続ける。莫大な魔力は、人の力では到底かなわない。あなたも目の当たりにしたでしょう? とても人間とは思えない魔力を。まさに魔王と同等の存在です」


 バルドリックは、教師が三人がかりでも抑えることのできなかった巨牙熊をたった一撃で仕留めた。

 ドクン、とまた心臓が跳ね上がる。

 そう。そうだった。()もまた、呪いを受けていた。魔王と化したウルスラと平気で渡り合えるほど、強大な魔力を持っていた。


「バルデマー」


 ウルスラの口から、懐かしい名がこぼれる。それに気づいたレヴが薄く笑った。


「ええ。確かそのような名前でした。三百年前純白の聖女を殺し、紅の魔王にその罪を擦り付けた魔王(ゆうしゃ)は。紅の魔王を屠ったことで勇者の称号をもらいましたが、同時に魔王でもあったのでその名は消されました」

「擦り付けたわけじゃない」


 ウルスラはぼそりとこぼす。

 魔王が聖女殺しの汚名をかぶるのは、ちょうどよかったのだ。魔王の死体をさらすことにより、逃げた魔族たちから目をそらそうと思った。だから彼――バルデマーとはそういう約束をした。

 どちらか死んだほうが、聖女を殺したことにする。そして、魔王だということにする。一つの街が滅んだのは、国のバカげた実験のためではなく、魔王が蹂躙したからだということにする。研究の要はつぶしてある。もう二度と、凄惨な実験は行われないはずだ。民は何も知らず、明日からまたいつもと変わりない日常を送れる。

 ウルスラたちを魔獣と合成したのは人間だが、魔族と知ってなお逃がしてくれたのもまた、人間だった。復讐ではなく、幸せになるために生きたかった。そのためには許すことを覚え、禍根をなくすことだった。


「バルデマーは最期まで、気高かったんです。国の民のためにも、そしてかつて民だった者たちのためにも、最善の道を選びました。アーベントイアーの民が逃げ切るまで、魔王と戦うことによって国王軍の侵攻を止め、そして民を逃がしきりました」


 ウルスラはレヴの目をしっかりと見据えた。勇者は、バルデマーは、前世でウルスラを殺した男だったが、それはやむを得なかったことだ。初めから、二人で決めていたことだ。どちらかが死に、あの争いに決着をつけると。

 そして二人とも気づいていた。魔族たる証の側頭部の角を持つウルスラが犠牲になるしかないと。


「バルデマーは魔王ではありません」


 はっきりと言い切ったウルスラに、レヴは目を見開く。まさか、ウルスラがバルデマーの肩を持つとは思わなかったのだろう。そして軽くため息をついた。


「そういうことにしておきましょう。ですが魔王と聖女の因縁は深い。聖女はいつも、魔王を殺している。あなたは唯一、バルドリックを殺せる存在です」

「私は殿下を殺しませんよ。というか、殺せません。攻撃魔法の類は使えませんし、剣も持てません」

「そういった理屈を超えて、聖女は魔王を殺すんですよ。聖女の条件は、ただ一つ。魔王に愛されることですから」

「魔王に愛される……?」


 レヴの言う魔王が誰なのか悟り、ウルスラの頬に朱が差す。バルデマーのことではない。もちろん、レヴのことでもない。


「なななななななないですってば。私、いつも彼の前では不愛想でしたよ?」


 確かにアダリーシアを欺くからということで、この数日は濃い日々を過ごしていたが、基本的には授業中しか接触していない。その授業だって、体力も筋力もなさ過ぎて呆れていた。あの状態から恋に発展するのは百歩譲ってあったとしても、そこからさらに愛に発展するのはあり得ない。

 そもそもウルスラは、いつも彼を怖いと思って接していた。バルドリックもそれを分かっている。やっぱり苦手なんだね、とも言っていた。


(あれ? なんで怖いんだろう)


 前世のウルスラは、彼に殺されるのがわかっていた。そう望んでいた。だとすれば、怖いと思うはずはない。いつも、死への恐怖は抱いていなかった。むしろ、彼の腕の中で死んだことが幸せだったとさえ、今なら思う。


(私、ひどい奴じゃん)


 殺すように頼んで、あとのことは全部彼に任せきって。死んでしまったウルスラはそのあとの地獄を知らない。だが彼を地獄に突き落としたのは確かだ。きっと、彼はウルスラを恨むだろう。たった一人、残して逝くのだから。


(ああわかった)


 ウルスラは困ったように眉根を寄せた。


(もう一度恋に落ちるのが、怖かったんだ)


 バルドリックとウルスラは、永遠に結ばれることはない。バルドリックに自分を殺させたあの瞬間から、ともに歩む未来は断絶されている。なぜか、そう感じた。

 それでも、大勢の中からウルスラを見つけてくれたときは嬉しかったし、何があっても守ると言われたときは舞い上がりそうだった。

 たぶん、一目見た時から恋に落ちていたのだ。彼からウルスラにその類の感情が向かうとは思えないが。

 本当に? とウルスラは自問する。ウルスラが否定してもデートだ、と言い張ったのは、その可能性がゼロではないことを示しているのでは。

 だがやはり、ウルスラの未来には、バルドリックが横にいる状態を想像できなかった。

 ウルスラは次第に冷静になっていった。赤みがさしていた顔も元に戻る。


「仮に百歩譲って、いえ千歩ぐらい譲って私が聖女だとして、それがあなたの助けになることがあるんですか?」


 むしろ重要なのは三百年前の記憶ではないだろうか。再現するつもりはないが、今なら魔獣と人間を合成するための魔法陣くらいなら構築できる。もちろん治癒魔法しか使えないウルスラには発動はできない。


「彼を救ってあげてください。僕にはそれができませんから」

「救う?」


 困惑した表情を浮かべるウルスラを見て、レヴは優しく微笑んだ。


「最初、あなたに近づいたのはとびぬけた治癒魔法に注目したからです。どれほど傷ついたとしても復活できるなら、何とか禁書庫に侵入できるかもしれない、と。女性って不思議な生き物でしてね、こちらが犯罪者であっても惚れさせれば協力を取り付けることができるんです。だからあなたにはナハトに惚れてもらうことにしました」


 ウルスラは微妙にひきつった笑顔を浮かべる。思惑通り、ウルスラはナハトに惹かれていった。ともにいる空間が心地よかったのだ。とても懐かしく、安らぎを感じて。


「彼は特別な存在を作らないつもりでいたので、最初はうまくいっていたんですけど、過ごす時間が長いとミイラ取りはミイラになるんですよね。あなたと仲のいい男性に嫉妬する程度には、思い入れができたようです」

「それって飼い猫が他の人に頭を摺り寄せたら腹が立つ、程度じゃないですか?」


 そもそもウルスラには、仲のいい男性などいない。ナハトはいったい誰に嫉妬したというのだ。


「あなたの前では平気なふりをしていますけど、飼い猫をとられた程度では済まないくらいでしたよ。挙句の果てには、あなたを協力者から除外するという始末。禁書庫侵入には一度失敗して、警戒が強くなっているというのに、どうするつもりなんですかね?」

「それは私に聞かれてもわかりませんけど」

「僕は彼のことを結構気に入っているんですよ。そうじゃなければ、こちらの事情に巻き込んで怪盗をやらないかなんて持ち掛けません。そしてまた、僕もミイラになってしまった口でね。彼の呪いを解きたい、と思っているんですよ」 


 レヴはウルスラを静かに見つめた。紫色の目は、真剣そのものだった。

 ウルスラは、そっと息を吐く。


「先ほどから、どなたのお話をなさっているんですか?」

「てっきり、気づいていると思っていましたが?」


 挑むような笑みを、ナハトは浮かべる。


「答え合わせの最中です」

「ではその答えを、彼本人に聞いてみては?」


 部屋の外が騒がしくなった。落ち着いてください、今来客が、と必死に止める声が聞こえるが、その声がだんだん大きくなってくる。やがて、扉が乱暴にあいた。


 とても奇妙な感覚だった。

 ウルスラと向かい合うように座るレヴも、ナハトだ。そして扉の向こうから現れたのも、ナハトだった。

 いつも泰然としており、なんでもそつなくこなす印象だったのに、こうしてみれば結構余裕のなさそうな顔をしている。いや、いまが特別余裕がないのか。黒ずくめの服も乱れていれば、呼吸も荒かった。

 目元を鋭くしたナハトは、長い足で部屋の中につかつかと入ってくると、レヴの胸ぐらをつかんで持ち上げた。


「ヴォルフォクス! 彼女の巻き込むなといったはずだ!」


 怒気を多分に含んだ声は、びりびりと空気を震わせる。

 え、彼がヴォルフォクスなの? とウルスラは軽い衝撃を受ける。レヴと、時には膝にのせていたヴォルフォクスとはなかなか結び付かない。というか、結び付けたくない。


「初めに彼女を利用しようと言ったのは、あなたですが?」


 胸ぐらをつかまれたまま、レヴは平然と返す。同じ顔の二人がやり取りする様はひどく奇妙だった。


「時とともに事情は変わる。計画は彼女なしで実行すると言った」

「時間がないんですよ。未来に先送りすることはできない。今、僕たちはあり得ないほどの幸運に恵まれている。利用しない手はないでしょう」

「ならばいい。決別だ。彼女は連れていく」


 ナハトは乱暴にレヴを突き放すと、やり取りを見ていたウルスラの手首をつかんだ。


「行くぞ。今ならまだ間に合う。ここで見たものはすべて忘れ、元の生活に戻るんだ」


 ソファから立たされる。いつもは丁寧なエスコートなのに、気を遣うつもりはないようだ。いや、あえてそうしているとしか思えない。ウルスラが怯えるように。


「帰りません」


 ウルスラはナハトの手を払った。強く握られていたわけではない手首は、すぐに解放される。


「出ていけ。君のような女性は、誘拐されたという事実だけで世間から白い目で見られる。いいか、もう一度言う。今ならまだ間に合う。まだ、世間が何も知らないうちに、帰れ」


 ナハトはウルスラにぞっとするほど凍てつく目を向ける。そこにあるのは、拒絶の感情だ。それでもウルスラは、引くつもりはなかった。


「ここに残ります。私のやるべきことをやります」

「ここに君がやるべきことはない。君は、治癒師になりたかったんじゃないのか。医者のいない君の故郷で、君は人を助けたかったんだろう」


 冷たい目でウルスラを見降ろしながらも、言葉は暖かい。ウルスラのことを最善に考えている。


「私は故郷よりも、この街の人たちを救いたい」


 そしてあなたも。ウルスラは心の中で付け加える。


「同情か? さすが聖女様だな、おきれいなことだ」


 ナハトは言葉を吐き捨てる。


「だが君では何一つ救えない。自分自身を守ることもできない。人間が攻め込んできてもやり返すこともできない。足でまといだ」


 ウルスラの表情がゆがんだ。言い合いをしたいわけじゃない。認めてほしいわけでもない。


「それでも」


 泣き出しそうになるのをこらえながら、ウルスラは口角を持ち上げた。


「それでも私はここに残ります」

「殺すと脅してもか?」

「はい」


 力強く頷くと、ナハトは戸惑いを見せた。視線をさまよわせ、何としてでもウルスラをここから追い払おうと考えているのが、わかる。


「……守ろうとしてくれてありがとうございます。でも私は、自分の行いに決着をつけなくてはいけないんです」


 ウルスラはナハトに近づいた。抱きしめられるほどの距離で、顔を上げる。よく知っている香りが、ウルスラの鼻を撫でる。ウルスラはほっそりとした指を、ナハトの仮面に引っ掛けた。


「殿下。バルドリック殿下、あなたの力を私に貸してください」


 息をのむ音が聞こえた。

 仮面を外すと、認識障害の魔法が解ける。黒い髪は金色に。紫の目は空色に。

 情けなく眉を落としているバルドリックが、ウルスラを見ていた。

 三人の魔王が、ここに集結した。


ようやくここまでたどり着きました。

この回を何度書き直したことか。いまだに納得いっていないところもあるので、書き直しも考慮に入れています。

タグの「三角関係?」のクエスチョンは、厳密には三角関係ではないので付けました。

10話のあとがきで身長に関してざっくりとしか書いてないのも、身長一緒やん! と思ったからです。


物語はいよいよ佳境、と思ったのですが、いろいろ思うところがあるので「アダリーシア編」完結、くらいかな。それもあと何話かかるかわかりません。

どうぞいましばらくお付き合いくださいませ。

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