3 小さな狼狐
イムルとのデートを再開するといったハンナと別れ、ウルスラは帰路につく。
魔ガモの記事の切り抜きはもらった。歩きながら記事を読み直し、にんまりとした笑みを浮かべる。
警戒心の強い魔ガモは通常、人前には姿を現さない。しかもひとたび見つかれば、そこに二度と戻ってこない。だから今まで生態が不明となっていたのだが、ウルスラの故郷の魔ガモはなぜか、人に見つかっても、さらには人に触られたうえでも、巣を変えることがなかった。
そこにはウルスラの功績がある。
相手の戦意を完全に奪う、外敵のいない魔ガモにとっての敵は、己自身だった。つまり、あまりにドジ過ぎて歩いているだけで転んでけがを負うのだ。ちょっとした小石でもつまずいて転んでしまう。そのコケる様もまたかわいくて悶えるほどなのだが、それはまあ置いておいて。
その転んだ時の怪我が致命傷だったりする。
ある日ウルスラは自宅近くの池で魔ガモを発見した。当然のごとくウルスラも心を囚われ、癒されていた。うっかり音をたててしまい、魔ガモに気づかれる。魔ガモはその習性で逃げようとしたが、まず親鳥が転んだ。後はドミノ式に子魔ガモたちが転んで大きな怪我となった。
ウルスラがとる行動は一つである。魔ガモを治療した。
当時五歳のウルスラは、まだ治癒魔法の使い方など習っていないにもかかわらず、魔ガモを助けたい一心で魔法を発動させた。そのおかげで魔ガモは瞬時に怪我が癒えた。
あとはウルスラの前から逃げるだけだったのだが、魔ガモはなぜか逃げず、そこを住みかとした。
翌年も同じ場所に巣を作り、同じようにウルスラに見つかって逃げて怪我をして、それをウルスラが治した。それを何年か繰り返した。何羽かは完全に巣立ってもう帰ってこないが、何羽かはそのまま残り、結婚相手を連れてきてかなりの大所帯になった。
五年たったところで、ようやく村長が気づき大騒ぎになった。街から魔ガモの研究者は来るわ、治癒魔法を使うウルスラの判定者は来るわで、村は一時騒然とした。
そんなこんなで村は有名になり、魔ガモの繁殖時期には観光地と化す。そして聖女候補になったウルスラは、十五を迎えた去年、勇者と聖女を育成するタプファー学園に入学することとなった。
村を離れ、寮に入ったウルスラは村のことを知らせる新聞記事がうれしくて笑みをこぼす。
大切にとっておこうと記事をたたみ、裏面に見知った顔が映っているのに気付いて顔をしかめた。
怪盗ナハトに関する記事で、第三王子バルドリックの写真が掲載されている。弱小出版社もさすがに王族に対しては強気な姿勢はとれないらしく、バルドリックについて褒めたたえる内容を書いていた。「かの悪党から盗まれたものを取り返したことのあるバルドリック殿下こそ、怪盗ナハトを捕らえるにふさわしいであろう」と。
以前なら特に気にも留めなかったが、前世を思い出した今、バルドリックは天敵だ。今の状態であれば元魔王だとばれることはないが、できるだけ目立つ行動は避けようと、心に決める。
ウルスラはため息をつきつつ記事を制服のポケットにしまった。
さて、気を取り直して寮に帰るか。
そう思って歩く速度を上げたウルスラの鼻先を違和感がかすめる。
ウルスラは思わず足を止めた。鼻をひくつかせ、においの元をたどる。ウルスラには、ちょっとした特技がある。それは、血の匂いをかぎ分けるということだ。
警察犬並み、とハンナに太鼓判を押されたが、血の匂いしか嗅ぎ分けられないので警察犬として就職はできない。残念だ。
学園から寮に向かう途中は左右が生け垣になっている。その奥は鬱蒼と木が茂る雑木林だ。自然に囲まれた、と謳う学園にはあちこちに緑があふれていて、魔窟と化しているような場所もある。匂いはそんな場所から漂ってきた。肩の高さの生け垣に腰を落として潜り、ウルスラは匂いのもとを探す。頬にいくつかのひっかき傷を作りながら、ウルスラは匂いのもとを探し当てる。
黒くて丸いものが木の根元にうずくまっていた。
ゆっくりと近づいて、その背を撫でる。黒い生き物はびくりと肩を震わせ、ウルスラを見上げた。そして低く唸る。
「いい子だから落ち着いてねー」
ウルスラは猫を持ち上げるかのように、首根っこをつかんだ。抵抗できず、黒いのはぶらーんと手足を揺らす。
耳はぴんととがっており、口が前に突き出している。狐のようにも狼のようにも見える。おそらく狼狐と言う魔獣なのだが、大きさが明らかに違う。ふつうは虎ほどの大きさだが、この個体は猫といっても差し支えないほど小さい。
首根っこをつかまれながらも、歯をむき出しにしてウルスラの手から逃れようとしていた。狼狐は足に深い怪我を負っており、帯状の呪文が胴体に絡まっていた。きっと学園のいたるところに仕掛けてある魔獣用の罠に引っ掛かったのだろう。
ウルスラはまず、呪文の内容を読み上げた。もし実験用の魔獣であればかわいそうだがこのまま対象研究室に返すしかない。だがウルスラが読み取った呪文は学園のどの研究室とも関係なかった。それどころか学園に関係のある印がどこにもなかった。
もしかすると、別のところで罠にはまったのかもしれない。
ウルスラはしばし悩んで、魔獣を解放することにした。狼狐とはいえ、この大きさでは悪いことはできないだろう。
「今、怪我を治すから待って」
ウルスラはそういって狼狐の足に触れた。魔法陣が浮かび上がり、骨が見えるほどの傷はみるみるうちに治る。
唸っていた狼狐もおとなしくなる。
「この呪帯も外しておこうか」
呪文が描かれた帯は効力が失われつつあるのか、文字の一部が薄くなっていた。この程度ならウルスラにも破壊できるだろうと、薄くなっている文字の部分で引きちぎる。帯から解放された狼狐は体をひねって、ウルスラの手から無理やり逃れた。
「あ」
怪我などなかったかのように、狼狐はトンと地面に着地する。そのまま狼狐は走り去った。
もともと魔獣と人は相いれない存在だ。ウルスラは腰に手を当て、嘆息する。
「おーい、ここは人間の領域だから、もう来るんじゃないぞー」
見えなくなった狼狐の背に、ウルスラは叫んだ。