28 誘拐
おすすめの食べ歩き街に向かいながら、ウルスラの中には疑問符が飛び交っていた。
離れて歩いても平気なように通信機を買ったはずだ。それなのに、なぜまだ手をつないでいるのだろう、と。
場所がいけなかったのかもしれない。周りにいるのはウルスラと同じ年代の人たちばかりで、カップルか女の子グループかのどちらかしかない。
女の子グループは、バルドリックを見て悲鳴を上げる。「何あの超絶美形」と。すっかり忘れていたが、バルドリックの顔立ちの良さは異常ともいえるほどだった。耐性のない少女たちが見とれないわけがない。
「彼女も激カワなんだけど!」
といわれれば、ウルスラだってまんざらでもない。彼女ではないが。
とにかく二人がカップルだということを主張しないと、バルドリックが女子グループに捕まって前に進めないのだ。ウルスラが寄り添っている限りは、勝てないと思うらしく、声がかからない。
食べ歩き街をどんどん奥に進み、行列ができている場所をウルスラが差す。
「以前、ガイドブックで見つけたんです。照り焼きホットドッグのお店です」
ソーセージの代わりに、安価な鳥の揚げ物を照り焼きソースに絡めて挟んである。メニューはその一つしかない。それにもかかわらず、売れ続けている店だ。
「ウルスラもガイドブックとか見るんだ」
「リックの中で、私ってどういうイメージなんですか?」
「自給自足」
「さすがに少しくらいは実家からの仕送りがありますよ」
都会で娘が惨めな思いをしないようにと、ささやかではあるが送られてくる。もったいなくて、あまり使ったことはないが。
「君が蛇を食べているって結構有名な話だけど」
「あれは毒物研究会に、おいしい蛇の食べたかを教えただけで、普段は食べてませんよ。食堂がありますから」
上級生から告白をされたときのことだ。とりあえずお友達から、ということで学園から寮に送ってもらっている途中、蛇が罠にはまって怪我をしているのを見つけたのだ。当然ウルスラは蛇を保護し怪我を治した。
ウルスラに告白してきた上級生は、素手で蛇をつかんでいることに顔を引きつらせていたが、この時点でウルスラの噂を知っていたので何とか耐えていた。そのときウルスラは蛇に認識番号が振られていたことに気づき、所有者である毒物研究会に届けたのだ。治癒魔法をかけた際、うっかりこの蛇の毒を消したことに罪悪感を覚えながら。
そして届けた時になぜは蛇料理の話になり、よければこの蛇を調理しますよ、といった時に告白してきた上級生は逃げ出した。助けた蛇を食べようなんて発想はない、という言葉を残して。
「そこから告白はなくなりましたけど」
まさか蛇を食べるといううわさが流れていたなんて。食べるものがなければ、ためらいもなく食べるが。
行列は長いが、回転はいい。普段並ぶなんてことのないバルドリックは、面白そうに最後尾につく。ウルスラたちの前後に並んだ者たちは、ぶしつけなくらい視線を注いでいた。
注目されることになれていないウルスラは落ち着かず視線を足元に落とすが、バルドリックは堂々としている。
あっという間に購入でき、二人は通りにおいてある椅子に腰を掛ける。食べ歩き街ではあるが、こうしてところどころに休憩所はあった。
「よくよく考えたらデートには向かない食べ物だな」
バルドリックはべたつく照り焼きホットドッグを器用に食べながる。ウルスラは遠慮することなく大口でホットドッグにかじりついた。
周囲から注目はされているが、人目を気にして小さな口で食べれば、肉が飛び出たりタレが顔にべったりついたり、ひどい目を見るのはウルスラだ。
よく咀嚼して嚥下してからバルドリックを見る。
「デートじゃありませんから」
「この期に及んでまだ言う?」
はたから見れば、確かにデートだろう。だがウルスラは自分に言い聞かせていた。これは絶対にデートではない、と。
「これを食べ終わったらどうするんですか?」
バルドリックに遅れること数分、食べきったウルスラはほっとドックを包んでいた紙をごみ箱に捨て、少し汚れた手に浄化魔法をかけた。念のため、顔にもかけておく。少女向け物語でよくある「頬に食べ物のカケラが付いているぞ」と取られるような展開は御免だ。
先に食べ終わったバルドリックは、飲み物を買ってきていた。柑橘系のサワーで、さっぱりとした味だ。男前め、とウルスラは心でつぶやく。
「そうだな。市場が見てみたい。この近くにあるだろ?」
「そうですね。通りを数本向こうに行ったところに」
「では早速行こう」
無邪気に笑いながら、バルドリックはウルスラの手を引く。
ウルスラは仕方なく、付き合うことにした。そこそこの人がごった返す市場巡りを満喫する。
張り出したテントの下に、地方でとれた野菜が量り売りで売られている。中央市場というだけあって、種類は豊富だった。葉物に根菜、果実、穀物だって置いてある。
「緑の芋なんて、なんか毒々しいですよね」
「この紫の芋もなかなかインパクト強いな。でも三色のマッシュポテトとか、彩がきれいだ」
「リックもマッシュポテトを食べるんですか?」
「食べるだろ。普段からコース料理しか出ないわけじゃない」
マッシュポテトなんて、庶民の料理だと思っていた。
他にも、豆専門店もあった。指先ほどの大きさの豆から、人の顔ほどもある豆があり、いも同様、いやそれ以上に色とりどりで並んでいる。農作物エリアを過ぎれば、今度は畜産物だ。豚に牛、とり、ヒツジ、熊。家畜も害獣指定されている天然動物もあれば、魔物の肉も売られている。部位は様々だが、時には丸々一頭がつるされていることもある。
「これって鶏冠豚ですか? 丸々一頭売ってるの初めて見ました」
「なかなかシュールな気がするが、やっぱり平気なんだな」
「え。平気じゃないですよ。こんな大きな肉なんて、食べきれなくて腐らせそう」
「いや、そうじゃなくてな。夢に出てくるぞ、この顔」
平気で魔物を狩る人が何を言う。ウルスラは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。まあ、倒した時とは違って血抜きされて皮もはいでいるので、見た目はかなり変わってはいるが。
「見てください、これ懐かしい! 小さいころよく遊んだな」
食べ物だけではなく、手工芸の雑貨や玩具も売られている。
「いや、初めて見る」
「これはですね。手で持って回すんですよ。ほら、こんな感じ」
「それで?」
「それだけです。誰が一番長く回せるか、競争します」
一緒にいるのは、バルドリックだということすら忘れて、あれもこれもと見て回る。時には店主に勧められるまま、串刺し肉を食べたり、毒々しい色のドリンクを飲んだりする。やがて市場の端に到着した。
「そろそろ休憩しようか」
バルドリックがタイミングよく声をかける。そわそわしていたのがバレただろうか、そう思いながら近くの建物に入って、ウルスラは化粧室を探した。美術館から出るときに化粧室には寄ったが、あれから四時間は経過している。
化粧室はすぐに見つかった。すぐに入ろうとしているウルスラの手を、バルドリックがつかむ。
「ちょっと待て。魔法を」
そういって、バルドリックはウルスラの手の甲に魔法陣を描いた。
「さすがに女性用の化粧室にはついていけないから」
市場を全力で楽しんでいたので忘れていたが、アダリーシアを罠にはめている途中だった。魔法陣を書いた手を引き寄せながら、バルドリックはウルスラの耳にささやいた。
「おそらく、ここで仕掛けてくると思う」
撒いたつもりでも、護衛やアダリーシアの手のものはちゃんと張り付いていたというわけか。全く気付かなかった。ウルスラはわずかに顔をこわばらせながらも、頷く。
念のため、中を確認したが今は化粧室の中は誰もいない。ウルスラはバルドリックに合図を送ってから化粧室の中に入った。
個室が二つの小さめな化粧室は、清掃が行き届いていた。突き当りは格子がはまった窓がある。人が出入りできる状態ではないから、入り口さえバルドリックが見張っていれば、不審者を見逃すこともない。ただ、世の中には転移の魔法というものがある。せめて用を足すまでは待ってくれと思いながら、個室の扉を開けた。
無事用を済ませると、ウルスラは化粧直しをした。できるだけ隙を作る。鏡越しに、窓が映っているのが見えた。手のひら一枚分ほど空いた窓の隙間から、外の景色が見える。向こうにも建物があるのだろう。くすんだ灰色の壁だ。
「あれ?」
先ほど見た時、窓は開いていただろうか。
振り返る。足元をネズミが走った。と思った瞬間、ネズミが人の形をとった。
闇色のフードを目深にかぶった男が、いきなり掌でウルスラの口をふさぐ。
「死にたくなかったら声を出すな」
鬼気迫る顔で、男は言う。目は血走り、唇は渇き、顔色が悪い。ただ目の奥は異様に輝いていて、恐ろしかった。ウルスラは何度も小さく頷いた。
男の目が、ウルスラの耳元で揺れるピアスを見る。口を押えるのとは反対の手で、乱暴に引きちぎった。
「っ!」
痛みが走り、声にならぬ悲鳴を上げる。
男はピアスを床にたたきつけた。カン! と硬い音がして、魔法陣が描かれた飾りは床で砕ける。
ピアスに注目されたおかげで、男は手の甲の魔法陣には気が付かない。肌になじんだ色の魔法陣は、じっくり見ないとわからないようになっている。
ウルスラは唇を引き結び、叫ぶのをこらえる。この男とアダリーシアにつながりがあるかを確認しなくてはいけない。
「さて、ここからは俺とのデートに付き合ってもらおうか」
男は足もとに魔法陣を展開させた。
魔法陣に書かれた呪文の意味を悟り、ウルスラは笑みを浮かべる。これは、転移の魔法だ。
さあ、アダリーシアのもとに連れて行きなさい。ウルスラは心でそう告げた。




