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26 美術館デート

 週末、ウルスラはいつも以上に気合を入れた。気合を入れないと動けなくなりそうだったから。

 化粧にももう慣れたし、髪を結ぶのも手慣れた。バルドリックからもらった髪飾りをつける。

 いつもは制服だが、今日は私服だ。以前、ナハトにもらった淡い水色のワンピースと靴を選ぶ。ナハトにもらった服を見ると泣きそうになるが、バルドリックと並んで見劣りしない服はこれしかないから仕方ない。紺色のドレスは、あまりに華美だし。

 姿見に映し、チェックをする。問題は見当たらない。

 寮の入り口に行くと、バルドリックは先に来ていた。登校の時もそうだが、いつも必ず、バルドリックが待っている。

 バルドリックはウルスラの姿を見て、目を見開いた。彼がウルスラの私服を見るのは、初めてかもしれない。ウルスラはそう思った。


「それをつけてくれたんだな。似合っている」


 ウルスラが付けている髪留めを見て、バルドリックの頬が上がる。


「今日がここぞという時なので」


 バルドリックに褒められ、どうも調子が狂う。

 ウルスラも、バルドリックの私服姿を見るのは初めてだ。ウルスラと並んでもおかしくないように、比較的ラフな格好をしている。それにしても、足が長いからか何を着ても様になる。


「初めに言っておくが、あまり気持ちのいい絵ではないからな」


 車へとエスコートしながら、バルドリックは釘をさす。


「存じております」


 気分がよくないのは、初めから覚悟している。タイトルから察するに、絵にはウルスラの死が描かれているはずだ。逢魔の七日間、最後の日。前世のウルスラが勇者に殺された日なのだから。ナハトとの関係が終わった以上、絵を見る必要もない気がするのだが、自分の前世とのかかわりもあるのだからやっぱり見ておこうと思った。


 やがて車は美術館に到着する。芸術を学びたい若者のために、美術館は無料で開放されている。ウルスラたちは市民たちに紛れて、美術館の中に入った。

 広い館内は、ゆったりと絵画を鑑賞できた。せっかくなので、他の絵画も見る。普段から芸術に触れる機会の少ないウルスラは、どう見ればいいのかわからない。


「時代背景を知っていれば、なかなか面白いものが見えてくるが、まあ特に作法もない。好きなように見ればいい」


 バルドリックはそういったものの、ただただうまいなあという感想しか浮かばない。抽象画に至っては、どうしてこんな絵を描こうと思ったのだ、子どものいたずら書きとどう違うのかわからない、ということしかわからない。

 それでも、作者によってタッチが違うなということは数を重ねていくうちにわかった。一番面白かったのは、同じ風景を集めた部屋だった。作者によってとらえ方が違う。その時の気候の差もあるのだろうが、天候も違えば、そこに入り込む小物の種類も違う。陰鬱なのか、朗なのかも違ってくる。

 そして一通りどうでもいい絵画を見た後、最後の部屋に入った。


 建物三階分をぶち抜いて作った建物は、体育館ほどの大きさの部屋だった。その壁一面を占めるように、絵は飾られていた。

 これほど大きければ、確かにナハトは盗めないだろう。そもそもどのようにしてここに運び入れたのかも謎だが。

 ウルスラはぎりぎりまで下がり、絵を見上げた。


『逢魔の七日間・最期の日』


 二日目、と題される絵の中にあったはずの死体は消え去り、描かれている人物は勇者と魔王だけ。胸を剣で一突きされ、大量の血を流しながら力尽きる魔王。そして勇者の目には涙。勝ったことを喜ぶ涙だとも、勝ったとしても戻ってこない最愛の聖女を偲んでいるのだともいわれている。

 勇者の顔は、今のバルドリックとは似ても似つかない。どちらかというと武骨な顔立ちの勇者に、ウルスラの心はざわつく。前世のウルスラは、確かにこの男に惚れていた。

 いつだったか、バルドリックは言っていた。聖女が魔王のもとを一人で訪れたのは、男女の感情のもつれからだという説があるのだと。あながち嘘ではないのかもしれない。勇者と思いあっていた聖女の存在を、今のウルスラでさえ疎ましく思うのだから。


 ウルスラは食い入るように絵を見続けた。

 二人の足元には、荒れた土地がずっと続いている。地平の彼方の空は、今にも雨が降り出しそうに重い灰色をしていた。せっかく魔王を打倒したのに、希望の光は一筋も指していない。

 絵に込められた執念に、ウルスラの鼓動が早くなる。これを描いたものは、一体何を思ってこんな風に描きつけたのか。


「絵画の作者は不明なんだ。ただ、複数名で書かれているのは事実だ。十数人。あるいは百人以上」


 バルドリックに言われて、ウルスラは絵に近づく。遠目には一枚のキャンバスに書かれているように見える絵は、近づけば幾枚もつなげて一枚を形成しているのだとわかる。

 そして一つ一つ、筆致が違った。勢いに任せて描かれている部分もあれば、丁寧に塗りつぶされている部分もある。それがモザイク画のように組み合わされ、一つの美しい作品に作り上げられていた。


「一説では、魔族が描いたのではないかと。その証であるかのように、この絵は燃やすことができない」


 だから、魔王は禍々しく描かれておらず、光が地上に差し込むことはない。


「魔族は勇者が滅ぼしたのでは?」


 逢魔の七日間の四日目に、勇者は魔族を滅ぼしていることになっている。では、この絵を描いたのは誰だろう。想像で描いたにしては、当時の魔王も勇者も、記憶のままだ。この場面を見ている誰かが描いているとしか思えない。

 かつてここにあった街は滅びた。魔王が蹂躙し、住人を皆殺しにした。校外実習でコテージのあった場所が、魔王と勇者の決戦の地だと言われている。


「滅ぼしきることはできない。勇者が殺した大量の魔族の死体は見つかっていないんだ。同様に、魔王が殺したはずの人々の死体も発見されていない」


 間違いなく、街一つはほろんだ。魔の森に隣接する街には、冒険者が多かったという。中には他国の民もいたというのに、逢魔の七日間の間に連絡が途絶えたという。数万人が過ごす街が消えたのだ。当時は世界を騒がせたという。


「では、魔の森に大量の骨が埋まっているんですよ。それとも、夜な夜な魔獣が出てきて、骨ごと遺体を食べてしまったのかも」

「その可能性も否定できないな。どちらにしろ、その謎はずっと解明されないままだ」


 ウルスラはもう一度、離れて絵を見た。

 絵に対する執念は、魔力に近い思いが込められている。三百年たっても色あせないそれは、必死に何かを伝えようとしている。勇者が魔王にとどめを刺す瞬間を、間違いなく作者たちは見ていたのだ。そんな錯覚を起こさせた。

 ウルスラは思い出そうとする。あの場に誰がいた? 魔族がいた記憶などウルスラにはない。生き残った同胞は全員逃がしたはずだ。魔の森の奥に行けば、人間たちはもう追ってくることができないからと。

 あの場にいたのは死体だけだ。絵から消えた死体が、この絵を描いたのだ。恨み言を言いながら、ウルスラの足元から死体が這い上がってくる。私たちが死んだのは、お前のせいだとウルスラを責め立てる。

 その死体は、いつの間にか同胞の姿になっていた。


「ウルスラ!」


 バルドリックの呼びかけに、ウルスラは正気に返る。倒れ掛かっていたのか、バルドリックに腰を支えられていた。


「やっぱり、見ていて気分のいいものではないな。もう行こう」


 ウルスラはもう一度絵を見上げる。

 ウルスラたちは、()()()()()()()()、魔の森に逃げようとしたのだろう。

 肝心なところを思い出せなかった。





 美術館の外に出ると、日はだいぶ高くなり、気温が上がっていた。

 美術館前には自然公園があり、いくつかの移動販売車が止まっていた。クレープ屋だったり、ホットドッグ屋だったり。


「俺たちも並ぼう」


 ニッと唇の端を上げると、バルドリックはウルスラの手を引いてアイスクリームの移動販売車の前に並んだ。今日は最近にしては暑いせいか、そこそこ並んでいる。


「アイスですか?」

「疲れただろう? そんな時は難しいことを考えずに甘いものだ」


 かつてナハトに似たようなことを言われた。それを思い出して、鼓動が跳ね上がる。


「でもいいんですか?」

「何が?」

「こういったところのものを殿下が食べて問題ないのかと」


 主に、毒を盛られる可能性についてだ。


「一瞬で殺す毒はないんだろう? 君の浄化能力を信じている」


 以前、ウルスラがオーディーに言ったことを丸っと返される。きっとオーディーからバルドリックにその話が言ったのだろう。


「何味が好きなんだ?」


 もう食べることは決定しているのだろう。こうなってはウルスラでは制御できない。大人しく従うことにする。


「バニラを」


 本当はチョコ味も好きだ。だが落として服を汚したらショックなので、無難な味を選んでおく。

 二人に注文が回ってきた。


「バニラとチョコを」


 店員は手早くコーンにアイスを盛り付ける。トッピングでかわいいハートのチョコレートとチョコスティックが乗せられた。


「あ、代金」

「こういう時は男に支払わせておくものだ」


 王族だから、財布には大きな額しか入っていないかと思えば、バルドリックは普通に支払いを済ませる。


「御馳走になります」

「はい、どうぞ」


 そういって、バルドリックがウルスラに渡したのは、チョコ味の方だった。頼んでいた味とは違う。そう思いながらバルドリックを見あげると、にっこりとほほ笑まれた。鳥肌が――立たなかった。


「早く食べないと溶ける」


 仕方なく、チョコ味を食べる。程よい苦さと甘みのバランスが、おいしかった。


「はい、じゃあこれ」


 そういってバルドリックはウルスラが持っていたチョコ味をとると、カラになったウルスラの手にバニラ味のアイスを乗せた。


「え?」

「毒見のことを気にしているようだったから、これで問題ないだろ?」


 そういってチョコ味のアイスを食べ始める。


「さっきも言ったが、早く食べないと溶ける」


 ウルスラは慌てて、溶けかけのバニラをなめた。こちらもおいしい。と、思っていると横からバルドリックの顔が近づいてきて、バニラ味を一口食べられた。

 ウルスラは思わず硬直する。


「バニラもうまいな。次はバニラにしようか」


 セリフは甘いが、眼光は鋭く遠くの木陰を見ている。ウルスラも何気なさを装って、アイスをなめながらそちらに視線を向けた。明らかに場違いな黒い服を着た男が、木陰に隠れて通信機でやり取りをしている。


「護衛の方ですか?」

「オーディーを差し置いて、あんな奴は来ないだろうな。シュティルベルトの人間だ。まあオーディーもどこからか、見てるだろうが」


 目論見通り、アダリーシアは今日という機会を見逃さなかったようだ。


「アダリーシアさまも?」

「彼女の性格からして、証拠を残したくないだろうからこの場にはいないな。きっとあの男に映像を送らせているだろう」


 だから、見せつけるためにウルスラのアイスにも口をつけたというのか。とことん、性格の悪い奴だと思う。


「さて、そろそろ行こうか」


 アイスクリームを食べ終えると、バルドリックはウルスラの手を取った。


「行くってどこへ?」


 美術館で見たかった絵はもう見終えた。


「美術館の後は、ボートに乗るのがデートの定番だ」

「でもこれはデートではなくて」

「デートだろう?」


 楽しそうに笑って、バルドリックはボート屋までウルスラを引っ張っていく。

 デートという単語に、ウルスラの頬が熱を持つ。今までずっと無表情だったバルドリックが表情豊かに笑うから、調子が狂う。

 今、手を引いているのは、前世でウルスラを殺した男だ。だが前世のウルスラは、勇者に好意を抱いていて、ウルスラはその影響を受け始めている。


「でもごめんなさい、やっぱり帰ります」


 ウルスラはそう言って頭を下げた。アダリーシアのこともあったが、そろそろ限界だった。


「そうか」


 納得したかのように笑ったかと思うと、バルドリックはウルスラをお姫様抱っこした。落とされるのが怖くてウルスラはバルドリックにしがみつく。


「突然何をするんですか」

「帰ると言い出したのは、足が痛いからだろう? 靴が若干大きくて、靴ずれをおこした」

「気づいていたんですか?」

「いや、気づいたのは美術館を出てからだな、もっと早く気付くべきだった。すまない」

「前はいた時は大丈夫でしたが、今日はなぜか合わなくて」


 かかとの低い靴だから、安心していたのだが。


「足は朝と晩で若干大きさが変わるからな」


 確かに、買った時は夕方だった。バルドリックはベンチにウルスラを座らせると、靴を脱がせた。

 スラックスが汚れるのも構わず跪き、靴擦れを起こしている部分に触れて怪我を治す。そしてポケットからハンカチを取り出し、二つに裂く。もう一度靴を履かせ、シューバンドのように止めた。


「確かこれでだいぶ楽になるはずだ」

「確かに楽です」

「では、これで帰らずに済むな」


 バルドリックの唇の端が少し上がっている。誇らしげな顔に、ウルスラは帰るとは言いだせなかった。

 


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