19 ディナー
バルドリックが懇意している警察隊のもとには、後日改めていくのかと思えば、今日すぐに行くのだという。
「夕食が……」
閉館ぎりぎりまで図書館にいたので、今から外出しては寮の夕食の時間に間に合わない。逆に夕食を終えてからだと、寮から出ることはできない。
「では一緒に食事もどうだ?」
「殿下とですか?」
ウルスラは迷惑そうにバルドリックを見た。一緒に食事など、実習の炊事とはわけが違う。
「もちろんそのつもりだ」
平然と言う。
ウルスラの予想では、バルドリックが行くという食事処は高級レストランに違いない。立ち食いの屋台など、ありえないだろう。
そして事実、ドレスコードのあるレストランに行くからと、ウルスラはまず服飾店に連れてこられた。
「制服も正装だと思うんですが」
「残念ながら、タプファーの女子制服は膝が出てるからな」
そう言いながら、バルドリックはウルスラに紺色のドレスを選ぶ。デコルテと長袖がレースの、Aラインのドレスだ。シルクサテンのスカートに、シルクジョーゼットのオーバースカートが重ねられている。夜会に着る様なドレスではなく、カジュアルなもので胸回りもウエスト部分も比較的ゆったりと作られていた。
合わせてエナメルの紺色の靴も用意する。
そしてスタイリストがドレスに会う化粧と髪型にした。ヘアアイロンで髪がみるみる巻かれていく。サイドダウンにし、花束のように存在感のあるコサージュで飾ろうとした時、バルドリックは持っていた紙袋をスタイリストに渡した。
「髪飾りにはこれを」
バルドリックがスタイリストに渡したのは、大きめのリボンをベースにレースとガラスカットのビーズが散らされたものだ。華美ではないので、普段でも使おうと思えば使えそうなものだ。
「殿下、もしかしてそれ……」
離れたところでウルスラのメイクの様子を守っていたオーディーが顔を引きつらせる。
もしかして、王家の秘宝とかなのか。それにしては質素というか、華やかさに欠けている。宝石の一つも使われていない。
「手作りの品なら、贈っても問題はないんだろ?」
バルドリックは悪びれなく言う。
「殿下の手作りなんですか?」
スタイリストの手がぴたりと止まる。まさかバルドリック自ら髪飾りを作るとは思わなかったのだろう。ウルスラだってそんなことは予想しない。
「私、何かお礼をされるようなことはしていませんが」
「そうだな、これから頼みたいことがあるから先払いといったところか」
「この一週間ほど、放課後に工房に通って何かを作っているとは思っていましたけど……」
オーディーは信じあられないものを見る目で、バルドリックを見ていた。
「意外と難しいもんだな。職人たちには頭が下がる」
スタイリストがもう髪につけてしまったので、鏡越しにしか見ることができないが、素人が作ったにしてはかなりクオリティは高い気がする。明るい髪色に、紺色は差し色になってとても似合っていた。
「渡すタイミングを計っていたから、今日のディナーはちょうどよかったな。それに……」
バルドリックは視線を服飾店の外に向けた。色とりどりのドレスが見えるようにと、通りに面する壁は一面ガラスだ。そこから中の様子をうかがっていた白い服を着ていた女性が、慌ててガラスから離れる。
「向こうを刺激するいい材料になったと思う」
あの白い服の女性には見覚えがある。アダリーシアのそばにいた取り巻きだ。バルドリックがウルスラを連れて図書館を出たから、気になってつけてきたのだろう。
学園内に従者を入れることは禁止されているので、他人を手配することもできず、自ら動いたのだろう。 その結果、バルドリックに見つかるのは詰めが甘いとしか言いようがない。
「さて。食事も含めて、今後のことを話し合おうとしようか」
バルドリックの目が、きらりと輝いた。
連れてこられたレストランは、庶民のウルスラには一生縁がないような高級な場所だった。落ち着いた雰囲気で、生のピアノが演奏されている。支配人を名乗る男が出てきて、バルドリックたちを個室へ案内した。
全体的に照明は少なく、必要最低限しか灯っていない。足下が危ないからと、バルドリックはウルスラに手を差し出した。慣れない靴に、ウルスラは仕方なく手を添える。
席に着くと同時に、食前酒代わりのドリンクが出される。メニュー表はない。もう、向こうの方で何を出すか決めているようだ。授業で一応のマナー講座を受けているとはいえ、大きな失敗をしでかしそうだ。
「まあ個室だから気楽に」
乾杯と言ってグラスを掲げる。一切愛想を見せないのに、様になっている。住む世界の違う人だということを改めて感じる。
「できませんけどね」
見よう見まねでグラスを掲げて、口をつける。炭酸のきいたブドウのジュースはさっぱりとしていておいしかった。
個室の中も間接照明で、バルドリックの顔がかろうじて分かる程度だ。薄闇の中で、バルドリックの美しさは際立っていた。これほどじっくり見るのは初めてだ。
壁際に立つオーディーの姿なんてもはや見えないに等しい。だがいるのだとわかっている以上落ち着かない。どうせなら一緒に食べればいいというのに、そこは従者の線引きがくっきりとしているのだろう。
コース料理が出てきて、おいしい料理に舌鼓を打つ。今まで食べたことのない味に胃がびっくりしてしまうほどだ。前菜の繊細な味に、オードブルの芳醇な香り、メインの肉は歯がなくても食べられそうにとろとろに煮込まれていた。デザートも絶品だった。
緊張しているはずなのに、料理のおいしさはしっかりと堪能した。
最後に出されたお茶を楽しんでいるとき、バルドリックはようやく本題を切り出す。
「さて、最近君がとある人物から脅迫を受けている件についてだが」
「一番いい対策は、殿下がこれ以上私に接触しないことなんですけど」
ウルスラは間髪入れず、答える。食事に誘うなど、これきりにしてほしい。
「それが無理だから、こうして対策しようとしているんだが」
優雅に持ち上げていたカップを置き、バルドリックはウルスラを見据えた。あたりが暗くてよかったと思う。これだけ距離が近いのに、彼の目を怖いと思うことがない。
「もういっそのこと、アダリーシア・アイン・シュティルベルトさまと婚約でもしてしまえばよろしいのでは?」
そうすれば、少なくとも憎悪はウルスラには向かないだろう。アダリーシアの嫉妬がウルスラに向けられるのは、特別扱いされているからだ。バルドリックの興味がウルスラからなくなれば、自然とアダリーシアからの嫌がらせがなくなる。
「勘弁してくれ」
普段は感情をそれほど動かさないバルドリックが、心底いやそうな顔をする。
「一途な方じゃないですか」
見た目もけして悪くはない。中身はちょっとアレなところがあるが、それもバルドリックを思ってのことだと思えば、かわいいのではないか。
「一途といえば聞こえがいいが、ただ思い込みが激しいだけだ」
「そこまでしてアダリーシアさまを毛嫌いする理由を思いつきませんけど」
「一家ともども、目的のためには手段を選ばない。政治において重要な性質ではあるが、俺は一切政治にはかかわらない。となれば、隣に置くのは心安らげるものがいいだろう?」
同意を求めるようにバルドリックは視線を投げる。貴族と市民とでは考えがまるきり違うから、同意してもいいものか迷う。いくらバルドリックが政治に関わらないとはいえ、王族であることは間違いないのだし。
「あいつは昔から、気に食わないやつを排除するのがうまいんだ。老若男女問わず、俺の前から人がたくさん消えたよ。中には死んだ者もいるかもな。俺のことだって本気で好きなわけではなく、俺とともにいる自分に酔いしれているだけだ」
確かに、アダリーシアがそばにいるのは、心が安らげなさそうだ。
「ではさっさと婚約者を決めてはいかがですか? アダリーシアさまが納得される方であれば、だれでもよろしいかと」
別に学園の生徒でなくてもいい。学園と限定しなければ、バルドリックの好みに合うものの一人や二人、いるだろう。王家とつながりを得たいと思うものは大勢いるのだから、簡単に見つかるはずだ。
青い目が真っすぐにウルスラに向けられた。
「では君と婚約しようか」
ウルスラは硬直し、真顔でバルドリックを見る。バルドリックもまた、無表情でウルスラを見返した。
「冗談だ」
「言っていい冗談と言ってはいけない冗談があるかと思います」
「すまない。そこまで怒るなんて思ってなかった」
「怒ってはおりません。呆れているんです。アダリーシアさまが納得される方といっているのに、私はないでしょう」
「今の君なら、養子にしたいと名乗りを上げる貴族は多いはずだ。シュティルベルトを超える侯爵家の養女にもなれるはずだ」
「それを聞くと純白の聖女の再来っていう言葉の強さがよくわかりますね」
三百年前の悲劇のヒロインの生まれ変わり。平民の間ではそこそこ人気がある。少なくとも、嫌われてはいない。その聖女が時を超えて勇者と結ばれるとなれば、これほど人の心をとらえるものはないだろう。だからこそ、アダリーシアは焦っているのだろう。
「まあ、本当にそうなった場合、君が俺の婚約者になるというのはまず無理なんだが」
「……どういうことですか?」
わかりやすく民衆を惹きつける話題だと思うが。
「俺にあてがわれる領地はもうすでに決まっている。成人と同時に領地にこもって、二度と帰ってこない。そんな俺の奥方が、国にとって有用な君であるはずがないから」
それは一体どこなのだろう。ウルスラはバルドリックを見つめながらゆっくりと瞬きをした。
「君もこの間行っただろう。魔の森と、その奥地だよ」
各世代の末の子が、勇者の称号を授かり、領地を受け継ぐことが習わしになっているのだとバルドリックは言った。
税金は納めなくていい。領地経営状態がどうなっているのかも報告しなくていい。求められるのはただ一つ。魔の森から魔獣を出さないこと。それは、魔の森の主となった己自身も含めてだという。
「ま、生贄みたいなものだろう。先代の勇者が生き残っているとは、王家の人間は誰も思っていない」
だから向こうで領主の地位を継ぐ者がいない前提で末の子が毎回送られるのだ。
悲しさも悔しさもない、淡々とした表情でバルドリックは言った。
「それで話題を戻すが、シュティルベルトは本当に手段を選ばないんだ。現にこの前だって――」
「殿下」
機密事項にまで及びそうになったのか、オーディーが止める。バルドリックため息を吐き出して話を切り替えた。
「君は手紙を開封していないから知らないだろうが、呪いの内容はエスカレートしていってる。中には階段を転げ落ちるとか、頭上から鉢植えが堕ちるというのもあった。屋上からダイブというものもあったかな」
聞いているウルスラは言葉を失う。屋上からダイブなんて、風魔法も衝撃緩和の魔法も使えないウルスラなら、死んでもおかしくはない。階段落ちも頭上から鉢植えも十分危険だ。
「なかなか尻尾をつかませてくれない。シュティルベルトを追い込むほどの証拠能力が足りない」
相手が侯爵家である以上、憶測では罪を突きつけられない。
オーディーの今日の迎えが遅くなったのは、ウルスラ宛の手紙のチェックだったという。できるだけ触れないようにしていて正解だったと、ウルスラは粟立つ二の腕をさすった。
「それで、私にそれを告げたということは? まさか、警戒しろというだけではありませんよね?」
「あえて君との仲を主張して、早々に噴火してもらおうかと。火消する余裕がないほど、盛大に」
そのために恋人のふりをしろという。
だから、わざわざ手作りのアクセサリーまで用意して、相手の神経を逆なでにした。あまりにわざとらしい挑発だが、今頃アダリーシアは知らせを聞いて激昂しているだろう。
正直、アダリーシアのことは好きではないが、こうやって罠を仕掛けられるだなんて、かわいそうだ。それとも自業自得だと哀れめばいいのか。
「私にメリットはありません」
ただでさえ、かかわりあいたくない相手だ。できれば遠慮願いたい。
「このままだと、シュティルベルトに殺されるかもしれないのに?」
「もとはといえば、殿下が私をパートナーに選んだのが発端ですよね?」
関わってこなければよかったのだ。そうすれば、ウルスラはアダリーシアに目を付けられることもなかった。
「これまでは一応、君に迷惑が掛からないようにしてきたつもりではあるんだが」
確かに、授業以外では接触しては来なかった。それでもやっぱり、受けたくはない。
前世でウルスラを殺した男で、ナハトを捕まえる可能性が最も高い男。ウルスラにとっては鬼門でしかない。
「俺は伴侶を得ないつもりでいる。俺を嫌っている君なら、惚れられることがないから、適任だろ?」
それとも誰か別の女性を犠牲にしようか、とバルドリックはウルスラを挑発した。
「ただの動物でさえ優しさを発揮する君のことだ。他の女性をアダリーシアの犠牲にしたくはないだろう?」
「脅迫ですか」
先ほど、アダリーシアとかかわって死んだ者もいるかもしれないと言ったばかりだ。ウルスラが断れば、他の誰かが殺されるかもしれない。そんなことを聞いて、辞退できるはずがなかった。
「そうとってもらっても構わない。残り少ない俺の人生、安らぎを与えてくれてもいいだろう? もちろん、君のことは全力で守るよ。妖虎に襲われていた時のように」
ウルスラは、バルドリックの話を受けるしかなかった。




