18 図書館
放課後、ウルスラはまっすぐ帰ることはせずに図書館へ寄った。
オーディーから、所用があって迎えに行くのが遅れるからという連絡があったからだ。手紙という形での報告だったので、アダリーシアの罠かと警戒していたが、封蝋の印は偽装できないと教師が保証してくれたので大丈夫だと判断した。
いじめというにはまだ小さな嫌がらせに、オーディーはうすうす気づいているのだろう。けして一人になるなと念を押されたので、ハンナとイムルと図書館に向かう。
「そういえば、二年になってから初めて図書館に来るかな」
一年の時は、不明点をすぐに調べられるからということで、勉強は図書館でしていた。二年になってからは、わからないことはナハトが教えてくれたから必要なくなって、来なくなった。
「まあ適当に何か借りてくるね」
席とりをした二人に声をかけ、ウルスラは本を探しに離れる。
ハンナとイムルは、人を探す魔道具の改良版をつくるそうだ。もちろん、手紙の送り主を突き止めるためだ。図書室内を見回せる位置に陣取って、さっそく設計図を広げる。
なんとなくお邪魔虫になったような気がして、ウルスラは二人の視界に入る範囲で、できるだけ距離を置いた場所で面白そうな本を探す。
何気なく上着のポケットに入れた手が、かさりとした何かに触れる。取り出してみると、一か月以上前の新聞記事に切り抜きだった。バルドリックの写真が掲載された、ナハトについて書かれた記事だ。
この時盗んだものは、聖女の腕輪だった。
なぜ、聖女の腕輪だったのか。
今更ながら、ウルスラは本当にナハトのことを知らない。ふつうは恋した相手が何を好きなのか、何が嫌いなのか、どんな女性がタイプなのか、興味を持つのだろう。何となく、タブーのような気がして知ろうとは思わなかった。
まったく知らないのに、好きだなんて。
それはまるで、外見だけ見てウルスラを好きだと言って、ほんの少し知っただけで思っていたのと違うと去っていった者たちと一緒ではないか。
ウルスラは少し、落ち込む。
踏み込む勇気はなかったのだ。ウルスラの前で仮面を外さないのは、心を許していない証だ。踏み込んだとたん、消え去ってしまう気がした。
ナハトがウルスラに接触するのは、ずば抜けた治癒能力が必要だからだ。
どんなところにもやすやすと侵入してしまう彼が、ウルスラの治癒魔法を必要なほど欲するものとは、いったい何なのだろう。
記事の切り抜きをスカートのポケットにしまい、ウルスラは歴史書のある棚を目指した。
ウルスラが覚えている、ナハトが盗んだものは聖女の腕輪と勇者の剣だ。奇しくもどちらも時代は同じ三百年前。歴史書から、それらの美術品が乗っていそうなものを探す。
『魔王復活の時代』そう書かれている背表紙を見つけた。かなり上の方にある。ウルスラは腕を伸ばした。指先は引っ掛かるが、とれそうにない。さらに背伸びをした時、後ろから誰かがその本をひょいと取り上げた。
「これでいいか?」
横取りをしたわけではなく、とってくれたようだ。ウルスラは振り返ってお礼を言う。
「ありがとうございま……」
バルドリックだった。
図書館は静かにすべきところ、ということでみな声を出すのは控えているが、注目が一点に集中していた。
「珍しい。歴史の勉強を?」
ウルスラに本を渡しながら、バルドリックはにこりともせず聞く。
心臓がバクバクとなり始めた。魔王の時代に興味を持っているだなんて、一番知られたくはない相手だった。
一気に汗が噴き出す。ウルスラはポケット方ハンカチを取り出した。ハンカチに引っかかった新聞記事がポケットから落ちる。
「落とした」
拾い上げてウルスラに手渡す。新聞記事に目を落としたバルドリックは、納得したように頷いた。
「ああ。純白の聖女の生まれ変わりと呼ばれる君のことだ、聖女がどういった人だったか気になるな」
自分の写真が掲載されていることは綺麗に無視して、あの時盗まれた聖女の腕輪について言及している。
「俺でよければ、少し教えられるが?」
「え」
「歴史は魔王の時代を専攻しているから。もちろん聖女についてもある程度は考察している」
知りたいのは聖女のことではなく、ナハトの盗んだもののことなのだが。
いや、ナハトのことを調べているということがばれるのもまずい。聖女に興味があるということにしておけば、ウルスラの正体もばれはしないだろう。
「お願いします」
断るという選択肢がすっぽりと抜けた状態で、ウルスラは頭を下げた。
聞きたいことがあれば聞いてくれ、とだけ言い、バルドリックはウルスラの向かいに腰を下ろした。個別デスクではなく、図書館の真ん中に置いてある共同机だ。主にグループ発表の作成物を作るのに必要なので、設けられている。それぞれの机に音遮断の魔法がかけられているので、少々の雑談は周囲に迷惑をかけない。
隣の机にはハンナとイムルがいる。ハンナは何か言いたそうにしていたが、首を振って言葉を飲み込んだ。
バルドリックと向かい合う机には、ウルスラが最初に選んだ事典の他にいくつか、本が置いてある。バルドリックが見繕ったものだ。聖女の歴史なんて言うものもあった。まるで興味のない分野だが仕方ない。
ウルスラは最初に目を付けた本から、目を通すことにした。
三百年前、魔王によって殺されたとされる聖女の遺品は驚くほど少ない。魔王を討ち滅ぼした勇者とは違い、肖像画の一枚も残ってはいない。
唯一本人のものだったと断言できるのが、魔王を浄化すると言って旅立つ前日に勇者に渡した腕輪だった。当時は、結婚とともに腕輪を交換する儀式があったため、その儀式の一環だったと言われる。
事典に載せられている写真はカラーだったが、近年撮られたものなのだろう。土台の金細工もくすんだ色をしており、年月を感じさせる。埋め込まれている赤い宝石はルビー、黒いのは光り具合からいってブラックオパールだろうか。貴重な石を使い、デザインも繊細で、作られた当時の最高峰の細工なのだとわかる。国宝級の腕輪を預けるということは、やはり聖女は勇者に心を預けたのだ。
魔王が無事倒されたのなら、黒の勇者と純白の聖女は結婚していたのだろう。
勇者が魔王にとどめを刺した瞬間の悲しい目、あれは二度と会えない恋人を思っての感情だったのか。約束を果たして魔王を倒したところで、勇者は最愛の人とは結ばれることがなかった。
腕輪の項目に目を通しながら、ウルスラの中に一つの疑問が浮かび上がっていた。どう読み取っても、聖女は一人で魔王に立ち向かっているのだ。なぜ、勇者とともに魔王に挑まなかったのだろう。そのほうが勝つ可能性が上がるはずなのに。
「なぜ聖女が一人で魔王のもとに向かったのか、君も気になるのか?」
ページをめくる手を止めていたウルスラに、バルドリックは声をかける。ウルスラはバルドリックの意見を求めることにした。
記憶を取り戻していなかったとしても、この男が出す答えが一番近いのではないだろうか。
前世の恋人のものとはいえ、怪盗なんかに盗まれてしまったのはさぞかし悔しいだろう。
「一部の学者は、魔王が勇者と聖女の恋中に横恋慕していたのだと唱えている」
バルドリックが吐き出した言葉に、ウルスラは面食らった。飲み物を飲んでいれば、きっと噴き出していただろう。それくらい、ありえない言葉だった。
「男女間の愛情の話にけりをつけるためだから、一人で向かったのではないか、と」
三百年前のいわゆる「逢魔の七日間」はもっと壮大な話だと思っていたから、愛情のもつれみたいな表現をされるとウルスラとは拍子抜けだ。
「では魔王は、勇者に振られたことが原因で、人間を大量に殺害したんですか?」
もしそうなら、八つ当たりもいいところだ。
もちろん、事実とは違うとわかっている。大量虐殺をしたとされているのは、ウルスラの前世だ。人間を大量に殺した記憶はないが、理由は分かっている。ウルスラは同族を守るために、行動を起こした。
「矛盾だらけだからな、実はその節は否定されている」
バルドリックの発言に、ウルスラの表情から感情が抜け落ちた。全くの無である。
「面白くなかったか?」
くすりともこぼさないウルスラに、彼女以上の無表情でバルドリックは尋ねる。
笑わせるつもりで、今の話をしたのか。どう反応するべきかわからなくて、ウルスラは困惑の表情を浮かべる。
「そもそも魔族が人間に恋するなど、ありえるんですか?」
ウルスラは強引に話を変えることにした。バルドリックはやはり無表情のまま、ウルスラの話に乗る。
「さあ、どうだろう。君の故郷のおかげで魔ガモは最近ようやく、生態系が明らかになってきたが、魔族に関しては一切資料がない。あるのはただ、言い伝えだけだ」
そう。写真や映像を残せる現代と違って、すべて伝聞だ。三百年前の魔王の顔も勇者の肖像も、すべて絵だ。文書類も主観ばかりが入っている。書かれていることが真実とは違うこともあり得る。
他国の歴史書を見ても、三百年前にスティード王国の人口が激減しているのは確実だ。だが。裏を返せばそれ以外は作り話だということもあり得る。
魔王にあっさりと殺されてしまった純白の聖女の経歴だって、嘘くさい。攻撃魔法も治癒魔法も世界最高峰。過信して一人で魔王を倒しに行くほど、頭が悪いはずはない。
魔王に滅ぼされたため遺体はなく、墓もない。遺品は勇者が受け取った腕輪一つで、肖像画もない。
実は純白の聖女などいなかったのではないかという結論に達する。
勇者が魔王を倒すのに、劇的な要素を付け加えたかっただけではないのか。
「純白の聖女が描かれている絵画が、一枚だけある」
バルドリックはそういって、ウルスラが読んでいた本のページを繰った。後ろの方に絵画の写真が一枚ある。
三百年前の惨劇を描いた絵だ。なかなかグロテスクで、女性の中には見ただけで気絶する者もいるくらいだ。ウルスラもできれば見たくはない。赤い髪に羊の角を持つ女が、片手に剣を持ち、片手には長い髪の女の首を持っている。足元には死屍累々が横たわっている。タイトルは「逢魔の七日間二日目」。
魔王はかつて、スティード国の民を大量虐殺した。そしてその魔王を封印しようとした純白の聖女を殺したというシーンを描いている。想像で描いたにはあまりにリアルで生々しい。魔王の顔は、まさに夢で勇者と交えた剣に映っていたウルスラそのものだ。もしかすると、作者は実際にこの現場を見たのかもしれない。
ウルスラは聖女を見る。髪は血に染まって赤くなり、本来の色は分からない。目は固く閉ざされているが、穏やかな表情だ。まるで何かに祈っているようだ。死してなおその魂は高潔で、神のみもとに送られたということか。この残酷な絵画が、聖女が描かれている現存するたった一枚だという。
「その絵もまた、ナハトに盗み出されているがな」
青空の目が、まっすぐウルスラを見る。
バルドリックは、ウルスラを試しているのだろうか。ナハトとつながっているのではないかと疑って。
「先ほどの記事は、ナハトの記事でもあるな。さて、君が本当に興味があるのは、聖女のこと? それともナハトのこと?」
うまくかわせたのかと思っていたが、まったくかわせていなかった。
ぞくりとするほどの美貌が、ウルスラの様子をうかがう。ウルスラは一つの賭けに出ることにした。
「あの記事は、殿下の記事でもありますよ。むしろ、殿下の写真が載っているんですから、主体はナハトよりも殿下にあると思っていましたが」
「君が俺に興味を持ってくれているとは、意外だった」
「パートナーですから。それよりも、殿下が魔王時代の歴史を専攻しているのって……」
「ナハトが盗むものが、三百年前の遺物だからだ。勇者の鎧、勇者の剣、絵画『逢魔の七日間』の七分作のうち六作、魔族の木乃伊、魔族に殺されたとされる者たちの手記、他にもまだあるが。たいていのものは一度は盗まれているな」
一度はと注釈をつけているのは、バルドリックがナハトと接触して取り返しているからだ。
「殿下は、ナハトの目的は何だと思いますか?」
「君は何だと思う?」
質問に質問で返される。余裕のある表情は、実は彼がナハトの目的を知っているのではないかと錯覚に陥らせる。
「そうですね。謎の多い時代ですので、その謎を解明して歴史学者として名を上げたいのかも」
今更、過去を知ったところでどうなるというのだ。歴史学者として名を残すことくらいしか思い浮かばなかった。
無表情だったバルドリックが、軽く目を見開いた。それから口元をふっと緩める。
「なるほど、あいまいな部分が払しょくされ、明かされなかった歴史が闇夜から浮かび上がれば名誉くらいにはなるかもしれないな」
バルドリックは一度言葉を切り、目をすっと細めた。ぞくりとするような冷たさが宿る。
「警察隊の見解はこうだ。ナハトは魔王を復活させようとしているのではないか、と」
ウルスラは息を飲み込んだ。
ナハトは、ウルスラが魔王の生まれ変わりだと気づいていて接触してきたのか。いつだったか、彼は言っていた。魔法陣なしで魔法が使えるのは魔族だからだと。あの時は冗談だと思って、ウルスラも自分が魔王だと告げた。お互い冗談だと思って交わされた会話が、実は全く冗談ではなかったら?
そして、ナハトだけではなく、バルドリックもウルスラの正体に気づいていたら。この一か月でだいぶ平気になっていたバルドリックの目が、急に怖くなる。血の気が引いていき、指先が冷たくなった。
バルドリックはふっと表情を緩める。
「あくまで見解だ。俺は魔王が復活することはないと思っている。だから君は安心するといい」
「……え?」
思ってもいない言葉が出てきて、ウルスラは首をかしげた。
「純白の聖女の再来といわれる君が、復活した魔王に狙われる可能性が高い。だが魔王は復活しないから安心しろ」
バルドリックは、脅しをかけに来たのではなく、ウルスラを気にかけているだけだった。ウルスラが魔王だなんて、ほんのひとかけらも思っていない。
ウルスラは肩の力を抜き、ゆっくりと息を吐き出す。
そこへちょうど、用事を終えたオーディーがやってきた。
オーディーが来たことで、ハンナとイムルは帰っていった。
ウルスラも帰ろうと思ったが、せっかくなのでバルドリックに勧められた本に目を通す。
ナハトが盗んだものがだいたい記載されていた。
前世のウルスラを貫いた剣は、時を経て錆だらけになっている。血の跡だと思われる部分は、黒く変色していた。
「そういえば、盗まれた絵画は七部作のうち六枚なんですよね? 一枚はどうしたんですか?」
ウルスラが尋ねると、バルドリックとオーディーは顔を見合わせた。
「まあ、到底盗めないだろうな」
「でしょうね」
『逢魔の七日間・最期の日』というタイトルらしいが、警戒が強くて侵入できないというわけでもなさそうだ。聞けば、あまりに大きすぎて盗めるようなものではないという。今は国立美術館に収められているらしい。
「もともと絵画には興味がないのかもしれません。殿下が守り切った鎧と、何とか取り返した絵画数枚は再び盗まれるなんてことはありませんでしたし」
「一度は取り戻した剣はまた盗まれたけどな」
ウルスラといった仮面舞踏会で盗まれた剣のことだろう。どういう基準かはわからないが、三百年前の遺物の中でも、より分けて盗んでいるらしい。
「ナハトが盗んだものに興味があるというなら、警察に行ってみるか? 現場の写真もあるし、なかなか面白いが」
「殿下、あなたの仕事ぶりを見せつけたいのかもしれませんが、女性に見せるようなものではありませんよ。それにレオナードさんにご迷惑をかけますよ」
「問題ないだろう。あいつも俺がいなければ今頃クビだぞ?」
「殿下が首を突っ込むことによって、減俸処分を食らっているみたいですが、その件については罪悪感を抱かないんですね」
オーディーは深々とため息をついた。そしてウルスラに顔を向ける。
「ウルスラも、別に殿下に付き合わないでいいよ。ナハトを追っているのはただの道楽で、公務には一切、ええ一切関係ないから」
できれば断ってくれというオーラを出しながら、オーディーはウルスラを見る。
ウルスラはにっこりと笑った。
「ぜひ殿下の仕事ぶりを見たいです」
ナハトが何を思って盗みを働くのか、少しでも近づけるチャンスなのだから、棒に振るはずもない。
ウルスラの答えを聞いて、オーディーはがっくりと肩を落とした。




