17 いやがらせ
玄関でオーディーと別れると、ウルスラはそのまま教室に向かう。一般クラスと貴族クラス、寮は別棟だし教室も離れているが、玄関はなぜか共有している。とはいっても革靴のまま校舎に入るし、ロッカーは教室にあるので、玄関で立ち止まることはほぼない。
それにもかかわらず、玄関でウルスラの様子をこっそりと伺っている者がいた。玄関から続く前庭で立ち話をしているふりをしながら、白いブレザーを着た二本ラインの生徒がちらちらとウルスラに視線を注ぐ。
アダリーシアの取り巻きだ。きっと、朝からバルドリックと一緒ということがないか、監視しているのだ。
貴族クラスの一年が、ウルスラの登校を知って今日もまた手作り菓子を持ってくる。一年生と二年生の温度差と言うよりは、二年生の特定の人間だけがウルスラを注視しているようだった。
ため息をつきながらウルスラは教室に入った。
「おはよー」
「おはよ。貴族クラスに何か変な事されなかった? 結構早い時間からあそこにいるみたいだったけど」
「なんかじっとこっち見てた。疲れる」
「いい意味でも悪い意味でも、ウルスラは今注目されてるからね」
せめて、聖女の生まれ変わりだともてはやされているだけならいいのに。バルドリックのパートナーとしても注目されている。
「おかしいな、当初の予定じゃ、こんなんじゃなかったのに」
特待生としてそこそこの成績で卒業して、必要な医療資格を取って、ついでにできれば性格のいい未来の旦那様なんかに出会って、卒業後には田舎に戻るつもりだった。だが、理想と現実はあまりに乖離している。
眉間にしわを寄せながら、ウルスラはロッカーを開けた。ロッカーには授業道具や、ジャージを入れている。もちろんジャージはしまう前にきちんと洗っている。ハンナの作った洗濯場道具で。
「んん?」
ロッカーの中に、一枚の手紙が入っていた。
ロッカーは通常鍵がしっかりかけられているが、隙間があるので手紙を入れることは可能だ。一年の時はよくあったが、今年に入ってからはこういく状況になるのは初めてだった。
「なになに、またラブレター?」
エリカが肩越しにひょいと顔をのぞかせる。授業道具の上にぽんと置いてある手紙は、白い封筒のシンプルなものだった。ウルスラは封筒を手に取った。ひっくり返しても差出人の名前はなかった。結構、書き忘れていることも多い。中にのみ書かれていることもある。
「殿下のパートナーに選ばれてから、こんなことってなかったよね」
「でも校外実習の件で有名になったから、やっぱり付き合いたいってなったのかもね。一か八か当たって砕けろって感じじゃない?」
クララも興味深そうにウルスラの手元を覗く。ウルスラはクララを見た。
「ラブレターじゃないかもしれないし」
「今まで手紙がこうして入っていて、ラブレターじゃないこと、あった?」
「なかった」
ウルスラは肩をすくめる。友人であればわざわざ手紙をロッカーに入れるなどという手間なことはしない。直接連絡を入れればいいだけなのだから。
男子生徒が聖女科のロッカーに手紙を入れるには、こっそり教室に忍び込むか魔法で手紙を操作しなくてはいけない。だから、よほどのことなのだろうと、手紙をもらえば中身は必ず読むようにしている。
ウルスラは何の疑問もなく、開封した。
ボン、と思とたてて手紙から煙が舞い上がる。目の前が真っ白になるほどだ。隣で見ていたクララとエリカも犠牲になる。
「ケホッ」
宙に言葉が次々と浮かび上がって、消えた。中に入っていた紙には魔法陣が書かれていたが、文字をすべて吐きだしきると完全に消えてしまう。文字が浮かんだのは一瞬で、一文字も読み取ることはできなかった。
雑談していたクラスメイト達も、突然破裂音を響かせたウルスラたちに何事かという視線を向けた。
「今の何だったの?」
「手紙を開けたら爆発した」
ウルスラは肩や頭をはたいたが粉らしいものは落ちてこなかった。煙は白かったが、それで髪も白くなったというわけではなさそうだ。
「失敗したのかな。なんか文字が出てきたけど全然読めなかった」
他のクラスメイトに至っては、音がしてからウルスラたちの方を見たので文字が出てきたことすら気づかなかったようだ。
「あ、あの」
普段は大人しい、隅の方で小さくなっているようなキティが恐る恐る手を挙げた。
「どうしたの?」
「違ったらごめんね。いくつか文字があったけど、そのうちの一つが『呪い』って読めて……」
「まじ?」
ぼそりとつぶやいた後、ウルスラはエリカ、クララと目を合わせた。
「えー。ラブレターじゃなく呪いの手紙なの?」
ラブレターでも困るが、呪いの手紙はもっと困る。しかも、呪いを受ける心当たりなんて山ほどある。まさかそんな方法で嫌がらせをしてくるなんて思ってもいないから、軽率に手紙を開封してしまった。まだ本当に呪いだと決まったわけではないが。
宛名も差出人もない真っ白な手紙を持ったまま、ウルスラは立ち尽くす。
「封筒も便箋も購買で売ってるやつだね」
差出人の手掛かりがないかとエリカが手紙を見る。無地の封筒の端の方に校章の型押しがされている。タプファー学園関係者ならだれでも簡単に買えるものだ。
「おはよう。どうしたの?」
一時間目の授業のために教材を取りに行っていたハンナが教室に入ってくる。事情を説明しようとハンナのそばに行こうと足を踏み出したウルスラは、何かを踏んで滑った。
バランスを崩して転ぶ。何とか手をついて顔面直撃を避けるが、床に膝を打つ。振り返って踏んだものを確認すると、封筒から飛び出していた白紙の手紙だった。
「呪い?」
「いや、まさか」
エリカもクララも顔を青ざめさせる。ウルスラだってこれは呪いではないと否定したい。ただの偶然だ。あるいは、ただドジを踏んだだけだ。
「なになに、呪いがどうかしたの?」
一時間目は水魔法の授業だ。バケツ一杯に汲んだ水を教卓に置いたハンナがウルスラに近づいてきた。ウルスラが事情を説明すると、ハンナは腕を組んで唸る。
「それは差出人を探してみよう。あと、今後も手紙が届くだろうから、それを封印するものを作らないとね。急いで、明日までに作ってくるわ」
真剣な顔で頷くと、ハンナはウルスラを立たせた。
「一応、その手紙預かっていい?」
ポケットから薄手の手袋と袋を出して、ハンナは呪いの手紙を受け取る。いつでも興味のあるものを採取できるように、ハンナは準備がいい。
「手紙の差出人を探す魔道具は、今ちょうど人探しの魔道具を作ってるからそれで応用できそうだね」
「ハンナ、ありがとう」
「うん、任せてよ」
そしてホームルーム後に始まった授業で、ひっくり返ったバケツの水をかぶったウルスラは、全身ずぶぬれになった。
結局この日、ウルスラは体育の授業で泥の中に突っ込み全身泥まみれになり、校庭の隅にできていたハチの巣から出てきた大量のハチに追われ、焼却炉にごみを捨てに行った際、用務員が火力調節を間違えて髪の毛の先端を少し燃やして一日を終えた。
手紙の調査を任せていたハンナの話では、呪いの持続は半日程度ということで、寮に帰るころには呪いは終わっているだろうということだった。ただ、差出人の特定まではいかなかったそうだ。魔道具を改良するからとハンナは意気込んでいた。
ぐったりしながら寮に戻り、もしかすると今日こそはナハトが来るかもしれないとクッキーを焼いておく。だが彼は姿を見せなかった。
次の日も、その次の日も、その次の次の日もずっとナハトは現れなかった。
捕まったという恐れも頭をよぎった。もし捕まれば大々的に報道されそうだ。だが世間では音沙汰が何もない。
やはり、協力はできない、好きな人ができたという言葉受けて、ナハトはウルスラの前から姿を消したのだ。
遠ざけたのは自分なのに、軽いショックを受ける。
自分の身勝手さに気づき、さらにショック受ける。
会いたいと思うが、いつも向こうから会いに来てくれていたので、こちらから連絡を取りようがない。
今更ながら、ウルスラはナハトのことを何も知らないことに気づく。どうすれば会えるのか。本名はもちろん、なぜ怪盗をしているのかその目的も。
ウルスラの心に、ぽっかりと穴が開いた。
そしてナハトが現れなくなって一週間後の朝。
ウルスラはここ最近の日課であるクッキーをオーディーに渡し、登校する。半ばやけくそになりながら毎日クッキーを焼き続け、余るからオーディーに処理をさせているのだ。
「毎日焼くのは大変じゃないのか?」
今日も今日とて、いやな顔一つせずクッキーを受け取ったオーディーは、心配そうに聞いた。
「もしかして、飽きた?」
さすがに毎日はやりすぎたか、と思ってウルスラは確認する。
「飽きの来ない味だから」
「私は焼くの飽きた。実家でもこんなに連続で焼くことなかったし、今じゃ計りも計量スプーンもなくても目分量できっちり作れるようになったの」
日を追うごとに完成度は上がっていくが、だんだんと作業と化していって、その分気持ちがこもらなくなっている。そろそろ潮時だろうか、とウルスラは思い始めていた。
「では焼くのをやめては? 学生の本分は勉強だし」
「うん、じゃあやめる」
もともとナハトのために焼いていたものだ。ナハトがこう来ないかもしれないと思うと、一気に焼く気が失せた。
「浮かない顔をしてるな」
「そう?」
ウルスラの体調を気にかけることもオーディーの役目なのか。そういえば先ほども心配そうな顔でウルスラを見ていた。
「シュティルベルト嬢の件か?」
オーディーは目元を鋭くした。
「殿下とかかわるなと忠告を受けてるな?」
「ええ。まあ」
貴族クラスの総意ではない。そもそもバルドリックは貴族の間でも「観賞用」として騒がれているようだ。だからウルスラとバルドリックが接していても目くじらを立てたりはしない。
特に、一年はお姉さまと呼んで慕ってくるし、三年は非干渉を決め込んでいる。二年も、特に敵意を持って接触を図ってくるのはアダリーシアの取り巻きだけだ。しかも、うわべだけ見れば他愛のない忠告だ。貴族であるならばああしろ、こうしろという。ウルスラは貴族ではないから、忠告がほぼ役に立たないが。
事実はどうあれ、純白の聖女の生まれ変わりと囁かれるウルスラ。本来なら王子の護衛であるオーディーが登下校を守る女生徒に、下手に手を出そうとはふつうは思わない。だが、アダリーシアとその取り巻きはそれが正当な指導だと思っている。
「アダリーシアさまは殿下をお好きなのでしょう。私に何か言いたい気持ちもわかるから」
村にいた時はよくあった。他愛のない恋愛ごっこではあるが。「わたしの方が彼のことを先に好きになったんだから、あなたはとっちゃダメ」なんて、実にかわいらしい。どこの初等学生だ。
「何かあればすぐに言うんだ」
「まあ、あれはまだかわいい方なので」
何もないとまでは言わない。だが手を貸してくれというほどのものでもない。
いくら護衛とはいえ、オーディーも生徒である以上、授業中までは守れない。何より勇者科と聖女科は校舎が違うので干渉できない。特に恋愛に絡む女の子事情は、男が出てくると余計にややこしくなる。
それに、主犯がアダリーシアなのかはわからないが、手紙の件については、ちゃんと担任に報告している。学園外のことであれば、オーディーを頼るべきなのかもしれないが、学園内のことはまず教師に報告だ。その後、しかるべきところに報告が行くだろう。
「心配してくれてありがとう。でも本当に気にするほどのことじゃないから」
オーディーと別れて教室に入り、ロッカーを開けたウルスラは、凝りもせず入っている封筒に、ため息をついた。
どうということのない手紙だが、さすがに毎日見るのは飽きる。
鞄の中に用意してある薄手の手袋をはめ、白い封筒を持ちあげる。
キティが作った試薬を垂らすと、封筒は紫色に染まった。呪いのかかった手紙だ。
書いてある差出人の名は、男性の名前だ。初日と二日目は差出人が書かれていなかったが、ウルスラが開けないとわかると差出人の名前を書くようになった。名簿を見れば勇者科の誰かかもしれないが、どうせ本人ではないので確認はしない。
ウルスラはできるだけ慎重に運び、教室の隅に据え置かれた魔封じの箱に入れた。この一週間で、正体不明の手紙が届いたのはこれで二十通目である。
「本当に暇人だね、貴族クラスの方たちは」
クララが嫌味たっぷりに言う。証拠は見つかっていないが、犯人は明らかだった。
「たちが悪いけど、それが恋する乙女なんじゃない?」
「そんなことやってるのを片思い相手が知ったら、ドン引きなのにね」
キティとエリカが顔を見合わせて笑いあう。いたずらが始まってよかったと思うのは、クラスの結束が固まったことか。呪いの手紙対策をすることによって、魔法知識も増えた。
実は手紙を完全遮断することもできるようになったのだが、そうなると今度はもっと手荒な手段に出るかもしれないということと、手紙自体が証拠になるかもしれないということで、受け付ける設定にした。
しかも、手紙が届けられるロッカーは普段ウルスラが使っているのではなく、空きロッカーだ。誤認させる魔法陣をエリカが開発した。
魔法精度の向上は、正直、校外実習よりも効果が出ているほどだ。
友人に支えられ、ウルスラは楽しい学園生活を送っている。
「でもこれ、いつまで続けるつもりなんだろ。効果がないってわかって、キレたりして」
「まあ、さすがに大きなことはやらかさないでしょ、あの人たちだってこの学校での成績が将来に影響するんだから」
できればそうであってほしい。だが、貴族と市民の常識は違う。それだけが、気がかりだった。
チャイムが鳴って、ホームルームの開始を告げた。




