15 純白の聖女の再来
結局休んだのは一日だけで、ウルスラは次の日には授業に出ることにした。魔力も回復し来ていたし、寮に閉じこもっていても何もやることがなくて退屈だから。
寮を出たところで、ウルスラは知っている顔を見つけて目を瞬かせる。彼はウルスラの顔を見ると、深く頭を下げた。
「お待ちしておりました」
「オーディーさんはなぜここに?」
ウルスラはブルネットに灰色の目の青年に声をかける。バルドリックのインパクトで見落とされがちだが、彼もなかなか整った顔立ちをしていた。バルドリックのお目付け役のはずだが、その主の姿は見えない。
オーディーは憮然とした面持ちで告げた。
「寮母から、あなたは今日から登校されるようだと連絡をいただいたので」
「いえ、そうではなくてですね。確かに学園にはいきますけど、だからってなぜあなたが?」
「あなたの護衛に任命されました」
「え」
「学園は、基本的に部外者は立ち入りできません。貴族が護衛をつけたいのなら、護衛も生徒として通うしか方法がない」
部外者が問題を起こした際の責任の所在が難しいため、護衛も世話人も立ち入りを認めていない。どうしても護衛が欲しいというのなら、学園側が雇った人間を使うこともできるが、短期的な雇用では信用も生まれないため、その制度を使うものはめったにいない。
だから、二歳年上のオーディーがバルドリックと同じクラスに入学した。学園の生徒として入学したのなら、問題を起こした際に、学園側が退学処分にできる。
「今回は急遽あなたに護衛をつけることになったので、俺が殿下の護衛からあなたの護衛に回されました」
「殿下の護衛はどうなさるんですか?」
「あなたは殿下に護衛が必要だと?」
質問に質問で返されるが、その返しはもっともだった。バルドリックは巨牙熊を一人で倒しきるほどだ。教師でさえ彼に敵わない。きっとオーディーよりも強い。護衛ではなくお目付け役と称されるだけあって、オーディーはバルドリックがあまり勝手をしないように制御するだけだったのだろう。
並んで聖女科の校舎に向かうのかと思えば、オーディーはウルスラからつかず離れずの距離を保ってついてきた。背中にちくちくと視線を感じて痛い。
「せめて隣りを歩きません?」
振り返ってオーディーに訴える。
「襲撃があった際、素早く対応しないといけませんので」
「まじめね」
ため息を吐き出して、歩き出す。これから毎日、これが続くのかと思うとぞっとした。
校舎に近づくほどに人の目が増え、ウルスラとオーディーを物珍しそうに見る。
もしかすると、これはまた貴族クラスの忠告があるのだろうかと思っていると、白いブレザーに一本ラインの紺スカートの生徒がウルスラに近寄ってきた。背後でオーディーが身構える。
「ウルスラお姉さまですね!」
目をキラキラと輝かせる女生徒に、ウルスラは首をかしげた。
「お姉さまの活躍、聞きました。これぜひ食べてください!」
女生徒はそういってかわいくラッピングされたカップケーキを渡した。
「ありがとう」
ウルスラは拍子抜けした表情をした後、我に返りにっこりとした笑みを浮かべる。
「とてもおいしそうね。お昼にいただくわ」
そういうと、女生徒は顔を真っ赤にしてコクコクと頷く。様子を見守っていた生徒たちの間から歓声が起きた。これと似たようなことが一か月ほど前にもあった。あの時、ウルスラはお菓子を渡す立場にあったが。
ウルスラが受け取ったことで、何かのお礼という形ではなくとも、お菓子の授受ということがたやすくなっただろう。
女生徒が走り去るのを見届けた後、オーディーが背後から声をかけた。
「毒見を」
「これは私がもらったものだもの、私が全部食べます」
「ご自分の力の有用性をお考え下さい。邪魔に思うものが、いつあなたを排除しようとするかわからないんですよ」
「私の有用性とは言いますけど、治癒魔法が使えるのは私だけじゃないんですよ。私はただ、治癒能力面で、一人で複数人の仕事をするだけです。その代り私は自分の身を守れない。他の誰かの手を煩わせます。プラスマイナスゼロじゃないですか」
校外実習の時は、その見た目の派手さから注目を受けたが、作業効率という面では上位治療士とさほど変わらない。
「毒なんて一切入っていないと思います。それに私は治癒魔法が使えるんです。どんな毒でも、口に含んだ瞬間に死ぬものなんてありません」
昼に食べるとはいったものの、オーディーは納得しないだろう。ウルスラはラッピングをほどいてカップケーキに口をつけた。
「おいしい」
そういって、結局最後まで食べきってしまう。
オーディーは、「俺の仕事が……」とがっくり肩を落とした。
オーディーとは玄関で分かれ、ウルスラは教室に向かう。足を踏み入れた途端、クラッカーが一斉に鳴った。
「ウルスラちゃん、ふっかーつ!」
クラスの指揮をとっているのはクララだ。なんだかんだで、面倒見がいい。
「ありがとう」
頭に降りかかった紙を取り除きながら、ウルスラはロッカーに道具をしまう。
今日から授業は普通授業に戻り、合同授業は週に一回になる。次の遠征は夏を過ぎたらで、その一か月前にまた特別授業を組まれるだろう。
ハンナは駆け寄ってきて、ウルスラにぎゅっと抱き着いた。
「ウルスラ、本当にありがとう」
「どういたしまして。そういえば、ここに来るまでに貴族クラス一般クラス関係なく大量のお菓子と手紙をもらったんだけど、学園での私の評価ってどうなってるの?」
昨日ハンナからもらった手紙には書かれていなかった。
「純白の聖女の再来だって」
ウルスラに抱き着いているハンナの代わりに、アネッサが答えた。さすが情報屋だ。
「純白の聖女って、あの聖女?」
「そう、その聖女。魔王に殺された」
「そっち?」
純白の聖女は、歴代聖女の中でも随一を誇る魔力持ちで、紅の魔王を倒した黒の勇者の恋人でもある。そして、魔王に殺されたことにより、悲劇のヒロインとしても語られる。
自分が殺した聖女の再来といわれても困る。もっとも、聖女を殺した記憶などないが。
「名前だけはド派手に残っているのに、勇者と違って絵姿が残っていないのよね、たしか」
勇者の恋人だったというのなら、ウルスラの印象に残っていてもおかしくないのに、全く覚えていない。そもそも魔王だった時代の記憶はほとんどないのだから、思い出せというほうが難しいのだが。
「純白の聖女関連は呪われてることが多いから」
「そうなの?」
「魔王が聖女の復活を恐れて、持ち物にも、彼女に関する記述書にも呪いをかけたんだって。実際、聖女がいなかったから勇者は魔王を倒すのに三日三晩かかったんでしょ?」
「そうみたいね」
勇者が魔王を倒すのに三日三晩かかったのは事実だ。
魔王が人間を蹂躙し、勇者に敗れるまでの七日間を「逢魔の七日間」という。子供に語って聞かせる、黒の勇者の英雄譚だ。
一日目、魔王は国境に近い街の住人を皆殺しにした。魔の森付近は、今は実習のためのコテージしかないが、かつてはそれなりに大きな町があった。王都に次ぐ大きな町で、魔の森での素材収集する冒険者たちでにぎわっていた。その住人十数万人が一夜にして命を奪われた。
二日目、魔王は純白の聖女を殺した。多くの人が殺されたことを憂いた聖女は、浄化の魔法で駆逐するために魔王のもとに向かい、返り討ちにあったのだ。この時の影響で、形だけは残っていた街が吹き飛ばされたという。
三日目、恋人である聖女を失った勇者は立ち上がる。その間にも魔王の残虐な仕打ちは続いた。
四日目。勇者は魔王以外の魔族を葬り去った。
五日目、六日目、勇者と魔王の激しい戦いが繰り広げられた。
七日目。勇者は魔王に勝利した。
これはあくまで、子どもに聞かせるおとぎ話のために、事実に手を加えているとウルスラは思っている。じっさい、勇者はすべての魔族を葬り去ったわけではない。ウルスラは勇者と戦い、時間を稼ぎ、仲間を魔の森の奥に逃している。ウルスラを倒すために勇者は魔力を使い果たしている。魔の森に潜んだ魔族たちを追うほどの力はない。
「そうだウルスラ」
ウルスラに抱き着いていたハンナが顔を上げた。
「お昼休みちょっと付き合ってほしいの」
もちろん断る理由はない。ウルスラはにっこりと頷いた。
昼休み、ウルスラは下級生にもらったお菓子を持って、ハンナと一緒に中庭に向かった。
待ち合わせ場所には、イムルが先に来ている。
「イム君が、ウルスラにぜひお礼をって」
イムルはかわいくラッピングされた紙袋を手渡した。
「中を見ても?」
「ぜひ」
ウルスラが開封している間に、ハンナは敷物を敷いてピクニック風ランチの場所を作っている。芝生の上で、木の枝が大きく張り出していて日陰になり、ちょうどいい場所なのだ。ときおり枝から虫が落ちてくることがあることを除けば。
ウルスラはプレゼントの中身を手に取った。
「うわあ。かわい……いい?」
疑問形になったのは、手作りだとわかる髪飾りのデザインが、明らかにハンナ好みのものだったからだ。楕円の土台に木製の歯車がたくさんついているバレッタは、かわいらしくピンクや黄色に塗装されている。が、やはり歯車のインパクトが強い。
「それ、私とおそろいよ」
そういってハンナはポケットから取り出して髪に着ける。ハンナのバレッタは塗装されていない木目そのままの髪飾りだった。しかも、よく見ると歯車がちゃんと回転する。
「髪が引っ掛かったら困るから、ウルスラのは固定しているよ。あと、魔力も込めたから、一度だけだけど、危険から身を守ってくれるわ」
「デザインはハンナはが起こして、細かい作業はイムル君がしたの?」
「そう。魔力付与は二人でやったわ」
「すごくうれしい。さっそくつけてみたい」
「そうこなくっちゃ」
ハンナはそういうと、ウルスラの髪をハーフアップにしてバレッタで止めた。ハンナが持ってきた鏡で、チェックする。思った以上に似合っていた。
ウルスラはハンナと笑いあい、楽しくランチを終えた。
以前より注目されることを除けば、おおむね平和に放課後を迎える。
帰ろうと玄関に行くと妙に騒がしい。注目が集まるほうに目を向けると、オーディーが待っていた。職務に忠実なのはいいが、ウルスラとしては息が詰まりそうになる。しかも、なぜかバルドリックもいっしょにいる。道理で女子たちが騒がしいわけだ。
遠目にも一枚の絵になるたたずまいの二人に、貴族クラスの女子でさえおいそれと声をかけられない。ときおり近づくとすれば、白いブレザーに紺色のスカートの三本ラインの女生徒だけだ。それも二、三言葉を交わして去っていく。
たぶんウルスラを待っているのだろう。厄介ごとしか感じない気配に、ウルスラはわき目も振らずに去ろうかと思ったが、バルドリックが気づいた。今まで何の動作を見せなかったバルドリックが、手を上げる。続いてオーディーもウルスラに気づき、近づいてきた。
注目を浴びる美青年二人の向かう先にいるのがウルスラだと知ると、観衆はさらに像然とした。「ほら、あの純白の聖女の」という言葉がちらほら聞こえる。注がれる視線が嫉妬ではないことがまだましだった。ただ、好奇心はやたら強かった。
ウルスラはオーディーと合流すると、足早に玄関を離れようとした。アダリーシアに目撃されるとややこしい。
だがウルスラの思いとは裏腹に、オーディーは途中で足を止めた。彼は呆けた顔でウルスラを見ている。
「オーディーさん?」
硬直して動かない彼をどうにかしてくれと、ウルスラはバルドリックに視線を向ける。バルドリックは無表情でウルスラを見降ろし、肩をすくめた。
「そういえば、いつもとどこか違うな?」
バルドリックはウルスラの顔を見つめながら首をかしげた。無表情ながら、出会った時よりは幾分親しみが込められている。
何か違うことがあっただろうか、とウルスラも首をかしげた。そして思い出す。髪型は朝とはまるきり違う。
「なんか違うんじゃなく、全然違うじゃないですか」
それまで硬直していたオーディーが弾かれたようにウルスラの頭や顔、手元をさす。
そういえば、昼食を終えた教室に戻った時、いつもはしない髪型にテンションが上がったエリカとクララが、ウルスラにメイクとネイルアートを施したのだ。
実習前は、バルドリックに色目を使っているとアダリーシアからねちねち言われそうだからと保留にしていた化粧講座を、クララから受けた。今のウルスラはうっすらとだが化粧をしている。ウルスラの感覚とすればいつもと変わらないつもりなのだが、クラスメイトからは美少女に拍車がかかったと言われた。
「その髪飾りも何なんですか」
オーディーは歯車バレッタに不審そうな目を向ける。
「これ? かわいいでしょ?」
ウルスラは満面の笑みを浮かべた。
初めはどうかと思ったが、使っているうちに愛着がわいた。何よりハンナとおそろいだ。
「イムル君からの贈り物なんです。彼、すごい器用ですよね。これ全部木から削り出したんですよ」
一度外したら今のウルスラでは元に戻せないので、外さずに体を回転させてみせる。スカートの裾がふわりと舞った。
「イムルとは、実習の時に一番重症だったやつだな?」
バルドリックは記憶をたどる。死にかけた、といわないのは彼なりの配慮なのだろう。
「そうです。男子からはお礼に渡すのは手作りのアクセサリーみたいですね」
女子からの手作りお菓子に対して、男子はそうすることにしたらしい。貴族クラスに関しては分からないが、一般クラスの男女はそうやって仲良くなっている。
「だからって、送られたアクセサリーを普通身につけますか? 貴族社会では、アクセサリーを送るのは告白を意味します。それを身に着けるということは、告白を受けるということで……」
オーディーの声は呆れていた。いくらから言葉を交わすようになったとはいえ、育ちが違うと考え方もかなり違う。
「私は貴族ではないですから。それに、これはハンナとおそろいですし、深く考えすぎですよ。それよりも、オーディーさんは分かりますが、殿下もなぜここに?」
玄関を気にしながら、ウルスラは二人に聞く。アダリーシアとは鉢合わせしないように祈りながら。
「今日も休むと思っていたが来たようなので、様子を見に。本当に大丈夫なのか?」
「健康が取り柄なので。本当にご心配おかけしました」
深々と頭を下げる。バルドリックの魔力補給がなければ、魔力回復にもっと時間がかかっていただろう。
「気にするな。頭を上げてくれ。あと、近々陛下からの召喚もあるだろう。あの方もお忙しいのでこの数日中にということはないと思うが。一か月程度をめどに、とのことだ」
バルドリックに言われた通り顔を上げたウルスラは、国王のことを話題に出されて頬を引きつらせた。確かにウルスラが成し遂げたことはすごいのかもしれないが、国王が出てくるほどのこととは思えなかった。それとも、純白の聖女の再来といわれるからと、今のうちに囲うつもりか。
「ではもう、帰りますので」
そういって歩き出す。
「俺もそこまで行こう。どうせ通り道だ」
通り道なのは確かで、バルドリックは分かれ道まで来ると、待たせてあった車に乗り込んだ。
車が走り去るのを見て、ウルスラはようやく息をつく。登校の時と同じように、オーディーはウルスラの数歩後からついてきた。
ウルスラは大げさなくらい大きなため息をついて振り返る。寮に帰宅するほかの生徒たちが、気づかわし気にウルスラを見守っていた。
「学園内は護衛が要らないと思うんですが、明日からは送り迎えやめません?」
「そうはいきません。これは王命ですので」
生真面目な表情のオーディーに、ウルスラは頭の固い奴め、と聞こえないくらい小さな声で毒づいた。




