表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/47

13 校外実習・二日目

ちょっとしんどい回だと思います。グロ表現もあります。

 頭上を覆う枝は、日差しを完全に遮っている。

 そのくせ気温は高く蒸し暑く、ウルスラは顎から滴り落ちる汗を手の甲で拭った。

 先を行く生徒の姿はもう見えない。最後尾のウルスラとバルドリックが草を踏む音だけが耳に届いていた。

 体力は以前よりついているはずだった。だが予想を上回るキツさだった。


「水分はとれよ」


 バルドリックの言葉にウルスラは足を止め、背負った鞄からコップを出す。バルドリックがコップの底に魔法陣を描き、水を注いだ。初めは水筒を持っていくといっていたのだが、体力のないウルスラがへばらないようにできるだけ荷物を軽くしたのだ。

 歩きながら見つけたいくつかの魔法素材は、すべてバルドリックが持っている。


「あ、光茸(ひかりだけ)


 コップをあおっているときに、木の枝に白く光るキノコを見つける。回復薬を作るときに材料になる。


「見つけるのは得意なんだな」


 バルドリックは手のひらに魔法陣を浮かばせ、風を起こして光茸を採取する。行軍は遅いが、それなりの収穫は得ていた。


「足を引っ張っていてすみません」


 コップを戻しながら、頭を下げる。


「早くたどり着くことだけが目的ではないからな」


 バルドリックは目の前の枝をナイフで払いのける。


「むしろ感心している。始まって早々に肉体魔法を付与してくれというかと思っていたから」

「……そんな手があるとは考えもしませんでした」


 ほとんどの魔法が使えないから、自分に魔法をかけてもらうということ自体を失念している。


「そうか。だったら、帰りには肉体強化の魔法を――」


 森を揺るがすような悲鳴が響いた。ウルスラたちが目指していた方向、先行する生徒たちがいる場所からだ。風に血の匂いがまぎれている。ウルスラはバルドリックと目を合わせた。

 バルドリックの判断は早かった。地面に魔法陣を展開、肉体強化の魔法をウルスラにかける。体が軽くなり、今なら空も飛べそうな錯覚に陥る。


「急ぐぞ!」


 頷いて、バルドリックの後についていく。案内など必要もないほど、血の匂いは強くなっていく。

 走ったのは、五分もかかっていないはずだ。そこには陰惨な光景が広がっていた。

 生徒たちの真ん中に、巨牙熊(きょがくま)がいる。今は教師が三人がかりで魔法呪縛をかけているが、光の鎖はビキビキと音をたてて今にもちぎれそうだ。


「なんで巨牙熊がこんな入り口に!」


 バルドリックの顔が青ざめる。

 巨牙熊。魔獣の中でもトップに入るほど危険な存在だ。身長は人間の大人の二倍ほど、胴回りは大人三人で囲んでも足りないくらい、体重も五百キロほどある。鋭い爪は巨木をいとも簡単に切断する。口から生える牙に噛まれれば、レンガの家さえも砕け散る。普段は魔の森の最奥にいると言われ、間違っても入り口付近まで来ることはない。


 そして問題なのは、血の匂いが充満していることだった。

 生徒の数人が大けがを負って地面に転がっている。

 血の匂いに誘われて、妖猿(ようえん)が一頭二頭と姿を見せていた。大きさは普通の猿と変わらないが、握力がすさまじく、人の頭なら容易に握りつぶせる。

 グギギと不快な鳴き声を上げながら、妖猿は生徒たちを襲っていた。普段なら妖猿くらいは倒す生徒たちも、巨牙熊と出会ったことでパニックになっているのか、いつもの戦いができていない。


 剣を引き抜いたバルドリックが、近くに迫ってきた妖猿を叩き斬った。妖猿は凶暴だが臆病でもある。自分たちの仲間が多く殺されたと知れば逃げだす。だが、妖猿の匂いが充満するには、生徒たちが流す血の方が多かった。

 ウルスラは浄化魔法を展開、人間の血を指定して匂いを吹き飛ばそうとする。が、上回る勢いで妖猿がやってくる。そうしている間にも怪我人が増えていく。

 ウルスラの脳裏を別の光景がよぎった。戦場だ。大勢の魔族が血を流している。人も血まみれで倒れている。多くの命が失われた。


(仲間が傷つくのはもう嫌!)


 ウルスラは魔法を切り替えた。ナハトと練習していた遠隔の治癒魔法を展開する。怪我が治れば、少しは動けるものが出てくるはずだ。近場の者から手当たり次第に治していく。正気に返った聖女科の生徒が、別の生徒の怪我を治す。勇者科の生徒であれば、剣をとり妖猿に立ち向かう。

 怪我が治っても立ち上がれないものもいた。ショックで体が動かないのだ。そこを狙って妖猿がとびかかる。バルドリックが飛躍して、横に薙ぐ。一振りで三体の妖猿の胴体が真っ二つに割れた。

 巨牙熊を捕らえている鎖の一つがゆがんだ。バルドリックの顔に焦りが浮かぶ。まだまだ妖猿が多くてたどり着けない。


 せめて、この場にけが人がいなければ。みんな動くことができれば。

 遠隔魔法で一人一人癒していては、間に合わない。ウルスラは唇をかみしめ、地面に手を当てた。できるだけ大きな魔法陣を展開する。そして遠隔魔法の要領で、魔法陣上にもう一つの魔法陣を思い描く。怪我を負った人たち、一人一人に魔法陣を。

 血を吸った地面に白い魔法陣が浮かび上がる。それは全生徒を取り囲むほどにどこまでも広がった。そして巨大な魔法陣上に小さな魔法陣が出現した。円の内部が変則的に動く魔法陣は、怪我を探知すると最適解を探して治癒魔法を自動発動させる。


「多重魔法陣だと!?」


 誰かが驚愕に満ちた声で叫んだ。

 手を引きちぎられたもの、足を折られたものも、腹をえぐられたものも、みるみる回復していく。

 次々と怪我を癒された者たちが、状況の変化に気づいた。

 バルドリックが次々と妖猿を屠っていく。さらに、絶望的だった怪我も治っていく。パニックだった者たちも、治癒魔法の片鱗を受けて正気を取り戻す。各々の武器を手に取り、妖猿を倒し始めた。

 生徒たちが復活したのを見届けて、バルドリックは標的を変えた。今にも鎖を引きちぎりそうな巨牙熊に。


 光の鎖がビキビキと音をたてて千切れる。鎖を支えていた教師たちは吹き飛ばされた。鼓膜が破れるほどの音量で巨牙熊は咆哮する。

 バルドリックは剣に魔法陣を描き、構えた。視線は鋭く、静かに、だが怒りに満ちている。

 本能が危険を感じ取ったのか、巨牙熊はこの中で最も警戒すべきバルドリックへと、その鋭い爪を振り下ろした。

 重い一撃を剣ではじく。バランスを崩した巨牙熊の懐に潜り込み、腹に剣を突き立てた。

 魔法陣が発動する。剣を中心に青白い魔法陣が巨牙熊に広がり、瞬時に凍らせた。剣を引き抜く衝撃で巨牙熊の体を粉砕する。

 きらきらとした魔力結晶があたりに散らばった。


 息をつめて見守っていたウルスラは、そっと息を吐き出した。白い息が上空に向かって立ち上り、すぐに消えた。

 キン、という音をたてて剣をしまおうと、バルドリックは周囲を見回した。

 妖猿は身の危険を感じ取ったのか、一頭も残っていない。弾き飛ばされた教師も頭や腰をさすりながら体を起こす。あたりには血の匂いが充満していた。が、体の不具合を訴える者はいなかった。

 張りつめていた空気が緩む。皆が皆、己の、そして友人の無事を祝った。中には泣き出すものもいたが、共に支えあって生きていることを喜び合う。


 バルドリックはウルスラを振り返った。その頬にわずかだが、誇らし気な笑みが浮かぶ。ウルスラはバルドリックに駆け寄った。何をどう言えばいいのかわからない。ただ興奮と安堵で心の中がふわふわとしていた。

 そんな穏やかな空気を、一つの叫ぶ声が切り裂いた。





「イム君! ねえイム君、起きて! 目を開けて!」


 横たわるイムルに、ハンナが縋り付いていた。二人の周りは絶望的なほどの血だまりができている。外傷が見当たらないのは、ウルスラの治癒の効果があったからだ。それでも、イムルは目を覚まさない。


「彼は、最初に巨牙熊に襲われたんだ」


 教師がバルドリックの隣に並び、悲痛な表情を浮かべた。最初狙われたのは、ハンナだったそうだ。彼女をかばい、イムルは巨牙熊の牙の餌食となった。


「体が二つに分かれるほどの大穴が開いた。助かるはずがない。遺体がこうしてみられるようになっただけでも幸いだ」


 魔の森奥深くに入るようになれば、よくある光景だ。本来ならこうならないために、巨牙熊は出て来ない入り口での実習にしているはずだった。

 泣きじゃくるハンナに、ウルスラはかつて魔王だった時の自分が重なる。


『――様、お逃げください。あなたは私たちの希望。あなたさえ生きていれば、いつか必ず!』


 囚われたウルスラをそういって逃してくれたのは誰だったか。すぐに追っ手に気づかれ、ウルスラの代わりに殺された。冷たい石畳の上に横たわる。真っ赤な血を流して。すがることも許されず、涙をこらえて逃亡した。逃げることは許されず、軍に追われた。

 脳裏に流れ込んできた記憶に、ウルスラはひゅっ、と音をたてて息を飲み込んだ。

 過去と現在の境界が曖昧になる。


 ウルスラが通る道をいくつもの死体が転がった。皆、ウルスラに肩入れしたためだ。振り返れば赤い道。だが退くわけにはいかない。血の涙を流しながらウルスラは進む。

 だが本当は言いたかった。


(もう、だれも死なないで)


 目は遠い昔を見ながら、現実のウルスラはふらふらとハンナとイムルに近づいた。その表情は青白く、幽鬼のようだった。

 すとんとイムルのそばに膝をつく。


「ウルスラ?」


 ハンナは真っ赤に充血した目をウルスラに向ける。


「治癒魔法は、死んだ人間には効かない」


 ウルスラは自分に言い聞かせた。そう、生命活動をやめた肉体に、いくら魔法をかけようと復活することはない。イムルの傷が治ったというのなら、まだ生きているということだ。

 ウルスラは祈るように両手を組み、振り上げた。心臓に叩き込むように、まっすぐ振り下ろす。

 ばちっ、と音をたてながら電流がウルスラの手に走る。痛みにウルスラの顔がわずかに歪むが、こんなものは大したことではない。辛いのはの前で次々と命が失われていくことだ。

 ウルスラは泣きながら拳を振り上げて下ろした。


 ――いつも髪を梳いてくれた侍女も、腹を槍で突かれていた。


 振り上げて下ろす。


 ――魔法を教えてくれた教師も雷に打たれた。


 振り上げて下ろす。


 ――「これどうぞ」と花をくれた少女も、母親に抱かれて息絶えていた。


「死んじゃダメ」


 どれほど多くの命が、ウルスラよりも先に逝ったことか。すべて、死ななくていい命だった。


「死んじゃダメ」

「ウルスラ! もうやめるんだ」


 背後から羽交い絞めにするように、バルドリックはウルスラを抱える。ウルスラの手は電流のせいで黒焦げだった。ウルスラは首を振り、一心不乱に拳をイムルに叩き込んだ。叩き込むたびイムルの心臓部に魔法陣が浮かび上がり、電流がほとばしる。

 普段は力ではかなわないのに、バルドリックの力では引き離せない。


「ウルスラもうやめて。あなたまで死んじゃう」


 ハンナもウルスラの腕に飛びついたが、電流に弾かれて後方に転がる。


「お願いだから帰ってきて!」


 ウルスラは力の限り魔法陣をたたき込む。白い魔法陣から、虹色の電流が空へと駆け上った。

 イムルの体が大きくのけぞる。かはっ、と大きな音をたてて呼吸がよみがえった。

 もう一度振り下ろそうとした腕を、バルドリックが抱き留める。


「ウルスラ、もういい」


 イムルの閉ざされた瞼を縁取る睫がかすかに動いた。


「もういいんだ。君はやり遂げた」


 瞼が開いて、茶色の目が青空を捕らえる。

 たった一人だけ。それでも死の淵から帰ってきた。ウルスラは安心して肩の力を抜く。急に激痛が襲ってきた。

 ウルスラは、そこで意識を失う。

 誰かがふわりと、ウルスラの体を抱き上げた気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ