12 校外実習・一日目
校外実習の日がとうとうやってきた。
バルドリックのしごきのおかげで、ある程度体力と筋力が付いた。そしてナハトと治癒魔法の遠隔操作の魔法陣を開発し、ある程度使えるようになっている。これで少しは役に立てるだろうか。
魔の森までの移動は、高級魔道バスを利用する。ハンナは魔道機構が組み込まれた運転座席を見て、目をキラキラとさせていた。ハンナがここまで機嫌がいい理由はもう一つある。
座席はクラスごとではなく、パートナーで座るからだ。
ゆったりと座れるシートに身を沈め、魔の森付近のコテージまで行く。そして今日はそこで一泊、明日の朝一から魔の森で薬草採取、および出現した魔獣の退治だ。今回は入り口付近までしか踏み込まないので、比較的弱い魔獣しか出現しない。それでも初めての校外実習で、生徒たちは緊張や興奮でいつもとは違った様子だった。
そんな中、余裕な態度を見せたのはバルドリックだ。
バスに乗るなり座席を倒し、寝入る。座席の間隔はたっぷりあるので、倒しても迷惑にはならないとはいえ、さすが王子といえよう。後ろがオーディーだから気にしなかったのか。オーディーの隣では、アダリーシアがチクチクとした視線をウルスラに突き刺していた
通路を挟んで反対側にはハンナ、イムルが座っている。
せっかくの小旅行、ハンナと会話を楽しもうと思ったのに、後ろでアダリーシアが睨んでいるので通路に身を乗り出せない。
ウルスラは大人しく、座席に背を当てた。ふと隣を見ると、バルドリックはかすかな寝息を立てていた。目の下にうっすらと隈ができている。
校外実習で空ける二泊三日の分の公務を前倒しでこなしたため、ここ数日は睡眠不足だと言っていた。
いつもはウルスラに厳しく指導するバルドリックだが、こうしてみると年相応だ。
最近では、目が合っても怖いと感じることも少なくなっている。バルドリックがウルスラに厳しいのも、実習で危険を対処できるようにとの配慮だ。本当に元魔王と元勇者の間柄なのかと疑うほどに穏やかな日々を過ごしている。
どうかこのまま、穏やかな日が続きますように。ウルスラはそう思いながら、今回の実習に思いをはせた。
魔の森近くのコテージには、休憩をたっぷり挟みながら六時間かけて到着した。
草原が広がる土地に、いくつかの建物が立っている。コテージの向こうには、うっそうと茂る森が禍々しい空気をはらんだままたたずんでいた。だがこの二百年ほど、魔の森から魔獣が出てきたことはない。
コテージの管理人が生徒たちに注意事項を述べる。魔獣のスタンピードが起きた時のために配されている管理人は屈強で、ひと癖もふた癖もある生徒たちを大人しくさせるには十分だった。
そしてこの実習の醍醐味は、魔の森の探索だけではなく、コテージで過ごす夜にもある。
一日目は、学園の方であらかじめ用意してある食材を使用して、生徒たち自身で食事を作るのだ。料理経験などまったくないといっても差し支えない貴族クラスの作る料理が、なかなか阿鼻叫喚なことになって盛り上がる。
成績順で組まれる炊事班は、上級クラス、中級クラス、下級クラスからパートナーがそれぞれ一組ずつの計六人で構成される。明日の食材は実習中に狩った獲物や採取した野草による自炊なので、こうして各クラスから構成される。とりあえず今日の食材はあるので、全二十組の炊事班が炊事場にかまどを組むところから始める。
このかまどの組み方がそれぞれの個性が出て面白い。あるチームは浮遊魔法で石を運び、あるチームは土魔法でかまどをくみ上げる。
そしてあるチームは魔道具による調理具を使用していた。いうまでもなく、ハンナのチームだ。
大きな荷物を抱えてきたと思ったら、ハンナはその場で調理の魔道具を取り出す。片腕の長さ、手首から肘までの奥行、腰までの高さもある魔道具のふたの一つを開け、支給された食材を洗いもせず切りもせず、そのまま魔道具の中に突っ込んだ。ボタンを押すと、魔道具が動き始める。同時に、別の魔道具を発動させる。アヒルのようなそれは、魔の森に入る手前で止まり、魔の森に向けて鳴き始めた。それを見て周囲はざわつくが、ハンナの班のメンバーは一切動じない。
「さて、こちらも始めようとするか」
バルドリックが言うと、ウルスラたちの班も動き出す。バルドリックは地面に魔法陣を描く。魔法陣は白く光り土が盛り上がった。すでに赤々とした灯がともっているかまどが出来上がる。
支給された道具の中にあった大鍋を火にかけ、油をひく。同じ班のエリカが、水場で洗ってきた食材を魔法で一口大に切った。ほぼ一瞬で野菜を切り終わる。何を作るかは話し合いですでに決めていた。こういった場所で作っても、まず失敗することのないシチューだ。
大きなへらで野菜を炒める。
「料理ができるんだな」
全身を使ってへらを動かすウルスラにバルドリックは興味深げに聞いた。
「料理というほどの料理じゃありませんけどね。今回はシチューの素を使いますし」
事前申請で購入希望の材料の中に書いておいた。一応、素がなくても作れるが、大勢の分を作るには素を使うのが一番手っ取り早いし、おいしい。なぜか頼んでいた量の五倍の素が材料に入っていたが、教師たちも忙しいから仕方ないだろう。
大きめに切った玉ねぎから甘い香りが漂ってくる。
「じゃあそろそろ肉を入れようか」
貴族クラスのヘンリエッタが、ここぞとばかりに申し訳程度の肉を鍋に投入する。ここで活躍しないと、料理経験のない彼女は今日の炊事では何も行わないことになる。彼女のパートナーは水魔法が得意だということで、あとで鍋に水を入れるのと道具の洗浄を頼んでいる。
野菜に対しての肉の量が少なすぎると思っていると、ウルスラの袖をハンナが引っ張った。
「これいる? 思った以上に罠にかかっちゃって」
ハンナが手に持っていたのは、逆さづりになっているモクモク鳥だった。生息地域は魔の森だ。管理人の注意事項で今日は森に入るなとあったが、森から出てきた生き物を捕らえることについては禁止されていない。それを逆手に取り、ハンナは魔道具を使って呼びよせたのだろう。
ウルスラは思わず、暴れて羽をまき散らしているモクモク鳥を受け取った。
そのままくるりと班のメンバーを見る。
「急遽食材が増えましたが、入れます?」
わずかばかりの肉の量を思えば、シチューにモクモク鳥を入れるのは歓迎すべきことだ。ただ、少々問題があった。
「モクモク鳥は、血抜きしてから少し寝かせたほうがおいしいですけど」
そう言いながら、ウルスラは調理台にあったナイフでモクモク鳥の首を切る。勢いよく流れた血が飛び散らないように排水溝から流す。
同じ班のベアニーが小さな悲鳴を上げた。エリカはやれやれといった具合に首を振る。
「ウルスラって相変わらず、そういうことには躊躇がないよね」
「必要であればやるよ。私、別に菜食主義ではないから」
怪我した生き物を助けておきながら、それが食材なのだとわかればためらいもなく捌く。食材ではなかったとしても、研究のためだったり、浄化魔法で対処できない疫病感染を防ぐためだったりすれば、大量処分を見ても平気な顔をする。その落差を見て、たいていの男はウルスラから去っていくのだ。
血を抜いている間に羽をむしり、着々とした処理をする。見かねたバルドリックが浄化の魔法を使った。その手があったか、とウルスラは目を見開く。
そもそもウルスラが鳥の首を切った時も平然な顔をしていた。ふつうはドンびくというのに。不思議そうに見上げるウルスラに、バルドリックは無表情で返す。
「人は動物を食べて生きているんだ。当たり前のことだ」
バルドリックの動きは早く、そして的確だった。内臓を抜き取り、関節を狙って肉をどんどん解体していく。
「明日がどうなるかわからないが、今日の食材は今日中に使おう」
「量が多すぎると思いますけど」
モクモク鳥はかなり大きい。一羽いれば、二十人分はシチューが作れる。
「大丈夫だ。ほら、教師が来いと呼んでいる」
バルドリックが差すほうを見ると、今回の実習のメイン教師がウルスラとハンナを呼んでいた。カットした食材を炒めるのをエリカに任せて教師の下に向かう。
「最大で何人分の料理ができる?」
いきなりの質問にウルスラは首をかしげるが、ハンナの解答は早かった。
「三十人前は」
「ウルスラのところは?」
教師と会話している背後で、ちょこちょこと悲鳴が聞こえる。魔法の暴走というよりは、料理そのものを分かっていないための失敗に近いだろう。
ウルスラは教師の質問の意図を理解した。
「そもそも男性の食べる量がわかりませんので何とも言えませんが、二十から三十人分ですね」
シチューのもとが多めに入っていたのはそのためか。教師は初めから、ウルスラの班は成功すると睨んでいたのだ。
「毎年こうなんですか?」
ウルスラの問いかけに、教師は重々しく頷く。
おそらく、貴族クラスの生徒は料理などしたことがない。それで、食事がうまく作れずに、他の班が譲り渡すのだろう。
「では各班、三十人分作ってくれ。これで余剰分、およそ五十人分は確保できたか……」
他の炊事班も、一般クラスがメインで動いているところは大きな失敗はしないだろう。大雑把に考えても、半数以上は食事にありつけるはずだ。万が一失敗しても、今日はパンが支給されるし問題ないはずだ。
とりあえず三十人分は作ることを約束して炊事場に戻る。大鍋に入れた野菜と肉がくつくつと煮られている。ウルスラは急遽、野菜を追加で炒めて、モクモク鳥の骨に残っている肉もそいで鍋に投入した。
「三十人前を作れって」
「でしょうね。隣の班、食材を全部炭に変えたわ」
アダリーシアの班である。食材をすべて焼けば何とかなると思ったのか。メンバーの中にウルスラのクラスメイトのナナとキティもいるが、発言力でアダリーシアにかなうはずもない。止める間もなく、アダリーシアが暴走したのだろう。
他にもちらほら、失敗している班がある。
ウルスラの班は無事おいしいシチューを作り上げ、他班の高評価もそこそこ得た。
一番インパクトがあったのはハンナの班だ。あの後追加でモクモク鳥を掴まえたらしく、テーブルの上には十羽のモクモク鳥の丸焼きが乗っていた。こんがりローストされたモクモク鳥は、皮までパリッとしていておいしそうだった。校外実習でこんな料理を作った奴は初めて見たとぼやく教師に、ハンナは「調理したのは魔道具です!」と胸を反らして言っていた。
日もすっかり落ちて、食事が終われば、明日に備えてコテージで就寝だ。大小さまざまあるコテージは、基本的に大部屋に一般クラス、個別の部屋に貴族クラスが割り当てられる。
ついてすぐに荷物を置いてきたので、部屋はどの位置にあるか把握している。部屋に戻ろうとしたウルスラは、バルドリックに呼び止められた。視界の隅でアダリーシアがものすごい形相で睨んできているから、手早く済ませたかった。
「明日のことですね。何度も念を押されているので、わかっていますよ。周りが早く行ったからって焦らず、自分のペースで。魔獣はできるだけ回避して、植物採集に重きを置く、ですよね」
要点をまとめ、去ろうとしたウルスラの手を、バルドリックが捕らえる。ウルスラの手を包み込む大きな手に、思わず息をのむ。
振り返ってバルドリックを見上げる。王都では信じられないほどの星が、バルドリックの背後に広がっていた。夜空の一部が白いのは、白星群だ。川のように大きく唸り夜空を横切っていた。思わず見とれる。
「部屋まで送る」
バルドリックの声で我に返る。バルドリックの顔はいつも通りの無表情で、だが夜空の星のように目は輝いていた。不思議な目だと思う。前世とは違うのに、魂が一緒というだけで、こんなにも似ている。
「ウルスラ嬢?」
確かに炊事場から部屋まではそれなりに距離はある。だが他にもまだ生徒はいるし、そもそも生徒以外いないのだから送ると言われても困る。
困惑する表情を浮かべるウルスラに、バルドリックは気づいたようにうなずいた。
「貴族クラスにはそういう習わしが」
一般クラスとは違い、貴族クラスは個人部屋だ。だから部屋までスコートするというのが貴族クラスの伝統なのだろう。そういうことなら、とウルスラは丁重に断ることにした。
「友人とともに帰りますのでご心配無用です。お気遣い、感謝します」
バルドリックの手からするりと逃れ、頭を下げる。そして近くにいたクラスメイトの集団に合流した。
部屋割りは違うクラスメイト達が、どうしたの? と聞いてきたので、明日について話していたと軽く濁す。しばらくしてから後ろを振り返ったが、バルドリックの姿はもうなかった。
クラスメイトとは途中で分かれ、あてがわれた部屋に向かう。
ウルスラが泊まるのは、十人部屋だ。それなりに多い人数だが、これはこれで、友人らとの会話が弾むので楽しい。就寝の準備を終えたウルスラはベッドに向かう。先に準備を終えていたクラスメイトが、額を突き合わせていた。
「キティは今日は災難だったね、お疲れ様」
アダリーシアと同じ炊事班のクラスメイトに声をかけると、げんなりとした表情が返ってきた。
「いくら貴族でも、あれはないわあ。今年はハンナがいてよかったよ。おかげで、いつもより贅沢な食事だった」
そんな会話から始まり、コイバナになり、バルドリックはやっぱり目の保養になる、とか。明日誰に告白しようなとか、実はさっきいい雰囲気だった、ウルスラの紫の君は見つかったのか、見つかってない。という話の後、怪談に移行する。
就寝時間はとうに過ぎているが、これだけの人数の女子が集まって、大人しくなるわけがないのだ。
「そして後ろを振り返ったら、さっきまで何もなかった壁が真っ赤な血で染まっていたの!」
「きゃーこわーい!」
隣のクラスメイトにしがみつきながら、クララは怖がるふりをする。みんな嘘だとわかっていても、この雰囲気が楽しくて全力で乗っかるのだ。
そろそろ日付も変わるころだろう。ウルスラはこみあげてきたあくびをかみ殺した。そういえばこの一か月、ナハトには毎日会っていたということを思い出す。毎日、額を突き合わせて遠隔地湯の魔法陣をくみ上げた。
今、彼は一体何をしているだろう。久しぶりの一人を満喫しているのだろうか。少しはウルスラのことを思い出してくれているだろうか。
「ハンナはもう寝てるわね」
キティが一番端のベッドを覗き込む。
「もうというか、最初から寝ていたよ」
ハンナの向かいに陣取っていたウルスラは、今度は盛大なあくびをした。
「ごめん、私はもう寝るね」
仰向けになって、布団を引き上げる。ほんの少し、かび臭い匂いがした。これも実習のだいご味だと、一般クラスの先輩から言われたことを思い出す。
何もかもがきらめいていて、楽しい。幸せをかみしめながら、ウルスラはすぐに寝息を立てた。




