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11 クッキー

 午後の授業も終え、寮に帰るとウルスラはさっそくクッキーを焼いた。夕食の準備前であれば、キッチンを快く貸してくれる。今日はオーブンも使わないとのことだったので、より好都合だ。

 実家にいたころよく焼いた、すごく簡単なクッキーだ。小麦粉と砂糖、少量の牛乳、油を手順通り混ぜて型抜きもせず、手で丸めてつぶして焼く。素朴な味だが、ウルスラは結構好きだ。


 作ったものの特権、焼き立てのクッキーをさっそく味見する。サクッとは言わない歯触りがなんとも面白い。ついつい食べ過ぎてしまうので、第二弾も焼いた。寝かせる時間が必要ないクッキーなので、思い立ったら本当にすぐ焼ける。

 ラッピング用の袋は用意していないので、ペーパーナフキンとキッチンに常備してある袋をもらい、何とか体裁を整えたプレゼントにする。出来上がったクッキーは思ったよりもたくさんできたので、二つに分けた。


「あまりものでよければこれがあるよ」


 食事担当のおばさんが、あまりものというよりはもったいなくて捨てられなかった使用済みのリボンが入っているガラス瓶をくれた。

 その中からピンクと金のリボンを選んで袋に結んでみる。思った以上にかわいくはない。もう一つの袋は水色と金色にした。やはりかわいくない。パリッとしていない袋に入っているから、どうしてもだらしなく見えるのだ。


「ラッピングは今度買おう」


 お礼の品だから、ちゃんとしたものの方がいい。

 だがクッキー自体はいい出来だったので、明日誰かに食べてもらおうかと、部屋に戻る。鞄の中に二つのクッキーを入れ、代わりに宿題を出す。

 二年生になってから、魔法の授業が格段に増え、しかも今は校外実習のために午前の通常の授業がつぶれているせいで宿題が多い。夕飯までに少しでも片付けようと机に向かっていると、窓がコツコツとなった。

 珍しく夕飯前にナハトが現れる。


「どうしたんですか、こんな時間に」


 誰かに姿を見られる心配はしていない。とにかく魔力の強い彼は、たいていの無理を通してしまう。ここに来る姿は誰にも見えないそうだ。


「甘い匂いがする」


 ウルスラの言葉には答えず。ナハトは部屋の中を見回した。やがて、ウルスラの髪に鼻を寄せる。


「香水?」

「く、クッキーを焼いたんです」


 頬を赤らめながら、ウルスラは飛びのいた。好きだと自覚する前からそうだが、自覚した途端近寄られるのが恥ずかしい。


「へえ。それはまた、どういう風の吹き回しで?」

「今クラスで、お礼に手作りのお菓子を渡すのが流行っていて、私もそれに倣ったんです」


 頭の中で混乱がぐるぐると渦巻く。そのお礼の相手が実はナハトなのだが、どうせならラッピング込みで最高なのを渡したい。平日に外出届を出すのは結構面倒なので、外出するのは次の休みだ。できればそれまではばれたくなかった。


「へえ。誰か世話になった人がいるんだ?」


 仮面の奥の目が、すっと細められる。その視線に込められた意味は何なのか。


「ば、バルドリック殿下です。ほら、前魔獣に襲われてるところを助けてもらったので。うんそう、バルドリック殿下に渡そうと」


 とてもいい考えのように思えた。王族ということで、平民の作ったものを受け取らない恐れの方が高いが、もしみんなが見てくれる前で受け取ってくれたら、他の人たちもお礼としての手作り菓子を受け取りやすくなるのではないか。彼は意外に紳士なので、もし断ろうと思うなら、お礼されるほどのことはしていないから気づかい無用だといってくれるだろう。


「なるほど。それならお礼はしないといけないな」


 細かった目が柔和さを取り戻す。仮面越しではあるが、ナハトは実に表情豊かだった。


「でも受け取ってくれますかね? 食べなくてもいいんで、受け取っては欲しいな」


 そうじゃないと、クララとの約束を果たせない。


「おいしそうなクッキーなら受け取るんじゃないか? 味見しようか?」

「いや、それはちょっと……」

「まずいなら、渡さない方が身のためだぞ?」

「いえ、味は自信があるんですよ? ただ見た目が……」


 言い淀むウルスラに、それでもナハトは押し切った。仕方ないので、ウルスラは適当なラッピングしかしていないクッキーをカバンから取り出す。

 ピンクと金のリボンの方だ。一応、自分の髪色と目の色を考えて選んだリボンだ。

 ナハトはさっそくクッキーをとり出した。


「確かに正円ではないが、言うほど残念な見た目でもない」


 正円でないのは、ウルスラも承知している。凹凸のある形がおいしいクッキーだからそこは問題ない。そして、ナハトはウルスラが気にしているラッピングになんて、目もくれない。男女の脳の構造の違いなのか。

 完全に冷めているクッキーは、ナハトが歯を当てるとサクッと音も立てて割れた。


「うまい」

「ありがとうございます」

「素朴なんだが……その素朴な感じがいいな」

「昨日食べたようなスイーツと違って、いくら食べても飽きないんですよ」


 そして食べ続けられるから、危険なのだ。特に体重的に。


「そしてこれをバルドリックに渡すつもりだったのか」


 何かを考えるように、ナハトはつまんだクッキーを見下ろした。


「何か問題があります?」

「できればあまり関わってほしくない。接触は必要最低限にとどめてほしい」

「では、何とか頼み込んでパートナー解消します?」


 もしかして嫉妬だろうか。そうであれば嬉しい。

 ナハトが望むなら、権力に逆らってもいい。まあ、パートナー解消程度で罰を受けるはずがないとわかっているからだが。


「それはそれで困る。君に何かあると、計画に支障が出るから。だから、校外実習で一番安全だろうバルドリックとともにいるのは全く構わないんだ。必要以上に近づかなければ」


 ナハトのその言葉には、嫉妬は全く含まれていなかった。ただ自分の目的のためにウルスラが必要だから、関わるなという。甘い言葉をささやくくせに、心が伴っていなくて、ウルスラは悔しく思う。


「わかりました。でもこのクッキーだけは渡しますね」

「そうだな。たぶん喜んでくれると思うぞ」


 ハイペースで食べていたクッキーはいつの間にか、カラになっていた。




 翌日、ウルスラはさっそくバルドリックにクッキーを渡した。みんなが見ている目の前で。

 アダリーシアが目を見開いてウルスラを凝視する。彼女だけではなく、他の貴族クラスも信じられないものを見るような目でウルスラを見ていた。中には、無謀なことをする、と見下すものもいた。

 それとは逆に、一般クラスは期待の眼差しを向けている。これが成功すれば、お礼と称した手作り菓子を誰にでも送りやすくなる。目当ての男子の胃袋をつかむ可能性だって出てくる。


「以前、魔獣から助けてくれたお礼です」


 他意はないですよ、ということを周囲に見せつけながらへなちょこラッピングのクッキーを渡す。ラッピングに気合が入っていないので、適度なお礼にちゃんと見える。王族に渡すにしては、あまりにしょぼすぎるが。


「ただの気持ちなので、捨ててしまっても構いません。殿下は王族なので、食べ物に関しては決まりごとが厳しいでしょうし」

「ありがとう」


 いつもの無表情で、バルドリックはクッキーを受け取った。


「受け取ったですって?」


 アダリーシアの表情が、ぐるんと変わった。どこか小ばかにしたものがあったのに、青ざめ、怒りに打ち震え、せっかくの美人が台無しだ。他の令嬢たちも同様だ。大げさにめまいを起こし倒れる動作をする者もいる。

 一般クラスの女子はキャアと歓声を上げてテンションが上がっている。

 ウルスラは振り返って様子を確認したが、グッジョブ、とクララが親指を立てていた。

 ウルスラの耳の近くで、がさがさということがする。驚いて振り返ってみると、バルドリックはさっそくラッピングを開封していた。長い指でクッキーをつまみ、口に放り込む。

 慌てたのはオーディーだった。まさかバルドリックがそんな行動をとるとは彼も思っていなかったのだろう。止める暇もなかった。


「毒見……」


 せめて、その一口を食べる前にオーディーが食べていたのなら何の問題もなかったのだろうが。バルドリックの護衛は「私の仕事を奪わないでください」と肩を落とす。


「うまい」


 いつもの無表情でつぶやくと、バルドリックは次のクッキーへ手を伸ばした。


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