1 前世
目が合った瞬間、周囲の音が消えた。
太陽のような金の髪に、晴れた空の青い目。誰よりも整った容姿は人の目を捕らえて離さない。
ウルスラは呼吸を忘れて、彼の姿に釘付けになる。
バルドリック・アルファニア・スティード。それが彼の名前だ。スティード王国の第三王子にして、次期勇者最有力候補。太陽の貴公子という異名さえ持つ。ウルスラと同じタプファー学園に通う二年生だ。学年は同じだが、学科が違い校舎も違うので間近で見ることはなかなかない。
今日はタプファー学園の在学生の進級式だ。講堂にはパイプ椅子が並べられ、生徒が行儀よく座っている。眠くなるような校長の話が終わった後、生徒代表のあいさつになった。そこで登場したのがバルドリックだった。
バルドリックの名前が読み上げられた時、生徒たちは、特に女生徒は黄色い悲鳴を上げた。整った顔立ちに、制服の上からもわかる引き締まった体躯、すらりと高い身長。美の神が自ら作り上げたような完璧な容姿に見とれない女性はまずいないだろう。
その彼が壇上に登って講堂内を見回した時、ウルスラの周りから音が消えた。
頬が紅潮し、心拍数が上がり、呼吸困難に陥る。
隣に座る友人のハンナがウルスラに何か言った。けれどウルスラは答えられない。
「ウルスラ? まさかあなたも、殿下の魅力にあたったわけじゃないよね?」
すでに何人か、バルドリックの美しさに当てられ気を失っているようだ。
ウルスラはあえぐように胸元を抑えた。心臓がバクバクと脈打っている。
「ちょっと、ウルスラ?」
ハンナの声がさらに遠くなり、聞こえなくなる。
(怖い……)
あるべきではない記憶が脳裏に流れ込み、頭に上った血が今度は一気に引き始める。指先が凍えるように冷たい。
ウルスラの体はぐらりと傾いた。慌ててハンナが支えようとするが、態勢が悪かった。ハンナを巻き込み、盛大に倒れる。
気を失う直前、ウルスラは思い出す。この男は前世でウルスラを殺した男だと。
*
大気は荒れ狂っていた。
昼間なのに空は紫で、雲の流れは異様に速い。あちこちで雷が起きている。平原の小さな立ち木に落ちてはバリバリという爆音を響かせていた。
ウルスラの赤い髪が風になぶられる。今にも吹き飛ばされそうな強風、それでも足は力強く大地を踏みしめる。
ウルスラは、一人の男と向き合っていた。
闇を閉じ込めたような黒髪に、夜空色の目。男は感情を押し殺した眼差しをウルスラに向けていた。怒り、憎悪、悲しみ、あらゆる負の感情を瞳の奥に押し隠し、剣をウルスラに向ける。ウルスラは口元に笑みを浮かべる。
「ねえ勇者。本当にあなたに私が倒せると思って?」
口元に艶やかな笑みを浮かべてウルスラは言う。風は強かったが、不思議と声は響いた。
「倒して見せるさ」
勇者はウルスラに切りかかった。ウルスラは刀身の見えぬ透明の刃で、勇者の剣を受け止める。何度も剣を打ち合う。
剣戟でけりが付かねば、今度は魔法の応酬だ。距離をとり、攻撃の魔法を放つ。互いがその魔力を相殺しあうので、一見して何もしていないような戦いが続く。そして再び剣戟。
力の差は圧倒的だった。ウルスラは勇者をものともしない。それでも、勇者が瞳の奥に秘めている力は尽きることがない。
戦いは三日三晩続いた。徐々に勇者の攻撃がウルスラにあたり始める。
今一度、勇者の剣を透明の刃で受ける。
この戦いで細かい傷を受けた勇者の剣に、ウルスラの姿が写り込んだ。
血のように赤い髪、金色の目、そして人間とは違うことを示す、側頭部に生えた巻き角。
「いい加減諦めたらどうなの? 所詮は人間、魔力量が圧倒的に違う」
ウルスラは赤い唇を歪めて、勇者を嘲った。
「諦めるわけないだろ。俺は約束したんだ。それより、口数が多くなったな。余裕がなくなってきたか」
額に汗を浮かべながら、勇者はウルスラを睨む。余裕がないのはどちらなのか。ウルスラにはもはやわからなかった。ただ、負けるわけにはいかない。勇者に守るものがあるように、ウルスラにも守るべきものがあった。
「紅の魔王。これで最後だ」
勇者の声とともに、剣が白く光る。その魔法が何なのか、ウルスラは知っていた。勇者にしか使えない、自らの命と引き換えに魔王を倒す技だ。
ウルスラは勇者を哀れに思う。命を燃やすことでしか、魔王に立ち向かえないその軟弱さを。
そしてウルスラは鼻で笑う。自分もまた、死と引き換えにしなければ同胞を守れないほど脆弱なことを。
本当に哀れなのは一体どちらなのだろう。
今にも泣きだしそうな顔で、勇者はウルスラの胸を貫いた。最後の魔力がウルスラの傷口から溶けるようにあふれ出していく。体の芯が凍え、指先から力が抜けていく。
金の目で、ウルスラは勇者を見据えた。
「哀れな勇者。今はあなたに勝ちを譲りましょう」
今はこれでいい。たっぷりと時間は稼いだ。同胞はきっと遠くへ逃げ切っただろう。人の手の届かない、魔の奥地へ。
意識は遠のいていく。勇者の口が何かを言った。
「来世こそ、必ず……」
その先を聞くことなく、ウルスラの意識は消えた。