一の地区
ツーロウの住む地区は同じ村であるはずなのだが、ユラが住む地区とは全く違って見えた。山の麓を囲むように棚田や家が広がっている風景とは打って変わり、土がおもむろに顔を出し規則的に道が枝分かれしている。道の両脇には家や露店が立ち並び、見た事のない服を纏った人々が行き交う。
初めて見る人の多さに、ユラは目が回りそうになっていた。その様子を見ていたツーロウは道を外れ、近くの長椅子に腰掛ける。家と家の間に設けられた広場には、休む人もいれば遊ぶ子らもちらほらといた。
「ごめんなさい。こんなに人がぎゅうぎゅうに詰まってると思わなくて…。」
人の残像が視界に残り、揺らいで見える。ユラは一度目を瞑り、目頭をつまんで治まるのを待った。ツーロウは懐から小さな水筒を取り出し、心配そうにユラを見つめる。
「まだ口をつけていないから、これを飲みなさい。」
差し出された水筒を受け取り、軽く一礼をして口をつけた。冷たい水が喉を通り、熱のこもった体が軽くなったように感じる。目を開ければ、歪んでいた視界が随分と落ち着いていた。
ツーロウの話では、一から十の地区は同じような造りになっており、村の外に住む人も訪れるのだと言う。特に隣の町とは良好な関係を築いているらしく、互いに移り住む者もいるのだとツーロウは寂しそうに笑った。その笑みが何を意味するのか、ユラには分からない。
「私はこの人の多さや風景ばかりを見ているからか、ユラの地区を見た時心を奪われた。ここは利便性はあるかもしれないが、なんとも色が褪せて見える。」
行き交う人を目で追いながら呟く。ユラも同じく広場の前を忙しく歩く人々を見つめた。この人にとっては見慣れた景色なのだろうが、ユラには全てが輝かしく見え共感できそうにない。しかし、ツーロウは返事は求めておらず、ユラからそっと水筒を取り上げ立ち上がった。
「どうだろう、そろそろ歩けるかい?」
言われて、ユラは長居したことを詫び勢いよく立ち上がる。ツーロウも頷き、再び歩き始めた。
肩がぶつかりそうになりながらも、ユラは周りを観察し歩いた。家の造りは村特有の石造り、屋根の四隅に旗も吊るしてある。ただ、店には木の板を掘った看板が立て掛けられ、露店に至っては見た事もない造りをしていた。木の台と布の屋根が張られた店の台には、伝統服ではなく白や薄い色の服が並べられていた。
ツーロウは規則的な道を左、右と折れ進んでいく。ユラには既に迷路のようで、はぐれるわけにはいかなかった。必死について行くと、ある所で立ち止まった。
「ここが、私の家だ。今学舎もやっているだろうから、少し見ていくかい?」
振り返り、ツーロウは片眉を上げて見せる。畑仕事ばかりで学舎に行ったこともないユラは迷うことなく頷いた。
「私、一度は学舎を見てみたいと思っていたの。」
高揚とした表情を浮かべているユラは、急かすようにツーロウの背中を押した。ツーロウは苦笑しつつも陽気な声を出す。
「分かった、分かったよ。父には話してあるから、早速入ってみるか。」
引き戸を開けると、目の前は自宅のようで、ユラの家と大差ない土間と板の間が姿を現した。家の裏が学舎なのだ、とツーロウは話し、奥まで伸びた土間を歩いていく。角に設けられた引き戸を開けると渡り廊下となり、そこから学舎へと続いていた。身体が痺れるほどの掛け声と地を踏む音が聞こえてくる。
「ちょうど実技を行っているところだな。」
ツーロウは独り言のように呟き、学舎の引き戸を引いた。まだ人の気配はなく、板張りの廊下だけが眼前にあった。
足を洗い、廊下へ上がる。ツーロウ曰く、左側が座学を学ぶ部屋、右側が実技を学ぶ部屋らしい。ユラは右の部屋から聞こえる声や板を踏み抜く音の大きさに驚き、耳を塞ぐ。その様子をみたツーロウは得意げに口を開く。
「ここを開ければ、より凄いぞ。」
引き戸を開けた途端、体全体に掛け声を伴った風が押し寄せた。ユラは耳を塞ぐことも出来ず、ただただ固まって正面を見つめる。初めて見る剣技に目を奪われたのだ。
先に布が巻き付けられている長い棒を互いに向け、掛け声と同時に木の乾いた音が鳴り響く。青年たちが何組にも別れ、あちらこちらから掛け声や武器を交える音が止まることなく聞こえていた。
端でその様子を観察していた初老の男がユラたちに気付くと、軽く手を挙げ歩み寄ってきた。白髪交じりの黒髪に鷲鼻が特徴的な、しっかりとした身体つきをした男だ。男はユラに対し両の掌を合わせ、軽く一礼をする。ユラもまた、同じ仕草で返した。
「貴方が、ユラさんですな。ツーロウの父、マオルでございます。まこと、美しい黄金色の髪ですなぁ。」
聞きやすいよう張りのある声で話すこの男は、どこか上品さを感じる話し方だった。
「父上、見学していてもよろしいでしょうか。」
ユラが興味を持っていることを話すと、マオルは喜んで受け入れてくれた。壁際へ移動すると、気付いた者たちは目に見えて緊張し出した。
気にしているのはユラではない。マオルと話している時から、休憩していた青年たちがツーロウに気付き、最敬礼をしていたのだ。
気付かれないようツーロウを見ると、微笑んで実技を観察しているようだった。