真の先導者
村長は改めるように佇まいを直し、ヤヌイ、オネ、ユラを順に見ていく。ユラは首飾りを受け取った時よりも緊張しているのが自分でも分かった。
「此度参ったのは、他でもないユラ―真の先導者の事じゃ。」
心臓が強く脈打つ。ユラが目だけ動かし“次期村長”を見ると、緊張で顔を少し強張らせているようだった。
「黄金色の髪の子が先導者になる場合、始祖さまに倣った旅をしてもらわねばならん。」
通常、村長や先導者に選ばれた者はそれぞれ別に旅をすることとなっている。三つの村と町を抜けた大都市や、少数民族の村などを視察するのだ。村以外の政治や商売の仕方などを学んで帰ってくるのだが、黄金色の髪を持つ者は通常とは少し違う旅の仕方をするのだと、村長は穏やかな表情を消し真剣な顔で話始める。
「少々過酷で、危険もあるんでな。この村は幸いにも大きな争いもなく過ごせるもんで、通常は…そうじゃな、省いてしまっているんじゃよ。」
頬を人差し指で掻きながら、村長は口をすぼめゆっくりと苦笑した。
初代の村長と先導者は夫婦であり、絆を深めた二人が手を取り合いこの村を創った。それに倣い、二人で一緒に旅をし絆を深め村の未来を担うのだそうだ。旅の期間も通常より何倍も長く、国の主要な町と数か所の村を巡らなければならない、年数を要する旅だ。
ユラは思っていたよりも壮絶な事態だと知り、頭の整理も追いつかず固まってしまった。ツーロウは既に覚悟が出来ているらしく、先程と変わらず口を一文字に結び村長の話を聞いている。ヤヌイとオネも知っていたのか所々頷いていた。
「そ…」
声がかすれてしまい、ユラは一度咳ばらいをして唇を舐める。
「そんなに長く旅をするのですか?だって、タッツォリオという都市とは端と端くらい離れてるって聞いたことがあります。そんな遠くまで行くのですか?」
両親、村長、ツーロウと目を泳がせ、捲し立てる。しかし皆真剣な目つきでユラに頷く。半ば立ちかけたユラの肩に大きなヤヌイの手が置かれ、ユラは落ち着こうと深呼吸をした。
「ユラ、私は何度も言うが、外を知ることはとても大切なことだ。人々の表情を見、暮らしを学び、政治を知る。自分がどの位の位置に立ちどの程度の悩みを抱えていたのか、よくよく見つめ直せる良い機会だ。それに、お前は足に自信があるだろう?」
ヤヌイはちらと歯を見せ笑って見せる。しばらくその顔を見つめ、ユラは小さく頷いた。ヤヌイの硬い大きな手が頭に置かれ、悲しみとも安堵とも取れない複雑な表情でユラを撫でていた。
「すまんのう、ユラ、ツーロウ。掟とは言え、そなたらに全てを任せてしまう。ただ、儂が出来る事なら喜んで手助けをするのでな。」
若い二人は同じ仕草で最敬礼をし、村長に感謝の意を伝えた。
二人を見送る頃には、濃い橙色の光が見るもの全てを染めていた。周りの棚田や大小の岩山も、今は一つの色に統一されている。ユラたちは手を目の上にかざしながら、二つの黒い影が消えるまで見送り続けた。
旅は急なもので、しかし十日の猶予を貰った。おそらく、数年はこの村に帰ってくることはないだろう。家に入ると急に寂しさがこみ上げ、ユラは入り口から家の中を眺めた。先に入ったオネは夕食の支度に入っている。山菜を洗う水の音や切る音が響き、心がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ユラ、大丈夫か。」
あまりに長く立ち尽くしていたためか、ヤヌイが心配そうにユラを見つめている。
「うん、大丈夫。母さん、手伝うよ。」
満面の笑みをヤヌイに見せ、オネの元へ駆け寄る。オネはいつもの優しい表情で米を炊くよう指示した。
甘辛い匂いと米の炊けた匂い、囲炉裏で煮込んでいる汁物の匂いが混ざりあい、ユラはお腹が小さく鳴るのを聞いた。ヤヌイが時折汁物の蓋を開け、沸騰しすぎていないか確認している。涎が湧き、とうとう我慢が出来なくなったユラは、オネの手元を覗き声を掛けた。
「母さん、まだ?」
最後の仕上げだったのだろう、山菜の深みのある緑が加えられより食欲をそそる。オネに頼まれ皿を取って渡すと、湯気と共に飴色に仕上がった鶏肉と鮮やかな山菜が三人分の皿に盛りつけられた。
「さ、米をよそってちょうだい。夕食にしましょう。」
オネは口の端を上げ、優しい笑みを零す。ユラも笑みを返し、器に形良く米をよそった。
ヤヌイが汁物の器を二人に渡す。旨味の詰まった湯気が器の後を追ってユラの前にやってくると、ユラは思わず一口啜った。沢山の野菜と猪肉の旨味が味噌の風味と共に舌を流れていく。幼い頃からの馴染んだ味に、ほうっと一息ついた。
「どうだ、俺の作った猪汁は。旨いか?」
いつも通りの崩した話し方をする父を見上げ、ユラは何度も頷いた。狩りはヤヌイが行っているため、猪肉を扱う料理は全てヤヌイが賄っている。ユラはしかし、それは単なる口実でオネが少しでも楽にできるようにと気遣っていることを知っていた。
改めて箸を手に取り、食事を楽しんだ。猪汁の味が染み込んだ肉や根菜、オネの作った甘辛い鶏肉と山菜も食欲を刺激し、ユラはひたすらに米を掻き込んだ。
「凄い食欲ねぇ。喉に詰まらないよう気をつけなさい。」
オネは口元を抑え小さく笑う。ヤヌイも厳格そうな顔とは裏腹に豪快に笑って見せた。喉を大きく鳴らし口の物を無くすと、ユラは眉を下げ静かに呟いた。
「だって、しばらく食べられなくなるもの…今のうちに沢山食べておかないと。」
聞こえないように呟いたつもりだったが、父も母も複雑な表情を浮かべ、ユラを見ていた。少し恥ずかしくなり、汁物の器で顔を隠す。右隣の土間側に座っていたオネが、そっと頭に触れ髪を撫でた。その刹那、目頭が熱くなるのを感じ、ユラは慌てた。
ヤヌイも咳ばらいをし、器を置いて腕を組む。
「あー、まぁ、なんだ…。俺たちも心配はしているが、良い機会だ。色々学び、楽しんでくるといい。それに、あのツーロウも一緒だしな。安心しろ。」
一生共にするんだからな、と不機嫌そうに呟き、再び器を手に取る。オネはその様子を見て一つため息をつく。
「もう、父さんは。誤解を招くような言い方はよして下さい。それは当人たちの自由とされているでしょうに。」
ユラは何となく言っていることを理解したが、興味はなく想像もつかなかった。ただ、不思議に思うことがあり首を傾げる。
「“あの”ってどういうこと?父さん知ってるの?」
ヤヌイは口を動かしながら、ひょいと眉を上げる。飲み込んでからヤヌイは口を開いた。
「なんだ、ユラは知らないか。恐らく男らなら知らない者はいない。身体つきが良い割に動きが速くてな。狩りの腕も良いし、正義感も人望もある。次期村長となったのもおかしくはない青年だよ。」
「へぇ、そうなんだ。」
ユラは色白の端整な顔立ちを、彼が別れ際に言っていた言葉を思い出しながら、猪汁の残りを口に流し込んだ。