黄金色の髪の少女
風の中に夏の匂いを感じ、黄金色の髪の少女は長い髪を無造作にかき上げる。岩山に囲まれた棚田の頂上に立つ少女は、風に揺らめく米の苗を眺めた。棚田と岩山に切り取られた空は青々とし、遠くには入道雲が堂々と居座っている。
広い棚田の中心で、中年の女性が少女に手を振る。風に乗って声が届いた。
「ユラー、そろそろ休憩。」
ユラと呼ばれた少女は手を上げ答え、畦道を歩き始める。日に焼けた小麦の肌と黄金色の髪が青空によく映える。自分の娘を眩しそうに見つめ、中年の女性はユラが来るのを待った。
「そろそろ夏がくるわね。今日は冷茶にしたわ、家に戻りましょう。」
ユラの母は額に薄らと汗を滲ませながら微笑んだ。日差しが強く、冷たい風が心地よい。二人はしばし吹く風に身を任せたあと、ゆっくりと歩き始めた。
ユラの母オネはこげ茶色の髪と瞳を持っている。両親に似ても似つかないユラの黄金色の髪は、ユラの幼い頃の悩みでもあった。思い切って悩みを打ち明けた時、オネはユラの頬に優しく触れ、曾祖母から受け継いだものなのだと話した。
―黄金色の髪を持つ者は先導者の印―
そう話した母の顔を、ユラは昨日のことのように思い出し、腰まで伸びた髪を弄る。太陽の強い光で金に光る髪は神々しく見え、不思議な気分がした。
曾祖母は村の先導者として、村長と協力をし村を支えていたという。曾祖母も黄金色の髪だったのだ。そしてその髪を持つ者は数十年の間隔で現れるようだった。
ユラの住む村は元は二人の夫婦が創り上げた村で、女性は黄金色の髪をもっていたと伝えられている。力と勇気を持つ夫、知と愛を持つ妻が支え合い創った村。そしてその夫婦の子供たちが村を大きくしたというおとぎ話は、この村で生まれ育ったのなら知らない者はいない。
今では神のように崇められているが、村長と先導者はこの夫婦に倣って決められている。村長は力と勇気をもつ男に、先導者は知と愛を持つ女に任せるのだ。先導者に至っては、今ではほとんどが形だけの役となっている。村の占いで決められるのだが、黄金色の髪の子が生まれた時は例外で、その子が成人の儀を受け大人として認められると、真の先導者として役を任ぜられるのだった。
黄金色の髪を持つ赤ん坊が生まれること自体少なく、数十年の間隔で現れることから知と愛を持つ始祖―女神の生まれ変わりだという者もいるが、ユラはそれを信じてはいなかった。黄金色の髪を持つ子は不思議な力があり、それはその人ごとに合った力なのだ。先祖と同じ髪であることは誇れるが、影を重ねられるのがユラは嫌だった。
「私、本当に先導者にならなきゃいけないの?」
口を尖らせ、ユラはじっとりと母を睨んだ。オネはユラの顔は見ず、真剣な顔で頷く。
「そうよ。確かに貴方はちょっと元気すぎるところがあるけれど、これは村の掟ですから。」
昔から言い聞かせられた話だったが、二年後に成人の儀を控えたユラは、昨日村長から正式に先導者の首飾りを渡されていた。自分では到底務まるものではないと突っ返したのだが、オネに頭を軽く叩かれて叱られ渋々受け取ったのだ。
ユラと同じ黄金色の、蜂蜜を垂らしたような石が付いた首飾りはとても綺麗で、ユラはことある毎に太陽に透かして艶やかな色を楽しんでいる。ユラが首にかけたまま手に取り転がしていると、オネは隣から覗き込み、ユラの頭を軽く小突いた。
「これは、始祖さまから受け継がれている大切な石なんだから、粗末に扱っては駄目よ。」
ユラは片手で小突かれた部分を抑え、目を丸くし母を見る。
「そうなの?全然色も濁ってないのに。…なんだか重たく感じてきた。」
神妙な面持ちで石を凝視し、両手に持ち直す。ユラがオネを見ると、オネは娘に顔を合わせつつも、どこか遠くを見ていた。ユラを貫いてその先を見ているような、悲しみを滲ませた視線であることをユラは感じ取った。後の言葉を聞き、ユラは更に不安を募らせた。
「とりあえず休憩して、今日は仕事を早めに切り上げましょう。大事な話もあるからね。」
太陽が山々に隠れてしまうより前に畑仕事を終え、オネとユラは自宅へと向かっていた。広がる棚田には、米粒ほどの村人が元気に育つ苗の間で作業をしている。緑に映える、鮮やかな赤や紫の伝統服を着ているため、遠くからでもよく見えた。
畦道を通ると近くの村人から声をかけられ、そのたびにユラは返事をしていたので嫌になっていた。この時間に帰る者などおらず、皆不思議がっているのだ。田畑の畦道を抜け、石造りの家が姿を現し始める。
白を基調とした石造りの家は村では当たり前の風景で、屋根の四隅に模様付きの旗を吊るすことで誰の家かを示している。手作りの旗は複雑に織り込まれており一見同じように見えるのだが、よく観察すれば全く異なる模様なのだ。家一軒が棚田に囲まれ、隣の家も遠いため自分の家を間違うことはないが、来客用の目印として使われている。
濃い赤と紫、所々に黄色が散りばめられ、二つの丸い目が縦に並んだような模様の旗がユラの家だ。旗は風に揺られ、煙突からは小さな煙が立ち昇っている。父のヤヌイが帰ってきている証拠だった。オネの背中から、緊張の念が伝わってきている。ユラは戸の前でひとつ深呼吸をし、オネの後に続いた。
見慣れた土間と板の間が眼前に広がる。板の間の手前には何足か靴が脱がれており、囲炉裏の周りには父と村長、見知らぬ青年が談笑していた。
「ただいま戻りました。遅くなり申し訳ありません。」
オネは軽く頭を下げ、急いで靴を脱ぎ足を洗う。早く、と急かされユラも慌てて足を洗い板の間に上がった。
若い頃は言い寄る女性も多かったと聞く村長は、今では側頭部にだけ生えた髪も白く皺だらけだが、強い光を湛えた瞳は当時の村長を見ているような感覚にユラは捕らわれた。物腰の柔らかい村長はオネの謝罪に目尻の皺を刻むだけで、機嫌を悪くするようなことはなかった。
「ユラ、私の隣に座りなさい。オネは茶と何か菓子を。」
オネより少し明るい茶髪に白髪を混じらせ、眉間に皺を寄せたユラの父ヤヌイは厳格そうに見えるが、妻や娘を心底愛し思いやる優しい父だとユラは感じている。ユラが小さい頃から、外へ出て学ぶことの大切さを説き耳に胼胝ができるほど言い聞かせ周りの地区へ連れ出しているが、今のユラにはその大切さも理解している。ただ、先導者のことに関しては、ユラの意見を聞いてくれることはなかった。
ユラはヤヌイの隣に座り、村長に向かって最敬礼をした。胸の前で両の掌を合わせ、深く辞儀をする。村長は消え入りそうな声でゆっくり笑い、頭を上げるよう告げユラの瞳を見つめた。瞼が垂れ細くなった目からは、黒々とした瞳が強い光を放ち続けている。その目から逃れられたのは、オネが村長の前に茶を置いた時だった。
「良い香りじゃのう。では、戴くとしようか。」
村長が茶を啜る音を聞きながら、オネは青年の前にも茶を置いた。青年は胸の前で両の掌を合わせ、軽く辞儀をする。
「ありがとうございます、戴きます。」
静かだがよく通る低い声でお礼を言う青年は、鷲鼻が特徴の端整な顔立ちで、色白だった。明らかにユラよりも年上の、落ち着いた印象を纏っている。村の人に違いないのだろうが五百人近くいる大きな村で、ユラが知っているはずもなかった。
オネが茶を配り終わり皆が落ち着くと、しばらく沈黙が続いた。話題を振るべき村長は茶菓子に舌鼓を打ち旨そうに茶を啜っている。見慣れた磨かれた床と煙を吸い込んだ柱、整えられた囲炉裏の灰全てが、今は別の家のものにも思えてユラは落ち着きなく身を揺すった。
ふと、対面に座っている男と目が合ってしまい、どうして良いか分からずはにかんだ。すると、男は眉を上げ手を付けていた茶菓子を床に置き、咳ばらいをしてから両手を拳に握り床についた。
「オネさん、ユラさん。挨拶が後になってしまい申し訳ありません。私はツーロウと申します。次期村長を務めさせていただきますので、よろしくお願い致します。」
切れ長で彫りの深い目が二人を見据える。挨拶周りに来ているのかとユラは考えたが、近所の人は変わりなく仕事をしていることを思い出すとそうでもないらしい。考えもまとまらないまま、ユラはとりあえず最敬礼で応じた。オネも同じく床に額をつけているのが視界の端に映る。
「こちらこそ、直接ご挨拶を申し上げないままでした。私がオネでございます。よろしくお願い致します。」
オネは顔を伏せたままくぐもった声で挨拶をする。ユラもそれに続く。
「…ユラです。よろしくお願い致します。」
ユラが顔を上げると村長もユラに顔を向け、年相応の皺を刻ませ微笑んでいた。ユラが目を瞬かせていると、村長が前屈みになり細い目を開いた。
「お主はやはり、先の先導者に似ておるな。」
「え?」
村長の口が動いたように見えたのだがユラには聞こえず、思わず上げた声も宙に消えた。
読んでいただきありがとうございます。
話の本筋を見失わないよう、何度も読み返してから投稿するつもりですので掲載の間隔が空いてしまうかと思いますが、ふと思い出した時にでも読んでいただければ幸いです。
初の連載小説に手を出したため支離滅裂になってしまうこともあるかもしれませんが、完結目指して頑張ります。
ふとテレビで棚田の風景を見て、思いついた場面を物語にしてみようと思いました。