ハッピーエンドの赤ずきん
赤ずきんは、母親に頼まれて、離れた家で暮らすおばあちゃんに届け物を届けにいくことになりました。
おばあちゃんは、介護が必要な状態ですが、赤ずきんの母親は面倒を見るのを放棄し、森の奥の小さな小屋におばあちゃんを置き去りにしてしまったのです。赤ずきんは、おばあちゃんが飢え死にしないように、母親から必要な食事を届ける役目を課されていました。
「いつも言っているけれど、狼には、気をつけるのよ」
「はい、お母様」
赤ずきんは、母親の言いつけを守り、おばあちゃんが住む森の奥の小屋へと歩いて行きます。すると道中、一匹の狼が、苦しそうに道の真ん中で倒れて居ました。狼に気をつけるように母親には言われていましたが、心の優しい赤ずきんは、倒れて居る狼が心配になり、傍に駆け寄りました。
「どうしたの?大丈夫?」
すると狼は、苦しそうに顔をゆがめて、赤ずきんを見上げました。
「お腹が空いて飢え死にしそうだ」
狼には、赤ずきんがとても美味しそうに見えました。もし元気なら、赤ずきんを丸呑みしていたに違いないでしょう。しかし、もはやそんな元気すら、狼には残っていませんでした。
「あら、可哀想に。これ、少しだけど、パンをあげるわ」
そう言って、赤ずきんはパンを半分ちぎって、狼に差し出しました。狼は焼きたてのパンの香ばしい匂いに、口から涎が出るほど感激しました。奪うように赤ずきんの手からパンを取り、口に含むと、あまりの美味しさに涙まで出てきました。
「なんて美味しいんだ」
赤ずきんは、ご飯を食べて泣いているものを見たことがなかったので、驚いて目を丸くしました。
「そんなに、美味しかったかしら」
「ああ、本当に美味しい」
「それなら、もうひとかけら、パンをあげる。きっとおばあちゃんも分かってくれるわ」
狼は赤ずきんからもう半分のパンを受け取ると、美味しそうにすぐに平らげてしまいました。
「おばあちゃん?」
「ええ、この食べ物は、森の奥に住むおばあちゃんに届けるものなの。でも、あなたが元気になったのなら、きっとおばあちゃんも分かってくれると思うわ」
狼は元気を取り戻し、立ち上がりました。元気になって改めて見ると、赤ずきんは若く、狼にとってはとても魅力的な食べ物に見えました。湧き出る唾液を飲み込み、その場で食べてしまいたい衝動を抑えて、赤ずきんに、「ありがとう」と軽く礼を言ってその場を去って行きました。
赤ずきんはまた、おばあちゃんの家に向かって歩き出しました。途中で、綺麗な花が咲いているのを見つけたので、その花をおばあちゃんのために摘みました。その様子を、森の木陰に隠れて、狼がじっと様子をうかがっています。
(おばあちゃんと赤ずきんを食べてしまえば、きっと俺の身体はすっかり元気になるだろう)
狼は人助けをしてもらったにも関わらず、もう飢え死にをしたくなかったので、必死でした。赤ずきんがおばあちゃんの家に着くまで、赤ずきんの家まで気付かれないように静かについていきました。
やがて、赤ずきんが家に着くと、鍵を開けて、家の中に入りました。おばあちゃんは床に伏せり、具合が悪そうにしています。
「おばあちゃん、大丈夫?」
「ああ、可愛い赤ずきん。私は大丈夫だよ。いつも来てくれてありがとうね」
そう言って、おばあちゃんは赤ずきんの頭を撫でました。
「お母さんからの食べ物、持ってきたよ。でも、ごめんなさい。パンを一個だけ、狼に上げてしまったの」
するとおばあちゃんは、心配そうに目を見開きました。
「狼に、何かされたのかい?」
「ううん、飢え死にしそうな狼がいて、とても可哀想だったから、パンを一個だけ、あげたの」
「なんて優しい赤ずきん。お前は本当に良い子だね」
おばあちゃんは嬉しそうに微笑みました。
その様子を、窓の端から、狼は見つめていました。具合が悪そうなおばあちゃんと赤ずきん。今、この場で襲ってしまえば、二人はたちまち自分の胃の中に収まってしまうでしょう。狼は、鍵が開いた扉を開け、おばあちゃんが住む家に飛び込みました。
「ひっ!」
おばあちゃんは、突然扉が開き、飛び出してきた狼に気付くと、思わず悲鳴を上げました。それに気付いた赤ずきんが振り返ると、先ほど助けた狼が立っていたので、
「きゃあ!」
とおばあちゃんと同じように悲鳴を上げました。
「赤ずきん、お前は本当に心が優しい子だ。でも、俺は、野生の狼。生きるために、もっと食料が必要なんだよ」
そう言って、じりじりと二人のところに近づいていきます。おばあちゃんは思うように動けないので、赤ずきんがおばあちゃんを守るように、おばあちゃんの服の袖をしっかりと掴んで、狼の前に立ちはだかりました。
「食べ物が欲しければ、そこにあるバスケットの食べ物を全部持って行っても良いわ」
「これじゃあ、足りない」
赤ずきんは、お母さんに見捨てられてしまったおばあちゃんが可哀想でした。おばあちゃんには生きていてもらいたいと思いました。
「それなら、私だけを食べて。おばあちゃんは、食べないで」
「ほう、君は本当に優しい子だ」
赤ずきんの言葉を聞いて、おばあちゃんは涙を流しました。
「私はおいぼれだから、赤ずきんよりもずっとおいぼれだから、狼よ、赤ずきんではなくて、私を食べておくれ」
狼は、かばい合う二人の人間に、何故か心を打たれました。それでも、減ったお腹を満たすには、人間を食べるのが一番です。
段々と距離を詰めていく度に、おばあちゃんと赤ずきんには恐怖におびえた目つきで狼を見ました。そして、狼が、赤ずきんに手を伸ばしかけたその時――。
バンッ!
と銃声が鳴り響く音がしました。たまたまおばあちゃんの家を通りがかった猟師が、扉の外で威嚇射撃をしたのです。狼は慌てて振り返りました。
猟師は険しい目つきで、狼を見つめています。
「人間を襲うなんて、なんて生き物だ。お前を撃ち取ってやる」
そう言うと、猟師は銃口を狼に向けました。狼はもう、死ぬと思いました。
その時です。赤ずきんが、「待って!」と言って、狼の前に立ちはだかりました。
「私達は、まだ食べられていません。どうか、今回は狼を見逃してあげてくれませんか」
その言葉に、猟師も狼も目を丸くしました。
「何故だ、今此処で狼を撃ち取らなければ、きっとまた君達を襲いにくるだろう」
すると、赤ずきんは、狼の方を振り向き、
「もう、私達を襲わないって、約束してくれる?」
と、真剣な眼差しで問いかけました。狼は、その眼差しに、おばあちゃんと赤ずきんを食べようとしたのに、自分をかばってくれる赤ずきんに、胸が締め付けられる想いがしました。
「……」
狼は少し沈黙し、そして、小さく
「もう、しない」
と呟いて、狼は、赤ずきんの横を通り抜け、猟師の横を過ぎて、静かに森の中に帰って行ってしまいました。
「ああ、良かった。赤ずきん」
おばあちゃんと赤ずきんは抱いて喜びました。猟師は少し呆れた顔をしていましたが、
「もしものことがあるといけないから、定期的にこの辺りを巡回するようにするよ」
と言って、その場を去って行きました。
それ以来、狼は、おばあちゃんと赤ずきんの前に姿を現さなくなりました。
でも時折、不思議なことに、おばあちゃんの家の前には、不器用に摘み取られた綺麗な花の束が、置かれるようになりました。赤ずきんは、送り主の正体には気付きませんでしたが、大切そうにその花の束を抱え、おばあちゃんの家の窓に飾るようになりました。
おしまい。