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マッチ売りの少女は覚醒する

 大晦日の夜、街は賑わっていました。数時間後に迫った新年を気持ち良く迎えるために、足りないものを買い出しに行く家族、外食をしに行こうと出かける恋人、仕事帰りで疲れた男性など、様々な人々が街を歩いています。


 そんな寒空の下、一人の少女がマッチを売るために街の中に立っていました。


「マッチは要りませんか」


 しかし、そんな声は賑やかな年の瀬の街には響きません。歩く人々は少女の姿を認識していないかのように素早く通り過ぎて行きます。


 彼女は寒くて凍えそうでした。早く家に帰って暖を取りたい……そう思っても、父親からはマッチを全て売らなければ帰ってきてはいけない、ときつく言われていたので、少女は帰ることが出来ません。


 早く売り切らなければ、あと二、三時間もすれば人々の姿はなくなってしまうでしょう。少女は焦りました。そして、一人の男性の腕を掴んで、マッチを見せました。


「どうか、マッチを買ってくださいませんか」


 しかし、男性は少女に不意に腕を掴まれたことが不快だったのか、急いでいたのか、たちまち不機嫌そうに眉をひそめ、吐き捨てるように、


「そんなものは要らない」


 と言って、少女の手を振りほどいて歩いて行きました。


 少女の心の中にはたちまち悲しみが広がって行きます。おなかも空いています。私が何か悪いことをしたのかしら、ただただ、暖かい部屋でご飯を食べて、家族団らんできたら良いのに、そんなささやかな願いも彼女には許されませんでした。


 気付くと、彼女の瞳からは一滴の涙が落ちていました。その涙は寒くて凍えそうな少女にとって、唯一温もりが感じられる滴でした。

 しかし、その涙だけでは彼女は暖まることは出来ません。少女は途中で靴を無くしてしまって裸足だったので、寒さにもとうとう耐えられなくなり、マッチを一本だけ擦ってみました。


 微かな光とともに宿る火は、彼女の身体を少しだけ温めました。そして、その中にはなぜか先ほど自分のマッチを買ってくれなかった男性の顔が映りました。


「う、うわぁああああああ!」


 と遠くの方で誰かの叫び声が聞こえ、少女は驚いてその声がする方向を向きました。数十メートル先で何かが燃えているのが分かりました。賑わっている街に、様々な人の悲鳴がこだましました。よく見ると、燃えているのは、自分のマッチを買ってくれなかった男性でした。苦しそうに顔をゆがめ、誰かに助けを求めています。しかし火はあっという間に男性の身体を包み、そして黒い塊がその場で崩れ落ちました。


 少女がその光景から目を背けると、マッチも消えていました。少女は一体どういうことなのか、全く分かりませんでした。街がざわめき、誰かが呼んだ救急隊が数分後には駆けつけました。男性の周りには人だかりが出来ていましたが、少女はマッチを売らなければならないので、その人だかりには近寄らずに、少し離れたところでマッチを売り始めました。


「お願いです。マッチを買ってください」


 次に声を掛けたのは、若いカップルでした。女性の方は少女が可哀想に思ったのか財布からお金を取り出そうとしましたが、男性の方が少女を小馬鹿にして女性を強引に連れて行ってしまいました。


 少女はまたマッチを買ってもらえませんでした。マッチはかごの中に沢山残っています。先ほど取った一瞬の暖が恋しくなり、少女はマッチに再び火を付けました。すると、不思議なことに、あのカップルの男性の顔が火の中に浮かび上がりました。


「あ、あちい、た、助けてくれえええぇえ!」


 少し離れたところで、また男性の悲鳴が聞こえました。それは、あのカップルの男性でした。たちまち火が男性の身体を包み、女性はパニックになって泣き叫んでいます。少女が慌ててマッチを見ると、マッチはまだ少しだけ燃えています。先ほどの男性のこと言い、少女は自分に何か関係しているのでは無いかと怖くなってマッチを地面に落としました。雪の中にマッチは沈み、火は消えました。すると男性を包んでいた火も消え、男性はその場に倒れ込みました。


 近くで起こった二件の発火事件に、救急隊も街の人もパニックになってしまいました。

「どうなってるんだ、これは」

「一体、何があったの?」


 少女は、怖くなってその場から逃げ出しました。瞼の裏には、人間が焼ける瞬間が焼き付いていて振り払おうとしても振り払えません。街の少し外れまで走って逃げると、ある家の裏に座り込んで息を落ち着けました。


「……あれは、一体、どういうこと?」


 もしかすると、マッチを買ってくれなかった人のことを思い浮かべてマッチを擦ると、その人が代わりに燃えるのではないか……そんな考えが浮かびましたが、そんな魔法のようなことがあるはずがありません。しかし、自分と無関係とも思えませんでした。それでも少女はマッチを売らなければなりません。少女は息を落ち着け、再び場所を変えてマッチを売ることにしました。


 ちょうど向かいから、娼婦のような格好をした派手な女性が歩いてきます。少女はその女性に向かってマッチを差し出しました。


「マッチは要りませんか?マッチを買ってくださいな」


 すると、女性は鼻で少女の格好を見て笑い、

「こんな年の瀬に可哀想に。でも、私も忙しいの。ごめんなさいね」

 と言って去って行ってしまいました。


 またマッチは売れませんでした。すると、脳裏にあの黒焦げの人間の姿が思い浮かびました。やってはいけない、そう思いました。でも少女は、悲しくて、辛くて、マッチに火を付けました。どうせ、燃えたりしないだろう、と思っていたからです。ただ、自分の心を慰めるためにマッチに火を付けました。すると、あの娼婦の顔が火の中に浮かび上がったのです。そして、

「ひっ、何これ、熱い、助けて、熱いわ!」

 と悲鳴を上げる声が後ろで聞こえました。マッチを買ってくれなかった女性が、燃えていました。そして、皮肉にも、女性を包む火が少女の身体を皮肉にも少しだけ温めました。自分の手元にあるマッチも燃えています。少女はその火をぼんやりと眺めました。


 ……火は私を温めてくれる。孤独も、悲しさも、苦しさも、この火が癒やしてくれる――。


 少女の耳に娼婦の叫び声は聞こえなくなりました。ただただ火に魅せられるようになりました。何かが燃えれば、自分は少しだけ温かくなれます。燃やせるのなら、燃やしてしまえば良い。全てを焼き尽くして、私の冷え切って凍えそうな身体も、心も、溶かして欲しい、と少女は思いました。


 少女は再び、街の中に出ました。まだ先ほどの発火事件で街の中はざわめいていましたが、少女は気にせずに大声でこう叫びました。


「マッチを買ってください!マッチを買ってくれない人は、全て私が燃やしてしまいます!私はこのマッチで人を燃やすことが出来ます!燃やされたくなければ、私のマッチを買ってください!」


 その少女の声に驚いた人たちが少女の周りに集まってきました。しかし少し離れたところで様子を見るだけで、進んでマッチを買ってくれる人はいません。


「お嬢ちゃん、それは本当かい?狼少年のようなことを言ったって、そんな使い捨てのマッチ、売れやしないよ」


 一人のおじいさんが遠くから少女に向かって言いました。すると少女は、事実を証明するかのように、マッチを擦り、火を付けました。おじいさんが火の中に浮かび上がってきます。そしてまもなく、おじいさんの身体が火に包まれました。


「ひっ、ななななんだこれはあ!」


 おじいさんはその場で火だるまになりました。それを見た周りの人は慌てて一目散に逃げ出します。

「待ってください、マッチを、マッチを買ってください!」

 少女の周りからは、燃え焦げたおじいさん以外誰もいなくなってしまいました。

 少女はもうマッチを売ることを諦めて、家に帰ることにしました。


 家に帰ると、椅子に座っていた父親が不機嫌そうに少女を見やりました。

「お前、マッチを売り切らなければ帰ってきてはならないといったはずだ」

「……ごめんなさい。お父様」

 すると、父親は椅子から立ち上がり、少女を突き飛ばしました。箱の中からはマッチが飛び散り、床に散乱しました。

「帰ってくんじゃねえ!この役立たずが!」

 父親は少女を背に、再び椅子まで歩いて行きました。


 少女はとっさに、近くに落ちていたマッチを手に取り、火を付けました。その火には父親の顔が浮かびます。


 ――もう、何もかも燃えてしまえば良い。


 少女にとって、父親はもう父親ではありませんでした。父親の足下からは火が立ち上り、そしてあっという間に身体は火に包まれました。

「なんだ、熱い、うわあああああ!助けてくれえええ!」

 少女はその様子をただじっと見ていました。父親にされたひどい仕打ちが一つ一つ思い出されます。少女は父親が苦しむ姿を見て、その辛い想い出が消えていく気がしました。


「ふふ、……ふふふふ……」


 少女は父親が焦げていく姿を見て、なぜか可笑しくなりました。そして、大粒の涙が瞳からこぼれ落ちました。父親がその場に倒れ込むまで、ずっと壁にもたれかかったまま、その様子を眺めていました。


 父親が燃えたせいで、自分の家の家具にも火が燃え移り、たちまち自分の家が火事になっていきます。少女は立ち上がり、燃えさかる自分の家を後にしました。


 そして、残っている全てのマッチを擦り、街全体の光景を思い浮かべました。一つ、また一つと建物が火に包まれていきます。たちまち街中が火事になりました。


 少女はもう、寒くありません。街全体が彼女の冷え切った身体を温めてくれるからです。人々の叫び声は、彼女には届きません。ただただ、温もりに飢えた少女は、街を眺めて、そして幸せそうに微笑みました。




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