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幽縁の恋文

作者: 雨内 真尋

あれは、僕が高校1年の時の、夏の出来事だ。


 子供の頃から1人でいることが多かった僕は、高校生になっても友達を作ることはなく、いつも1人だった。別に1人が寂しいわけではない。休み時間はいつも教室の隅でスマホをいじったり、好きなラノベを読んだりと退屈はしなかった。

 だが昼休みだけは教室にはいたくなかった。1人で静かな世界に入りたい僕にとって、高校生のノリには全く着いていけず、窮屈で息苦しくもあった。だから昼休みはいつも中庭で昼食をとっていた。

 うちの学校の建て方は変わっていて、漢字の「口」のような形で囲むように建っている。そしてその内側に中庭があるのだ。中庭は四方に芝があり一本ずつ木が植えられていて、昼休み真上に上った太陽を程よく隠してくれる。その芝と芝の間には十の字のようにレンガが敷き詰められていて、華やかな洋風といったイメージで、とてもおしゃれだ。芝には丸いテーブルが1つと真っ白なイスが4つずつ置かれていて、僕はいつもそのテーブルの1つで昼食をとっている。

 こんなにいい雰囲気なら、ほかの生徒も来そうなものだが、流石に夏になると暑くて誰もよりたがらないらしい。クーラーの効いた教室で、友達と話していしている方が楽しいのだろう。おかげで僕は1人の世界を楽しめるので、ありがたいが。


 今は7月の頭で期末試験も終わり、みんな夏休みの予定を考えるので、ある意味忙しい時期だ。夏祭りに向けて彼女を作ろうと必死になる者、バイトで貯めたお金で、友達だけの旅行の計画を立てる者、部活の大会に向けて、練習の予定を確認する者など様々だ。だが僕はそのどれにも当てはまらない。ただ平穏に日常を過ごすだけだ。

 4限目終了の予鈴がなったので、僕はさっそく身支度を済ませ教室を出た。向かう先はもちろん中庭、その前に購買で昼食のパンをいくつか買った。だが今日は、新商品が入る日だったらしく、人ごみのせいでいつもより多く時間を取られてしまった。

 普段より遅く中庭につくと、そこには珍しく先客がいた。その人は、おとなしそうな顔立ちに、背中まで伸びた茶髪は軽くカールしていて、華奢な体つきによく似合っている。静かに読書をするその佇まいは風景と相まって、まさにお嬢様と呼ぶにふさわしかった。僕はその姿に思わず見とれてしまい、2~3秒動きが止まってしまった。それに気付いた彼女がこちらを見て軽く微笑むと、ようやく我を取り戻し、急に恥ずかしくなった。恥ずかしさで赤く染まった顔を隠すように下を向きながらテーブルへと向かった。

 彼女と向かい側のテーブルのイスに座り、チラリと彼女の方に目をやると、彼女もこちらに気付きまた微笑んできたので、反射で目を逸らしてしまった。なんだか胸の奥にモヤモヤしたものを感じ、僕はそれを振り払うように、勢いよくパンに噛り付いた。

 しばらくして僕が食事を済ませると、彼女の姿はもうなかった。そして僕はまた1人の世界に戻っていた。

 読書を楽しんでいると、昼休みの終わりを告げる予鈴がなったので、教室に戻る準備をした。ふと、彼女が座っていたテーブルを見てみると、1冊の本が置かれていた。恐らくさっきまで読んでいた本だろう。忘れてしまったようだ。戻ってくる様子もなさそうだし、このままでは本が傷んでしまうので、僕が預かることにした。


 次の日、いつものように中庭に行ったが彼女の姿は見当たらなかった。今頃、本がなくて困っているはずだ。僕は昨日彼女が座っていたテーブルに、本と『忘れ物です』とだけ書いた紙をテーブルに置いて、自分のテーブルに戻りパンを頬張った。

 食事も終え、1人で読書の時間を楽しんでいると、いつの間にか彼女がテーブルに座っていた。集中しすぎて気が付かなかったようだ。彼女はこちらの視線に気付き、嬉しそうに本を胸の高さに抱えて微笑んできた。その笑顔に、僕は嬉しさと恥ずかしさで顔が赤くなってしまい、慌てて顔を逸らした。だがそれも仕方ないだろう。だって彼女の笑顔が天使のように美しかったのだから。これで赤くならない男子など要るものか。気持ちがおちつかないので、無理矢理本の世界へと逃げ込んだ。

 そのまま本を読み続けていると、昼休み終了の予鈴がなった。彼女の姿はもうなかった。

 帰り際、彼女のいたテーブルに目をやると、そこには僕が本と一緒に添えていた紙が置いてあった。そこには『ありがとうございます』と一言付け加えており、たったこれだけのことなのに、気持ちが舞い上がってしまう程に嬉しかった。

 家に着くなり僕はベッドに倒れこんだ。昼休み以降彼女のことで頭が一杯になり、他の事が手につかなくなってしまった。彼女のことをもっと知りたくて、気持ちを抑えられない。こんなこと初めてで、どうしたらいいのか分からない。ただハッキリとしているのは、このまま彼女との関係を終わらせたくないということだ。

 だがボッチの僕が女子と話すなど無理に決まっている。女子どころか、今まで男子とさえろくに会話をしてないのだから。どうすればいいか分からず考えていると、ふとあの紙の事を思い出した。


 翌日、昼休みになり僕は駆け足で教室を出た。慌てて教室を出たので昼食を買うのを忘れたが、そんなことは気にしない。

 中庭に着くと、体中汗だらけになってしまった。汗でシャツが体に張り付いて、ベタベタして気持ち悪い。彼女の姿はまだないようで、よかったと安堵の表情を浮かべ、そして彼女のテーブルに1枚の紙を置いた。その紙には『よくここには来られるのですか?』と、一言だけ書いておいた。本当は名前とかいろいろ訊きたいところだが、いきなり訊くのはさすがに不自然なので遠回しに行くことにした。

 ともかく後は彼女が来るのを待つだけだ。僕はいつものテーブルに着くと、彼女が来るのを心待ちした。だがいつまでたっても現れる気配はなかった。いつもならもう昼食を食べ終わっているころで、とうとう腹の虫が空腹に耐えかね、低いうねり声をあげた。僕はそれをぐっとこらえ、読書で時間をつぶすことにした。

 しばらくして、また本に夢中になっていると、いつの間にか彼女が来ていた。今日は彼女の方も読書に夢中のようで、こちらの視線には気付いていないようだ。あまりじろじろ見ていても、失礼なので僕も読書に集中することにした。

 僕は、この時間が永遠に続けばいいのにと思っていた。だがこの静寂を壊す予鈴が無情にも訪れてしまった。彼女の姿はもうなく、テーブルには1枚の紙が残されていた。そこには『ええ、昼休みはよくここで読書をしていますよ。』と書かれていた。嬉しさのあまり思わず、ガッツポーズをして叫び声をあげてしまいそうになり、その気持ちを何とか抑え込むとその紙を大切にしまい教室へ戻った。


 それからは、この無言の会話が僕たちの昼休みの日常となっていった。紙には『どんな本が好きなんですか?』とか『好きな作家さんは?』など他愛もないことを毎日一言ずつ書いていた。そうしているうちに、気が付けば名前も自然に訊けてしまうくらいに、僕たちの距離は縮まっていた。

 この時代遅れの文通は、メールやネットのチャットなんかよりも心の芯に刺さって来て、素の自分をさらけ出すことが出来る。彼女とはまだ面と向かって話したことはないが、姿は見えているのに直接会話はしないというこの不思議な距離感が、僕にはとても居心地がいい。


 だが、この日常も終わりが近づいていた。来週には1学期の終業式が来て、夏休みが始まる。夏休みになれば彼女と会うことも出来なくなり、当然この関係も終わりを迎えてしまう。そんなのは嫌だ、どうにかして彼女との関係を続けたい。そう思い、僕はとうとう覚悟を決めた。告白する覚悟を。

 告白の仕方はもう決まっている。それはラブレターだ。こんなやり取りが続いてきたのだから、告白するときも文字で伝えたいと思っていた。僕はさっそく手紙を購入すると、ラブレターを書き始めた。

『唯さんへ

 昼休み、唯さんと中庭で過ごしているこの時間が、僕の日々の楽しみになっていました。紙のやり取りの何気ない会話一つ一つが、僕にとっては全て宝物です。

 僕は唯さんの事が好きです。

 ですがもうすぐ夏休みになり、このやり取りも終わってしまいます。

 僕は唯さんともっと一緒にいたいです。

 もしよければ僕と付き合ってください。返事お待ちしてます。

     ○○ ○○』


 不格好な文だが、僕は自分の気持ちを精一杯この手紙に載せた。

 失敗するかもしれない、もうこの関係が終わってしまうかもしれない、だがそんなことよりも自分の気持ちを伝えたい、という気持ちの方が強かった。


 昼休みになり、いつものテーブルにラブレターを置いた。もう後には引けない。だが後悔はしていない。これが僕の正直な気持ちなのだから。 

 焦る気持ちをどうにか抑えるため、読書して待っていると彼女が来ていた。どうやらいつもと違う紙に、少し戸惑っているようだ。

 しばらくして読み終わったのか、彼女はこちらを見ていた。だがその表情は、喜びや嬉しさとは真逆で、今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうな、暗く悲しい表情だった。

 僕はその表情を見て、耐えきれなくて思わず目をそらしてしまった。その間に彼女はもういなくなっていた。

 テーブルには僕のラブレターだけが残されていた。そこには返事はなく、少し濡れた跡があった。


 この日から1週間、彼女が中庭に表れることはなく、とうとう夏休みになってしまった。だが僕の夏は終わったも同然、何もする気力が起きず、ただただ無駄に時間だけが過ぎていった。告白なんて初めてで振られたショックが大きく、全く立ち直れないまま夏休みも8割が過ぎた。  

 そして8月21日になった。この日は登校日で、テストがあるので学校に行かなければならない。憂鬱だったが、もしかしたら会えるかもしれないと思い、薄い期待を胸に登校した。

 教室で宿題の提出や軽い連絡事項などが終わり、登校日は午前中に終わった。

 僕はそのまま真っ直ぐ中庭に向かった。だがあんなことがあったのだ。彼女が来てくれるわけなどないと思い、足取りも重くなっていった。

 そしてようやく中庭に到着した。すると、驚くことに中庭には彼女がいた。いつものテーブルで読書をしているその姿は1か月ぶりで、嬉しさでつい口元が緩んでしまった。

 彼女もこちらの存在に気付いたようで、軽く会釈してきた。僕がそれを返すよりも早く席を立ち、彼女は初めてこちらに歩み寄ってきた。お互い実際に距離を詰めたことはなく、距離が縮むごとに僕は緊張で鼓動が速くなっていた。

 とうとう正面まで来ると、彼女は1枚の手紙を差し出してきた。受け取るとき指の先が触れ合った。彼女の指は夏だというのに、氷のように冷え切っていて、少し驚いた。

 手紙にはこう書かれていた。

『返事遅くなってごめんなさい。どう答えればいいのか分からず、ずっと悩んでいました。

 ○○君の気持ちは正直嬉しかったです。私も○○君と過ごしてる時間は楽しくて、毎日が待ち遠しかったです。ですが私はあなたと付き合うことは出来ません。

 なぜなら私はもうこの世には存在しない人なのですから。信じられないかもしれませんが、私は数年前にこの学校で自殺した生徒なんです。本来はこの世にいていい人間じゃないのです。そんな私が恋なんてしていい訳がない。それなのに私は毎日○○さんに会うたびにどんどん好きになってしまいました。会ってはいけないと分かっていても、会わずにはいられない。

 この中途半端さが結局、○○君を苦しめてしまいました。だからせめてもの償いとして、あなたにはすべてを打ち解けることにしました。

 もう○○君の前に表れることは二度とないので安心してください。こんな私の事は早く忘れて、新しい恋に出会えることを祈っています。さようなら』


 手紙を読み終わるころには、彼女はもうそこにはいなく、ただ1人中庭に取り残されていた。頭が真っ白になり、何も考えることが出来なかった。その後も1時間ほどその場から動くことが出来なかった。


 後日談、僕は彼女の自殺の原因を調べた。その結果、彼女は学校でいじめを受けていたことが分かった。その原因は、当時学校一のイケメン男子生徒に彼女は告白されたそうだ。だがそれを妬む女子生徒は多く、その生徒達にかなり酷いいじめを受けていたらしい。しかも告白した男の方はそれを助けようともせず、見て見ぬふりをしていたのだ。挙句の果てには、彼女を見捨て、いつの間にか別の女子に乗り換えていたらしい。そのことが原因で彼女は生きる気力を失い、屋上から飛び降りたらしい。いつも彼女が座っていたテーブルの位置が、ちょうど亡くなった場所だったそうだ。


 僕はまた1人の世界に戻った。これから先、また恋愛をする機会はあると思うが、これほど人を好きになることはもうないだろう。彼女との夢のような時間が脳裏に焼き付いて、忘れようにも忘れられない。


 これが僕のひと夏の、ちょっと不思議な恋の話である。


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