第サン章
鋼伝寺亮介が、自宅マンションに戻ったのは、夜中を大分回ってからだった。
彼はなかなか家に入れてもらえなかった。レベル2の身体になった彼を鋼伝寺亮介であると母親と妹に認めさせるのに十分以上も掛かったのだ。
彼は家の中に入ると、今では頼りなくなってしまったスチール製のドアを閉め鍵をかけた。そして居間に入ると背負ってきた刀と健二というヤクザが持っていた革鞄を部屋の隅にガシャンと放り出す。
居間は非常用のロウソク1本で照明されているだけでかなり薄暗かった。
「もう一度確かめるけど、本当にお兄ちゃんよね?」
つばきは亮介をじろじろと見ながら言った。
「んー、ついついレベル2になっちゃったからなぁ。ちょっと筋肉の量が増えたんだ」
亮介はニヤッと笑って言った。
「なーにそれ? 私もお母さんも心配したんだから」
つばきはプウッとほっぺたを膨らませてむくれて言う。
亮介は世界が『ガジェット・ワールド』に変わってしまってから、今までの事を掻い摘んで二人に説明した。母親はその間、亮介に食パンと温くなった牛乳を出して食べるように促す。彼は死ぬほど腹が減ってる事に驚きながら、食パンと牛乳を平らげつつ概略を話し終わった。
「それでかい? スーパーが暴徒に襲われて、お巡りさんを呼んできても、何の役にもたたなかったんだよ」
母は呆れた顔でそう言った。
「そうだろうね、拳銃は使えなくなってるし、警棒だって役に立たないだろう」
亮介は頷きながら言った。
「そのうち、つばきがやって来て、二人でバックヤードに残った食パンやら小麦粉を担いで家に戻ってきたんだから」
彼の母=鋼伝寺渚は、不安な表情でそう言った。彼女は42歳とは思えない若さの女性だった。腰の周りに少々贅肉は付いているが、化粧をすれば30代前半に見える。
「私はまだ、この世界がファミコンの世界になっちゃったなんて信じられないよ」
彼女の世代はファミコンで育った世代だった。ギリギリ『ガジェット・ワールド』の概念を理解できる世代である。
「かあさん、無理にでもいいからここが異世界だと理解してくれないかな? 多分地球が丸ごと異世界に変わってしまったんだと思う」
彼は母親に優しく話しかけた。彼女は大きなため息を付くと頷いた。
「これから……恐らく明日から、かなり厳しい状況になると思う。食料、特に水が足りなくなるからね。水を巡って暴力的な争いが起きるだろう。
だけど本質的な問題は、今ある食料や水じゃ全然足りないって事なんだ」
彼はそう言ってトートバックから大量のロウソクを取り出した。
「ちょっと見ててね」
彼はそう言うと5本のロウソクを束ねて持つとそれを一本の風に消えない無炎ロウソクに変化させた。
渚とつばきは「あっ」と言って驚いて見ている。
亮介がそのぶっとい無炎ロウソクに火をつけると、それを食卓の上に据えた。今まで薄暗かった部屋は見違えるように明るくなった。
「これは、魔法みたいなものなんだけど、僕がガジェットと呼んでいるブロックを使った魔法道具製造能力なんだよ。この能力は誰にでもあるんだと思う。
人々は大部分がまだその事に気付いていないけど、遅かれ早かれ気付くだろう。その時、『素材』を変化させる鍵になるガジェット争奪合戦が必ず起こる。それは食料争奪争いよりも熾烈になると思う」
二人は大人しく亮介の話を聞いていた。
「もう、警察や自衛隊なんて当てにならないよ。かえって、一般人より危ないかもしれない」
彼は沈痛な表情で言った。
「あ~あ、アルバイトやってて損したなぁ」
つばきが頭の上に手を組んで言った。
「そうねぇ、お金なんて何の価値も無くなっちゃったからねぇ」
渚も同意する。
「それで? お兄ちゃんこれからどうするの?」
「引越し。というか、暫く皆で安全な場所に非難しようと思う。人間同士の殺し合いが始まるからね」
渚は亮介の言葉を聞いて新か様に渋い顔をした。
「このマンション、死んだ父ちゃんの保険金で買ったのになぁ。こうなることが分ってたら他の物買うんだったよ」
渚は大きなため息と共にそう言った。
「僕の計画では、港の工業地帯のどこかの工場に住処を移そうと思ってるんだ」
亮介は渚をあえて無視して言った。
「工場?」
つばきは変な顔をした。
「ああ、あの辺は無人地帯だし頑丈な壁もあるから安心だろ? それに、海に近くて魚や貝も取れるしね。
でも、一番重要なのは、工場の中にはガジェットに分解できる機械がいっぱいあるってことさ。
僕はもうレベル10になっちゃったけど、母さんやつばきも早くレベルを上げてもらいたいからね」
「あたし達もレベルってやつを上げなきゃいけないのかい?」
渚は乗り気ではない様子で言った。
「それはそうさ。母さんやつばきにも強くなってもらわなきゃ、僕だって安心して留守にできないだろ?」
「えぇ~~」
二人は嫌そうに抗議の声を上げた。
「二人とも、僕の身体の変化を見たでしょ? レベルアップすると贅肉が取れて筋肉もつくし、お肌だってつるつるになるのになぁ? 残念だなぁ」
亮介はワザととぼけた口調で言った。
「! りょ、亮介、今贅肉が取れるって言ったかい? 肌もつるつるになるのかい?」
「お、お兄ちゃん、筋肉が付くと胸も大きくなるのよね?」
渚とつばきは目を爛々と輝かせて身を乗り出して亮介を問い詰めた。
「う、うん。足も細くなるだろうし、ヒップアップや二の腕の脂肪や背中の脂肪も取れると思うけど……」
二人は顔を見合すと、すっくと立ち上がった。
「ここを出て行くなら、壊せる物は壊していかないとね、ほほほっ」
「そうよね母さん、私も頑張るわ」
二人はやる気満々だった。
「あ、ああ、じゃあ母さんはこの柳刃包丁使ってよ、気をつけてね刃先が振動してるから何でも切れちゃうよ」
渚は亮介から包丁をひったくるとキッチンに吹っ飛んでいった。
「あーん、お兄ちゃん。母さんにだけずるーい!」
つばきは抗議の声を上げた。
「……確か、玄関の下駄箱の工具箱に、ハンマーとか植木バサミとかがあったはずだから……」
つばきは彼の言葉をおしまいまで聞かずに玄関に吹っ飛んでいった。
「二人とも! 取り出したガジェットは、ちゃんと回収しといてね?」
「分ってるわよ。亮介、この変なロウソク頂戴」
渚はテーブルの上に転がしてあった無炎ロウソクを取り上げて火をつけて持っていった。
つばきもハンマー片手に戻ってくると無炎ロウソクに火をつけて玄関に引き返していった。
動機は不純だが、母と妹がレベルアップに興味を持ってくれたのは良い事だ。
亮介は、今日一日で探り出した『ガジェット・ワールド』についての手がかりを整理する事にした。
ガジェット、レベルアップ、召還、ガジェット練成、謎の声。
謎の声は明らかに全ての人間に聞こえているらしい。この世界のシステム・ボイスといった所か。
謎の声が聞こえるタイミングは、練成時、レベルアップ時、召還時(多分真夜中の0時)だ。
その声が聞こえる事で、ガジェット練成の練成の可能・不可能が分るので、ある意味親切であると言える。
だが、依然として『ガジェット・ワールド』を作り上げた存在もその目的も皆目見当が付かない。
ガジェットについてはある程度分っている。人間及び人間が高度な科学技術によって作り出した物は、ガジェットに分解する事が出来る。ああ、人間その者や召還された例の生物もそうだ。
例外なのは人力で作り上げられた包丁や日本刀、工芸品と呼ばれる類のものはガジェットに分解出来ないだろう。
亮介はそこまで考えるとハッとしてヤクザが持っていた皮バックを床から取り上げた。そのバックは、金の延べ棒や宝飾品(どこかで強奪したに違いない)が入っていたのを思い出したのだ。それらの中に大量の高級時計も入っていたのだ。
案の定スイス製やイギリス製フランス製の高級腕時計が入っている。7個ほどあった時計をテーブルの上に出して動いているか確認した。
すると驚いた事に7個全部が動いていたのだ。きっと、あの健二というヤクザが動いている物だけを選んでカバンに放り込んだに違いない。ムーブメントから外装にいたるまで職人が作り上げた芸術品なのだと推測できる。
亮介はタグホイヤーというロゴが書かれた男性物の腕時計を右手に巻いて満足のため息をついた。実は世界がガジェット化してしまってから、時間が計れなくなって困っていたのだ。時計の表示では現在は午前3時ちょっと前である。
「母さん、つばき、チョッと来て」
亮介はドカンバタンとあらゆる物を破壊しまくっている母親と妹を呼んだ。
「なーに、兄さん」
「何だい?」
二人は汗だくになってダイニングに現れた。
「これを付けててよ」
亮介は二人にそれぞれカルティエの時計とカルバンクラインの時計を差し出した。
「きゃー、カルティエよ、凄いわぁ」
「お兄ちゃん、すごーい、どうしたの?」
二人はテーブルに置いてある革カバンの中身を見て更に驚いた。中には金塊が5キロほどとダイヤモンドやルビー、エメラルド、サファイアなどの宝飾品が山ほど入っていたからである。
「亮介、母さんはお前を生んで良かったとつくづく思っているよ」
「お兄ちゃん、愛してるぅ」
亮介はふたりに抱きつかれてキス攻めにあって閉口した。
「おいおい、落ち着け、落ち着いてくれ。こんなもの、将来物々交換の経済が始まったら、いくらでも手に入るよ。取り合えずこの素材の中で最も価値のあるのは、今渡した時計だから大事にしてね」
「そうね」
「うっふ~ん」
亮介は気味の悪いシナを作りながら、解体の作業に戻っていく二人を呆れて見送った。
げに恐ろしきは女性なり、か。
亮介はかぶりを振って、考えを元に戻そうとした。
「えーっと、何処まで考えたんだっけ? 確か『工芸品と呼ばれる類のものはガジェットに分解出来ない』ってとこまでだっけ?」
あと、確認した訳ではないが、人間以外の動物や食料に関しても分解できないと思う。
また、レベルが高くないと見ることも触る事もできないガジェットが存在する事や、召還された生物を殺して得られたガジェットが普通と違う色をしている事も謎だった。
ガジェット練成に関しては、まだ試してみなければならない事がいっぱいある。素材をある程度まとめて合成できる事や、1つ以上の特殊な能力を持たせる為には、本人のレベルが関係するという事。そこまでしかまだ分ってなかったが、亮介の予想ではかなりの事が出来るはずであった。
召還に関しては、まだ何とも言えなかった。人間若しくは召還された生物が死亡した時、核になるガジェットが回収されない限りそこに異界(?)から何らかの法則により、この地球には存在しない生物が召還されるという事。
そして、召還された生物は、かなり高いレベルの生物であるという事(経験値を多く持った強い生物)である。毎回同じ生物が召還されるかは分らなかったが、今夜の経験からある地域にはあるまとまった個体数の生物が召還されるらしい。
それが将来的に人間に敵対的な生物なのか? コミュニケーションは取れるのか? などはまったく分らなかった。最悪のケースを想定して、全て敵対的だと考えた方がいいだろう。
残るはレベルアップである。
亮介はレベル10になっていた。しかし、実際のレベルはまだ上げていない。効果的なレベルアップをしたかったので、まだ9回分のレベルアップの権利を保留していたのである。
レベル1になる時、かれは丈夫な身体を望んだ。その結果スポーツ選手のような身体を手に入れた。だが、肉体に対するレベルアップは、ただ単に身体を丈夫にしたり反応スピードを上げたりそんな物理面だけに作用させ続けていいのだろうか?
彼は一つ試してみる事にして、無炎ロウソクを掌でもみ消した。途端にダイニングは暗闇に包まれる。
精神を集中して、暗闇でも物が見られるように強く念じた。
すると、視界の隅のガジェットが消費され、いきなり回りのものがハッキリと見えるようになった。
ノクトビジョンの様に単色だが物が見える。腕にはめた時計もこの暗さで文字盤が読み取れた。
「成功だ、では次の仮説を試してみよう」
彼はそう呟くとあることを念じた。
再びガジェットが消費され彼の見る視界に劇的な変化が起こった。
今まで、視界の隅に小さな丸い点だけで表示されていたガジェットが整然と並べ替えられて個数もきちんと表示されるようになった。更に、ガジェットの上部にはその名称が表示されるようになったのだ。彼は自らの視界に表示される物の詳細表示機能を望んだだけだった。つまりステータス画面の表示である。MMORPGに慣れ親しんだ亮介にとってはこの機能は便利この上ない。しかも、意識をある特定のガジェットの上に留めると、それが視界の内側に引き出されて大きく表示されるようになった。
彼は少なからず驚いていた。これ程思惑どうりに事が運ぶとは思っていなかったのだ。
では次にガジェット化した物(分解できる物)と素材とを見分ける機能があればいいと強く念じた。すると、ステータス画面の何種類かのガジェットが中央に引き出されて個数が表示されそこに「実行しますか?」という文字まで出るようになったではないか。
「思考能力オレンジ×1、分析能力ブルー×2、対象ホワイト×3か……」
亮介はガジェットの識別機能を付加する為に消費されるガジェットを確認して頭の中で「OK」と考えた。すると即座にガジェットが消費され視界が変化した。何とはなしに見詰めていたダイニングテーブルの表面に『引き出し線』が現れて「分類=木材家具、レベル4素材」と表示されるようになった。腕時計を見ると「分類=精密機械、レベル7素材」と表示されている。
彼の予想以上の成果だった。部屋の中をぐるっと見回してみたがテーブルと椅子、ロウソク、日本刀以外は素材表示が無い。という事は、この床も天井も壁もガジェットに分解できるという事らしい。
彼はマッチをポケットから取り出して、無炎ロウソクに再び明かりを点した。すると、物の見え方が何かおかしかった。壁や天井や床が半透明に見えるのだ。暗視とは違い、普通の光の下ではガジェット化したものは半透明に見えるらしい。
彼は肩をすくめた。これもご愛嬌である。
かなりこの世界が解り易くなったし、慣れ親しんだゲーム画面のように見えるのは便利である。
亮介は残り6回のレベルアップボーナスを取っておく事にした。新しい住処に移ってからゆっくり考える事にする。
彼は部屋の隅に投げ出していた日本刀の中で、あの竜一が使用していた立派な物を取り上げた。
「取り合えずこれをパワーアップしとかなきゃな」
彼はそう言うと日本刀を鞘から抜いて、それを明かりにかざした。
「分類=鉄製武器、レベル8素材か」
亮介は表示を読み上げた。
「あの柳刃包丁みたいな失敗はしたくないからなあ。分子振動刃みたいな能力が付いちゃうと鞘にも納まんなくなっちゃうんだよな」
彼はぶつぶつと独り言を呟く。
「まず、この重さをなんとかしなきゃな」
彼は手にずっしりと来る刀の重さを何とかしなければと思った。母やつばきも使うやも知れないので、女性でも振り回せるぐらいの重さにしたかった。
彼は今の重さの3分の1程度をイメージして刀をじっと見詰めた。すると、必要なガジェットが表示され「よろしいですか?」と聞いてくる。彼は心の中でOKを出した。
たちまち、刀の重さが実際の3分の1になる。
刀の表示は「分類=鉄製武器、レベル8素材、効果1/8=重力加速度キャンセル66%」という表示に変わった。
素材レベルは、そこに付加できる能力の個数と同じらしい。
まあ、慣性重量は変わらないが長時間刀を支えて於けるようにはなったようだ。
亮介は他の2本の刀も同様に重さを3分の1に処理した。
その時、母親とつばきが不満そうにダイニングに戻ってきた。
亮介はその姿を見て思わず「あっ」と叫びそうになった。母と妹の身に着けている服から下着まで全てが透けて見えたのである。
「あ~あ、疲れちゃった」
つばきは椅子に行儀悪く立てひざをして座る。亮介はそれを見てゴクリと喉を鳴らした。
「亮介、どれ位物を壊せば、レベルが上がるんだい?」
母は牛乳パックをラッパ飲みしながら言った。
彼は母のチョッと垂れ気味のおっぱいを直視しないように目を逸らした。母親のヌードより、もっとひどい格好のつばきの方が背徳感が若干少ない。
「……ああ、みんなもう4時近いからちょっと寝ておこうよ。汗でべたべたするから着替えた方がいいよね」
彼はおどおどと腕時計を見る振りをして、赤くなりながら言った。
着衣が透けて見えることを、気付かれてはならない。
「き、着る物は、なるべく綿のもので、ぶ、ブランド品がいいと思うよ。化学繊維とかだと、すけ……いや、何かの拍子に分解してガジェットに変わっちゃうからね……ははは……」
二人は挙動不審な亮介の行動に首を傾げていたが、「そうね」と言いながらそれぞれの部屋に散っていった。
亮介は安堵のため息をつくと、今日はもう寝る事にした。
非常に忙しい、アブノーマルな一日だったからだ。
鋼伝寺亮介・総合レベル10
肉体強化レベル1
スキル=暗視・ステータス・アナライズ
レベルアップボーナス、6