第二ッ章
電気と電化製品が使えなくなった街は、信じられないほど暗かった。
それぞれの家には微かなロウソクの明かりが点っているが、街路を照らすほどの光量もなく車道と歩道の段差も分らない有様だった。
亮介は仕方なく無炎ロウソクを点け足元を照らしながら歩いていた。
彼はMMORPGゲームとこの世界を頭の中で比較しながら考えていた。
ゲームの中の仮想空間は、よく出来ているとはいっても所詮現実ではない。暗闇という概念は無いし(視界が真っ暗になるゲームは数種類存在するが……VRではほぼ皆無だろう)、更に現実に肉体が損傷する事も無い。全てがデータで表示されそれを読み取りながら状況を判断し、プレイヤー・キャラクターを操作できる。
だが、この世界は全てが現実で、死んだらそこでお仕舞いだ。怪我をしたら痛みもあるし、疲れたら身体も動かない。
「いや、いかんいかん。こんな常識的な分析では、この事態は乗り越えられんぞ……」
亮介はそう心の中で呟くと、その他の違いも検討してみた。
『ガジェット・ワールド』には通貨が無い、いや、ガジェット化する以前に流通していた通貨は確かにある。だが、価値がなくなった。
現在最も価値があるのは、食料である。この混乱が収まって、人々に余裕が戻れば、金等の貴金属にそれなりの価値は出てくるだろうが、それはいつの事になるやら想像もできなかった。亮介は「後々通貨代わりになる物を模索するべきである」と心の中の確認するリストにそれを加えた。
それから、ゲームが好きか好きじゃないかに関わらず、人類全部が『ガジェット・ワールド』に強制参加させられてる。こんな事は、ゲームでは起こりえない事だった。そのおかげで、ゲームではあり得ない「家族や恋人を守らなければならない」という縛りが存在している。
彼はこの世界にエネミーが存在しないのがせめてもの救いだと思った。
歩きながらそんなことを考えていたら、いつの間にか線路を渡っていたことに気が付いた。
「ついでだから、駅前のアーケードを見に行ってみよう」
亮介はそう考えて、駅前アーケードを抜ける道のほうにコースを変えた。
その道沿いには所々ガジェットの小山ができていた。それを見た瞬間彼の背筋をぞっとした冷たいものが走るのを感じた。
このガジェットの種類は…………明らかに人間が死んだ時にできる物だ。彼は、事故で死亡した人間のガジェットを回収した経験からそう直感した。
しかも、このガジェットの小山を作った奴は、ガジェットに興味が無いか、まだガジェットの重要性に気付いていない人間だ。
と言う事は、何者かが人間を殺して歩いているということである。亮介はこの先周囲に細心の注意を払って進む事に決め、点々と道端に山を作るガジェットを回収していった。
そうやってガジェットを回収しながらアーケードモールに近づいてゆくと、前方の通りから炎の瞬きが見えてきた。彼はロウソクを掌でもみ消すと建物の影から通りの様子を覗った。
そこにはランニングシャツや上半身裸の男達が3人、焚き火を囲むようにたむろしていた。そのむき出しの肩や背中にはおどろおどろしい刺青が描かれている。ヤクザと呼ばれる種類の人間達だ。
「兄貴、面白れえ世の中になったもんですねぇ」
その中の一人がウィススキーのボトルをらっぱ飲みしながら言った。肩には白木の鞘に納まった日本刀を担いでいる。
「安、おめえ何人ぐらい殺した?」
兄貴と呼ばれた男は、地面に胡坐をかきその前に置かれた皮製のアタッシュケースの中をザラザラとかき回しながら言った。
「えーっと、ざっと20人位ですかね」
「それじゃもう、レベル2にはなってんだろ?」
「さっき、レベル3になりました」
「け! まだレベル3か、早く俺や頭みたいにレベル5にしろや! ねぇ頭」
3人目の頭と呼ばれる男は、焚き火の向こうでこちらに背を向けて舟をこぐように身体を揺らしている。
亮介は焚き火の炎が揺らいで男の背中より下があらわになった瞬間、その訳が解って頭にカーッと血が上った。女を後ろから犯しているのだ。
その男は獣の様な唸り声を発すると、後ろ手に持っていた日本刀で女の背を刺し貫いた。女は「ウギャー」と言う声を発し、たちどころにガジェットに変わってしまった。
「あぁ、もったいねぇ。結構俺好みの娘っ子だったのに……」
安と呼ばれた一番下っ端らしい男が情けない声を上げた。
女を犯していた男はゆっくりと立ち上がると、足元のチノパンを引き上げてその暴力的なほど筋肉のついた尻をズボンに包んだ。
「うるせえ、女なんざ、腐るほど居るんだ」
頭と呼ばれた男は半ば振り返って、刀を鞘に収めて言った。
「いいか安、健二。この町は俺、高木竜一が締める。このおあつらえ向きの世界で天辺取ってやるぜ」
竜一と名乗った男は、非人間的な冷たい笑いを浮かべながら言った。
亮介はゴクリと唾を飲み込んだ。レベル5のヤクザが2人、そしてレベル3が一人? 自分がレベル2になって感じたあのレベルアップの感覚をもう4回も繰り返しているのか?
亮介は体の基礎体力が向上する事を願いそれがかなったが、彼らがレベルアップ時に何を望んだかはその鋼のような肉体を見れば一目瞭然だった。
いったい何人の人間を殺せばレベル5になれるのか解らなかったが、少なくとも百人は下らないだろうと亮介は思った。
「召還の時間です」
その時、頭の中に再びあの声が響いた。
「だ、誰だ」
「何処にいやがる。出てきやがれ」
安と健二と呼ばれたヤクザは、サッと刀を構えながら言った。そして、辺りをキョロキョロと見回している。
嫌な予感に襲われた亮介は、ヤクザたちに気付かれぬよう、手じかの電柱をスルスルと登るとアーケードの屋根の上に逃れて、腹ばいに下を覗き込んだ。
上から全体の様子を覗っていると、アーケードの路上や亮介が通ってきた小路のあちらこちらに縦長の白い繭状の光が現れていた。
それは心臓が拍動を刻むように、ゆっくりと膨らんだり縮んだりしている。
亮介はハッとなった。繭状の光が現れている場所は、先ほど彼が人間のガジェットを回収した場所じゃないか?
「死んだ人間が生き返るのか?」
亮介は愕然としたまま、観察を続けた。やがて、その繭の中から人影らしき者が歩み出てきた。
それらは繭と同じように、青白く光る皮膚を持っており、よく見ると人ではなかった。そいつらは、2種類いるようだった。
一種類は、身長が2メートルほどでサルのような顔に二本の角が生え、背中からは多数の触手が生えている。そのしゃくれ顔には、耳から耳まで大きく裂けた口から鮫のような乱皓歯が覘いていた。身体はマウンテンゴリラの様にはち切れんばかりの筋肉の鎧に包まれている。一目見ただけで、その凶暴性は一目瞭然だった。
もう一種類は、身長1.5メートルほどで女性っぽい華奢な体つきをしていた。頭にはもじゃもじゃの長い頭髪が逆巻き、何処から生えているのかリング状の輪が乗っかっている。背中には蝙蝠のように皮膜で出来た翼が生え、膝から下は鳥のような足をしていた。その顔には、人間の2倍近い大きな目があった。
それらの『召還』された生物達は、夢を見ているような緩慢な動作でふらふらと出現位置の近くに棒立ちになっていた。
アーケードを照らす焚き火の照り返しを受け、それは何か現実離れした不気味な彫像の様に見える。
身長の低い翼を持った生物は、すぐに羽を広げ北の方角に飛び去ってしまい、マウンテンゴリラの様な生物だけが取り残された。
「……なんだテメーらは」
安と呼ばれたヤクザが近くに出現した生物を大声で恫喝した。
すると、近場に居たゴリラのような生物が一斉に安の方を見た。
「死ね、この木偶の棒め!」
安は日本刀を抜き放ち、素晴らしい速さで一番近くの生物に切りかかった。
日本刀はその生物の肩口に命中した。しかし、その刃は浅く肩の筋肉にめり込んだだけだった。
その生物は、不機嫌な表情で無造作に日本刀を掴むと、安ごとそれを振り回し商店街の店のシャッターに叩き付けた。
ガシャーンという大きな音と共にシャッターは大きく陥没しながら安を受け止めた。当然、それもガジェットとなってその場に散乱する。
「チッ」
それを見ていた健二が、信じられぬ速度で安を投げ飛ばした生物の背後から詰め寄った。つむじ風の様な斬撃が、縦横斜めとその生物を襲う。
そいつの背中には浅い傷が出来、触手が2本ほどその半ばから切られて落ちた。その切り口からは、青緑色の体液が滴り落ちる。
そいつは健二の方に体をむけると、目に見えぬほどの速さでその長い腕を振り回した。
健二は「がぁ!」という苦悶の声を上げると後ろに跳び退った。その左肩にはそいつの爪で深々と抉られた3本の深紅の傷がパックリと開いている。そこから大量の血が路上に飛び散った。
その時、その生物の頭上から竜一が襲い掛かった。その生物は健二にダメージを与えた直後で、新たな攻撃に対処する余裕がなかった。
竜一は全体重を日本刀に預け、袈裟懸けにそいつの胸を切り裂いた。
その生物は肩から鳩尾の辺りまで上体を切り裂かれ怪鳥のような悲鳴を上げると仰向けに転がって痛みに悶え苦しんでいた。
ヤクザ達の見せ場はそこまでだった。周りに居たゴリラのような生物達が一斉に三人に襲い掛かったのだ。
「ひぃー、兄貴っ、助けて……ヴァア……ぎゃぼっ」
安は二匹のゴリラに体を2つに引き裂かれて死んだ。
竜一と健二は5~6体のゴリラに囲まれながらも2~3分は奮戦したが、やはり体をズタズタに引き裂かれて命を落とした。
亮介はその一部始終をアーケードの屋根の上から息を殺して見守っていた。
やがて、三人のヤクザをなぶり殺しにしたゴリラのような生物達は、生気のない足取りで駅の方に向かって歩み去っていった。
亮介は隠れ場所から下に降りると、様子を覗いながら恐る恐る戦闘が行われた焚き火周辺に近寄っていった。
そこには、ヤクザの竜一が切り伏せたゴリラの化け物がまだ生きていて、弱弱しく手足で宙を掻いている。
亮介は、近くに落ちていた日本刀を拾い上げると、そいつに近づいた。
近くで見るそいつは、物凄い威圧感がある。例えれば、傷を負って横たわる人食いトラのような雰囲気だ。そいつは亮介に気が付き、その不気味な顔を彼に向け小さく威嚇の声を上げた。
人語を解さないらしい。こいつから情報を引き出すのは無理だと判断した亮介は、日本刀で化け物に止めを刺した。
すると、頭の中で立て続けに「レベルアップしました」という声が八回響いた。
「何と言う経験値か……」
亮介は驚きながら心の中で呟いた。彼は一気にレベル10になっていた。
MMORPGゲームでは、亮介が行った行為は、「横打ち」と呼ばれる。更に地面に散らばったアイテムを集めて周る物を「スイーパー」とか「ボッター」とか「クレクレ君」とか呼ぶ。どれもゲームの中では侮蔑の対象だ。
ゴリラのような生物が死んだ後には、今まで見たこともないガジェットが残されていた。様々な色が脈動するガジェットである。そして、地上50センチ付近に1個の半透明のガジェットが浮かんでいるのに気が付いた。
彼はハッとしてヤクザがやられた場所を振り返った。そこにも半透明のガジェットが浮かんでいる。
それは今まで気が付かなかったガジェットである。亮介のレベルが上がったので見えるようになったらしい。
かれは空中に浮かぶそのガジェットに触れてみた。すると「キンッ」という金属的な音を発して新たな種類のガジェットがカウントされた。
「そうか、このガジェットが『召還』の触媒になったガジェットなんだな?」
彼はガジェットの新たな機能を発見した。
それと同時に、憂鬱な気分にもなった。この召還のガジェットは、低レベルの人間には見ることも触る事も出来ないらしい。
ということは、明日から繰り広げられるであろう食料争奪戦で死人が出れば、毎晩『召還』によってあの化け物どもが増殖するということだ。一ヶ月も経てば、あっというまにこの世界は化け物だらけになってしまうだろう。
奴等が積極的に人間を襲うのかどうかまだ解らないが、ヤクザと奴等との戦いを見る限りライオンやトラを野に放つのに等しい。
亮介は頭を振るとせっせとその場に落ちているガジェットや日本刀、それにめぼしい物を回収して家路を急いだ。