第ゼロ章
その日はいきなり始まった。
2030年8月8日、日本時間正午丁度。
「ようこそ、ガジェット・ワールドへ」
その文字は、気味の悪い音声付きで全ての人間の頭の中に現れた。それと同時に、全ての文明によって作られた物は、活動を停止した。
鋼伝寺亮介と長壁亜理紗は、亮介の部屋でゲーム中にその時を迎えた。
「あれれ?なんだあ、今のは?」
亮介はブラックアウトしたスクリーン・プレートを眺めながら呟いた。
「あーん、画面消えちゃった。停電か何か?」
亜理紗は、コントローラーを放り出してカウチ・ソファの背にひっくり返った。
二人は同じ高校の二年生で、ゲーム研究会の夏休みの課題に、新しくオープン・ベータが始まったMMORPGゲームのインプレッション・プレーを行っている処だったのだ。
「画面が消える寸前に、『ガジェット・ワールド』とかいう文字が見えたような気がするんだけど?」
亮介はスクリーンに画像を転送していた自分のノートバッドを持ち上げて、叩いたり揺すったりしたが何の反応も無かった。
その時、表の幹線道路からドカン、ズガンという音が立て続けに起きて、何事かと二人は窓辺に駆け寄った。
亮介の住むマンションは、交通量の多い幹線道路に面した三階で、彼の部屋からはその道路が見渡せる。
今そこには大型トラックと乗用車数台が絡む事故が起きていた。
「うわ、こりゃ酷いや」
彼はそう言って事故現場を見下ろしたが、次の瞬間、一番酷く壊れた軽自動車がふっと消えるのを見て驚愕した。
「え? 何だ? く、車が消えたぞ!」
その車が消えた後には、苦悶に呻く血だらけの女性が残されていた。
「あ、女の人が……」
亜理紗が、口元を押さえて蒼い顔で言った。
「俺、下に言ってくる。亜理紗は警察に電話してくれ」
亮介はそういい残すと、部屋を飛び出していった。
もしかしたら、停電かもしれないので、エレベーターは使わずに階段を駆け下りていく。
マンションのエントランスから飛び出す亮介をアスファルトからの強烈な照り返しが襲うが、彼はそれを無視して一ッ飛びで事故現場に駆けつけた。
目の前に横たわる24~5歳の事務服を着た女性は、口元からゴボゴボと血を流し、断末魔の痙攣を始めていた。
「おい、しっかりしろ、いま警察を呼んだから、頑張るんだ!」
彼は咄嗟に女性を抱き起こすと言った。
しかし、その女性は手の施しようが無く、彼の腕の中で命を失った。
その女性が死んだ瞬間それは起こった。
カシッという微かな音と共に女性の肉体は彼の腕の中で忽然と消滅し、数十個の色とりどりのおもちゃのブロックが乾いた音を立ててバラバラと路上に散乱した。彼は悲鳴を上げて、女性を包んでいた服だけを路上に放り出した。背筋を嫌な汗が滴り落ちる。
亮介は呆然としてそのブロックを見詰めていた。「嘘だろ? 人間がブロックになっちゃうなんて……」頭の中ではそんなことを思っている。かれは恐る恐るそのブロックに手を伸ばし触って見たが、そのブロックは彼が触れた途端にフッと消えてしまう。一瞬触れた感覚は指先に残るのだが、掴みあげる事は出来ないのだ。彼は周囲に散らばったそのブロックを次々に拾おうとするが、それらは触れる傍からことごとく消えてしまうのだ。
そして、亮介は気が付いた、視野の左隅と右隅に彼が触ったブロックがカウントされているのを。
亮介は何が起こっているのか判らず背筋がぞっとするのを覚えた。
「亮ちゃん、電話が使えない……」
気が付くと歩道のところまで亜理紗が降りてきていて、目を丸くして彼を見ていた。
亮介はガードレールを乗り越えて亜理紗の傍らまで行くと、その肩を抱いて言った。
「今の見たか?」
亜理紗は顔を青くしてコクンと頷いた。
「絶対おかしい……もしかしたら、ここは、元居た僕らの世界じゃないのかもしれない」
「え、まさか……でも、そうみたいだね……」
亜理紗は怯えた目を亮介の向けて弱弱しく頷いた。
亮介は亜理紗を促して、マンションの亮介の家に戻った。
亮介は家に戻ると、冷蔵庫のアイスクリームを全部出して、それを持って自分の部屋に戻った。
「電気が供給されてないみたいだ。どうせ融けちまうんだったら、食っちまおうぜ」
そう言ってアイスクリームをソファに放り出すと、エアコンが止まって暑くなり始めた部屋の窓を開け放った。
「さっき、停電する前……」
そこまで言うと彼は、隅にある勉強机に置かれたデジタル時計を見た。そして電池式の時計が止まっているのを見て言い直した。
「さっき、何もかもが使えなくなってしまった瞬間、『ようこそ、ガジェット・ワールドへ』って文字が目の前に浮かんだんだ」
かれはファミリーサイズのバニラアイスクリームをスプーンで口に運びながら言った。
「亮ちゃんは、なんでそんなに落ち着いていられるの?」
亜理紗はべそを掻きながらストロベリーアイスを突いている。
「おれが、落ち着いてる?」
冗談じゃないと彼は思った。
「おまえも、見ただろ? あの女の人が消えるのを」
「うん……」
亜理紗はうつむいて答えた。
「あの人が死んで、俺の手の中でおもちゃのブロックみたいな物に変わっちまったんだ」
亮介はあの女性の生々しい体温を思い出しながら言った。
「え? ブロック?」
亜理紗はビックリして聞き返した。
「うん、触ると直ぐ消えちゃうんだけど、どうやら俺の視界の隅にそのブロックの種類と数がカウントされてるんだ。まるでゲームをやってる時の様な表示でさ……」
亮介は食べかけのアイスをテーブルの上に放り出すと、手を頭の後ろに組んでソファにそっくり返った。
「俺、夢でも見てるのかなぁ?」
「私も、夢を見てるんだったらいいなって思ってる」
「だけど、夢じゃないだろうな~」
彼はそう言って、足元から自分のタブレットPCを拾い上げると「ま、いいか」と呟いて、それをテーブルの角に思いっきり叩きつけた。
タブレットはカシッという音と共に十数個のおもちゃのブロックになってしまった。予想した事とはいえ、求めた結果が再現されてしまった事に、彼は大きな失望の溜め息を付いた。
「亜理紗、そのブロックに触ってみろよ」
彼は目を丸くしてそれを見ていた彼女に言った。
亜理紗は恐る恐るテーブルの上に転がったブロックに手を伸ばしそれを摘み上げようとしたが、ブロックは彼女の手が触れた瞬間にスッと消えてしまう。
「なに? これ。……視界の隅の方に名前と数字が出たわ」
彼女はびっくりした顔で言った。
「お前にも見えるのか、それじゃ夢じゃないのかもな」
亮介はそう言って腕組みをして何事かを考えていた。
「亮ちゃん、私なんかすごく心配になってきたわ」
亜理紗はソファの上に縮こまって言った。
「お父さんやお母さん大丈夫かしら?」
「ん? ああ、俺の予想が当たってるなら、何か高速で移動してる乗り物とかに乗っていない限り、大丈夫だと思う」
彼は考え込みながら、上の空で答える。
「なによそれ、亮ちゃんはお母さんとか妹のつばきちゃんのこと心配じゃないの?」
彼女は上の空で答える亮介にむっとして食って掛かった。
「おいおい、俺だってそりゃ心配さ、でもお袋は三丁目のスーパーでレジのパート、妹は駅前のファミレスでバイトしてるから、取り合えず危ない事にはなってないと思う。
亜理紗のお父さんやお母さんだって、商店街のお店で二人で働いてるんだろ?」
亮介は彼女の両親が経営する小さなパン屋を思い浮かべてそう言った。
「それに、こんな事態になってるのは、俺達の身の回りの狭い範囲だけかもしれないじゃないか?」
彼女は亮介の言葉に小さく頷いた。
「とにかく、これがどういう事態で、何が起こっているのかを突き止めないと家族を守りたくても守れないと思うんだ」
彼の言葉に彼女は再び頷いた。
「そこでだ、この現象が俺達の周りのごく狭い範囲で起こっているのか、それとももっと広い範囲で起こっているのか確かめなきゃならないし、何が壊せて何が壊せないのかも調べる必要がある」
亮介はそう言って部屋を出て行くと、ダンボールにいろんな物を抱えて戻ってくる。
「これは、俺のお袋が溜めているガラクタさ。ゴミに出せば良いのに、いつもこんなに溜まっちまうんだ」
彼はダンボールをテーブルの横にドサッと降ろすと中から汚れた靴と新しい靴を2足取り出した。
一足は布製のバスケットシューズでだいぶ古びてクタクタになっている。もう一足は靴箱から持ってきた新品のエアロ・シューズだった。
「俺の予想が正しければ……」
亮介はそう言って両方のシューズをテーブルの角に思い切り叩き付けた。すると、布製のバスケットシューズはそのままだったが、新品のエアロ・シューズはおもちゃのブロックになって粉々に砕け散った。
「……思ったとおりだ、天然ゴムと布で作られた靴は壊れないけど、合成ゴムと合成繊維で出来た靴はブロックになっちまう。しかも、ブロックに変わるものは、元より強度がだいぶ落ちてるみたいだ」
亮介はそういって目を輝かした。
「でも、そうだとすると、なんであの女の人はブロックになってしまったのだろう?」
彼はそう言って頭を抱え込んだ。
「何か法則があるはずなんだよなぁ」
「亮介、私やっぱり家に戻る。家族が心配だし……」
亜理紗は立ち上がって言った。
「うん、その方が良いかもな、だけど亜理紗、お前のところでも同じような現象が起きてるとするなら、少なくともこの町全部が『ガジェット・ワールド』とかの影響を受けていると考えられる。だから、お前もこの世界に関する情報を集めといてくれないか?」
亮介は部屋から出て行こうとする亜理紗にそう言った。
「うん、判ったわ。落ち着いたらまた会いにくるわ」
そう言って亜理紗は帰っていった。
亮介は亜理紗が帰った後、テーブルの上に散らばったブロックにちょんちょんと触りながら考えていた。勿論、ブロックはその度に消えていく。
この世界が(彼の仮説によると地球規模で)変わってしまったのは、疑いようが無い。
原因とか変化のメカニズムについては、想像も出来無いが、そこには何らかの意図が潜んでいるはずだった。
彼が睨んだ通り、ある一定の条件以上の物体が、『壊れる物』に変化したのであれば、世界を結ぶ交通網・通信網は壊滅してしまったと考えられる。
それは、日本にとっては深刻な事態だった。
食糧需給率4割を切る日本では、ここ半年で大量の餓死者が出るだろう。いや、食料確保の争いでまず犠牲が出るはずだ。1年後はどうだろう? 大規模農業は機械力が無ければ成り立たない。食料の生産力はほぼゼロになり、更なる食糧危機が訪れるだろう。
亮介は得意のゲーム的な思考で考えてみた。
もし俺がゲームデザイナーだとしたら、生き延びる手段を用意するはずだ。ある法則に縛られた世界には、何か別の救済手段があると考えてもいい。この『ガジェット・ワールド』の創造主が、人間の数を減らしたがっているのは明白だったから、自分は……少なくとも家族は、その減らされる側になってはいけない。
その鍵になるのは、このおかしなブロックだ。
亮介はテーブルの上の古びたバスケットシューズを取り上げた。
「これは本物だ。だが新品のシューズは偽物だった」
亮介はその穴の開いたシューズを繁々と観察した。
「あーあ、これじゃ雨が降ったらすぐに足がグチャグチャだぜ」
その時、視界の隅にカウントされていたブロックの幾つかの数字がカチャカチャと変化して、ボロボロだったはずのバスケットシューズがメッキをかけた様にコーティングされ新品同様になったではないか。
彼はびっくりして靴を取り落としそうになった。
「い、今、俺……何やった?」
彼はそれを持ったまま、風呂場に飛んでいった。そして、水道の蛇口を開いたが案の定水は出ない。彼は風呂桶に溜まった残り湯を手じかの手桶に掬うと左手を靴に差し込んで水を浴びせかけた。
……布製のはずのバスケットシューズは、まったく水にぬれる事はなかった。
「そうか、解ったぞ。壊れなかったバスケットシューズは、『素材』だったんだ。そして、ブロックの何らかの要素を組み込むことで、防水機能を付加された魔術靴のような物に変化したに違いない。
俺がこのぼろ靴に防水機能を求めたから自動的にブロックが消費されたんだ」
亮介はこの発見に有頂天になった。
彼は次に防水性に変化したバスケットシューズに、耐火性も持たせられるかどうかやってみた。
靴をジッと見詰め、火に燃えないようになれと念じてみる。すると視界の中のブロックの数字は変化しそうにプルプル震えたが、頭の中に『レベルが足りません』という声が聞こえ耐火性を持たせる事はできなかった。
「レベルって、俺のレベルのことなのか?」
彼はそこで自分の部屋に取って返すと、もう片方の『素材』状態のバスケットシューズを取り上げ耐火性を持つように念じた。すると、再びあの声が『該当するガジェットが足りません』と彼に告げ、靴が変化することは無かった。
一度変化した靴に更に別の能力を加えようとしたら、レベルが足りないと言われた。それは彼の能力が足りないか『素材』の能力が足りないかのどちらかだ。
次にもう片方の『素材』の靴に耐火性を持たせようとしたら耐火能力を付与する為のブロックが足りなかった。ゲームのシステムとしては、ユニークでシンプルである。
彼は再びそこで考えた。
「このブロックがガジェットなのか。それで、ここが『ガジェット・ワールド』なんだな? もし、ここがゲーム化された世界で、ゲームが始まったばかりなら……」
彼はそう呟くと、慌てて家から飛び出していった。
修正いたしました。PCで読みやすく?なったと思います。