4 真珠 著 初雪 『天空針除去員』
この仕事は、あまり知られていない。
というか、本当にごく一部の人間しか知らない。
天空針除去員。
まあ、清掃業だと思ってもらっていい。
が、これには適性があって、誰もができる仕事ではない。
「きよ、しっかり糸おさえとかないと、針が指に刺さるぞ」
「あ、はい」
電柱にたてかけた梯子をごつい手でおさえながら、村上は聖の手元をイライラと見上げながら、つい口を挟んでしまう。
聖は、電柱から出ている太い釘に絡んでいる糸をほどこうとしているのだが、もたついている。
糸は透明なテグスのようで、先端には「し」の字に曲がった針がついている。
それは、釣り糸と針のようだ。
その糸が、電信柱に絡まっている。
糸の先をたどっていくと、上へ上へと伸びている。
上には何もない。
空だけだ。
そう、糸は空から垂れてきているのだ。
「まだ終わんねえのか?仕事遅せえな」
「ちょ、揺らさないでくださいよ」
焦れば焦るほど、聖の手つきはおぼつかなくなる。
風で糸が引っ張られるせいか、ほどこうにも、どんどん締まっていく。
手際とタイミングが大事である。
青いつなぎを着た2人が電柱で作業していても、通行人はチラと目玉を動かすだけで、まったくの無関心だ。
電気工事か何かだと思っているのだろう。
どんな場所で作業をしていても、誰も意に介さない。
その糸は、普通は見えないものだから。
天からするすると伸びてきた釣り糸は、人にひっかかる。
ひっかかった人は気づかないが、確かに何かが釣り上げられてしまうのだ。
偶然、必然、運、不運、絆、縁、命・・・のような、形ではない、何かだ。
ただ、糸の色や針の雰囲気で、いいモノか、わるいモノかは、わかる。
命を釣るのは、黒い。
不運を釣ってくれるのは、光っている。
という具合だ。
人は多い。
だから、天から伸びてくる釣り糸も、膨大な数になる。
色々なところに引っかかり、絡みついてしまう。
それをほどいて、天に返していく仕事が、この天空針除去員だ。
見える人間にしかできない仕事。
しばらく糸と格闘していた聖の動きが止まった。
「先輩ぃー、やっぱ代わって下さい。指がかじかんで動きません」
情けない声をだして見おろす聖の鼻からは、ちょっと鼻水がでている。
「ばか、コノヤロウ。女のくせに鼻たらしてんじゃねぇ」
ポケットティッシュを顔面に向けて投げた。
「うう、ずびーーー」
村上の尻ポケットで温められたティッシュが心地よく、聖は思いっきり鼻をかんだ。
そのとき、頬にチクリと冷たさを感じた。
聖が空を見上げると、雨よりもゆっくりとしたものが降ってきた。
村上は顔をしかめると、
「初雪か。そういえば天気予報で言ってたな。さっさと終われよ」
「だって、これ無理ですって!こうしてやるっ!」
「あっ、ばか」
村上が止めるよりも先に、聖はカッターナイフで糸を切った。
糸は一瞬、ピンと張ったが、刃が離れた瞬間に強く弾けてしなった。
「きゃ」
切れた糸は天にたぐられて消えたが、先の絡んでいる方の端が、聖の頬をかすった。
とっさに聖は頬をおさえたが、強い腕に梯子から引きずり下ろされた。
「バカ野郎がっ」
いつも聞き慣れた「ばか」のはずなのに、村上の剣幕に聖は身を縮めた。
「見せろっ」
頬の手をはずすと、そこにはスッと爪楊枝ほどの傷ができていた。
「顔か・・・」村上は唇を噛み締めた。
「お前、何考えてんだ?研修で習わなかったか?針を返す瞬間が、一番あぶねえんだ。ましてや、糸切るなんて、とんでもねえ!」
うっすら涙ぐむ聖の頭に、げんこつを食らわせると梯子を揺らしながら登っていった。
「ったく、あぶねえ・・目とか頸動脈じゃなくて・・」
ぼそぼそ言いながら、残った糸をものの数秒でほどいた。
「はやー」
「はや~じゃねえ。お前がのろいんだ」
雪はさっきよりも粒が大きくなり、道路を濡らしはじめた。
白い息を吐きながら、2人は道具を軽トラの荷台に積み終えた。
「明日になったら、積もってるかもしれねえな」
村上は運転席に座ると、エンジンをかけヒーターを最大にした。
「えー、雪の中の作業とか厳しいですね・・あれ?さっきの糸、回収箱に入れないんですか?」
「ん?ああ、どっかいっちまった」
「ええ?」
聖はかじかんだ手をこすり合わせながら、釈然としない様子でぶちぶちと文句を言っている。
「人には、決まりとかルールとかうるさいくせに・・自分だって無くしてるじゃんかー」
ものすごく小声でだったが。
「さーて、なんか温かいもん食いに行くか」
「おおお、いいですね!先輩のおごりで!牛丼!」
食い意地のはった後輩の笑顔に、村上は苦笑しながら、ポケットに入っている糸を指で確認した。
「安全運転で、しゅっぱーつ!」
聖の血で染まった赤い糸は、誰にもやらない。




