1 奄美剣星 著 失敗 『隻眼の兎の憂鬱』/初雪 『恋太郎白書』
● 失敗『隻眼の兎の憂鬱』
気になるんだ、君のことが。例えばさあ、私のことを気遣って、こうして登下校の送り迎えを一緒にしてくれるけれど、まだよく判らないんだなあ。そう、本心ってやつがさ。計り知れないんだ――有栖川ミカは、心でつぶやきながら自転車を、『彼』に合わせて漕いでいた。
南欧風の尖がり帽子のような住宅が立ち並ぶ坂道を下ってゆくと港がある。船が埠頭に停泊していた。とび色の瞳をした、『彼』は、懐かしそうに、それをみやって、「安宅船に似ている」と懐かしそうにいった。
港に停泊しているのは、船体の上に楼閣のような構造物が乗っかった感じの白い豪華客船だった。安宅船というのは戦国末期の大名用軍艦で、大安宅船はこれに大砲を装備したものだ。織田信長の装甲軍艦・鉄甲船が有名だ。
まったく違うものなのに、外傾の類似点を観て、ふと懐かしさを感じたのだろうか。
港と市街地を抜けた後背の山稜に彼女の通う岬高校がある。ミカは皇居に隣接した旧陸軍参謀本部をネット画像でみたことがある。ルネッサンス様式というタイプで、イタリア人建築家が設計したものだ。ところどころに大理石を使った、赤い屋根、白い壁。そこに薔薇の垣根をいくつか設けている。
『彼』が、ミカを送迎してくれるので、魔界王子を自称するストーカー・ダリウスも、つけいってこなくなった。その点は安心できる。しかし、その人が港の横を通るたびにみせる哀しそうな瞳というものに対して、自転車に乗った女子高生は切なく思うのだった。
「おはよう、ミカ」
大理石の校門のところで、級友がくすくす笑った。
(送ってくれるのはありがたいんだけどね、蘭丸君。どうして馬に乗ってるの? そこがちょっと、目立ち過ぎ。ミステイク……)横を振り向いてミカが、顔を赤くして手を挙げた。青年は長い髪をポニーテールのようにして紐で後ろに結んでいた。風がそれを揺らしている。
☆
口髭を生やした背の高い男が、引き返す蘭丸のところにやってきた。
「宣教師がよこしたマント、案外似合っているぞ、蘭丸」
「上様からの、戴きもの。私は果報者にございます」
「あの娘、おまえに恋の眼差しをむけているようだぞ。我らは、かりそめの客だ。いつかはまた有栖川家を去って、どこぞに、ゆかねばならぬ。かなわぬ恋となるだろう」
「判っております」
「今宵、わが伽をするか?」
「上様がお望みとあらば……」
「訊き流せ。運命などというものは、つくるものだ。奪いとるのだ」
「御意」一瞬沈んだ青年の表情が明るくなった。
黒いマントに太刀。蔵には火縄銃がくくりつけられていた。彫の深い顔、皺からみたところ五十に近い。その人もマントを羽織っていた。やはり騎乗している。内大臣・織田信長とその青年従者・森蘭丸は、本能寺の変で、時空警察に保護され、現代に仮住まいさせられている。二騎が小石のようなものを踏みつけたのだが、気付きもせずに海岸に駆けていった。
☆
サイドカー仕様のKATANAが、高校にゆく途中の坂道を駆けてゆく。本体にまたがっているのはサーベルタイガーのエンキドウ。白いヘルメットを被って黒い手袋をしていた。
コクピットに収まっているのは隻眼の兎・ギルガメシュ。隻眼の兎は文字通り眼帯を右目にして、紅のマントを羽織っていた。
「エンキドウ、特異点反応がある。魔界王子ダリウスがこの辺に潜んでいる」
「パトロールを強化せねば……」
時空警察官・ギルガメシュとエンキドウを乗せたサイドカーも、彼らが連れてきた信長の後を追い、海岸方面に駆けていった。その際、なにか小石のようなものをタイヤが踏んだのだが、気づかないでいた。
さて小石のようなものとは……。
言わずと知れた、耳の尖った白いタキシードの青年だ。魔界王子・ダリウスである。
「失敗」涙。
穴を穿って、そこから、愛しの有栖川ミカに襲い掛かり、魔界に奪っていこうと目論んでいたのだが……。
(了)
● 初雪 『恋太郎白書』
――たぶん、あの人はサーフィンをしている。
砂浜には白いものが降りていた。初雪だ。一センチもつもってはいない。
月並みだけれども、なんで、ここにくると叫ぶのだろう。
「莫迦やろおおお!」潤んだ瞳をした高校生がかけてゆく。吐く息が白い。
「莫迦はおまえだ」のっぽの同級生が後を追い、足をかけて転ばす。
「つまづくのも神のご意志だ」のっぽの青年が、波打ち際に逃げ込んで、そこで立ち止まると十字を切った。
「酷い奴だ」
スポーツ用自転車で、国道を走ってきた田村恋太郎と川上愛矢の二人は、砂浜に降りていた。若さは莫迦げたことが平気でできる。何を好き好んで冬の波打ち際で遊ぶのか。雪合戦をするにはあまりにも少ない積雪量だ。二人は、ズボンの裾をまくって、海水をかけあって、じゃれ合いはじめた。疲れると二人は、砂場になぜか置いてあったベンチをみつけ、雪が半ば解けた露を払って、そこに座った。
肩で息をしながら、水平線をぼんやりと、沖合を眺めた。とくに何を話すというわけでもなく、ゆったりと、時間は朝から昼にむかった。淡い黄金色の陽射しは、青が少し混じった白っぽいものになってゆく。砂浜は、淡い雪が解けて、蒸気を吐いているような感じだ。
実際、どれくらいの大きさで、どれくらいの距離があるのかは判らないのだけれども、沖合に貨物船が、ゆったり、わずかに動いているのが望めた。
太平洋に臨んだ小さな町海猫町。同じ名前の海岸が南北に伸びている。長さにすれば二キロくらいだろうか。夏になれば、海水浴客でごったがえで、海の家なんかが建ち並ぶ浜も、十二月となったそこには何もない。しかし、活気がないかといえば、そうでもない。
☆
女子学生というか、新卒のOLというか。だいたいそのあたりだ。長い髪を風に束ねていたその人が、波のむこうに手を振っている。視線の先にあるのは沖にむかい、腹ばいとなって、両手で漕いでゆく男だった。青のウェットスーツを着てガタイがいいのが遠目にも判る。サーファーだ。
男がひと波を超えた。次の波がきた。立ち上がる。波に押されて走る感じだ。ちょっと、サーカスの綱渡りに似ている。器用にバランスをとって、ゆるやかな放物線を描き、浜近くで飛び降りた。
若い女性が、サーファーに駆け寄ってゆく。
ぼんやりと、恋太郎と愛矢がその光景を眺めていた。
頭上を、紅白の色がストライプになった、エンジン付パラグライダーが、通り抜けていった。
☆
シーサイドカフェは渚に面してある。田舎の土地は安い。駐車場に車は二十台以上停めることができるスペースだが、その日は数台停まっているだけだ。ベンツのオープンカーとか、BMWのサイドカーなんかが停まっていた。なんとなく常連という感じがする。
店の前には、椰子の木代わりにシュロが植えてあり、ハワイかアメリカ西海岸のリゾートをイメージさせる。二階建ての建物で、一階は、サーフボードの修理店になっていて、高級車に乗った男たちは、店主と話し込んでいた。
「あれ、さっきのサーファーの人じゃないか」恋太郎が愛矢にいった。
「意外と老けてるな」
カフェは外付けの階段を昇った二階にある。赤と青のネオンがあるのだが、昼なので、光はない。テーブルは五つばかりある。カウンターがあって、棚には洋酒が並んでいた。夜にはバアになる。店内を流れる音楽はロックだが、心地よい程度のボリュウムになっている。
ジーンズにエプロンをつけた若いマダムがでてきた。ほどよく痩せている。なんと、さっき、波打ち際でサーファーに手を振っていた女性だったのだ。
「海がよくみえるでしょ。あそこが一番素敵な席。どうぞお坐りください」
店の西側がカウンターと厨房、東側が客席。大きな窓があった。梁の上には横にしたサーフィンが飾ってある。
「おいおい、ご注文は? だってよ、恋太郎」
「……」 夢見るようなまなざしを、ジーンズのその人にむけている。
若いマダムは首を傾げた。
「持病なようなものです。お構いなく。ナポリタンを二つ下さい」 愛矢が取り繕った。
しばらくすると、大皿に盛ったスパゲッティ―がでてきた。
「マダムさんはサーフィンをなさるのですね」マダムに対する恋太郎の第一声だ。
「ええ、しますよ」
「貴男たちも?」
「しません。けど、みるのは好きです」
「私の主人はサーフィンのプロなんですよ」彼女は誇らしげにいった。
厨房からでてきたマスターは、サーフィン修理店のオーナーだった。大柄だが頭髪が真っ白で、二十以上は年齢が離れているのは明らかだ。午前中みかけたサーファーだ。
店をでてから、愛矢が、恋太郎に訊いた。
「マダムがサーフィンをしていること、なんで判ったんだ?」
「全体からみて若い。しかし日焼けしていて皺があった」
「色惚けしているとおもったら、そんなところをチェックしていたのか……」
「素敵だった」
「……」
牧師の息子であるのっぽな高校生は、悪友のために、十字を切った。
二台の自転車は、湘南を模したようなシュロの木を街路樹にした海岸通りをまた走りだした。雪はすっかり蒸発して、そういう季節であることを悟らせないような、小春日和の昼下がりになっていた。
(了)
ここの頁の二作めに収めましたのは自作小説倶楽部用、新装開店の『恋太郎白書』です。独立させたものよりも、明るく元気にしたいと思います。




