3 まゆ 著 夢 『朝霧の王子様』
ブナの木立が朝霧にけむる。
ここは、たぶん、どこかの高原のブナ林の中。
わたしの前に立つ男性の後ろ姿。
白いカッターシャツは、わたしが通う高校の制服だ。
誰?
高橋先輩?井上くん?加藤?
誰だか解らないけど……
す、好きだと言う感情がわき上がってくる。
だ、だめだっ、押さえきれない!
「あなたが、好きです!」
大声で叫ぶ。
彼が振り向く。
その顔は……。
しかし、あまりに大きな声だったので、目が覚めてしまった。 夢から覚めたわたしは、枕の上で見慣れた自分の部屋の天井を見ながらつぶやいた。
「や、やばい……加藤じゃん……」
加藤ってのは、同じクラスの男子なんだけど、ハッキリ言って何の取り柄もないクソガキである。
成績も中の下くらいだし、背も高いわけじゃないし、運動もまあまあ、勝ったり負けたりだし……
取り柄と言えば、そんなことにも負けず、明るく元気なところかな。
もしかして、そんなところに、わたしは惚れてしまっているのだろうか。
どうせなら、バスケ部のキャプテンの高橋先輩か、委員長の井上くんの方が良いと思うし……
自分で言うのもなんだけど釣り合っているんじゃないかなって思ってみたりする。
そうだ、ただの夢なんだし、気にしないのが一番ね。
そう思い直して、朝の支度に取りかかった。
朝の学校は、騒々しい。
聞き慣れた単語の数々が教室から聞こえてくる。
扉を開けると、加藤と目があった。
「よお、宮川、おはよっと」
細い目をより細くして、ニキビ面を歪め、口元から覗く黄色い歯に虫歯が一本、相変わらず和ませる顔だ。
で、でも、この胸のドキドキは何?
顔が熱くなってくるのが解る。
いつもなら、「おはよっ、相変わらず元気いっなっ」とか言えるのに、口が動かないよ。
もしかして、わたし、赤面してるの。
そんな、恥ずかしすぎると思うと、ますます、顔が火照ってくる。
完全に、顔が真っ赤だよね。
加藤と面と向かって赤面しているなんて、耐えられないくらい恥ずかしい。
わたしは、回れ右をして、女子トイレに駆け込んだ。
後ろから、わたしを追ってくる足音が聞こえた。
「どうしたの、由里。加藤に何かされたの?」
親友の茜が、背中から声をかけてきた。
「ううん、ありがとう。今日のわたし、変みたい」
わたしは、振り返り首を振る。
「あいつ、がさつなんだよね」
「違うの。加藤は関係ないの……」
「どうせ、口にはできないことでも言われたんでしょ」
……加藤……そんなこと言ってんの……いつも。
「あいつ、由里に気があるのかもよ。いつも、由里の方見ているもの」
「えっ、ほんとっ!どうしよう」
「解るわ……きもいよね」
「ち、ちがうの……」
こ、この胸の鼓動は……
「わ、わたし……こ、恋をしちゃったのかもしれないっ」
目を見開き、口も半開きの茜の顔が時が止まったように、わたしを見つめていた。
「えっ、まさか……こ、恋って、加藤に……」
声が出ないよ。
うなずくのもやっとで、へんに小刻みにうなずいているのが解る。
「どうしよう……」
「どうしようと言われてもねぇ。まあ、タデ食う虫も好きずきと言うから……」
茜は天井の方を向き、わたしの方へ向き返った。
「わかった、加藤のヤツも由里なら文句を言うまい!わたしも応援するよ」
と、わたしの肩に手を置いて自分で自分を納得させるように何度も勝手にうなずいて見せた。
「あ、ありがとうっ」
わたしは、半泣きになりながら、茜の手を握った。
この涙は友情の涙なの?加藤に恋が出来てうれしいの?いやなのかしら?そんなことはないな、うれしいんだな。
恋をしてしまったら、やたらに相性とか気になるのだ。
授業中や休み時間に、友達から占いの本を借りまくった。
わたしはB型、加藤はAか……カップルだとお互いが刺激になりまあまあの相性ね。
わたしは山羊座、加藤は牡牛座……あまりよくないかな……友達としては刺激があって良いみたい。
なんか、当たっているような気がする。
そうだ、夢を見て自分の気持ちに気がついたんだったな。
夢占いの本を見てみよう。
わたしは、放課後になるとすぐに、図書館で夢の本を探してみた。
さすがに占い本は無く、夢分析の本を借りた。
茜と屋上で落ち合って作戦会議をする約束だったので、本を抱えたまま屋上へ向かった。
日は傾き、遠くの山は赤っぽい光に照らされている。
まだ、茜は来ていないようだ。
屋上のネットに寄りかかり本を開く。
「夢の中の男性……告白……」
活字を目で追っていると、明るく響く茜の声が聞こえた。
「由里~っ、加藤連れて来たぜ!作戦とかめんどくさいから、一気に告白タイムってことで!安心しろっ、由里!加藤も由里のこと好きだってよ。加藤から告白させるから!」
茜は加藤の背中を押しながら、屋上の入り口からやってきた。
加藤はどぎまぎしながら、落ち着きがなくキョロキョロしている。
「あ、ど、どもっ」
ぎこちなく、片手を後ろ頭に当てて、加藤は深々と他人行儀のお辞儀をしてみせる。
こんなに緊張している加藤を初めて見た。
加藤は、頭を上げると、キリッとした面持ちでわたしの目を見据えた。
「み、宮川さん!す、す、好きです!お、俺とつきあってくださいっ」
そう言うと、また腰を九十度に曲げ頭を下げた。「あ、あのっ、加藤君……。ご、ごめんなさい!この話は無かったことに……」
周りの空気が凍り付くのが解った。
お祭り気分の茜の笑顔が凍り付き、ぎこちなく震えていた。
加藤の背中も、真冬に冷水を浴びたように小刻みに震えている。
「あ、あの……つ、つまり……わたしは……加藤を好きなんじゃないみたい」
茜が、慌て顔で叫んだ。
「由里~っ、どういう事!加藤が好きだって言ったじゃん」
「言ったっけ?言ったかも……そうかなと思ったこともあったし……」
加藤がようやく顔を上げて、ポカンと惚けたような目でわたしを見た。
「いや、加藤が嫌いだなんて言っていないよ。あのさ、気が許せる身近な男の子ってことでさ、つまり、心理学的に言うと、代用品というか、練習台と言うか……」
夕方のひんやりとした風が、私たち三人の間を吹き抜けていった。
わたしが借りた夢分析の本によると、本当に好きな人が夢に出てきても大胆なことは出来ないのだそうだ。その代わり、身近な気が許せる異性を代用にして願望を達成するということだ。つまり、わたしが好きなのは、加藤以外の誰かだと言うことだ。《おわり》