3 まゆ 著 冬支度 『八月の雪予報』 /ストーブ 『オフシーズン』
●冬支度 『八月の雪予報』
セミの鳴かない八月の空は、サングラス越しに見てもやっぱり青かった。
わたしは、神社に二本立っているケヤキの木陰に駆け込んで、UVカットウインドブレーカーを脱いだ。
三十度を超えた気温にシャツまで汗でびしょ濡れだ。
サングラスを外し、和男の顔を見上げると、虫歯がある歯をのぞかせて、細い目を細めて笑っていた。
「梨乃~っ、来てくれてうれしいよ」
「外を歩けるのも今日で最後だからね」
「でも、残念だな。この日がもう少し後だったら、家を買って梨乃と同じシェルターで冬眠できたかもしれないのに」
わたしは、十五歳。和男は十七歳。
結婚するには一つずつ年が足らない。
和男が言ったのはそういう意味だ。
予想を遙かに上回る速度で拡大したオゾンホールから地球上に降り注ぐ紫外線によって地上の生物は、急速に数を減らしていた。
わたしたちが立っているケヤキの木の葉も秋のように茶色くなり始めていた。
世界同時テロによって臨界点事故を起こした原子力発電所が三カ所。
そこからの放射性物質も世界中に拡散している。
放射性物質が大量に含まれた雨雲が日本に近づいてきて、もうすぐ銀色の雪を降らせると報道されていた。
政府は、混乱を抑えるために、冬眠政策を打ち出した。
家族ごとに自宅の地下にシェルターを建設させ、そこで地上に住めるようになるまで、国民を冬眠させるというのだ。
結婚すれば籍が入るので一つのシェルターに入ることができる。
予報では、外で活動できるのは今日まで。
夕方には、放射能の雲がここにも広がるとテレビの公営放送が行っていたのを思い出した。
和男は、そう言うけど、この日が一年後でも、わたしたちが結婚して、シェルターを手に入れる保証などない。
そして、いっしょに生活をはじめてもうまくいくとは限らない。
和男の話は非現実的だ。
そう思っても、わたしは口には出さず、ただうなずいた。
「それでさ、俺、考えたんだけど、これ、受け取ってくれよ」
差し出されたものを見て、わたしは目が点になった。
和男が手に持っているのは、スコップだ。
「これって、穴を掘るスコップだよね」
「そうだ。冬眠が何年になるかわからないけど、冷凍睡眠を併用しても、起きている時間は結構暇だと思うんだ。
それで、これで穴を掘る。シェルターの床をはがして、穴を掘るんだ。
俺は、梨乃の家に向かって掘り進めるから、梨乃は俺の家に向かって掘り進めてくれ。
二人が地下で出会う頃には、結婚適齢期になっているだろ。
そしたら、結婚して家庭を持とうよ」
「えっ、わたしたち、つきあっているけど……結婚なんて……」
「あのな。シェルターの中じゃ、他のやつに会えるわけ無いだろ。
今、つきあっている者同士、結婚しないと人類は滅びるだろ」
飛躍しすぎだと思った。
だいたい、掘って出た大量の土砂を捨てるところさえ無いのだ。
無駄な空間のない狭いシェルターのどこに置いておく気なのだろう。
途中で、地下水が噴き出したり、地震でトンネルが崩れたら一環の終わりだ。
暑さのせいか、考えるのもめんどうだったので、わたしはうなずいた。
「よかった~っ、拒否されたらどうしようかと思った」
今の、もしかして、プロポーズだったのかな。
「でも……」
「あ、心配しなくて良いから。
梨乃は、女だからあまり掘れないよな。
俺が、梨乃の三倍掘るから心配するな!」
和男は、シャツの袖をまくり上げ、細い腕に力こぶをつくってみせる。
「わかったわ。少しずつでもいいから掘ってみるね」
わたしは苦笑い。
そのとき、お腹の虫が鳴いたような遠雷が聞こえた。
「あ、雷の音……」
和男が遠い空を指さした。
「あれ、予報より早く空模様が変わるかもしれないな」
遠くの空には、金属光沢を帯びた黒い雲でできた線が見え、時折、稲妻のような光を発している。
「やべえっ、急いで帰らないと。梨乃、会えてうれしかった。送っていけなくてごめん。気をつけて帰れよ」
わたしはうなずいて、和男を見ると、和男の姿がちょっと涙でゆがんだ。
サングラスをかけて、汗でぬれたウインドブレーカーを羽織る。
風が吹いてきて、大きなケヤキの木がざわめき、枯れ葉をまき散らし始めた。
「さよなら」
スコップを両手で握りしめ、わたしは走り出した。
銀色の雪がちらついてきたころに、家の玄関の扉が見えた。
前には、兄と父が立っていて、手招きながら叫んでいる。
「梨乃!どこに行ってたんだ。早く家に入れ!」
「ごめんなさい」
わたしは、玄関に駆け込んだ。
父が、床を開けるとシェルターへのはしごがある。
「このシェルターはすごいぞ。
何百年も無補給で生活できるように、エネルギーや水の完全循環システムが整備されているんだ。
冷凍睡眠システムと併用すると、外で百年たっても、中のわたしたちは、ほんの数年しか経っていないという寸法だ。
ほんの数年、中で冬眠生活をするだけだ。
その後は、地球の自然浄化で、地上で生活できるようになるさ。
何の心配もいらないよ」
父は、わたしを安心させようと、まくし立てるように説明してくれた。
それは、学校でさんざん聞かされた知識だった。
冷凍睡眠に使うエネルギーは、小型核融合電池で半永久的にまかなえるはずだった。
わたしは、うなずき、はしごを下りた。
地下の部屋は狭いけど、カプセルのようなベットルームに、宇宙船の中のようなダイニングキッチン、トイレの個室程度のシャワールームなど、コンパクトに収まっている。
冷凍睡眠装置も、棺桶を収納する火葬場みたいに人体を収納する機能的なものだった。
やっぱり、穴を掘った土砂を置いておくスペースはない。
わたしは、自分のベッドのカプセルに潜り込んで、スコップに写るゆがんだ自分の顔にキスをした。
百年?二百年?この中で暮らすの?
確かに体感では数年……。
外に出れば、放射線と紫外線で生きてはいられないだろう。
でも、ほんとうにそんな長い時間、この中で暮らせるの?
もし、何かが故障をしたらどうなるの?
想定外の自体が起きたら、誰が助けに来てくれるの?
でも、わたしにはうなずくことしかできない。
こうして、眠りにつく、多くの家族の中で、次に外へ出られる家族は、何組くらいいるのかな?
漠然とした不安を抱えながら、眠りに落ちていった。
《おわり》
●ストーブ 『オフシーズン』
紅葉の波が山肌を駆け下り、冬木立が山を飾る頃、静閑さを取り戻したペンションに、毎年訪れる人がいる。
その人の名は田中啓治さん。
迎えに行った父が運転するワンボックスカーのサイドドアが開くと、ノッポの啓次さんが下りてきた。
羽織ったウインドブレーカーには、NAの球団イニシャルが映え、手にしたスポーツバックから、野球のバットのグリップがのぞく。
啓次さんは、プロ野球の選手なのだ。
プロ野球と言っても、地方の独立リーグ。
新潟県、長野県、富山県、石川県、福井県、群馬県の六県にそれぞれ設立された球団がリーグ戦を戦っている。
わたしが手を振って「いらっしゃい」というと、啓次さんも手を振った。
「美樹ちゃん、キレイになったな。何年生になった?」
「高二です。啓次さんは三十二歳ですね」
「覚えていてくれたのか。感激だな」
啓次さんは細い目をさらに細めて言った。
お客がほとんどいない時期に毎年訪れるのだから、自然と親しくなる。
はじめて、啓次さんに会ったのは、わたしが小学生になったくらいのころだ。
そのときは、大勢の仲間といっしょに来て、シーズンの疲れを癒すとか言ってお酒を飲んだと思うと、素振りやランニングなどでトレーニングをしていた。
大きな男の人がたくさん来て、わたしは首が痛くなるくらい上を見上げていなければならなかったくらいだ。
年々、訪れる人数が減っていって、今年は一人でやってきたんだ。
「今年は一人なんですか?」
「あとから、もう一人来る。それより、それ」
わたしが手にしたマサカリを指さした。
「薪割りをしていたのです」
「おいおい、女子高生がすることじゃないだろう」
「以外と力がいらないのですよ。上に持ち上げればあとは、マサカリの重さで薪が割れます」
「ちょっと、貸してみて」
啓次さんは、マサカリを受け取ると丸太を台座にたてた。
マサカリで一閃すると、丸太は二つに割れる。
「上手!」
わたしは手を叩いた。
「はじめて、ここに来たときに、君の親父さんに習ったんだ」
啓次さんは、白い歯を見せて笑った。
適当な太さに割られた薪を部屋に運び込んで薪ストーブに詰め、火をつける。
日の光がオレンジ色に変わり始めると、急速に気温が下がり冷え込んでくるのだ。
このペンションでは、ロビーのような広間があり、その真ん中に薪ストーブが置いてある。
その周りに椅子があり、お客が談笑できるようになっているのだ。
啓次さんに椅子を勧め、お茶を入れる。
「気が利くようになったね。良いお嫁さんになれるよ」
「当たり前のことですよ。お客様をおもてなししているだけです」
ストーブをつけるにはまだ気温が高かったのか、ほおがほてってきた。
わたしは小走りでキッチンへ向かう。
そこでは、父が山鳥を捌いていた。
「お父さん、他の人は、まだこないの?」
「夕食までには来ると言っていた。それまで、お前、相手をしてやってくれ」
わたしは、ロビーに戻った。
啓次さんは大きくて厚い手の平をストーブにかざしていた。
筋肉の上に静脈が浮き出ている浅黒い手だった。
わたしは、椅子に腰掛けてストーブの火加減を確かめながら、チラリと啓次さんを見た。
また、顔がほてってくる。
「美樹ちゃん」
「は、はい」
「ほんとにキレイになったよ。高二だっけ。もうそんなになったんだな」
そんなに褒められると恥ずかしくて、顔の温度が上がるじゃない。
わたしは、話をそらす。
「他の人、来ないですね」
「ああ、とうとう同期は俺一人になっちゃってね」
あれ、もう一人来るって行っていたのにと思った。
「プロ野球の選手って儲かるんでしょ」
「あははは、プロ野球って言っても、独立リーグは儲からないよ。月給十五万円で、それも試合がある
七ヶ月しかもらえない」
「ええっ! 年収一○五万円!そんなに……」
少ないの! って言いそうになって口をつぐんだ。
「計算が速いね。そのとおりだよ。シーズンオフはアルバイトだ」
「そうですか……たいへんなんですね」
「好きでやっていることだから、たいへんだとは感じないよ」
啓次さんは白い歯を見せて笑った。
「それで、骨休めとトレーニングをかねて毎年、おじゃましていたんだ。シーズンオフは安いからね」
「そんな。じゃまじゃないですよ。お得意様です。人数が減っていくのは寂しいけど」
「そう言ってもらえると、うれしいよ」
啓次さんは、腕まくりをすると、脇に置いてあったスポーツバックから、バットを引き抜き、両手で
握った。
腕の筋肉が浮き出て、グリップが絞られていくのがわかる。
これが、プロ野球の選手なんだ。
バットが体の一部のように見える。
と思った瞬間、力が抜かれ、バットは手のひらを滑るように落下し、グリップが床に届いた。
啓次さんは、バットのヘッドを支えるように持っている。
「そこのナタを貸してくれないか」
大きすぎる薪を割るためにおいてあるナタを渡した。
啓次さんは、ナタを振り上げる、バットのヘッドに振り下ろした。
ヘッドは二つに割れて、枝がついていない方が床に乾いた音を立てて転がった。
啓次さんは、さらにグリップと半分になったヘッドを割裂き、グリップも二つに割った。
「もう、野球をやめるんだ。俺も引退だよ」
そう言うと、バットの破片を、ストーブに押し込んだ。
わたしは、驚いて声もでない。
「ごめん。驚かしてしまったね。もう、俺も年なんでね」
そのとき、外から車のエンジン音が聞こえてきた。
「あ、来たな」
啓次さんが立ち上がって、玄関へ歩いて行く。
玄関のドアを開けると、女の人が立っていた。
冷たい風が吹き飛び、ほてった頬を冷やしていく。
「いらっしゃい」
キッチンから父が、エプロンで手を拭きながら出てきた。
「紹介します。今度、俺と結婚することになった遠藤香奈子さんです」
女の人は、頭を下げる。
「それは、おめでたいな」
「野球をやめて、普通の会社に入ります。球団が世話をしてくれた会社です」
なぜか、視界がゆがんで見える。
わたし、涙を流しているんだ。
バットを折るのを見て驚いたから?
ちょっと、啓次さんにどきどきしちゃったから?
もう会えなくなるから?
なんだか複雑でわからないけど、
「おめでとうございます。お幸せに」
わたしは涙をぬぐいながら言った。
「こんなによろこんでもらえて感激だな」
啓次さんは彼女の肩を抱き寄せながら照れ笑いをしている。
「ちょうど、山鳥が焼き上がったところだ」
父はキッチンへ戻っていった。
「来年もいらしてください。お二人で」
啓次さんと彼女は顔を見合わせる。
啓次さんは向き直ると、指を三つ立てた。
「三人になるかもしれない」
笑い声が起こる。
焼き上がった山鳥をもった父が入って来る。
香ばしい香りが広がる。
ストーブの淡いぬくもりが祝福するように部屋を包んでいた。
《おわり》




