5 まゆ 著 秋 『秋のデフォルメ』」 / 夜 『夜の草原のリリス』
【その1】
秋のデフォルメ
わたしが住んでいる小さな町には、裏山に神社がある。
大きな灌木に囲まれて、近くに住んでいる人にしか知らないような小さな神社だ。
その神社まで登る狭い石段が百十二段ある。
その階段のおかげで普段から人気がない。
秋になると、そんな静かな場所に足が向くのは、子供の頃から慣れ親しんだ遊び場だからだろう。
夏にはヤブ蚊が出るので、こんなTシャツとトレパン姿でいたら虫さされだらけになってしまう。
その神社の小さな社と小さな鳥居の間に小さな広場があった。
その敷石の上で、わたしは手足を伸ばし踊っていた。
少し踊っては、社の階段に開いてあるノートにメモを取る。
「何やってるの?」
突然の男の声に驚き振り向くと、高校のクラスメートの坂巻郁夫が立っていた。
「見れば分かるでしょ」
「分からないから聞いたんだよ」
わたしは、イヤホンをはずす。
「創作ダンスの振り付けを考えているの」
「創作ダンス?」
「十一月に発表会があるでしょ。男子は関係ないかもしれないけど」
うちの高校のおかしな仕来りの一つに、クラス別の創作ダンス発表会がある。女子は全員参加が原則だ。
「そんなのみんなで考えればいいじゃん」
「そうはいかないの。はじめに原案がないと話にならないでしょ」
「それで宮川さんが、考えているの?」
「そう、わたしバレエやってるから、みんなにやれっていわれてさ」
「それにしても、こんな人気のないところで一人でね」
「他のクラスに見られたくないの」
「宮川さん、野心家だね」
「まねされるのがいやなの」
坂巻君は、そう言うと背中に担いでいた物を降ろし組み立て始めた。
「何してるの?」と今度はわたしが聞く番だ。
「見れば分かるだろ」
「分からないから聞いているの」
「イーゼルを組み立てている。絵を描くんだ」
「えっ……え、絵ね。絵ってこの神社……」
「なに?可笑しい?」
「小学校の写生会みたいね」
「大きなお世話。そこで踊っていて良いから」
「見られると恥ずかしいな」
「別に見ねえよ。気にすんな」
せっかく、一人で集中していたのに……まあ、いいわ。
気を取り直して、リュックからチョコを取り出して一口食べる。
イヤホンをつけてCDを回す。
坂巻君は、クラスでもおとなしい部類だから、一人で絵を描いている分には人畜無害なようだ。
わたしは振り付けを考えながら、メモを取る。
シロート集団だから、あまり難しい動きは出来ない。
単純な降りを組み合わせて行く。
お腹がすくとリックから、チョコやポテチを取り出して食べる。
「しっかし、よく食べるね」
わざわざ、大声で言うことか?わたしはイヤホンをはずす。
「身体を動かした分食べないとね。食べたいの?」
「いや、俺のはあるから」
坂巻君は、バックからパンが入ったビニル袋をのぞかせる。
「気が散るから、くだらないことで話しかけないで」
「そうだ、宮川さん。モデルになってくれないかな?」
「いやだ。動かないでいるの苦手なの」
坂巻君は苦笑しながら、「踊っていて良いからさ」と言った。
「宮川さんを描いてみたいんだ」
「良いけど……神社を描きに来たんじゃないの?」
「そうだけど、せっかくだから」
わたしは、彼の絵をのぞく。
確かにそこには、目の前の神社の社が描かれてあった。
「これ、変だよ。榊や杉の木って紅葉しないじゃん」
社の裏は高い杉の林で、周りは常緑広葉樹の榊が植えられている。
それなのに絵の中の社は、水彩絵の具のにじんだオレンジ色や赤や黄色の林に囲まれていた。
「紅葉しているよ」
坂巻君は、筆の柄で小さな楓の木を指した。
「絵と言うのは、こういうデフォルメが大切なのさ」
「そういうものなのね」
「そういうものなのです」
「どうせ描くなら上手に描いてよね」
わたしは、ダンスの創作に戻る。
秋の日差しは傾くのが早く、灌木に囲まれた境内に日が差さなくなってきた。
坂巻君は、まだ絵を描き続けているようだ。
わたしは、タオルで汗をぬぐうと、最後のポテチをかじりながら、坂巻君に言った。
「わたし、もう帰るよ」
「ああ、僕もそろそろ帰るよ」
「その前に絵を見せて」
そこには、紅い紅葉に囲まれた神社の境内で踊っているわたしがいた。
実際と違って赤い服を着ているけど、これがデフォルメって言うのね。
「上手だね。動いている人も描けるなんてすごい」
「まあね。秋の文化祭にこの絵を出していいかな」
「いいけど……モデルがわたしだって誰にもいわないでね」
「わかった、約束するよ」
そして、文化祭で、その絵は評判になった。
燃え立つような紅葉の神社で踊る一人の少女……
わたしも見に行ったけど、水彩画から洋画に描き直されたその絵は、立派な額に納められていた。
前には人だかりが出来ていて、男子どもが、「この子にはモデルがいるらしい」「こんな美少女はどこにいるんだ」などと話している。
うふふ……ここにいるんだよ……。
「なに?ニヤニヤして?良いことあったの」
友達の亜実に言われ、急に真顔になるから、顔が引きった。
その絵は、文化祭が終わってから、階段の踊り場にかけられていた。
その絵の中の少女のモデルは誰か、少しの間、話題になったみたいだけど、ダンスの発表会が終わって、踊り場の絵の前にたたずむわたしを見ても、誰一人として、わたしだと気づいてくれないの。
そっくりだと思うのだけどな。
《おわり》
☆
【その2】
『夜の草原のリリス』
ここは、わたしの夢の中。
わたしは、夢の中で、悩みを抱えている人を待つ夢待ち人。
十六夜の月に照らされる草原で、シロツメグサを摘みながら、迷い込む人を待っている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
初老の男が、わたしの前に立った。
高級そうなスーツを身につけていても目は死んだ魚のようだ。
「おじ様は、誰?」
「おじさんは、総理大臣だよ」
「そう、総理大臣って何をする人なの」
「……それがわからないんだ……」
「総理大臣なのに、総理大臣がすることがわからないの?」
「そうだ。どうすればいいのかわからない」
「総理大臣って、この国で一番偉い人じゃない?」
「そうだ。一番偉い人だよ」
「だったら、この国が良くなるようなことを考えたらいいじゃない」
「そんなことをしている暇はないよ。毎日、言い訳を考えてばかりだから」
「言い訳?」
「ああ、自分が失敗したわけじゃないのに、この国にはたくさんの失敗がある。その言い訳だ」
「そうなんだ……言い訳をするために総理大臣になったの?」
「まさか、そんなことはないよ」
男は、寂しそうに目を伏せて、口元だけで笑い顔を作っていた。
「出来たわ。おじ様」
わたしは男の前に編んだばかりのシロツメグサの冠を差し出した。
「おじ様が、わたしの夢の中に迷い込んだのは、これがほしかったからじゃないかな」
「こ、これは……」
男は、冠を受け取り、頭に載せた。 一陣の風が草原を吹き抜け、男は幼い少年の姿になっていた。
裸になった少年が身につけているものは、シロツメグサの冠だけだった。
「それは王様の冠よ」
と、少年に言った。
「ボクは偉くなりたい!この国で一番!それがボクの夢だ」
と少年は、月に向かってこぶしを突き上げた。
そして、わたしの顔を見て、
「なれるかな?」
と、はにかんだ笑顔。
「なれるよ。この国で一番偉い人に……」
わたしは、半分だけ上げた手を振った。
「そっか!やった!絶対に偉くなるぞ!」
少年は、胸をはっ叫んだ。 一陣の風が草原を吹き抜け、シロツメグサの冠は千切れ飛ぶ。
少年は、元の初老の男の姿にもどっていた。
男は、草原に立ち、月を見上げて涙を流している。
「あなたは、子供のころに誓った夢を自らの手で叶えることができた……」
「なぜ、夢が叶ったのに、こんなにむなしいんだ……」
「それは……偉くなるだけで、幸せにはなれないからよ……」
わたしは、十六夜の月を指さした。
「ほら、見て……。ギロチンみたいな月でしょう」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「里莉!里莉!」
ママの声だ。やばい、起きないと!夢の時間はおしまい。
「学校に遅れるわよ!早く起きなさい!」
わたしはベッドから飛び起きるとパジャマのまま、キッチンに向かった。
パパとお兄ちゃんはトーストをくわえながら、テレビでニュースを見ている。
「また、総理大臣が辞任だって」とパパ。
「この総理、結局、何も出来なかったな……」とお兄ちゃん。
「ほら、里莉、早く歯を磨いてご飯食べなさい」とママ。
わたしは、歯を磨きながら、テレビの画面を見た。
あ、この人、夢に迷い込んできた人だ。
「誰がなっても同じだなぁ」とパパ。
「なぜ、ころころ、総理大臣が変わるのかな」とお兄ちゃん。
「偉くなりたい人がたくさんいるから、順番でなっているんじゃない?」
とわたしが口を挟む。
お兄ちゃんが、コーヒーを吹き出して、
「里莉にそう言われちゃこの国もおしまいだ」
と咽せかえった。
《おわり》




