1 奄美 剣星 著 秋&夜 『秋の夜は』 /『伊勢物語』第九十四段より
男はよく泣いた。月が出ても泣き、日が昇っても泣いた。かつまた笑った。鈴虫が鳴いても笑い、琴を弾じても笑った。友情にも厚かった。落ちぶれた友人が、妻を養うことすらかなわなくなり、仕方なく妻が親族のいる寺を頼って剃髪し、尼となって都落ちするときに贈る品が買えずに嘆いていると、さりげなく、袈裟を家人に届けさせたりもした。女人ばかりではなく、親友や家臣、そこここで出会った人々、ともかく、人を愛さずにはいられないのだ。それが色好みで評判の在五中将・在原業平という男だった。
平安の昔日の風習では、貴紳の習俗は通い婚だった。
よい男というのは、一所に落ち着かないものらしい。京洛に住まう妻たちが複数いた。その一人に女流画家もいた。男が女流画家のところに脚を運ばなくなって、関係が自然消滅し、それぞれ新たな伴侶を得た。だが、二人の間には子供がいた。そのため、頻繁にというほどではないのだが、日を決めて、手紙のやり取りくらいはしていたのだ。
さり気なく添えられた挿絵は、画家の教養の片鱗をのぞかせ風流である。そんな女流画家からの手紙がこなくなった。新しい夫が寝殿にきているから、返書を書くのを差し控えたいというのだ。
男は、猟色的な性分の自分がまいた種だということを知っている。いまさら嫉妬してどうする、と自嘲もしてみるのだが、ついに堪えられずに、和歌にして、心中を相手に伝えた。少し嫌味が入っている。
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秋の夜は春日わするるものなれやかすみにきりや千重まさるらむ
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秋の夜はおだやかに心満たされ、過ぎ去った春の日のものうい記憶などどうでもよくなり、春霞なぞ秋の霧は千倍にまさるのでしょうね――という意味だ。
女流画家はこんなふうに返書を送った。
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千々《ちち》の秋ひとつの春にむかはめや紅葉も花もともにこそ散れ
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千の秋を合わせても、一つの春にはかなうものではありません。されど、紅葉も花もいつかは散ってしまう――悲しげな内容。今の夫よりも、貴男のほうがずっと素敵でした。けれども、男は皆同じ。いつかは私を捨ててどこかに行ってしまう。そんな意味だ。
なじりあい、泥臭い言葉をかけあって、元の伴侶を貶めるのではなく、相手を立てつつも、遊戯をするかのように言葉を投げ合っているのだ。今風にいうならば、夏の終わりに花火をみた帰りに、男女が美しさの記憶を重ね合うようなもの。洒落た大人の対話である。




