9.
自分の背丈ほどの穴から勢いをつけて跳ね出たところの攻撃で、避ける暇もかわす暇もなく、脳天に一発喰らってしまった。だがこのくらいの衝撃なら、道場の稽古で打たれ慣れている。
ほぼ同時、条件反射で、攻撃された方向へ蹴りをくりだした。
予想以上の手ごたえだ。靴底がくにゃりと腹に入り、ぐえっと声がして、腹を抱えた男が、野茨の茂みの上に転がり甲高い悲鳴をあげた。
男が6人、と脳が認識するより早く、体が動く。図体のでかい、見た目はいかつい男ばかりだが、想像以上に弱い。攻撃は簡単に当たるし、一撃ですぐにうずくまって、倒れこんでしまう。弱すぎてぎゃくに不安になるくらいだ。
「なんかぁとりこんでるぅ? 手伝おうかぁ?」
穴の下で、結香が叫んだ。
「いえ。っつっか、手ごたえなさすぎで。直ぐに終わります。
なんなんでしょうこいつら」
「さあねぇ、心当たりはお互いありすぎるからぁ、あとで尋問するのでぇ、とりあえず賢そうなのぉ、いっぴき捕まえといてねぇ」
「捕まえとくもなにも」
一撃、二撃、攻撃しただけでうずくまって痛い痛いと喚いている。逃げる気力すらなさそうだ。
ほんのひと息、準備運動にすらならないあっけなさで、男たち全員は倒れてしまった。
年のころは20代から50代。派手なアロハシャツに、サングラス、図体はでかくて人相は悪い男たちだが、眼には涙を浮かべて地面に転がり、ひいひいと泣いている。
男のひとりを、吉鷹は強く蹴っ飛ばした。ごろりと回って野茨の上に転がり落ち、悲鳴をあげて飛び上がり、服にひっかき傷をつけてよれよれになって這いあがってくる。
「お前ら、なんなんだ。目的はオレか」
「嘘やぁ、詐欺やぁ、頭でっかちの優男のキャリアやさかい、ちょっと脅せばひいひい泣いて言う事を聞くんちゃうんか」
「そんな間抜け言うの、誰かしら――おやぁ?」
遅れて穴から這い出てきた結香が男たちを見て、小首をかしげた。
うわあっと男たちが悲鳴を上げて、飛び上がった。男たちよりはるかに小柄で、華奢で、ならんでいれば少女のようにすらみえる結香に向かって、いきなり土下座をした。
「は、長谷部の兄さん? 兄さんのツレでっか、これはえらい粗相を」
「結香さん、知り合いですか。とにかく弱すぎて話にならないんですが。なんですか、こいつら」
「便利屋? 代行屋? 外見がいかついから、よく債権の回収とかの下請けしてて、脅してまわっているのに遭遇するんだけど、見かけだけで中身はからっきし。
なんでお前たちが出てくるの? 尼崎がテリトリーなのに」
「それはそのう、うちらにも守秘義務ってものがあるやさかい、いくら兄さんでもそうぺらぺらとしゃべるわけにはあきまへんわ」
いかつい顔の男たちが、揉み手をしながら誤魔化し笑いをするのを、結香が冷ややかに見下ろした。
「ふうん、このボクにむかってそんなこと言うの――ボクだけならばともかくキミらが襲った相手、誰だか分かっている? 志摩津道場の次期当主さまだよ」
うぎゃああと男たちが叫んだ。夏の日差しが燦々と照らす下、真っ青になってがたがたと震えだした。いかつい顔で、おびえた仔猫のようにきゃわきゃわ騒いでいる。
見た目も悪く、鬱陶しい。吉鷹は腹いせにまた男たちを蹴っ飛ばした。
「志摩津ってあの志摩津でっか? このちゃらい兄ちゃんが、あの極悪非道な志摩津道場の?
徹底して実戦にこだわるさかい、極真会館ですら甘い、訓練中なら人を殺しても殺人にならないとか嘯いている、ヤクザより血も涙もない連中やないでっか」
「えらい言われようだな。世間じゃそんな風に言われているのか。
にしてもよくここまで来れたな」
「そりゃあ」
男たちの視線の先には糸巻きがあった。凧上げに使うような、本格的な木枠の糸巻きで、心棒を地面に刺してある。
おもわず振り返って結香を見ると、にっこりと目を細めて得意げに人さし指を立てた。
「帰り道、無駄な遠回りしたくないからね。でもどうやって車の停車場所までこれたのかな? もしかしてチビ牛若くん、警察に連絡とかした?」
「いちおう、そりゃあ。だっていきなりさぼったんですから、京都にいると報告しました。何かの時は京都府警とも連携するかもしれませんし。
まさか結香さん、警察から情報から漏れたとでも?」
「じゃなけりゃ、キャリアの優男なんて言わないでしょう。ずいぶんと半端な情報の漏えいだから、聞きかじり程度だろうけど。
それで京都周辺で網はったんだ。チビ牛若くん目につくから、ちょっと聞きこんだら見つかるだろうし。
ということは警察ともつきあいがあって、キミらとも取引があるトコってことね――高遠ファイナンスあたりかしら」
ぎょえええっと男たちが叫んだ。がたがた震えながら、必死になって手を振っている。
「い、いや、そんなめっそうもあらしまへん。まったくの別口、よっしゃ、長谷部の兄さんやさかい、特別しゃべるさかい、ここだけの話、ウチも最近兄さんのおかげでいろいろ名が売れて、こんかいは某国の政府からの極秘任務やって」
「はいはいはい。
もーいいよ、帰って。
見て分からない? イケメンくんとデート中なの。野暮はしないで」
結香はするりと吉鷹に腕をからませ、しなだれかかった。しっとりとした重みが胸にくわり、眼の下で黒髪がさらりと流れる。ほのかに甘い匂いがする。
そりゃあ、もう、ごゆっくり、と男たちがじりさがり、身をくるりとひるがえして逃げ、結香は吉鷹から離れた。そのぬくもりを追いかけそうになって、理性でとどまった。
「結香さん、高遠ファイナンスって、あのサラ金の? なぜ?」
「言ったでしょ。小河原香子の三男は実父にひきとられたって。その実父が高遠ファイナンスの社長。だからどう転んでもこのヤマはおカネになるの。いざとなれば氷賀香葉も絶世の美少年ていうから売れるだろうし。安心した?」
「いや、オレは」
警察官だからカネではなくて、というよりクライアントを売るとか言っている弁護士って倫理的にどうなのか、と言いかけた吉鷹の背後で地響きがあった。振り返ると、野茨の茂みがくずれて、黒煙が上がっている。
吉鷹はあぜんとして口を開いた。
「え、え、ええっ、えええええっ?」だれの仕業で、どうしてこうなったか、聞くまでもない。
「ちょこっと爆破してきた。こんな場所、残しておかない方がいいんだ。そのあたり、志摩津のご当主さまもつめが甘いからねえ」黒髪を丁寧に手櫛でととのえながら、涼しげに結香が言う。
「でも、そんな、いいんですか」
「大丈夫、周囲でこれだけ竹が根を張り巡らしているんだもの、地盤がしっかりしているから山崩れにはならないよ。さ、行こう」
「その前に、そのバッグの中身を確認させてください」
吉鷹は結香の腕をつかんで引き寄せると、デイパックのチャックを開けた。中身はコンパクトに物がつまっている。地図にコンパス、ロープ、救急セット、裁縫道具、携帯食料、日焼け止め、化粧道具、なぜか露出度の高い黒い紐の下着まである。
とりあえず、危険性の高いものは――すくなくとも武器、弾薬、爆発物のたぐいはもうなさそうだ。吉鷹は無言でチャックを閉めた。
「なにすんの、いきなり。いやらしいんだから、もう」
結香は朱に染めた目元でなまめかしく吉鷹をにらみあげ、糸巻きを地面から抜き取った。からからと糸を巻きながら歩きはじめる。
その背を抱きしめた。
「結香さん、オレと結婚してくれませんか」
数秒間沈黙があった。結香の胸で交差した手に、結香がやわらかく手を重ねる。
「そうだね、いろいろとつっこみたいことはあるけれど、まず、チビ牛若くんがボクよりふた周り年上になったら検討するよ」
腕の力がゆるむ。
結香は吉鷹の手をほどかせると、背伸びをして吉鷹のほおにキスをした。
夏の陽光よりさらに輝く笑顔で、微笑する。
「そんな顔をしないで。らしくない。
チビ牛若くんがちゃんと努力して生きていること、ボクは知っている。神様はちゃんと見ているから、幸せになれるから、絶対、このボクが保証する」