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8.

 小石を落として深さを確認してから、吉鷹は空洞に降りた。

 深さは吉鷹の背丈よりもすこし高いくらいだ。地上との出入りは、吉鷹の身長ならば楽に出来る。

 固い土に囲まれた、ひんやりとした穴だった。ひたいにつけたヘッドランプを灯して、周囲を確認する。

 狭い横道が奥へ伸びている。結香もするりと降りてくると、進むように促した。

 ヘッドランプで先を照らしながら、暗闇を進む。

 天井の高さは徐々に低くなり、吉鷹がかがまないと通ることのできない高さとなった。

 すぐに広い空間に出た。

 ぽっかりと地底にできた異空間である。

 陽光が天井の隙間から射しているので、薄暗いが目が利く。どこからか風も流れこんできている。ひんやりと薄暗く、土の匂いの濃い、意外と居心地良い空間だ。


「結香さん、これって……」

「ふんふんふん、なるほど」


 

 結香はヘッドランプの灯りをカチリと切ると、屈みながら空間の中を調べはじめた。結香が床にしゃがみこんでなにかをいじると、突如、壁に白くぼやけた光りができ、中央にひとの形が浮かび上がった。


「うわっ、これ、なんですか。気持ち悪い」

「罰あたりな発言。キリスト像でしょう。鏡に仕込んだ。こうやって光にあてると反射して像が浮き出るんだ。

 江戸時代の隠れキリシタンの教会だったんだろうね。身長からしても、江戸時代の人なら、ちょうど頭すれすれだもの。

 京都も七条河原の大殉教とかあったし、隠れキリシタンは多かったんだよ。

 いまなら子どもを隠しておくにはもってこいだよね」

「さっきからまったくもって、話が見えないんですけど。

 結香さんはオレがここに隠されていたと言いたいんですか」

「記憶ある?」

「あるようなないような、そう言われてもさっぱり」

「もうすこし、調べてみよう」


 結香は背を丸め、膝を曲げたかがんだ姿勢で奥へ行く。あとを追うが、長身の吉鷹にはかなりきつい。

 奥にはいくつかの、あきらかに人工的につくられたらしい穴がいくつかあった。地下水が湧き続けている池もあるし、湯の湧き出ている窪みもある。子どもならば楽々湯に浸かれる大きさだ。

 結香はしろい手を浸して温度を測ると、手を振って湯をきった。


「すっごーい、贅沢、温泉まであるなんて快適じゃない。けっこういい暮らししてたんだ」

「そんなこと言われても」


 いちばん奥はあきらかに誰かが暮らしていた小部屋だった。

 うまく斜面を利用して壁に小窓がつくってあり、木製の扉をひらくと、野茨に覆われた隙間から外気と陽光が差し込んでくる。

 土埃にまみれて、湿って重くなった布団が、土の寝台の上に置きっぱなしになっていた。

 アルミの使いこまれた食器がひと組置かれている。

 蔦を編み込んだ洗濯紐が張られて、そこに竹製の朽ちたハンガーがかかっていた。

 変色したハンガーに触れると、とうに腐っていて、ぼろぼろと零れ落ちる。

 急に息苦しくなった。


 ぷっと結香が吹き出した。


「チビ牛若くん、昔っからおしゃれだもんね。すごい、こんな場所にいても、せっせと洗濯してたんだ。あんなにちっちゃかったのに。ひとりで。まるでアライグマ?」


 言葉に詰まる。記憶は無い。記憶がないが、このハンガーにはなにやら懐かしさがある。たぶん自分なら、ガキでも、こんな空間にとじこめられていたら、まっさきに服を気にするかも。竹林で竹を切って来てハンガーを作って――けど。


「ちょっと待って下さい、結香さん。話を整理させてください。

 百歩譲ってオレがかつてここに隠されていたとする、それで氷賀香葉とはどうつながるんですか。

 見る限り、ひとりで暮らしていたようですよ――子どもが本当にここでひとりで生きていけるかどうかは別として」

「逃げ込んだんじゃない? だって言われたんでしょ、『助けてくれた』って。

 逃げてくるにはかっこうの場所だもの」

「逃げて……」


 結香はタオルをとりだすと、土埃で汚れた寝台の上に敷き、腰を下ろした。すらりと足を組んで、「うん、だいたい分かった。

 そうだね、すこしばかり、氷賀香葉という人物の話をしよう」と言った。


「ボクが氷賀一彦に注目していたのは言ったよね。

 ネットで氷賀一彦の死亡情報が出て、自殺か、殺されたか、と諸々書き込みがあったんだ。珍しいと思った。いまさら氷賀一彦なんて、ネット住人世代が知っているとは思ってなかったから。じっさい京都では新聞にも載っていない。東京の状況も聞いたけれど、地方版に数行あった程度だって。

 ネットの書き込みを見ていたら、あきらかに捨てハンで、ひとりが書きこみ続けていることに気づいたんだ。

 この無数の書き込みがなされているネットの世界で、どんどん新しい書きこみに消されていくのに、必死になって、ひとりで、氷賀一彦が死んだと叫び続けている人物がいたんだ」

「それが氷賀香葉だと?」

「他にいないでしょう」

「何のために?」

「さあ。氷賀一彦が存在していたことを証明したいから? 忘れられると困るから? 本当は自殺じゃないのに警察が相手にしてくれないから? そこは本人に聞いてみないと。

 でもあんな必死な書き込みは、半端な想いでできるものじゃない。でもその想いが、ボクの中では、今の氷賀一彦の文章とかちりとはまったんだ。こんな想いが傍らにあって、氷賀一彦は変わったんだ、変われたんだって。

 それで興味を持って氷賀香葉について調べたら――」

「調べたら?」


 結香は肩をすくめて、ぺろりと舌を出した。


「見つけちゃった。殺人事件。まったく別件なんだけど」

「はい?」

「だからさあ、ここから先はチビ牛若くんには話せない。警察官でしょう。

 まあ殺人事件と言っても、過去の話、時効もすぎているし、事故として処理されている件だからね」

「じゃあ、警察官としてではなく、志摩津吉鷹個人として話してもらえませんか。警察としてその情報は使用しない」


 長谷部結香は切れ長の瞳をすっと細めた。黒髪をほどいて流すと、艶めかしく笑った。


「へえ? このボクに取引をもちかけようっての?

 成長したね。交換条件は?」

「ええと」

「ま、いっか。ツケにしとく。

 氷賀香葉の経歴をしらべてもあまり記録はない。けれども実母小河原香子だとばっちり。警察はそこまで調べてないでしょ」

「ええ、まあ」


 もともと自殺と見做しているだけに、香葉についても本腰をいれて調べてはいない。


「小河原香子はかなりの美人だったらしいけど、生活能力はなかったらしい。水商売の女で、未婚のまま、子を3人産んでいる。いちばん上が長男の香葉、2番目は長女の真弓だが、彼女は1歳で餓死している」

「餓死?」

「いまでいうネグレクトだ。当時はまだ母性神話が根強かったから、子どももいることもあって執行猶予がついた。だがその後、3番目の次男檀にも虐待していたらしい。大けがをした檀の治療をおこなった病院が、児童相談所に通報をした。さすがに相談所が子どもたちを保護しようとして揉めていた最中、小河原香子は事故死した」

「事故死ですか?」

「誤ってベランダから滑り落ちたらしい。警察の公式記録では。

 ボクは違うと思っている。

 氷賀香葉――とうじは小河原香葉だけど、は、8歳、そこそこ知能も行動力も出てきているだろうし、何より修羅場も相当くぐっている。妹が目前で餓死し、次いで弟までも殺されかけて、なにかしたはずだ」

「証拠は」

「無い。あったら当時の警察が――いや、あったとしても、虐待されていた8歳児が母親を事故死に見せかけて殺しただなんて、起訴できなかっただろうね。

 その後、弟は実父が名乗り出て引き取り、香葉は養護施設にいれられたがすぐに脱走している。しばらく行方不明で、所在地が判明するのは氷賀一彦と養子縁組をしたときだ。

 脱走した理由は施設職員による性的虐待。巷じゃ有名な美少年だったらしい。母親の香子も、ほかのふたりは虐待しても、長男だけは溺愛してたとか」


 吉鷹は顔をしかめて、くびの後ろを掻いた。すこしばかり話が複雑になってきた。面倒臭い。飽きた。


「なんか、面倒臭そうな話ですね。やっぱいいです。そういうこみいったの、苦手で」

「こらっ」


 結香は立ちあがると、吉鷹の頭をぱしっとはたいた。


「聞きたいと言った以上、ちゃんと責任もって最後まで聞きなさい。だいたいチビ牛若くんの話でしょ。

 氷賀香葉のいた施設は左京区内、ここから3キロくらい南。小学生が逃げてきても不思議はない。チビ牛若くんならそういう子、見つけたら世話するでしょう」

「そうですかねえ」

「で、次の瞬間、忘れる」

「それはある」


 吉鷹はあごをひき、幾度も頷いた。吉鷹は良く言えば臨機応変、動くのが早いのだが、忘れるのも早い。とにかく目先のことにすぐに気を取られるので、それまでやっていたことをけろりと忘れてしまう。

 もし仮に、どこからか逃げてきた少年を見つけてかくまったとしても、その後、養父と駆けっこして遊んでいるうちに、忘れてしまったはず。


 長谷部結香は両手を腰にあて、しみじみと息を吐いた。


「まあ、いままで聞いている情報を組み合わせると、氷賀香葉はチビ牛若くんに『助けてもらった』と思っているようだし、いいんだろうけど。

 でも今、困っていて助けを求めているのは事実。

 そして何より、おカネの匂いがする。京都で調べられることはすべて調べた。さ、行くよ」

「行くってどこへ」

「東京にきまってるでしょう。氷賀香葉がいるんだから。自己判断で勝手に動かれる前に、ちゃっちゃと契約して押さえつけとかないとね」

「はあ」


 結香にせきたてられて洞窟から出ると、いきなり頭上になにかが振り下ろされた。


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