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7.

 貴船口から府道をはしり、そのまま北の国道477号線に出てしまった。

 助手席の結香はあからさまに不機嫌になった。そうむくれられても、吉鷹にはまったく記憶もないし、どうしていいのか皆目見当がつかない。


「真剣にやっていないでしょ、ちゃんと思い出してよ、自分のことじゃない」

「そう言われても」


 志摩津の家にひきとられてからの記憶は、鮮明である。

 養父の志摩津当主とふたりきりになるとぎくしゃくするが、本家の従兄弟たちと過ごすのは楽しかった。末っ子の桜樹は吉鷹を侵略者として認識し、食器も着替えも貸そうとせず嫌がらせも相当にされたが、次男の松芳は吉鷹の味方で、気づくたび桜樹を厳しく殴り飛ばしていた。長兄の蓉一は無口だが包容力があり、吉鷹が本気で体当たりしても巨体で構えて揺らがず、そうやって遊んでもらうのがやたら楽しかった。


 一生仕えるはずだった主君の若さまに会った時のこととか、長谷部結香、李香の双子に会った時のこととか。他にももっと色々。

 すべてくっきりと覚えている。


 いまさらながら、自分の人生は志摩津の家に来てからはじまったようなものだ、と思いしらされる。

 そういえば、実の家族、とか、実の親が、志摩津の家に来る前は、とか、普通の人が考えそうなことは一切、考えたことはなかった。


 山道の中腹で、木陰になっている路肩に車を止めた。車外に出ると、標高は高くて空気は冷たいが、直射日光に当たると暑く、アスファルトは焼けそうに熱い。とうにシャツは腕まくりをして、第一、第二ボタンをはずしている。

 当然のことながら周りはぐるりと山で、住宅らしいものもない。そもそもこんなところに、幼子が住んでいるとも思えない。結香にそう言った。


「だって自分でそう言ったじゃない。だいたい隠されていたんだから、人里離れた場所でいいんじゃないの」

「隠されていた? オレが?」

「牛若丸が」


 冷房の利いた車内から出てこようともせず、結香は携帯をいじりながらぶっきらぼうにいい放った。

 すべてが面倒臭くなって帰ろうかと考えていると、なにかの音を耳がとらえた。

 風が揺らすこずえの音、鳥の声、蝉の鳴き声、に混じってひどく懐かしい音がある。


 竹が撓り軋、ぶつかりあう音、竹の葉の擦れる音。


 そう。


 竹だ。


 竹林の中、眼帯をして袴姿の養父が立っていた。


 はじめは見ているだけ、近づいては来なかった。

 何度目かで、駆けっこをした。堆積した竹の葉を蹴り散らかして、竹林の中を駆け巡り、捕えようと伸ばされた手をいくどもすり抜けた。走るのに飽きたときに、捕まえられてやった。吉鷹を両手でやわらかく捕えた手の感触で、「この人でいいや」と思ったんだ。

 そしてそのまま志摩津の道場につれていかれ、いまにいたる。


 尾瀬のせせらぎにもにた竹の葉の擦れあう音。

 その音を追って、山の中に入る。


「やっと本気になった」

 

 結香も吉鷹の背に言うと、小さなデイパックを肩にかけて車から降りてきた。

 

 木漏れ日の降り注ぐ、道なき道を微かな音だけを頼りに進む。靴底が、木の根の浮き出た斜面で幾度か滑り、手近な幹をつかんでてのひらを擦る。スニーカーにジーンズであれば苦にならないが、革靴にスーツで道なき山を登るのはさすがにきつい。

 

 酸素の濃い木立を抜けると、竹林であった。

 無数の青竹が直立して天に刺さるように伸びている。

 さらさらさらと竹の葉の音が流れ続けている。

 天を見上げる。放射状の真っ直ぐな直線の先に、強い白光。一瞬、すべてを忘れる。

 

 一定間隔で生えている竹林を、前後左右を見渡しながら飛び跳ねて進む。

 十年以上も昔の光景。

 変わっていないはずがない。

 しかも明確な特徴のない、真っ直ぐな竹が無限に続くような空間。

 それでもほんの少しずつだけ、違う。隙間から見える広葉樹とか、山並みとか、石とか岩とか。


 吉鷹は動きを止めた。

 義父が立っていた記憶と、背景がぴたりと合致する。

 今度は義父の立っていた場所に立つ。

 義父がみていた方へ顔を向ける。視線の先。竹林の向こう。


 その先に向かって駆けだした。


 山の中腹にぽっかりとできた小さな窪地であった。広さは25メートルプールの半分くらいか。直射日光が真上から燦々と照らす下、野茨がぎっしりと群生していた。


「すごい……」


 竹林の陰から出てきた結香は、吉鷹にならんで野茨を見下ろし息を呑んだ。


「まるで、生きている要塞。植物でつくった城門というところかしら。薔薇の迷宮とはよく名づけたね」


 結香はデイパックからぶ厚い手袋をふた組取り出した。よくよく見るとスニーカーに履き替えている。準備万端であったようだ。


「なんですか、それ」

「ヘックスアーマー、耐突刺性ばっちり。薔薇の迷宮、野茨の塊、山とくればこんなことだろうなと思って。昨晩のうちに手配するの、大変だったんだから。感謝してよね。

 さあ、頑張って」


 結香はひと組のヘックスアーマーを吉鷹に投げつけると、自分は竹林の中の日陰にもどった。携帯をいじっては、「圏外だ」とぼやき、なにかメモをとったり、周囲を観察したり、ちょろちょろと動きまわっている。


「手伝おうという気は――いいです、分かりました」


 吉鷹はヘックスアーマーを両手に嵌め、花が落ちて青い子房だけがついている野茨の塊をつかんだ。強く握っても掌に棘が突き刺さらないのを確認する。素手や普通の軍手ならば、お手上げだっただろう。それでも根をがっしりと大地に張り巡らした野茨の、しかも密集した塊を大地から引き剥がすのは重労働だ。汗だくになって小一時間ばかり黙々と作業をしてから、ふと自分はなにをやっているのか、と疑問に思った。


 

「結香さん、オレ、なにやっているんですか」

「なにを今さら。チビ牛若くんの自分探しの旅でしょう」

「え、そうだったんですか。ていうか、なんでオレが自分探しするんですか。探したいとか思ってないですけど」

「手が止まっている。半分も進んでいないじゃない。おしゃべりする暇があったら真剣にやってよね、もう」

「そんなこと言われても。けっこう重労働ですよ」

「そりゃあそうでしょう。そうじゃなきゃ、隠し場所にならないもの」


 結香は髪を束ねながら日陰から出てくると、きゅっとヘックスアーマーをはめた。

 窪みの上に立ち、上半身をかがめて野茨の塊をじっくりとながめる。


「あとすこしじゃない。こっちの方。手を貸して」


 結香が手繰り寄せた野茨の根元をつかみ、ひっこく抜くと底にぽかりと空洞があった。

 幅は人ひとりが通れるくらい。中は真っ暗でどのくらいの深さかも見当がつかない。


「じゃ、行こうか。はい」


 結香が取り出したのはヘッドランプである。

 あまりの準備の良さに、感心するのを通り越して呆れてしまう。四次元ポケットのようなデイパックを眺め、吉鷹は気づかれないように溜息を吐いた。


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