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32.
氷賀香葉は道場のなかほどで内またに座ったまま、おおきく瞳をひらいて吉鷹を凝視している。
道場にいるのがひどく似合わない、色白の華奢な姿だ。
吉鷹はひと呼吸、間を開けた。
「辛そう? オレが?」世間一般では、むしろねたまれ、羨ましがられるほうが多い。すべてに恵まれた、と誰もが吉鷹のことを言う。
「だって昔はしーちゃんもっと楽しそうだったじゃない。たくさん友だちもいて、こんな無表情じゃなかった。
やっぱりオレ、しーちゃんの助けになってあげたい」
やわらかそうな唇をつきだして、長いまつげをかるく伏せる。囁く声に吸い込まれそうになり、あわてて飛び下がった。
「いや、いい。
気持ちだけで十分。なにもしないでくれ。ぜったいに」
「そっか」
香葉はすこしばかり気落ちしたように肩を落としたが、不意ににぱっと笑顔をつくった。
ずり下がったコートを肩にかけなおして、「じゃあね」と大きく腕をふり、去っていく。
たぶん、これが見納めだ。
安堵しながらも、すこしばかりさみしさも感じる。
吉鷹は両手でほおをたたいて、気を引き締めた。




