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3.

 夜になってから、苦笑交じりの捜査本部が、牛込署に設置された。

 会議室につめこまれた捜査員たちの興味は、氷賀一彦や香葉よりも、見習い警部補ふたりに集中しているようだ。

 頭でっかちのキャリア組、四角四面で鬱陶しそうな村上に対する好悪も別れているが、華やかな経歴と芸能人顔負けの外見とは裏腹に、胡散臭い今回の事件関係者といわくありそうな吉鷹への好奇心を隠そうともしない。


 署長は吉鷹の将来に傷がついてはならないとの決意露(あら)わに、吉鷹の真横に陣取り腕を組んで周囲を睥睨(へいげい)しているが、余計に話を大きくしている気がしないでもない。


 捜査会議がはじまり、要点よく議事が進行していく。氷賀一彦はかつての流行作家で、元々は地元の大地主でもあったらしいが親兄弟はとうに亡く、ここ十年は誰も姿を見たものもない。近所で聞き込みをしても存在を知らないか、「まだ生きておられたのですか」とびっくりされるぐらいだった。執筆活動もほとんどしておらず、出版社の方でもかつての義理で不定期に執筆依頼をしていただけという。

 殺されるような存在感がとうになかった。社会的にはすでに死んだも同然だった。

 使用された凶器は戦時中の南部式小型自動拳銃。ずっと隠し持っていたらく、未使用の銃弾も机の中から発見された。司法解剖の結果はまだだが、右手から硝煙反応は確認されている。疑惑を抱かせるような、不自然な箇所はどこにもない。

 

 氷賀一彦と唯一関わっていた人物が、養子で、第一発見者の香葉だ。

 吉鷹よりふたつ上、無職で、小学校すら通っていないという。戸籍を取り寄せると、生まれは京都、実父は不明の私生児、母親はすでに死亡している。

 然しながら氷賀香葉には動機がない。むしろ一彦が死亡して、家も失うし、年金もなくなり路頭に迷うのが目に見えている。無論、一彦は生命保険などにも加入していない。一彦に自殺をされたのでは困る、だから殺されたと嘘をついている、とも解釈できる。


 そこで不自然な沈黙が落ちた。出席者全員の視線が吉鷹に向く。署長が何かを言う前に、「心当たりがないのですが」と吉鷹は口火を切った。ゆびでこめかみを押さえながら、自分自身の記憶と、プロジェクターで投影された氷賀香葉の経歴をたどっていく。


「同じ区内で年が近いですから、どこかで接点があったのかもしれませんが、私自身家の事情で、小学校入学時から二学年下に降りていたのでさらに学年は離れますし、そもそも私立の学校に通学していたので――、それに京都出身となると――」

「出まかせだろう。とっさに志摩津警部補を利用しようとしただけだ、しょっぴいてきて締めあげてみたらどうだ」署長が吠えた。

「しかし志摩津警部補を、ずいぶんと親しげに呼んでらしたじゃないですか」村上の声は淡々としているが、細い眼は鋭く光っている。

「うーん」と吉鷹は考え込んだ。「しかし、いままで、あのように呼ばれた記憶はありません。家族や友人からも」

「誰かが志摩津警部補の名を言ったので、利用しただけだろう。誰もがとっさに思いつきそうな呼び方だ」署長が一喝すると、村上は不服気な顔ながら、黙り込んだ。


 なんだ、もう終わりか、とつまらなそうなざわめきが起きる。

 やはり興味の対象は事件ではなく、このキャリアの見習い警部補二人組のようだ。いかにも儀礼的に、捜査方針やチーム分けを説明して、会議が終了すると、署長がいそいそと吉鷹の腕をつかんだ。


「道場へ行きましょう、道場に。みな楽しみにしています」


 吉鷹が道着に着替えて道場へいくと、警察署内だけではなく、捜査本部の本庁の者もみな顔を揃えて吉鷹を待ちかまえていた。まるで見世物である。

 道場の中央にて、巨躯に貫録たっぷりの道着、黒帯を〆て待ちかまえていた警察官は、吉鷹の小ざっぱりとした洗剤の香り立つ白い道着姿に、拍子ぬけた顔になった。他にも剣道の袴姿、空手の道着姿の警察官も待機している。署長自身も意気揚々と剣道の防具を纏っている。


 吉鷹は視線を床に落とした。汚れている。昼間に押収品か何かの公開をしたらしく、砂や泥、土足の跡がある。


「モップを」と署長が慌てるのを遮り、手洗い場から雑巾を持ってきて固く絞り、四つん這いになって雑巾がけをはじめた。幼少時よりやり慣れているし、志摩津の道場にくらべれば狭いのですぐに終わるはずだ。

 気まずく空気が硬直する中、ひとりが別の端からおなじように雑巾がけをはじめた。見るまでもなく、村上だろうと確信する。


 警大での三か月の初任幹部研修中、実技のときに、キャリア組にしてはよく体が動くと目をつけていた。故意か偶然かは分からないが、吉鷹自身と対戦することはなかったので、実力は計れていないが、それなりに武術の経験があると想像している。


 今回の配属でこじれるまでは、親しくはないが、同期の中ではたがいに一目置いて礼儀正しく接してきた仲だった。

 横槍をいれたのは、警察に顔のきく吉鷹の養父だった。

 吉鷹の見習い勤務地が京都府と知って、地元の牛込署に配置換えを要求した。すでに牛込署に配属が決まっていた村上とバーターさせようと人事は簡単に考えたが、分別のあると思われていた村上が拒否をした。場合によっては、いままでのやりとりをすべてマスコミに公表する、告訴する、辞表は出さないと言って、警察全体を脅した。

 そしてこじれにこじれた挙句、吉鷹と村上が同じ署に見習いとして配属されたのである。

 村上からすれば、一方的に巻き込まれただけであるのに、上層部には村上の片意地さと、危険さの記憶だけが残り、村上の出世は、事実上、すでに無くなっていた。


 道場の清掃を終えると、吉鷹は手と口を漱ぎ、神棚に礼をした。

 

 ふっと空気が軽くなる。頭の先から、指先にまで力がみずみずしくいきわたり、五感が冴える。

 道場内の気に吉鷹自身が溶け込んだよう。


 吉鷹はいままで自分に才があるとも、強いとも、思ったことがない。どちらかというと常にひとより劣っていると思っている。

 現に、力技では養父はもとより、志摩津本家長男の蓉一にも太刀打ちできない。

 頭脳ではおなじく本家の松芳をはじめ友人たちにも勝てない。

 身の軽さ、機転、人間性、どれをとってもいつも誰かに負けている。

 名門志摩津家の出自と言ったって、吉鷹は養子でいつかは離れていく身の上だ。


 吉鷹自身に優れているものはない。だからこそ、万全の準備をして、地味に努力を重ね、すこしでも強くなろうと挑戦し続けてきた。今までも、これからも。

 吉鷹の内側を知らぬ者たちがどれだけ吉鷹を褒めそやかしても、吉鷹自身の意識はつねに自分は敗北者であり、なにももっていないと認知している。そこからぶれることはない。


 道場の中央で呼吸を整え、まぶたを開く。

 美しく、場内は静まり返っていた。嬉しくなって微笑が零れる。


「どうぞ。どなたからでも、何からでも」


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