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17.

 長谷部時宗の細長い和室の部屋はんぶんに、たしかに郵送物が山となって積まれていた。

 部屋の角に器用によせてまとめているが、結香の目線くらいの高さである。


「なんで早く言わないわけ、ったくもう」


 結香が両手をこしにあてて、うんざりしながらため息をつくと、


「前にすべてを連絡していたら、いちいち報告するな帰国した時にまとめて見ると、兄上に叱責された。

 お前こそ、兄上に断らずに勝手に触っていいのか」


 和服に着替えてきた仁資が廊下で、あいかわらずのんびりとした口調でいう。

 香葉は香葉で、時宗の机をのぞきこんで、この文鎮が、この硯がとはしゃいでいる。


「いいんだよ、時宗兄さんはボクがすることならば、なんだって許してくれるんだから。

 香葉くん、君も手伝わないなら邪魔、外に出ていて」

「ご、ごめんなさい、ちゃんとやります」


 香葉はすっとんできて結香の傍らに立ったが、すぐに、どこそこの出版社だ、有名編集長からだ、大御所の作家からだ、と小包や封書をひとつひとつ手にとっては騒ぎ出した。


「香葉くん、もういい、外に出ていて。

 おかしいな、最近だったら上の方にあると思うのだけど」

「ああ、昨日、地震があって崩れたので、積み直した。兄さんに片づけるように言われたからな。

 最近、よく揺れているから、気が気じゃない」

「なんだってぇ」


 結香が叫んだとき、ドン、と床が揺れた。蛍光灯から下がっている紐がゆれ、家全体がきしみだす。

 結香はとっさに坐椅子をつかんでひっくりかえし、柱の側で頭を保護した。

 積みあげていた郵送物が雪崩をおこして崩れ、本棚からも本や小物類がおちてくる。

 揺れが納まってから、目をひらくと、室内中がひっちゃかめっちゃかに散らかり、香葉の姿がない。本に埋もれたかと目を凝らすと、廊下で、仁資の胸のなかで抱きしめられて硬直していた。


 庇ってくれたのは良いが、やはりなにかがずれている。


「兄さん、兄さん、香葉くん解放してあげてよ、怯えている」


 仁資が腕をゆるめると、香葉がすこし顔を赤らめながら出てきた。結香とのあいだに、崩れてしまった郵送物が大河のようにふさがっている。


「結香、どうしてお前は自分のことだけを守ろうとするのだ」

「そりゃあ、人間、誰だってそういうものでしょう」

「だがお前は弁護士で、ここにいるのはお前の依頼人の」


「あ、ああっ、あったぁっ」


 兄弟げんかを無視して郵送物の大河をあさっていた香葉が、いきなりひとつのつつみを抱えて叫んだ。

 結香も小包を蹴散らしてかけよる。


 やや大きめの、ぶ厚い紙袋だ。ラベルにはしっかりとした筆跡で、名と住所が書かれている。氷賀一彦からだ。

 香葉は戸惑った顔で、その筆跡をなぞっていた。


「でも、なんで。

 一彦はもう何年も外出なんていしていない。原稿用紙だってオレが買っていたし、出版社にもっていくのも、うちあわせも、オレがしていた。

 原稿だって、書いている最中はひとことも教えてくれないけれど、書きあがったらまっさきにオレに読ませてくれた。

 なんでこんなことするんだろう。


 だいたい、オレは――。

 なんで、一彦が死ななくちゃいけなかったのか、まったく、その理由がわからない。

 きままな同居人で、うまくやってきたんだ、オレたちは」

「でも大人なんだから、宅急便くらいその気になれば出せるでしょ。

 とりあえず、中を見よう」


 人さまのものを勝手に、と仁資が言いだしたが無視をして、結香が紙袋を引きちぎった。中は予想通り数百枚の原稿用紙の束。長谷部時宗にあてた、簡単な手紙もある。丁寧な文言で、時宗の眼で出来を判別して、出版社へわたすか、このまま誰にも見せずに処分するか、決めてほしいと頼んでいる。


 その手紙を呼んだ香葉がひっと喉からほそい悲鳴を上げた。

 結香は無視をして、原稿をめくった。いまどき珍しい手書きだ。万年筆のしっかりとした筆跡で、誤字もない。


「どういうこと? オレをまるきりとばしている。オレのこと、まるで書いていない。

 いままでオレがまっさきに読んでいた。オレが出版社にもって行った。編集者ともうちあわせしてたんだ。

 なんで? 一彦はオレが不満だったのか。

 そりゃあ、長谷部時宗の方がものすごい権力があって、出版業界にも顔が利くんだろうけど、でも、オレだって頑張っていたし、オレの方が一彦のこと、よく知っているんだ」


 ざっと原稿を斜めによんで、結香は戸惑った。この原稿をどうするべきなのか。香葉に見せてもよいものなのか。


「なに?」


 敏感に気づいた香葉が、原稿の束に手を伸ばすのから、すこし身をひいて避ける。


「ちょっと待って。

 氷賀一彦はおそらく、君にはこの原稿をみせたくなかったんだ。最低限、じぶんの生きているうちは。

 だから、こんなまわりくどい手段をとった」

「なんだよ、それ。

 そんな馬鹿な話ってあるか」


 香葉が結香につかみかかろうとするのを、仁資がうしろから、肩をおさえて止めた。


「結香、もうすこし分かりやすく説明してくれ。

 それは香葉くんの義父上の原稿に間違いは無いんだな。なぜ見せられないんだ」

「これは手記――自叙伝、告白本といったたぐいかしら。

 書かれているのは同居している義理の息子への、変質的な情欲と執着、嫉妬だよ」


 操り人形の糸がいきなり弛んだように、氷賀香葉の体が床にふにゃりとくずれた。


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