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16.

 夕暮れに凹凸をつけて浮かび上がる石垣と、開きっぱなしの門を見たときに、結香はすこしばかり気が重くなった。

 あまりこの家にはよい思い出がない。

 中学に入った時、通学が大変だからと理由をつけて、双子の弟と家を出てふたり暮らしをはじめた。そのあとは、戻ったり出て行ったりを繰り返している。


 香葉をさそったのも、ひとりで帰るのが気が重かったからかもしれない。


 大きな家、古いなあ、とぽかんと口をひらいている香葉をせきたてていると、玄関先に黒塗りの車が止まった。

 紺のスーツ姿の長谷部仁資が降りてくる。大学卒業後、津久見食品に就職をして津久見グループ総帥の津久見卓也の秘書をしている。

 信頼できて有能な人材が欲しいと乞われ、長谷部家から仁資を出したのだが、むしろ卓也に仁資の子守りをしてもらっていると、李香は毒舌を吐いていた。


 結香がいるのをみて、仁資はありありと動揺して玄関で硬直した。

 この男と鉢合わせしないよう、早めにやってきたつもりだったが、今日に限って仕事が早く終わったらしい。


 こちらから動くのも癪なので、おろおろとしている香葉を無視し、仁資を無言でにらみつづけていると、仁資がおずおずと口をひらいた。


「帰ってきたのか。連絡をくれれば食事を一緒にしたのに」

「なんで、ボクが、わざわざ連絡をして、仁資兄さんなんかと、食事を、しないと、いけないわけ」


 この男はすべてにおいて、ずれている。真面目だし、頭もよいのだが、生真面目すぎると言うか、融通がきかないと言うか、とにかく結香たちとは小さいころから肌が合わなかった。

 結香は香葉の手首をにぎって引っ張った。


「行こう、こいつにかまわなくていいから」

「客人か」

「そ、ボクのクライアント、だから邪魔しないで」

「そうか」


 仁資は名刺をとりだし、丁寧に自己紹介をはじめた。

 邪魔するなといった直後に、どうしてこうもいちいち仰々しいのか。すべてがカンに障る。


「あ、あのう、オレは氷賀香葉といいます。頂戴します。すみません、名刺なんか持っていなくて」


 香葉がてのひらをジーンズでぬぐい、名刺を受け取ると、仁資は眼を優しく細めた。


「こいつが強欲な報酬を要求したり、社会常識を無視したことをしでかしそうになったら連絡をください。殴ってでも言うことをきかせます。

 根は悪いヤツではないのですが、あまりに一般常識からずれていますし、気まぐれすぎますので」

「ボクがなんだって? だいたいボクがあんたの言うことなんか、聞くわけないだろ」

「氷賀? 氷賀か、そういえば、氷賀という名に聞き覚えがあるな」

「兄さんの学生時代の同人作家仲間の氷賀一彦でしょ、香葉くんの義父。うちにも遊びに来てたもの」

「いや、もっと最近だ」

「じゃあ、氷賀一彦が死亡したというニュースじゃない」

「義父上が亡くなられたばかりなのか。それはお悔やみ申し上げる。結香、ちゃんと香葉くんの力になってあげなさい」


 仁資がふかぶかと頭を下げるのに、くらくらと目眩がする。どうしてコイツはこうやってずれるのだろう。李香が生きていれば、毒舌でめった切りにしてくれたのに。

 結香のいらだちが頂点に達した時、仁資はぱっと顔をあげて、嬉しそうに顔を輝かせた。


「そうだ、思い出した。兄上あての荷物が届いていたんだ。荷送人が氷賀と記載されていた。個人名だから珍しいと思っていたんだ」

「は? なんだってェっ?」


 なんでこいつはこんなに間が抜けているのか。

 ぜったい、この男とは血のつながりがない、自分とは赤の他人だ、と確信して、晴れ晴れとした仁資の顔を睨みながら、こめかみを押さえた。


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