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12.

 動機はなんだ、なぜいまになって自首をする、動転した刑事が問いただすのを、氷賀香葉は華奢な首を折り、長い睫毛をふせたまま丁寧に答えつづけた。

 長谷部結香が入れ知恵したのならば、このくらいの詰問で綻ぶまい。

 紺のスーツで静かに座っている結香を見ながら、さくじつは情人といたのだろうか、スーツの下はあの下着だろうか、と吉鷹が妄想しているうちに、氷賀香葉を署に連行すると話がすすんだ。

 吉鷹も素知らぬ顔してうなずき、同行しようとした時、


「待って、ちがう、ちがうんです。兄さんを連れていかないで」


 制服の少年か飛び込んできた。アイロンのぱりっときいた半そで白シャツからうでをのばし、香葉の体にしがみつく。背は低く、手足も首も太くてずんぐりむっくりとした少年だ。

 香葉のほそいからだがよろめき、木製の長椅子に音を立てて尻もちをついた。そのうえに少年がのりかかり、がっしりとおさえつける。シャツの襟元が崩れて、きらりと校章がひかる。進学校で有名な、中高一貫の男子校、精曄校のものだった。

 香葉は両手で少年の体を押し返した。


「檀、おまえ、しばらく近づくなってメールしただろう」

「だから来たんだ、兄さんが悪い奴らに騙されないように。

そこのおかま、有名な悪徳弁護士だろう、で、そっちが」


 少年の瞳がさっと流れて、吉鷹をとらえた。色素の薄い切れ長の、香葉に似た瞳だ。

 ぎゅっとくちびるを結んで、吉鷹を睨みつける。このガキがチンピラをよこした黒幕だと、()めつける視線でピンとくる。うかつに喋られると面倒だな、と思った時、香葉が少年の頭をなぐりつけた。


「おまえが関わると、高遠のおやじの機嫌が悪くなる。

 オレはもうおまえに関わらないと、誓約書、何十枚も書かされてんだ。だから出てけ、オレにもう関わるな」

「嫌だよ、兄さんはたった一人の兄さんだ。

 僕はもう兄さんを手放さない、こんどは僕が兄さんを守るから」


 高遠檀は香葉の首に両腕をまわしたまま、離れようとしない。香葉は戸惑った顔で視線を結香に走らせた。

 結香はおもわせぶりな仕草で腕時計を見た。


「君、学校は? いま授業中でしょう。

 刑事さん、青少年の健全な育成のためにも、彼を学校まで送り届けてくれないかしら。パトカーで。サイレン鳴らして、ド派手に」

「なんだよそれ」少年が即座に反応して、結香に歯をむき出した。「そんなことしたら人権侵害で訴えるからな。お前なんか弁護士会に懲戒請求して、除名してやる。

 兄さんを利用して何たくらんでるんだ」


 結香の色白のうりざね顔に「このガキ嫌い」と浮かびあがった。本庁の刑事も、村上も戸惑っているが、吉鷹の脇には汗が滲みだした。幼少時より、結香が本気でブチ切れた時の怖さが骨身に染みて叩きこまれている。

 このままにしておくのは道義的にも、社会的にも、吉鷹の精神衛生上にも、非常にまずい。


「警察は民事不介入ですから、兄弟間のことは関われません。とりあえず本人が自首した以上、署に来てもらって話を聞きましょう」

「ちがう、兄さんじゃない。どうしてそんな簡単なことも分からない。

 ちゃんと捜査してないんだろう。

 この税金ドロボー、汚職刑事、隠蔽体質、天下り、マスコミに訴えてやる、警察の不当捜査だって」


 よく舌の回る少年だ。怒るのを通り越して呆れていると、高遠檀はきゅうに馴れ馴れしく、「刑事さん」と呼んだ。


「ちゃんと調べてください。お願いします。

 死亡推定時刻、兄さんはここにはいなかった。すぐに分かるはずです、日課だもの。神楽坂の行きつけのカフェで朝食をとるんだ」


 香葉が細い眉を寄せた。乱暴に、檀の手首をとらえる。


「檀、おまえ、何を言っている」

「だから、あの時、兄さんはここには居なかった。それが事実だ。だって、だって僕は、僕が――」


 ほそい爪が皮膚に喰い込み、檀はしゃべるのを止めた。

 古くて掃除もされず散らかっているが、空間だけは広い居間が静まり返った。きらきらと埃だけが午前の光りを反射して舞っている。


 長谷部結香が携帯を取りだした。華やかな声でしゃべりだす。


「ちょっと教えて欲しいんだけど。あ? 授業中? じゃあ、手みじかに聞くね、きみのクラスの高遠檀、おとついの9時半から10時くらい、学校内にいた? ――へえ、そういうこと言うの、じゃあ、刑事が捜査令状持って聞きにいくよ、おおごとにしたくないでしょう、お互い、あ、そ、分かった。

 んじゃ今度の同窓会でね、バイ」結香は電話を切ると、鼻息荒く、檀に向かって人さし指をつきだした。「コイツ、保健室に行くと言って教室を抜けだして、1時間ほどいなかったらしい。

 犯人だよ、逮捕して」


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