夢の流れ星
2月27日(水曜日) PM2:59
お日様が強すぎて空を見続けられない、だがそんな空だからこそ見ていたい。
これだけ暑くても光化学スモッグも発生せず、乾いて死ぬ前には自動販売機でいくらでも水が飲める。
こんな日は布団代わりに敷けるダンボールだけ持って川原で昼寝、それが一番の贅沢。
だが、彼らは残念なことに、クーラーのしっかり利いた部屋にやってきた。上でも下でもどこを見ても目が眩まない適度な仄暗さ、その部屋の中で、彼らは透明のアクリル板の向こうにいる知り合いに、汗を拭いながら笑いかけた。
「こんにちは。志郎さん」
「今日もお疲れさん、今日はふたりで来たのか?」
志郎と呼ばれた壮年男と、彼らふたりはとても似ていた。
顔や体格という意味ではなく、衣類に隠された傷跡はペアルック、痕も残さず消そうと思えば消せたかもしれない、だがそんなヒマは彼らにはなかったし、傷を恥と思う職業でもない。
「ええ、志郎さん…今日、全部終わります。終わらせますから、その挨拶に」
応えたのは、一層背の高い男だった。自分の汗にも負けないほどにガッチリとポマードで固めたオールバックは、額の一文字の傷を晒すためにやっている。
その傷が誇りであり、自信である。そう云わんばかりの挑発的な面構え。寺井弦太郎。
隣に腰を掛ける男は涼しげにスーツを着こなし、テレビに出ていても違和感はないが記憶には残らないくらいに整った青年、小野田翔一。
「無理するな、って云ってもお前らはやめないんだろうな。特に翔一は」
「嫌だな、志郎さん。僕、無理なんてしませんよ。弦太郎じゃないんですから」
「お前は他人には分からないように一人で抱え込むからな。 その意味じゃ命懸けでも分かりやすい弦太郎の方が楽なんだよ」
気兼ねせず、いつものように志郎はタバコとライターを取り出し、堂々と吸っている。
以前と全く変わっていない志郎の姿に、ふたりは安心したがっていた。だができないのは分かっている。彼の状態がわかっているから
「…やっぱり、駄目なんですか?」
「ああ、完全に“外れ”てるらしい。もう全身が塵機に置き換わってるしな」
翔一の問いかけに、言葉と共に左手に持っていたタバコを分解して消してみせる志郎。
塵機保持者として、塵機をかなり使いこなしている証拠だった。
「なんとか…ならないんですか。なんで志郎さんが…!」
「どうにもならないだろうな。もう俺はお前たちの知っている風間志郎じゃない。ただ単に風間志郎の記憶と情報を持った塵機の固まりだからな。殺人衝動がキテる」
「…全堂への絶対忠誠を仕込まれる前に逃げたのに…助けたのに…なんで、なんで殺人衝動はあるんだよ…それさえ…それさえなければよぉ…ッ!」
弦太郎は既に泣き出していた。それをいつも慰めていた志郎とは既に壁一枚を隔てている。生物的にも物理的にも。
「全堂たちへの絶対忠誠は、ただ単にそういう風に調整された塵機ってことなんだろうが、殺人衝動は違うんだろう」
二本目のタバコに火をつける志郎の姿は、本当にただの人間にしか見えない。
それも愛煙家だった風間志郎の情報を元に、塵機が再現しているだけの生理現象に過ぎず、やめようと思えば即座にやめることもできるだろうに。
「…なにか分かったんですか? 志郎さん?」
「さあな。それこそ弦太郎の妹…ヒトミちゃんたち専門家が頑張っても分からないことだ。俺には勘でしかないが…殺人衝動ってのは、多分、迷いなんだと思う」
「迷い?」
「他人を塵機に分解する瞬間…一瞬だけ、塵機保持者は相手の人間と繋がってる状態…人間と塵機の間の存在になるわけだろ? 塵機保持者は…戻りたいんだよ。人間に」
その言葉をただの塵機の専門家がいうのならば、ふたりはなんとも思わなかっただろう。
しかし、その言葉は、人々を助けるために戦い、自分たちを戦士にしてくれた男の言葉で、任務の中で市民を守るために塵機保持者にされた被害者の言葉だ。
「俺もまだ人を分解したことがないのに妙ににムズムズしてる、これが殺人衝動だってわかるんだよ」
「…すみません」
「何度も云わせるな弦太郎。あのとき、お前たちが助けてくれなければ、俺は今頃、全堂の命令を聞くだけの塵機の塊になってたよ…謝るな」
「でも、俺…俺…ッ!」
タバコの火を壁に押し当てて消し、志郎は立ち上がり、泣き出しそうな弦太郎を睨み付けた。侮辱でも軽蔑でもない。純粋な怒りだけを瞳に灯して。
「涙を流すな、そして謝るな。自分を救おうとするな。自分を許せないなら相手を許すな」
「…スンマセン、まだ…そこまで行けません」
「人間で有ろうとするな。俺たちクロス・ファイアは人じゃなくて良い。人を守る十字砲火になれ。人で居たいならやめろ」
黙って頷く弦太郎に、志郎は三本目のタバコを取り出した。
「人間じゃなくなった俺からの最後のアドバイスな…ああ、あと、俺は人間じゃなくなったから謝るが、悪いな。結婚式」
思い出したようにあっさりと言い切る志郎に、涙も乾いていない弦太郎が笑った。
「…大丈夫です。島本さんがスピーチやってくれるっていってくれました…本当に残念ですけど、大丈夫です」
「俺も部下に義父さんって呼ばれてる男だから分かるが…弦太郎、今度はお前、翔一に義兄さんって呼ばれるんだぜ? 覚悟は出来てるか?」
「大丈夫だろう、義兄さん?」
バーカ、と弦太郎は笑って云った。
「…お前たちの息子がどうなるのかは気がかりだな。翔一みたいに静かなヤツか…、それか
「弦太郎みたいなウザいヤツか、ですか?」
翔一の言葉に、弦太郎はさっき泣いてたヤツがもうブチ切れそうに熱くなっている。
普通は任務の前に殴りかかるわけもないが、それでも喧嘩をするのが翔一と玄太郎…そして押さえ込むのが志郎の役目。昔から。
「…たしか、兄さんみたいな息子が欲しい、って瞳美ちゃんが云ってたな?」
「え?」
「昔から骨折はしても、風邪とか病気はないだろ? そういう元気な息子が欲しい、ってよ…前に相談しに来たよ」
どうも殴りあう気概を折られたが、それでもなんとなく収まらないのがこのふたり。
「…しゃあねえな、この任務が終わったら…ボコボコにしてやんぜ」
「ああ、いいぞ…俺たちは、死ねないからな」
ちゃんと次の作戦、全堂を捕らえて、生き残って、しっかりとやらなきゃな。
塵機に悲しむことも悩むことさえも奪われる人々、生きることを奪われた人々、不老不死なんてものを打ち砕くために。
ひとりでは勝てない敵かもしれない、だったら相棒との十字砲火で倒す。翔一と弦太郎は行く。
3月2日(日曜日) AM5:37
気付かれないように臨界自由状態にまで分解し、相手の上を取る。そして一瞬で自分を再構築。あとは重力に任せて落下するだけ。
《うおおおおおおッッ!》
親友の命だけでなく、自我すらも奪った力を翔太郎は完全に使いこなしていた。
既に八手一家の四人までを撃破し、残るはたったひとり、母親のレッドのみ。そのレッド=楓も重なるダメージを修復しきれず、満身創痍。
いかに塵機保持者といえど、塵機を補充する暇さえなければ、物理的な破壊力でも倒しうるのだ。
「私は…幸せに…なるん…だ…」
辛くはない。既に家族たちへの愛情は消し去った。精神的なダメージはない。
「…あれ、えーっと…幸せって…」
ほんの一瞬の出来事。落下する翔太郎の左足に出現する赤い鋭利な刃を見つめながら楓は思い出そうとしていた。
物体は、固体から液体、気体とその温度が上がることで姿を変えるが、炎というのは気体以上の熱量のプラズマという状態になっている。
ならば、そのプラズマという形で温度を下げることができればどうなるのだろう。
もちろん自然界には存在しえない状態。だが塵機ならば表現できる。燃え立つ刃で足を飾れる。
《固形雷打蹴撃破ッ!》
「…幸せって、なんだっけ…?」
刃となった炎が楓を両断し、次の瞬間には固形化を解除された炎によってその全身の塵機を連鎖的に燃やすことで、粉塵爆発を起こす。
ただ幸福だけを願い、祈り続けた主婦の記憶を受け継いだゴミのカケラは、跡形もなく消失していた。
《…もし、あなたが家族の恨みを晴らすために戦ってたなら…ジブンでは…勝てなかったかもしれません…》
戦いの最中、玄関を封鎖し続ける余力が八手一家にある訳もなく、さらに塵機保持者への対抗部隊であったクロス・ファイアも既に壊滅状態。
警察も周辺を形ばかりに封鎖しているだけで、病院内には人影はなかった。たったひとりを除いて。
《瞳美さん、ですか》
「思い出したの? あたしのこと…自分のこと」
塵機に分解され、物理的な破壊力で砕かれ、ボロボロの病院の中、決着を待っていた女医。その名前は寺田瞳美。
寺田弦太郎の妹であり、小野田翔一と将来を誓い合った。彼女は粉塵で汚れながらも、大きな怪我もないようだった。
《いいえ、ジブンが分かるのは、以前にあなたを愛していたということだけ…男としてなのか、兄としてなのか、そんなこともわかりません》
「…じゃあ、あなたはやっぱり…兄さんか、翔一なのねっ? どちらかは生きているのねっ!?」
《そして、ジブンではない方は確実に死んでいます》
その言葉に、現実に、砂煙で汚れた頬を瞳美は自分自身の涙で洗うことになり、その場に崩折れそうになった。
それを抱きかかえたのは、臨界自由状態から即座に固体に戻った翔太郎だった。
翔太郎には分かることは、この光景は翔一も弦太郎も絶対に見たくなかった光景だということだけ。
分かるのに、今の翔太郎には瞳美に対して懐かしさのようなものは有っても、愛してはいない。
《もう、ジブンにはあなたと血を分けた肉体はないし、あなたにお兄さんそっくりの息子さんを見せてあげることもできない…だから、もう、ジブンは…》
「それでも、それでも…ッ」
自分でない方は死んでいると云ったが、そもそもどちらにしても、その肉体も記憶も残っていない。
残っているのは、その人格のカケラを宿した無数の塵のような機械だけ。
《ジブンは…もう、行きます》
「…どこにッ? あなたには…殺人衝動はないはずよッ!」
《それもなんとなく、わかってます》
きっと頑張ってくれたのだろう。翔太郎が眠っている間に調べてくれていたのだろう。
殺人衝動自体が原因の分からない現象なのだが、志郎の意見が正しいならば…。
その殺人衝動が塵機保持者が人間に戻ろうとする本能的なものだとすれば、過去の人間としての記憶を持たない翔太郎には無縁な現象ではある。だからこそ判る。翔太郎がすべきことが。
《ジブンには殺人衝動がなくとも…今、塵機保持者五人を…破壊しました》
「それは…しょうがないことでしょうっ…法律でも…ッ」
瞳美をその胸に抱きながら、翔太郎は静かに傷だらけの床に意識を集中する。
塵機保持者は、何度分裂しても元の姿に戻れる。それは元の姿を揺らがず強くイメージできるから。
だから歳を取らないが、変身や変形はできない…だが、よほど強くイメージできるものならば別だ。
周囲の病院の破片やら何やらから、必要な元素を取り出して塵機の性能自体を変質させ、思う形に作り変える。
そこに現れたのは瞳美も見覚えが有る姿、弦太郎も欲しがっていた翔一の総排気量千二百CCバケモノ違法改造バイク、シュタルカー・ヴィントの形を再現。
以前の任務で志郎を助けるためにオリジナルは失われているし、塵機でできているのでガソリンを必要とせず、スペックもオリジナルを大きく上回っているわけだが。
《法律で殺してよければ殺していいとは…ジブンには思えません》
「でも、塵機保持者を閉じ込められる刑務所なんてないし、あなたがやらなければ…八手一家は誰かを殺し続けてたわ」
瞳美は未だに泣き続けているが、語調を強く云う。慰めているんじゃない、翔太郎を止めようとしているのだ。
《ジブンは…あなたの涙を受け止めることはできますが…止めてあげることはできない。あなたに弦太郎と翔一のふたりを返してあげることが…できないから」
無意味な記憶だけ有っても、自分が誰かも分からなくてはしょうがない。ジャンクな記憶の中には急接近したハレー彗星を直接見た記憶がある。
宇宙を自由に飛び回っているように見える彗星で、あんな風に自由になりたいと思ったことも覚えている。
そして同じ軌道を巡航していると教えられたのがショックで、判っていても…翔太郎は帰ってこれるハレー彗星を羨ましく思っていた。
《ジブンが行きます。これから流れる涙を食い止めることはできると思いますから》
それでも行かせない、そんな風に翔太郎を瞳美は離さない。涙は止まっていないが、これ以上、兄も恋人も死地には行かせたくはない。
ずっとクロス・ファイヤなんて特殊部隊は辞めてくれと云い続けて来た。それでもふたりは戦い続けた。塵機の魔の手から人々を護るために。
だから瞳美も塵機研究の道を選んだ。人々を護るふたりを護るために。
《離して下さい、瞳美さん》
「…ヤだ」
《ワガママ云わないでくださいよ》
「…ヤだ」
仕方ない、とばかりにシュタルカー・ヴィントが霧散し、続いて翔太郎も消える。臨界自由状態。
次に瞳美が見たのは、バイクに跨ってエンジンを吹かしているガイコツを首に乗せた背中だった。
「…あなたが待てないなら…あたしが待ってるから! あなたが翔一でも兄さんでも…翔太郎でもッ、待ってるぐらいさせろっ!」
翔太郎がなにか云ったのだろうがエンジンの音で掻き消された。
しかし、それでも翔太郎は背中越しにサムズアップを瞳美の瞳にしっかりと焼けて、警察の包囲網へとバイクを飛ばした。
シュタルカー・ヴィントは警察の包囲網を、ドリフトで強行し、あるいは臨界自由状態ですり抜け、なんの苦労もなく離脱していく。
…警察ですら翔太郎ひとりを止められないその現実。
塵機保持者によって流される涙、塵機によって掻き消される流されなければならない涙。
ひとりでは勝てない敵かもしれない、だったら相棒との十字砲火で倒すべきなのかもしれない。
だが、今の翔太郎には、翔一における弦太郎、弦太郎における翔一が居ない。
何が正しいのかは分からない、それでもアクセルを緩めることだけはできなかった。
締め切りの9月2日と3日が仕事で一気に書いて、推古する時間がありません。
空想科学祭りが終わったらストーリー修正する可能性も有るので、このバージョンが好きな人はコピペとかしとくといいかもしれません。