果てしない炎の中へ
2月28日(木曜日) AM11:13
――甘かった。
追いやられた物置の中、そう認識した時点で、彼らの勝ちは無くなった。
警戒はしていた。だからこそ相手の戦力が最も少ない日中を狙った電撃作戦を決行した。
一般の社員が多くいることも分かっていたし、装備も非致死性の麻酔薬や、スタン弾をそろえていた。あの男を捕らえるために。
「…生きてるか、翔一?」
「なんとか、ね」
ヘルメットの頭頂部からブーツの爪先まで、上下繋ぎのカーボン繊維の強化スーツには着色などは全く行われず、鉛筆と同じ真っ黒の炭素色。
唯一、色が違うのは視界を確保するために合成プラスチック製の赤いゴーグル部分だけ。マジックミラーの原理で外側から見ると赤だが、内側からはクリアに見える優れもの。
黒装束に頭部には、火のような赤い十字架型のレンズ、この制服ゆえに彼らは十字砲火と呼ばれていた。
今、会話をするふたりだけでなく、既に倒れ伏した数十人の隊員、全員合わせて対テロの最終兵器、クロスファイア…そのはずだった。
全面ガラス張り、窓は六角形を多用した幾何学模様で作られ、日光の中ではそれ自体がカットされた宝石のように輝く。
二十七階立てのビルにはたったひとつの企業が入り、その社員の数は百人では利かず、彼らは自分の雇い主たちが裏で何をしているかもしらない一般人。
だから作戦が立案された時、チームの中で一般社員たちにかなり高確率で危害が及ぶと訴えられたが、状況次第では社員たちを見捨ててでも、ターゲットの確保を優先するという非常指令が下された。
故にこの任務はただの警察では後腐れを残す。それならば彼らクロス・ファイアだけでやるしかない。
「残ってるのは俺たちだけ、って感じだな。他は全員…“外された”連中だけだ」
無意識に彼は懐に手を伸ばすが、強化服の中にはタバコもライターも入れていないことを思い出し、相棒にも持っていないか聞こうとするが親友が嫌煙家であることは百も承知、諦めた。
「急がなきゃね、弦太郎…この作戦、失敗だ。もう僕らには全堂を倒す方法がない」
全堂全一、その男こそ今回のターゲットであり、この全堂電器の代表理事兼社長。全堂自身も科学者であり、販売されている商品の多くに彼の開発した技術が使用されている。
表向きにはただの科学者であり、その名前も事件の捜査中にはずっと上がって来なかったが、気付くべきだった。
誰かが気付いてこうなる前に止めるべきだった。“あの発明”が完成するより早く、全堂を拘束しなければならなかった。
「…クソ、腹立つぜ…これだったら二十年前、八手事件のときに証拠がなくても殺しておくべきだったんだよなぁ…」
「冗談なんて云ってる場合かい?」
「そんな場合じゃねえよ、だから本気で云ってんだ。俺がそのときに居たら、捕まってでも…」
云ったらそうしようと決めていたのだろう、翔一が相棒の顔面に拳を振りぬいた。
殴られた弦太郎はヘルメット越し、殴った翔一の方も強化服の上から殴っているため、痒いことはあっても痛くはない。
それを分かった上でも、殴られるという行為には相応の意思が感じられた。
「“彼女”を残して、君は捕まっていい立場か?」
「…何様だ翔一…お前もそうだろ。捕まるとか死ぬとか、そういうのはナシだ」
分かってるよ、そう云わんばかりに翔一は先ほど殴った拳を解き、弦太郎へと差し出す。
弦太郎もその腕を取り、しっかりと手と手を結ぶ。
簡単に脱出はできないが、それでも彼らが諦めるわけがない。彼らはまだ“外れ”ていない。
こんな状況では、大して選択肢が多くないことが幸いする。迷ったり恐怖することもないからだ。
物置に立てこもっていても不利になることは確実。すなわち、もっとも適当な作戦は物置から飛び出し、ひたすら下を目指して階段を降りていくこと。間取りは頭に入っている、行くしかない。
「…これでふたりとも“外され”もせず、生きて出られたらちょっとした映画だな」
「そんな普通な映画じゃ誰も観に来ないさ、そうだろ? 義兄さん?」
「…翔一、次にそう呼んだら、お前には親友に殴り殺されるっつーバイオレンス映画の主演男優賞な」
口調は乱暴だが、弦太郎の眼が笑っていることは赤いゴーグル越しにでも翔一には分かっていた。
ふたりは勢いよく、それでいて音も立てずにドアを跳ね開け、やはり無音で階段へと走る。
人通りの少ない階段を選びたいが、そもそもどこだろうと見張りがいるだろうし、それならば一番近い東側内階段を使うべき。階段から下の踊り場を見渡せば、翔一や弦太郎と同じクロスファイアの制服姿をした男が四人、しっかりと立っていた。
「…右肩に赤いマーキングと星型のマーキング…小野田翔一と寺井弦太郎…だな?」
「その声は…島本隊長っすか」
平静を装いつつも、弦太郎は内心で戦慄していた。
島本隊長も離脱できなかったんだ。外されて敵になったらしい。
「あー、弦ちゃん、今、隊長が逃げ遅れた、とか思ってるだろう。違うんだよな。島本隊長は俺たちを助けようとして遅れたんだよ。隊長の名誉のために云っておくけど」
その陽気な声に、翔一や弦太郎は覚えがある。同じクロスファイアのベテラン隊員で、翔一や弦太郎がクロスファイアに入ったときの歓迎会で、ひたすら男性アイドルグループの曲ばかり歌っていた男。
娘さんが大好きで、話題にしようと覚えだしたら本気でハマってしまい、今では娘に呆れられるくらいだと一人で勝手に笑っていた。
「お前たちは…どっちだ? リミッターは…“外して”もらったのか?」
「ええ、もちろん。僕も弦太郎もさっき全堂さんに直接“外して”いただきました」
翔一は涼しい声でウソを吐いた。
リミッターはまだ付いたままだし、そもそも全堂になど会ってはいないが、外見上はそれを見分ける手段は翔一や弦太郎にはないし、島本隊長もそれは同じはずだ。
「…どこに行こうとしているんだ?」
「どこにってことはないんですけどね、ただ他に隊員が残ってないか、探してるだけですよ」
次に応えたのは弦太郎だった。ここさえ通り抜けられば、なんとでもなる。
島本以外の隊員だったら、ウソを見抜かれたとしても勝てる自信と公算がふたりには有った。
「そうか、それなら…試しておくか?」
島本隊長は無造作に隣にいた隊員、さきほど調子よく喋っていたジャニーズ好き隊員の肩を掴んだ。
「…え?」
本当に突然、意識する暇もなく島本隊長はその隊員を抱き寄せ、ヘルメットを外して首を締め…海辺で小さな貝を踏み潰したような音と共に、隊員の首を折った。
「…なッ…」
こんなことができるということは知っていた。島本の格闘能力、特に絡技を考慮すればこれぐらいできて当たり前。
だが、隊長が。無愛想だが、それでも部下全員を無骨な父親のように守ろうとしていた隊長が、先ほども部下を助けるために逃げ遅れた隊長がこんなことをするなんて。弦太郎にとっても翔一にとっても想像の外の出来事だった。
――これが“外された”、ということなのか。
「ほら、ふたりの…どっちでもいい、松村にトドメ入れろ。息はできているが文字通り虫の息。これも文字通りだが、息の根を止めるだけでいい。それだけで俺はお前たちを信用できる。お前たちはリミッターを“外して”もらった、ってな…そうだろ?」
そうだ、彼の名前は松村だ。松村麗也。娘さんからは『なんでお父さんはあたしに自分よりキレイな名前を付けてくれなかったの』、そう云われていたと愚痴っていた男だ…弦太郎の脳裏にはそのときの松村の楽しそうな表情が焼印のように張り付いている。
放置していてもこのままでは松村は死ぬ、そういう状態だ。だったら早く楽にしてやった方がいい。自分たちも死ぬわけにはいかない、簡単だ。いくらでもトドメの刺し方はある。
だが、弦太郎は動けない。即断できない。“外された”人間ならば嬉々としてできることが、何秒あっても決断できる気がしない。
「…じゃあ、僕がやらせてもらうよ? 弦太郎?」
弦太郎の主観で果てしなく長い五秒。島本隊長たちの疑惑が巻き起こる一瞬前に翔一は前に出た。
いかにも“親友に譲ろうと思っていたが、やはり我慢できずに自分が出た”、そんな様子で。
「翔一…ッ?」
「もう遅いよ、僕がやる…譲らないからね、絶対に」
いつもと変わらない口調で、本当に楽しいゲームでもするようなテンションで翔一は云う。
だが、それでも弦太郎だけには見えている。赤いゴーグルの向こう側で翔一がどんな顔をしているのかを。
親友が自分の命を守るために、手を汚そうとしていることが痛いほどに分かっていた。
翔一はクロスファイアの標準装備のナイフを左手に構える。支給ナイフは両腕両用であるし、隊員はどちらの手でも扱えるようにならなければならないが、それでも確実に殺すために、とばかりのアクションで利き腕の左手に取りだしてみせる。
その上で、首元にジリジリと焦らすようにナイフを近づけていく翔一。弦太郎にはその姿は迷いを削っているようなしぐさに見えた。
緊張からか、ふたりはある音を聞きそびれていた。真下からくる階段を昇ってくる音。
「…をを? なんだ? 面白そうなこと、やってんじゃん?」
「へえ、なにしているんですか、私たちに内緒で」
現れた人物はふたり、そしてそれは弦太郎と翔一に、先ほど島本が松村の首をへし折ったときと同等の衝撃を与えていた。
ひとりは時代錯誤、というか、どの時代にも存在しないようなコスチューム。
改造してあると一目でわかるドレスのように裾を引きずって歩くセーラー服に下駄、首元にはこれも床に付くように長い黄色いマフラーをしており、大きく開かれたセーラー服の胸元にはサラシを覗かせる女性。だが学生には見えない。
年の頃はその辺りなのだが、下駄で底上げされた百八十センチ背丈とその瞳には世界全体を見下すように、全てを嘲るような自信に溢れた笑いが揺れている。
この女も充分驚く容姿をしていたが、一緒にいる男はそれ以上だ。二十代前半のそれなりの長躯に体格、単なる色眼鏡に黒のジャージ…いや、服装はそうでもないが、この男こそ全堂全一、クロス・ファイア隊の標的だった男だ。
「全一殿、お疲れ様です。今はこのふたりが“外されているか”を確認していたのですが…ちょうどいい、このふたりは全一殿に“外していただいた”と云っているのですが、覚えは?」
この状況、翔一は自分たちの命が危険に晒される危機感に煽られていたが、弦太郎は逆だった、標的の方からやってきた好機だと。
松村を自分や親友が殺すくらいなら、自分の命をかけて特攻…その方が少なくとも弦太郎にとっては気が楽だった。
全一たちが知らないと云ったら、そのタイミングに島本たちと刺し違えてでも、全一だけはなんとかする…そんな覚悟に肩透かしをさせるように脱力したように全一が喋る。
「覚えてないけど…っていうかさ、もういいよ、君たち」
「…は?」
「ここは拠点として使いやすかったんだけどさァ。キミたちのせいでもう使えないからね、これから別のアジトにこの惑星番長ちゃんと一緒に移動するよ」
「それでは…我々は?」
島本隊長は一時間前までは命すら狙っていた男に向けて、ひどく萎縮していた。これが“外された”人間だというのだろうか。
だが、そんなことは関係ないとばかりに学生服の女、惑星番長は掌を名前を思い出せないふたりの隊員の頭の上に置いた。
「面倒だから消えろや」
突然だった。ふたりの隊員が崩れた。
膝を着いたとか倒れたとかそういう意味合いではなく、シンプルな意味で崩れた。
脱皮した蛹のようにというか、服とヘルメットだけが残っており、中身だけが消えている…否。
「灰…ッ?」
ヘルメットが取れた隙間から、線香を焚いたあとに残るもののような、キレイな灰が出てきた…状況的に、その灰がキレイなものでないことは誰の目にも明らかだが。
惑星番長は一言も発さず、静かに島本隊長の頭にも手を乗せる。
「逃げろッ! 隊長!」
弦太郎の叫びは命を重んじる“外れていない”人間独特のものであり、自分たちがリミッターの付いている人間であると知らせている。
そんなことも考える余裕もなく弦太郎は叫んでいたが、それもむなしく、島本は反抗する様子もなく、前のふたりと同じように灰にしてみせた。
「う…ぐ…」
「隊長…」
一切抵抗せず、安心しきった子供のようにあっさりと殺されていた。その様子は弦太郎の理解を超えている。
もちろん理解できないのは翔一も同じだが、彼は理解できなくとも動くという習性を生まれながらに持っている、そういう人種だ。
「弦太郎ッ!」
翔一は構えていたナイフを弦太郎に手渡し、自分は左右の太股にマウントしてあった電磁警棒を、弦太郎は渡されたナイフと自前のナイフを逆手に構えて二刀流…それで向かっていくのではなく、階段を何段か登って距離を作る。
階段での戦闘では例外はあるが、相手の武器が不明なら上に行くべき――そんなセオリーな反応に満足そうに惑星番長はセーラー服を脱ぎ捨て、全堂に押し付けた。それはそのまま階段の下でそれ持って見てろ、そういうジェスチャーであり、全堂もそれは分かっている。
「いいじゃん、抵抗してもらった方が殺人、って気がする。さ、来なさい? 俺は被害者なんかじゃないから気兼ねなく、ね」
その言葉に翔一も弦太郎も反応しない、明らかなウソだから。あれだけ簡単に人を殺しておいて被害者でないわけがない、それは全一によって“外れて”殺人を犯した者の特徴。
無反応の意味を理解したのか、ただ喋りたかっただけなのか、惑星番長の舌は休まない。
「俺のは生まれたときからないんだよ。だから俺は被害者じゃない、純度百パーセントの加害者だ。安心して掛かって来い」
生まれ付いて“外れ”ているのならば、それは先天障害なんじゃなかろうか。
だが、この女が生まれつきだろうとなんだろうと、翔一や弦太郎が手加減はしない、生きるだけだ。
2月28日(木曜日) AM11:26
二十七階建てのビルの窓はほとんどが割れ、もうもうと黒煙を吐き続けている。
ビルの内部から出火…というか、爆発した。
周辺は警察が避難させていたが、そうでなければ落下するガラスで多くの怪我人、ひょっとしたら死者もでていたかもしれないが、それはもう確かめようがない。
消防隊が到着し、中に突撃するとその中には、多くの全堂電器の社員たちの死体はあった。
だがその死体はもちろんウェルダンになっていたが、死因は火に巻かれたせいではないし、惑星番長や全堂の手で殺されたわけでもない。
ある者は鉛筆で喉笛を貫かれつつも電器ポットで同僚を殴た状態で生き絶え、ある絞殺死体は別の死体を絞め殺しており、その被害者もまたもうひとりを絞め殺した状態で死んでいた。
互いに殺し合った阿修羅地獄で生き残っていたのは、東側内階段の中で意識を失った男がひとりだけだった。
最終回、すげぇ良かったです。
ただ、6月4日からの新番組は…白は良いけど、宇宙の鉄人っぽすぎるのがなぁ…。
そんな作者です。云ってることが分からないようなら分からないままの方が多分幸せ。