SF作家のアキバ事件簿257 地下水脈に棲むもの
ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!
異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!
秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。
ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。
ヲトナのジュブナイル第257話「地底水脈に潜むもの」。さて、生き埋め女子は一命をとりとめ、徐々に心を開いていきます。
唯一の肉親を探して、長野まで行った主人公らは、そこで豪邸に住む怪しい夫婦と出逢います。一方、秋葉原では地下水脈に棲むものの正体が明らかに…
お楽しみいただければ幸いです。
第1章 DNAドナー
夜のふれあい通り。
通りを見下ろす雑居ビル。外付け階段の踊り場。
メイド服のマリレとスピアは双眼鏡を覗く。
「ねぇ、ちゃんと考えた?
ただの他人の空似じゃないかもよ?
貴女のDNAドナーの可能性だってある」
「だから?」
「血縁ってこと。家族よ、貴女の」
マリレは双眼鏡から目を離さない。
「やっと見つけた家族が、正気じゃないって?
笑えない冗談はよして」
「ロリィと家族。ロマンあるじゃない」
「悪夢の間違いでしょ」
間。
「ねぇ、あそこ」
「見張るのは万世橋警察署」
「八百屋の裏」
「だから…」
「始めたわよ」
沈黙。
「まいっチング」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
万世橋警察署。取調室。
「もう2日よ」
ダーナ捜査官は机に肘をついて、
横からロリィの顔を覗き込む。
「貴女が協力してくれれば、次の被害を防げる。
どんな奴だったのか、それだけで良い」
ロリィの視線は壁の角に固定されている。
「終わったら外神田ERまで送るわ。護衛も増やす。
もう危険な目には遭わせない」
指先で、そっと金髪に触れる。
「誰がやったの?」
沈黙。続いて。
「時空テロリストよ」
ダーナが眉をひそめる。
「何?」
その瞬間、ロリィの表情が崩れる。
「嘘でしょ…いや、来る、来る!」
椅子を蹴り、部屋の隅へ。
「どうしたの?」
「戻ってきたのょ!奴らが!」
「誰なの、奴らって」
ロリィは、ダーナを突き飛ばす。
「近づかないで!」
ドアが開き、警官が2人なだれ込む。
ロリィを押さえつける。
混乱の中で、ロリィの指が静かに動く。
ポケットに、1本のボールペン。
「あまり手荒にしないで」
ダーナの声は冷静だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
雑居ビル、踊り場。
「ほんとにあんなトコロでヤる?」
「いいぞいいぞ」
「みんな壊れてるわ」
スピアがため息をつく。
そのとき。
「マリレ、動いた」
双眼鏡の中。
拘束されたロリィが、救急車へ押し込まれる。
その指先で、ボールペンが光る。
「追うわよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜の首都高。ベンツ770Kが救急車を追う。
「確認だけどさ」
スピアが横目で言う。
「私たち、百合に戻ったってことで良い?」
「今、その話?」
ハンドルを握るマリレの視線は前だけを見ている。
「だってさ。
深夜に、イカれた少女の乗った救急車を追跡。
理由なんて1つしかないでしょ」
「好きに解釈して」
「否定しないのね」
スピアは、少しだけ愉快そう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
神田消防の救急車内。
ロリィの指が動く。
ボールペンの先で、拘束具のフックを外す。
静かに、確実に。
次の瞬間…
「何を」
運転席の背後から飛びかかる。
ハンドルが大きく切られる。車体が蛇行する。
横転。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
追尾するベンツ770Kも急停車する。
ドアが開いて、マリレが飛び出す。
「大丈夫!?」
歪んだ車体に駆け寄る。
ガラスの破片の中から、ロリィが這い出てくる。
「落ち着いて。助けに来た」
「来ないで!」
突き飛ばされる。
その瞬間。
乾いた…銃声?
「伏せて!」
マリレは、ロリィに覆いかぶさる。
再び銃声。
「車に!」
「狙撃されてる?音波銃だわ」
「ここにいたら死ぬ。私と来るの。OK?」
ロリィが激しくうなずく。
マリレは立ち上がる。
視線の先、闇の中。
わずかな熱源。
「見つけた」
手をかざす。
爆発。
遠くの車が炎に包まれる。
ロリィが息を呑む。
「早く!」
2人は走る。エンジンが唸る。
さらなる銃声が追う。
月光の下、ベンツは滑るように闇に消える。
第2章 警部とサーフボード
液晶モニターの中。
赤い上着のニュースキャスター。
「外神田ERからの情報によりますと、
ロリィ・デプリは搬送中の救急車内で突如、
興奮状態に陥り…」
その映像を横目に、僕はスマホ。
「今、どこだ?」
「代々木SAの西、2kmくらい」
夜の首都高。代々木線。
路肩に停まったベンツ770K。
マリレがスマホを耳に当てている。
スピアは外に出て煙草をいじっている。
ロリィだけが、車内に閉じ込められている。
「このサイドミラー、部品だけで1万円よ」
「それ、今言う?」
ニュースは続く。
「現場には焼損した盗難車が残されており、
事件との関連は依然不明です」
エアリの声。
「ロリィ、どんな様子?」
「完全に壊れてる。
走行中に3回飛び降りようとした。
今はベンツの中に閉じ込めてるけど…」
ガン、と鈍い音。
ロリィが窓に頭を打ちつける。
「…獣みたいに暴れてるわ」
「それ、修理費いくら?」
スピアがつぶやく。
画面にはロリィの顔写真。
「目下、万世橋警察署では…」
エアリが息を呑む。
「ロリィの顔、出た…秋葉原に戻るのは危険ょ」
「ねぇ、ちょっと良い?」
スピアが車体を軽く蹴る。
「私たち、いくら使えば気が済むの?」
車内でロリィが喚く。何かを引き裂くような声。
僕は言う。
「青い結晶のこと、何か聞き出せないか?」
「会話が成立すればね」
マリレは短く切る。
「ねぇ、やめてって言ってるでしょ!」
ダッシュボードを叩くロリィ。
「ほら見てよこれ!」
スピアが両手を上げる。
「何やってんの、私たち」
マリレは前を向いたまま言う。
「説得するしかないでしょ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ラギィのアパート。ガレージ。
電動ノコの音。木屑が空気に舞う。
「警部!」
カレルが声をかける。
ラギィが顔を上げる。
「あら、カレル」
「何してるの?」
「え。何に見える?」
「いや、見ての通りって言われても」
ティルも覗き込む。
「工作?」
ラギィは笑う。
「その通り。こういうの、久しぶりなの」
カレルは足元の紙を拾う。
木屑にまみれた、書類。
「これ、告訴状じゃないか!」
ラギィは肩をすくめる。
「時間だけはあるから」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パーツ通りの"タイムマシンセンター"。
顕微鏡のレンズ越しに、青い結晶が脈打っている。
「何かわかった?」
エアリが覗き込む。彼女もメイド服だ。
何しろ、ここはアキバだからね。
「細菌に近い。でも違う」
僕は言う。
「たぶん別の世界線から来たバクテリアだ。
僕たちの世界線の生物じゃない」
エアリは黙る。
「ミユリ姉様に聞けば?」
「巻き込みたくない」
短い沈黙。
エアリは口を尖らずす。
「そーなの?」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷。ホール。
今日も満席だ。ざわめき。
「つまりマリレとスピアは、
指名手配犯と一緒に逃走中ってこと?」
僕は頭をヒネる。
「犯人じゃないわ。ただ手配されてるだけ」
エアリが訂正する。
「なるほど」
アレクが妙に納得する。
「で、どうするの?言い訳」
「帰ってこられないのよ、しばらく」
「誰が?」
背後から声。
振り返ると、ションが立っている。
「何の話?」
ミユリさんが笑顔を作る。
「内輪の話よ」
「Sが無断外出してるんだろ」
「ション、日本語で頼む」
アレクが言う。
「で、スピアはどこだ」
沈黙。
ミユリとエアリとアレク、そして僕。
全員の視線が一瞬だけ交差する。
「知らないわ」
ミユリさんが代表答弁。
「エイミおばさんがパニックでさ。
君に会いたいって」
ションはあっさり言う。
「わかった。行ってくる」
ミユリさんはメイド服の上に羽織る。
「大騒ぎにならないように、安心させてくるわ」
「それが良いカモ」
エアリがうなずく。
2人は立ち上がる。
「そのメイド服、おヘソが見えて可愛いね」
「やめて」
ミユリさんは睨む。
「テリィ様がお好きなの」
口を尖らす。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
路側帯に停められたベンツ。
まるで呼吸を止めた生き物のように沈黙している。
「貴女の力になりたいの。
家族のことを教えて。難しくないでしょ?」
閉め切った窓越しに、マリレが静かに語りかける。声はやわらかいが、どこか硬質なものが混じる。
拒絶されることを前提にした優しさ。
ボンネットの上でスピアが長い脚を投げ出し眠る。
あるいは眠っているフリをしている。
「少しは信用してよ。
誘拐犯から助けて、救急車からも連れ出した。
赤の他人がそんなことをすると思う?」
ロリィは応えない。ただ窓に額を押しつけたまま、
どこか遠くを見ている。
突然、クラクションが鳴る。
短く、苛立った音。
スピアが跳ね起きる。
「マリレ、何を言っても無駄よ。
お腹すいた。どっか行こ」
「どこ?」
「代々木公園SA。名物のカップかつカレーは
世界一まずいけど、抹茶サイダーは最高」
「警察に追われてるのよ?」
スピアは肩をすくめ、運転席に滑り込む。
「大丈夫。ああいう店に来るのは、
よっぽどの物好きか、食レポのブロガーだけよ」
エンジンがかかる。
低く震える。
後部座席に座り直したマリレは、
もうロリィを見ない。
車は、夜の隙間へ溶けるように発進する。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"マチガイダ・サンドウィッチズ"。
アレクとエアリは、笑いの余韻を引きずりながら
パーツ通りに出る。
「それでね」
「エアリさん?」
声が差し込まれる。
滑らかに、寸分の隙もなく。
振り向くと、ダーナ捜査官が立っている。
胸元のバッジが、夜の光を冷たく返す。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
万世橋警察署。会議室。
本来は議論のための部屋だが、
今は沈黙を強いるための場所になっている。
ドアが開き、ダーナが入ってくる。
エアリはすでに座っている。背筋はまっすぐ。
逃げ場を最初から持たない姿勢だ。
「メイド長は呼ばないんですか?」
「あなた、もう立派なメイドでしょ?」
ダーナは椅子を引き、ゆっくりと腰を下ろす。
「だったら弁護士を」
「逮捕されていないのに?必要ないわ。
ただ話を聞きたいだけ。リラックスして」
リラックス、という言葉が空中でひび割れる。
ダーナは机に肘をつき、エアリの顔を覗き込む。
「ラギィ警部は、失踪届が出る前に
既にロリィの失踪を知っていた。
埋められてた場所も。理由は話さない」
1拍置く。
「変よね」
エアリは何も言わない。
「森の中よ。偶然見つけるような場所じゃない。
なのに彼女は知っていた。どうして?」
ダーナは立ち上がり、歩き、また座る。
「私はね、テリィたんか、
あるいはあの"メイド長"が関係してる
そう思ってるの」
静かな声だ。
「だって貴女たち、いつも現場にいるでしょ?」
「実は、自転車をなくしたので」
「ええ。それは聞いた」
笑っていない笑顔。
「でも、自転車を探してるうちに、
犯罪現場へ辿り着く確率はどれくらい?」
沈黙が、答えの代わりだ。
「ねえ、エアリ。貴女の秘密は何?」
エアリはゆっくり首を振る。
「すべて、ハンソ警部代理に話しました」
「嘘ばっかり」
即答だ。
「私は所轄とは違う。南秋葉原条約機構ょ。
嘘をつく相手を間違えると、
色々面倒なことになるわ」
ノックの音。
空気が少しだけ緩む。
「何なの?」
苛立ちを隠さず振り向くダーナ。
ハンソが顔を出す。その後ろに、見慣れない男。
「少しよろしいですか」
「後にして」
だが男は一歩前に出る。
「今朝、森でこれを見つけました」
毛布にくるまれた何かが机に置かれる。
静かに、しかし確実に場の温度が下がる。
「現場から約2km離れた地点です」
毛布がめくられる。
そこにあったのは、狙撃銃。
銃口がラッパ型に開く音波銃タイプ。
無機質な金属の光。
エアリの視線が、それに吸い寄せられる。
そして…
わずかに、呼吸が乱れる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
代々木公園SA。
夜なのに、昼間より騒がしい。
シャコタンの車列が無意味な誇りを並べる。
エンジン音だけが妙に元気な老いたSA。
「ずいぶん時代遅れなメニューね」
紙のメニューをめくりながら、マリレがぼやく。
「これ、缶詰から出した方がマシかも」
ロリィは椅子に浅く腰掛けたまま、
落ち着かない視線で店内を見回してる。
「トイレ。トイレに行きたいわ」
唐突に口を開くロリィ。
「いいわよ。スピア、一緒に行って」
マリレはあっさり許可を出す。
露骨に顔をしかめるスピア。
「このSAのトイレに?ドアもついてないのよ。
個室も1つだけ。ほぼ展示品みたいなもんよ」
ロリィは答えない。
ただ、じっとこちらを見ている。
「でも見張ってないと逃げるわ。でしょ?」
沈黙。
スピアは身を乗り出す。
「そういうこと?ねぇロリィ。
私はあんたのママじゃないの。
だから"おしっこの間手を握る係"は
出来ないわ。OK?」
間を置いて、にやりと笑う。
「ここはひとつ、信頼関係を築きましょう」
指を1本立てる。
「私たちは、
森であんたを飢えた時空テロリストから守った。
覚えてる?」
もう1本立てる。
「この秋葉原で、そこまでやる人間、他にいる?」
そして3本目…は立てない。
代わりにテーブルをトン、と叩く。
「選択肢は2つ。A。この席に戻ってきて、
行儀よく私たちと"美味しい"食事をする。
B。池袋を目指して首都高を徒歩で旅する」
1拍置く。
「どっちがマシか、よく考えて」
そのまま顔を上げ、大声で言う。
「ねぇ!いつになったら、
オーダー取りに来てくれるの!」
店内の空気がわずかに凍る。
ロリィはすっと立ち上がる。
何も言わずトイレの方向へ歩いていく。
その背中は軽い。
逃げる人間のそれにも見えるし、
戻ってくる人間のそれにも見える。
「…大丈夫かしら」
マリレが小さく言う。
スピアは肩をすくめる。
「たとえ逃げたって大丈夫よ」
そして、まったく逆の方向を指差す。
「池袋はあっちだもん」
マリレはその指の先を見て、
それからスピアを見る。
何も言わない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
エミリおばさんのマンション。
空調の効いたリビング。
エミリは、深くソファに沈み込む。
くつろいでいるように見えるが、
指先は神経質にソファの縁を叩く。
「スピアなら、きっと大丈夫ですよ」
向かいに座るミユリさんは、
慎重に言葉を選ぶ。
「さっき、ソロキャンプに行くって
スマホで話しました」
「ああ、やっぱり」
エミリはうなずく。
その頷きは、納得ではなく、確認だ。
「そうだと思った」
テーブルの上に何かを放る。
「これ、何だかわかる?」
「ズボン下?」
「YES。スピアのょ」
間が落ちる。
「なんで防寒着もズボン下も家にあるの?
明日は台風よ」
エミリはゆっくりと顔を上げる。
「いろいろ考えたの。考えて、考えて…
結論はひとつ」
1拍置く。
「ソロキャンプなんて嘘」
ミユリさんは、溜め息をつく。
「この子が私に嘘をついたのは、これで5回目。
毎回、どこかへ消え、何かをやらかしてから
帰ってくる」
少しだけ笑う。
「だいたい私のベンツでね」
沈黙が部屋に溜まる。
「ミユリさん。貴女のことは、
家族同然に信頼してる。
スピアの親友で、しかも…」
言葉を選ぶ。
「同じテリィたんの元カノ同士」
軽く、しかし逃げ場のない言い方だ。
今カノです、とは言い切れない。
「かばい合う気持ちはわかる。でもね」
視線がまっすぐ刺さる。
「知ってるなら教えて。
あの子が今どこにいるのか」
さらに1歩踏み込む。
「じゃないと、おばさん本気で怒るわよ」
ミユリさんは小さく息を吸う。
「スピアなら大丈夫です。マリレと一緒で」
「やっぱりね」
エミリは肩を落とす。
落とし方は、諦めに近い。
「でも、そんな大げさな話じゃなくて、
観光してるだけです」
言葉が少しだけ軽くなる。
エミリはため息をつき、隣を見る。
ションがポテトチップスを食べながら口を開く。
「安モーテルにでも泊まってるのか?」
「ション、黙ってて」
ミユリさんが即座に遮る。
「ミユリさん。スマホ、貸して」
手が差し出される。
ミユリさんは一瞬ためらう。
「いいから」
短く言う。
差し出されたスマホを受け取る。
「スピアは自分のスマホ切ってる。
でも、貴女には必ず連絡してくるわ」
指で画面を撫でながら。
「その時、私が出る」
顔を上げる。
「無事に帰ってくるまで、
貴女にも、ここにいてもらうわよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都高の路側帯。
ロリィはひとり、歩いている。
とぼとぼ、というより、
重力に従っているような歩き方。
後ろからヘッドライトが近づく。
振り向く。走る。
だが、すぐに追いつかれる。
ベンツ770Kが静かに止まる。
「あらやだ、ロリィじゃない」
ドアが開く。スピアが降りてくる。
「こんなところで会うなんて奇遇ね。
秋葉原に帰る途中?」
ロリィは答えない。その場にへたり込む。
マリレとスピアが歩み寄る。
「ここで何してるの?」
「大丈夫?」
声が交互に降る。
ロリィは顔を上げない。
「ここで休んでて良いわ」
スピアが言う。
「私はマリレとちょっと話してくるから」
マリレの腕を引いて、少し離れる。
「彼女に心と口を開いてもらうには、
本当のことを話すべきじゃない?」
マリレは眉をひそめる。
「冗談でしょ?」
「真実の鍵は彼女が持ってる」
スピアは肩をすくめる。
「選択肢は2つ。全部ぶっちゃけるか、
もう1つは…マリレには無理」
「良いから言ってみてよ」
少し苛立ちが混じる。
「感情に訴えるの。正体をバラすか、
それが無理なら彼女の心を開かせる」
マリレは短く息を吐く。
「どうやって?」
「それを私が教えたら意味ないでしょ」
スピアは笑う。
「マリレの中から出てくる言葉でないと」
1歩下がる。
「自然と湧いてくるモノでしょ。そういうの」
「…やってみる」
「うまくやれそう?」
スピアの目が少しだけ優しくなる。
「ナチに改造されたからって…
装甲空挺兵にだって、人並みの感情はあるのよ」
「それは失礼しました」
軽く頭を下げる仕草。
「しっかりね」
マリレは振り返る。
路側帯に座り込んだロリィ。
その背中は、どこにも属していなかった。
ゆっくりと、歩み寄る。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ラギィのアパート。ガレージ。
乾いた木屑が光を弾く。
ラギィは防塵マスク越しに、
無言で木材に刃を当てている。
回転音だけが、時間を削っていく。
逆光の入口に、カレルが立つ。
機械音が止む。
ラギィはゆっくりとマスクを外す。
「警部」
「どうしたの?」
「余計な心配かもしれないけど…
自分の死刑台を作ってるわけじゃないよね」
1拍置く。
ラギィは小さく笑う。
「似たようなものかもしれないわ」
「やっぱりな」
「違う。ただの日曜大工よ。
こんな休日の使い方、実は久しぶり」
木材を軽く叩く。
「何を作ってるの」
「サーフボード」
「波乗りの?」
「完成したらあげるわ。
あなたがサーファーになった時のために」
「ならないよ」
短く返すカレル。
ラギィは肩をすくめる。
「…でも、確かに私は今、暗闇の中にいる。
出口は見えないけど、足は止めないつもりよ」
「わかるよ」
カレルはうなずく。
そして、少しだけ間を置く。
「でもさ。ティルと、
僕たちのことも忘れないでくれないか」
ラギィの手が止まる。
「生活は、待ってくれない。僕だって必死なんだ。
このまま告訴が取り下げられなかったら…」
言葉を飲み込む。
「みんなで沈むことになる」
差し出される紙。木屑にまみれた告訴状。
ラギィはそれを受け取り、深く息を吐く。
「重いわね」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都高。非常駐車帯。
夜風が低く唸る。街の光が遠くで滲んでいる。
マリレとロリィは、コンクリートの上に
しゃがみ込んで向き合っている。
ロリィは、ずっと遠くを見ている。
マリレは1度だけ溜め息をつく。
「みんな、貴女のことを"壊れてる"って
言うけれど」
沈黙。
「私はそうは思わない」
風が抜ける。
「だって、あんな目に遭ったんだもの。
壊れてない方がおかしいわ。
だから、あなたは正常よ」
ロリィは何も答えない。ただ、視線を動かさない。
マリレは言葉を探すように空を見る。
「これだけは信じてほしい」
少しだけ、声が柔らかくなる。
「正確な関係はわからない。姉妹かもしれないし、 従姉妹かもしれない。でも—」
視線をロリィに戻す。
「この世界線で、初めて会えた"血縁"なの」
1拍置く。
「放っておけない」
ロリィの指先が、わずかに動く。
「私は欠点だらけのサイボーグ兵。
スピアに頼めば即、欠点リストが出来るくらい」
かすかに笑う。
「でも、裏切らない。それだけは約束する」
言葉が尽きる。
「これ以上、うまいことは言えないけど」
静かに言い切る。
「私は、貴女の味方よ」
沈黙。その中で…
一筋、ロリィの頬に涙が落ちる。
本人も気づかないほど、静かに。
「貴女は…おばあちゃんじゃないのね」
「違うわ」
断言。少しだけ笑うマリレ。
「でも、会ってみたいな。
貴女のおばあちゃんに」
ロリィが、初めてマリレを見る。
そして、小さく笑う。
「長野よ」
風が止む。
「おばあちゃんちは、
長野ブロードウェイにあるの」
そして、物語の幕が開く。
第3章 長野ブロードウェイ
暗い室内。
青く脈打つ結晶が、ガラス瓶の中で呼吸している。
机に突っ伏したまま、僕は眠り込んでいる。
コトン。
乾いた音。目を開ける。
コップが床に転がっている。
その先で、瓶が倒れていた。
青い結晶が、膨張している。
「…なにこれ」
思わず身を起こす。
瓶の口から、あふれる。
水色の、粘性のある何か。
それが——
僕の手に、まとわりついている。
「っ…!」
反射的に振り払おうとする。
だが、それは離れない。
ぬめりと温度。
まるで、生きている。
次の瞬間。
それは、すっと収縮した。
僕の手から離れ、床に落ちる。
コツン。
ただの結晶に戻る。
呼吸のように、明滅を繰り返す。
青い光。暗転。青い光。息を呑む。
ゆっくりと立ち上がる。
「…これは」
震える手で、タッパーを掴む。
上から被せる。押さえつける。
内部で、かすかに脈打つ音。
生きている。
間違いなく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
エミリの家。
エミリは、落ち着きなく歩き回っている。
手にしたスマホが震える。
「どうやって出るの…これね」
通話ボタン。
「もしもし?」
「ママ?」
スピアの声。
「そうよ。あなたのママよ。
ミユリ姉様の携帯は没収したわ。今どこ?」
「中央フリーウェイ」
「で、どこへ行くつもり?」
「長野」
一瞬の沈黙。
「どうして長野なの?」
「青森でもよかったけど、
ほら、自由なスナフキン暮らしに憧れて」
「つまり、大自然の中でみんなで輪になって、
ラリってセックスする気なのね?」
「ママ!」
思わず顔を上げるション。
「ママにだって17才の時は色々無茶したわ」
「知ってる。その時の相手が私のパパでしょ?」
「マリレに代わって」
「運転中よ」
「良いから代わって」
スマホが渡される。
「…こんばんは」
「マリレ。よく聞きなさい」
声が低くなる。
「スピアとドライブするのはOK。でも」
間を置く。
「絶対に傷つけないで」
言葉が重く落ちる。
「刺青はダメ。ピアスもダメ。おヘソは特に」
1拍置く。
「もし合意の上で百合なんかしたら」
静かに。
「世界の果てまで追いかけて殺すわよ」
沈黙。
「…はい」
「それと…保釈金が必要になったら電話して」
通話が切れる。
心配げなスピア。
「ママ、なんて?」
「楽しんで来いって」
スピアは笑う。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
リビング。
「警察に届けたら?」
ションがゲームの銃を乱射しながら言う。
「ション!」
「もしものことがあってからじゃ遅いだろ」
「マリレが一緒なら大丈夫よ」
「だから心配なんだろ。
スーパーヒロインなんか信用できない」
「それは貴方でしょ」
睨み合い。
「俺は信用できる。ただ誤解されてるだけだ」
クッションが飛ぶ。
「やめて!」
応戦。笑いと怒号が混ざる。
エミリはため息をつき、キッチンへ。
「家具を壊さないでよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ドアが開く。
僕が立っている。
「こんばんは」
「あら。テリィたん」
「ミユリさん、いますか?」
「ドライブに連れ出す気じゃないでしょうね?」
「いいえ」
「なら、どうぞ」
入れ替わりにエミリは出て逝く。
部屋に入る。
ソファ。
ミユリさんが、ションに押し倒されている。
しかも…楽しげに笑っている。
「降りなさいってば!」
「やだ!」
ふと、ションの動きが止まる。
僕を見る。
「…何だよ」
ミユリさんも気づく。慌てて服を直す。
僕の好きなヘソ出しメイド服。
「テリィ様、どうしてここに?」
「聞きたいことがある。科学ジャンルだ」
一瞬で、表情が切り替わる。
「わかりました」
立ち上がる。
「ポーチ、取って参ります」
去る背中。ションは黙ってクッションを片付ける。
僕は唇を噛む。戻ってくるミユリさん。
上着を羽織っている。
「行きましょう」
「じゃあな」
ションが手を上げる。
「会えてよかったよ、ミユリ姉様」
「ヤメて」
ドアが開く。
夜気が流れ込む。
僕たちは外へ出る。背後で、ドアが閉まる音。
部屋に残されたションは、ひとり頬杖をつく。
その目は、もう笑っていない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
焚き火の炎が、夜を舐めている。
キャンプは、呼吸しているみたいに静かだ。
ランタンの光に背を向け立つ男。ソレソ。
「やあ」
焚き火の脇を抜けて、ラギィが歩み寄る。
「今日は貴方と和解しに来たの」
間を置く。
「確かに私はヤリ過ぎた。ソレは認める。
でも、ソレと私の仲間は別よ。
みんなを巻き込まないで」
炎がはぜる。
返事はない。
「ねぇ、人と話してるのよ。振り向くくらい、
してくれても良いンじゃない?」
もう1歩、距離を詰める。
その瞬間。
ソレソが振り返る。
目が…違う。
獣みたいに濁っている。
低く、喉の奥から出る唸り声。
次の瞬間、跳ぶ。
ラギィの身体が地面に叩きつけられる。
「ソレソ、やめて!」
マウントを取られる。拳。連打。
乾いた音が夜に響く。
ラギィの視界が揺れる。
…だが。
ふっと、ソレソの手が止まる。
「警部…?」
顔が戻っている。
怯えた、人間の顔に。
「なんで…こんなことを…」
一瞬の空白。
次の瞬間。
立場は反転する。
ラギィがマウントをとる。
拳を振り下ろす。
「警部、やめてください!
ヤメてくれ、なんでこんなことを!」
どっちが、どっちだ。
炎だけが、同じ顔で揺れている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「わかりました。直ちに」
通話を切る音。
ラギィのオフィス。
ドアが開く。ラギィが飛び込む。
デスクの向こう。
ダーナ捜査官が顔を上げる。
「ちょうどよかったわ」
冷たい声。
「ソレソさんから通報があった。
接触中に暴行ですって?説明して」
「彼に監視をつけてください」
間髪入れずに言うラギィ。
ダーナは首を振る。
「貴女の指示には従わない。
貴女はもう警部じゃないのよ」
「あの男がロリィを誘拐した。
埋めたのも彼です」
一歩、前へ。
「訴訟の腹いせ?
彼を犯人に仕立て上げるつもり?」
ダーナが立ち上がる。
引き出しを開ける。
取り出されたのは…証拠品袋。
中には、狙撃用ライフル。
「覚えてる?
貴女たちを撃った銃よ」
透明なビニール越しに、金属が鈍く光る。
「あの日、発砲があった。
その銃をソレソが見つけて、持ってきた」
詰め寄る。
「犯人が、わざわざ証拠を差し出すと思う?」
ラギィは息を整える。
「今夜、ソレソと話し合うつもりでした。
ところが、彼は…」
言葉を選ぶ。
「私を"初めて見る人間"みたいに見た。
そして、襲ってきたんです」
沈黙。
「その後で、戻った。
いつもの彼に」
ダーナの眉がわずかに動く。
「彼は、2人いる。
犯人の彼と、そうでない彼です」
「ニ重人格だと?」
「YES。狙撃銃を届けた彼と、
私を襲った彼は別です」
1歩、踏み出すラギィ。
「信じてください」
ダーナは、ゆっくりと首を傾ける。
「面白い推論ね」
そして、微笑む。
「でもね」
その目が、冷える。
「私には、今の貴女の方が…
よほど二重人格に見えるのよ」
沈黙。
ラギィは、動けない。
光は同じなのに、
世界だけが、ズレていく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
タイムマシンセンター。夜。
ガラス越しにパーツ通りのネオンが流れる。
車のライトが、まるで血流みたいに途切れない。
モニターの光だけがラボを支配している。
「これは…フォーラネグレイディアに似ているわ」
ミユリさんが静かに言う。
画面には、青い結晶の拡大画像。
幾何学的で、でも、どこか生々しい。
「構造がとても似ているの。
水を媒介にする寄生生物。
魚類の細胞から発見されたモノよ」
「寄生生物?」
思わず振り返る。
「つまり…他の生物の体内に入り込んで
生きるってこと?腕とか、脳とかに?」
ミユリさんは少しだけ考えて、肩をすくめる。
「理論上はね。でもテリィ様は御無事でした」
エアリが口を挟む。
「それって…」
「餌としては不味かったってことか」
軽口のはずなのに、誰も笑わない。
「最初にラギィが拾った時も?」
沈黙。ミユリさんは小さく笑う。
「あり得るわね」
その視線が、机の上に置かれた結晶に落ちる。
青い光。ゆっくり、脈打つ。
まるで呼吸しているみたいに。
「どうやら」
ミユリさんが言葉を選ぶ。
「この世界線のものじゃない」
ラボの空気が変わる。
「じゃあ…なんでロリィのそばにあった?」
「それが問題なの」
画面をスクロールする。
「この寄生体は"環境"を選ぶ。
水質、温度、そして…宿主の特性。
ロリィに適合する何かがあった。
あるいは…」
指が止まる。
「彼女が埋められていたのは
裏アキバの万貫森…だったわね?」
「YES」
短く答える。
「あの場所そのものが
"培養環境"だった可能性があるわ」
培養。その言葉がやけに重く響く。
「つまり、誰かが、育てていた?」
誰も答えない。
青い結晶が、ひときわ強く明滅する。
「テリィ様」
ミユリさんがポツリと呟く。
「これ、ただの寄生ではないかもしれません」
「どういう意味だ?」
「寄生っていうよりも…」
言葉を切る。
「"置き換え"に近いのでは」
ぞっとする沈黙。ミユリさんはスマホを抜く。
「あぁ、エアリ?」
声が一段低くなる。
「ミユリよ」
1拍置く。
「貴女にやって欲しいことがあるの」
その時、結晶が、また脈打つ。
まるで、こちらを理解しているかのように。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
御屋敷のカウンター席。
ネオンとミルク色の照明。
エアリの横顔を柔らかく削り出している。
完璧に整った、女優並みの美貌。
その隣に、ソレソ。
「留守電、聞いたよ」
コーヒーに口をつける。
「何の用だい?」
「貴方に話があるの」
視線を外さないエアリ。
「訴訟の取り下げなら、聞く気はない」
即答。
「そんなんじゃないわ」
「じゃあ何だ?
僕たちは、もう終わったはずだろう?」
ほんの一瞬。
エアリの表情が、わずかに柔らぐ。
「ねぇ」
声が変わる。
「私は、貴方と仲直りしたくて来たの」
一瞬で空気は甘くなる。
距離は、詰めるでもなく、離れるでもない。
ただ"引き寄せる"ための声を出す。
エアリは…魔性の妖精メイド。
「もう1度。もう1度だけ、私たち、
出会ったトコロからやり直せないかしら?」
計算された間を置く。
「今、ここから」
ソレソは、眉をひそめる。
「エアリ…」
構わず、手を差し出す妖精。
「エアリよ」
白い手袋越しの手。
ソレソは少し遅れて…その手を取る。
「グラト・ソレソだ」
触れた瞬間。
ほんの一瞬、エアリの視線が揺れる。
…冷たい。
体温が、希薄だ。
でも、笑う。満面の、完璧な笑顔。
「ソレソさん。お仕事は?」
「グラドと呼んでくれ」
微笑むソレソ。
「僕は地質学者さ」
「地質学者?素敵なお仕事ね」
「そうかな」
少し照れたように笑う。バカだ。
「どうもありがとう」
「ね。もっと詳しく聞かせて」
「どんな話を?」
「今は、何を調査しているの?」
1拍置く。
「万貫森だよ」
その言葉に。
エアリの瞳が、ほんのわずか鋭くなる。
「素敵。そうなの。教えて?
万貫森って、何か特別な場所なのかしら?」
ソレソは少しだけ考える。
視線が、どこか遠くを見る。
「そうだな」
言葉を探す。
「あそこは"静かすぎる"」
「静かすぎる?」
「普通、森っていうのはさ。音があるんだよ。
虫とか、風とか、微生物の気配とか。
でも、あそこは違う。空白みたいなんだ」
「空白」
うなずく。
「それに…」
少し身を乗り出す。
「土のサンプルを採ったんだけど。普通じゃない」
「どう普通じゃないの?」
エアリの声は柔らかいまま。
だが、指先はわずかに強張っている。
「"反応する"んだ」
「何に?」
ソレソは、ゆっくりとエアリを見る。
「生体に」
一瞬。沈黙。
「触れると、変化する。
まるで…」
言い淀む。
「選ばれてるみたいに」
エアリは微笑んだままだ。
でも、その瞳は笑っていない。
「それって…とても興味深いわ」
「そうだろう?」
ソレソも笑う。
でも。その笑い方が、どこか遅れている。
ほんの、コンマ数秒。
「ねぇ、エアリ」
不意に。
距離が、わずかに近づく。
「君の手。さっきから、ずっと温かいね」
「そう?普通だと思うけど?」
「そうかな」
首を傾げる。
「僕には、ちょっと」
言葉が途切れる。
「不思議に感じる」
その瞬間。カウンターの下で、
エアリの指先がわずかに震える。
"この男"は、気づいている。
どこまで"人間"なの?"
それでも笑う。
「ねぇ。もっと聞かせてょグラド。
その"土"のお話。ね?」
カップの中のコーヒー。
表面が、かすかに揺れる。
誰も触れていないのに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"長野ブロードウェイ"。
それは、丘の上に立つ白亜のタワー。
重厚な門扉の前。ベンツ770Kが静かに止まる。
エンジン音が落ちる。
周囲の静けさが異様に際立つ。
…すごい。
思わず漏れるスピアの声。
「豪邸じゃない!あなたのおじいちゃんって、
とんでもないお金持ちなのね」
門の向こう。木々に囲まれた奥。
遠く白いタワーがそびえる。
白金台にあるというIT長者の家が
"模型"に見えるほどのスケール感。
だが。
妙に静かだ。
風も、鳥も、ない。
なんか…緊張する。
ドアを開ける音。
ロリィが降りる。
その顔は、これまでの狂気が嘘みたいに静かで
普通の少女の顔をしている。
「私、おじいちゃんには、
もう長いこと会ってないから」
小さな声。
マリレは黙ってその手を取る。
「行きましょ」
長大な門扉へと歩く3人。
呼び鈴を押す。
沈黙。
直後。門の脇に立つグリムゾン像が"動く"。
石の口が開き、内部のレンズが赤く灯る。
監視カメラ。
男の声が響く。
「何か御用ですか」
わずかに遅れている声。
マリレは、1歩前に出る。
「デプリさんに会いたいの」
間がある。
「君は?」
「私はマリレ。彼女はスピア」
そして。
ロリィの手を引く。
「この子は、デプリさんのお孫さん」
「ロリィです…ただいま」
1拍置く。
沈黙。
それから。
長大な門扉は、音もなく開く。
招かれるように。
3人は顔を見合わせる。
「歓迎されてるってこと?」
スピアの軽口も、どこか硬い。
敷地に足を踏み入れる。
砂利の音が、やけに大きく響く。
玄関。
扉が内側から開く。
年老いたメイド。
その目がロリィに吸い付く。
息を飲む音。
「…お入りください」
声が震えている。
3人は中へ。
扉が閉まる。
重い音。閉じ込められたみたいに。
奥から足音。男が現れる。
くつろいだポロシャツ姿だ。
「ロリィ!いやぁ、久しぶりだね」
とびきりの笑顔。
でも、目は笑っていない。
ロリィは一歩前に出る。
「おじいちゃんは?」
男の笑みは、一瞬で止まる。
「いや、驚いたな…」
その時。
上階からヒールの音が降ってくる。
「ボビィ!今日はクラブの会合があるのよ。
まさか私に押し付けゴルフに行くつもりじゃ…」
言いながら降りてくる。
言葉は途中で止まる。
ロリィを見る。
息を呑む。次にマリレを見る。
さらに固まる。
口が、ゆっくり開く。
「これは…誰?」
空気が、張り詰める。
腕を組む女。
「貴女たち、一体何の用?」
ロリィが言う。
「メレデおばさん」
1歩前に出る。
「おじいちゃんはどこ?」
沈黙。
女はゆっくりと首を傾ける。
その仕草が、どこか機械的だ。
「おじいさんは…
とっくに亡くなっているでしょう?
7年も前に」
淡々と。
「お前も、葬儀に来ていたはずよ」
ロリィの顔から血の気が引く。
「じゃあ…このお屋敷は、誰のもの?
誰が、今…ここに住んでるの?」
その瞬間。奥の廊下の暗がりで。
何かが、わずかに動く。
気配だけが、増えていく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ホームバー。氷がグラスに落ちる乾いた音。
ボビィは無言でシェイカーを振る。
メレデはリキュールを計量する。
動きは滑らかで、どこか芝居がかっている。
「親父に瓜二つだな」
ボビィがポツリとコボす。
「ええ。私たちが恐れていた通りよ」
メレデは微笑んだまま、グラスに液体を注ぐ。
「目の奥のあの空っぽな感じ。お母様そっくり。
まるで幽霊を見ているみたいだったわ」
「隠し子、か」
「でしょうね。どこかでこっそり。
あの人らしいわ」
くすり、と笑う。
音は軽いが、目は笑っていない。
2人はカクテルを手に取り、庭へと歩き出す。
芝生の上で立ち尽くすマリレとスピア。
メレデはその間をすり抜け、ソファへ腰を下ろす。
当たり前のように。
「カルメ!」
振り向きもせずに呼ぶ。
「ロリィが休める部屋を用意してちょうだい。
すぐに」
奥でメイドが慌てて動き出す。
「さぁ、ロリィ」
メレデは柔らかく手を差し出す。
「貴女は2階へ。
お風呂に入って、少し休みなさい」
ロリィは一瞬だけマリレを振り返る。
「大丈夫。ここにいる」
マリレの言葉に、わずかにうなずく。
老メイドに連れられ屋敷の奥へ消える。
扉が閉まる音。
静寂。
「で?」
ボビィがグラスを差し出す。
「我々に、どういうご用件かな」
「良いですか。あなた方の」
「姪よ」
すかさずメレデが遮る。
「ロリィは"姪"。
その言い方、気をつけていただける?」
にこやかだが、刺がある。
スピアが1歩前に出る。
「姪御さんは、かなり危険な目に遭っています。
誘拐されて、土の中に埋められて」
「まぁ…それはそれは」
メレデは目元に手を当てるが、声に震えはない。
「犯人はまだ捕まっていません」
マリレが続ける。
「それで、入院してた病院に家族の記録がなく…」
「病院?」
ボビィが首をかしげる。
「外神田ERです」
「知らなかったな」
グラスを口に運びながら答える。
「もう何年も会っていなかったからね」
ソファの縁から腰を上げる。
足音がわずかに響く。
「誰が入院させたのかしら」
メレデが言う。
「また"あの子の妄想"が始まったのかも」
ふっと笑う。
「うちの一族はね。どうなら、
"未来人に狙われている"らしいの」
ボビィも小さく笑う。
「君たちも気をつけた方がいい。
感染するかもしれない」
その言葉だけ、やけに重く落ちる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
パーツ通りの"タイムマシンセンター"。
「ソレソから全部聞き出したわ」
階段を降りながら、エアリが言う。
息は乱れていない。
「万貫森での調査地点、50箇所。全部」
僕は振り返る。
「それで?」
「共通点があるの。地下水位が異常に高い」
足を止める。
「具体的には?」
「地表から1mもない場所を流れてる。
ほとんど"露出している地下水"よ」
沈黙。
「それが?」
「水を媒介とする寄生生物。辻褄が合うわ」
エアリは断言する。
「あの生物は、地下水の中にいた」
僕は息を吐く。
「でも、なぜ万貫森に?」
答えたのはミユリさんだ。
PCの前。高速でキーボードを叩く。
画面に3Dモデルを展開する。
「見てください」
秋葉原の地下が、透過された地形として浮上。
青い線が、脈のように縦横に走る。
「地下水脈です。地上の川と同じ。
染み込んだ水は、地下で流れています」
僕は唸る。
「川だな、確かに」
「YES。しかもこれ…」
エアリが身を乗り出し、画面を指差す。
「現場の真下を通ってる」
「拡大してくれ」
ミユリさんが操作する。ズーム。さらにズーム。
やがて、別の構造体が浮かび上がる。
ミユリさんが息を呑む。
「…これ」
「何だい?」
「"科学センター"です。超古代文明の遺構」
静まり返る室内。
「地下水流は、時空トンネル、いいえ、
"リアルの裂け目"真下に流れ込んでいます」
僕は言葉を失う。
エアリが低く言う。
「犯人は知ってたのよ」
「何を?」
「寄生生物が"そこにいる"ことを」
間。
「だからロリィを埋めた?反応を見るために」
ミユリさんが続ける。
「でも、それで何を確認したかったのか」
「時空テロ、か」
僕の声は自分でも驚くほど乾いている。
「秋葉原全体に影響が出る可能性があるわ」
エアリが言う。
沈黙。
「どうする?」
みんなが僕を見る。
僕はつぶやく。
「情報が足りない」
ミユリさんが顔を上げる。
「異なる世界線とコンタクトできないかしら?」
エアリはため息をつく。
「どうやって?狼煙でも上げるの?」
その時、扉が開いた。
「テリィたん、君に…」
所長のブロデが入ってきて、初めて全員に気づく。
「おや?勢揃いか…どうも」
「すみません、勝手にパソコンを」
「構わないよ。終わったら声かけてくれ」
去っていく背中。扉が閉まる。
エアリが声を落とす。
「"3太陽会議"を覚えてる?」
「うん」
「あのとき、代表者の1人が
ブロデの体を使って交信してたわ」
僕は腕を組む。
「つまり」
「私たちからも、使えるんじゃない?」
その一言で、空気が変わる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ガレージ。木屑の匂い。
隅で膝を抱えるラギィの前に、ダーナが立つ。
「音波ライフルは7月に盗まれてた。
水陸機動団から」
紙を放る。
「酸素タンクは8月。御成門の病院。
アクリルケースは9月。手品工場の倉庫」
ラギィは顔を上げる。
「それで?」
ダーナはさらに1枚の紙を差し出す。
「ソレソの行動記録。全部一致してる」
沈黙。
「木工探偵の推理、褒めてくれてもいいのよ?」
ラギィがかすかに笑う。
「でもね」
ダーナの声が落ちる。
「あなたの情報源は、まだ謎のまま」
1歩、近づく。
「私はこの事件を解決したいの。
貴女も現場に戻りたいでしょ?」
間。
「協力してくれれば、復職を手配する」
ラギィはゆっくり立ち上がる。
手には、まだ削りかけの木片。
「サーフボード作りは、後回しみたいね」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
遠くアルプスをのぞむ広大な池のほとり。
立たずむマリレ。歩み寄るスピア。
"長野ブロードウェイ"の空中庭園。
「気に入らないわ」
「この夕焼けが?」
首を振るマリレ。
「違うでしょ?ロリィはどこ?
もう3時間もロリィの顔を見ていない」
マリレは両手を広げる。
そこへボビィが屈強な女戦闘員を従え現れる。
黒のレオタードに網タイツ。昭和だ。
「まぁ。なんだか嫌な予感」
「受け取れ」
封筒を差し出すボビィ。
「何よ」
マリレは受け取る。
「500万円入っている」
「え。」
息を飲むマリレ。ボビィは続ける。
「確かに君は私の母に似ている。
でも、誰からといって、
君の相続権を認める気はないからな。
それでも相続権を主張して、
民事訴訟を起こす気なら、
私はとことん戦う用意がある」
「そんな要求をするために
私が来たわけじゃありませんよ」
「待って。相続権って、
その遺産はどれだけあるの?」
割り込むスピア。
「マリレさんとこのメイドさんを
外までお送りしろ」
「キィー!」
女戦闘員2人がそれぞれ引っ立てる。
「待って。ロリィはどうするの?」
引きずられながらマリレ。
「ロリィの面倒は私たちが見る」
「あんたは何もわかってないわ。
彼女は恐れているの」
「わかってるとも。未来人の時空テロにだろ?
我々が見張ってるから安心してくれ」
「横暴だわ!」
引きずられながらマリレ。
その様子を屋敷のバルコニーから見ているメレデ。
正門の門扉から追い出される2人。
「二度とツラ出すんじゃないわょキィ!」
屈強な女戦闘員。スピアは心配そう。
「どうする?」
「わからないわ。でもここで
ロリィを見捨てて帰るわけにはいかない」
マリレは唇を噛む。
「裏切らないと約束したし」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
"長野ブロードウェイ"のゲストルーム。
重たい扉が閉まる。
ロリィは1人、広すぎる寝室に残される。
ベッドは白く整えられ、窓の外には夕焼けの名残。
だが、部屋の空気はどこか濁っている。
静かすぎる。ロリィはゆっくりと歩く。
床に足音が吸い込まれる。
「…マリレ?」
返事はない。
バスルームの扉が半開きになっている。
中から、ぽたり、と水の音。
近づく。のぞき込む。
浴槽に水が張られている。
透明なはずの水が、わずかに青く濁っている。
「なに、これ」
指先で触れる。その瞬間。
水面がわずかに脈打つ。
ロリィは手を引く。息が浅くなる。
背後で、かすかな音。
振り向く。
誰もいない。だが、鏡の中…
自分の背後に、何かが"揺れた"気がする。
「やめて」
鏡に近づく。
自分の顔。その瞳の奥。
一瞬だけ、青い光が走る。
ロリィは息を呑む。
そのとき、廊下から足音。
扉が開く。
カルメが立っている。
「お風呂のご用意ができております」
いつもと同じ声。
だが、目が合わない。
ロリィは答えない。
カルメは1歩も動かない。
「どうぞ」
その声だけが、やけに近く聞こえる。
第4章 ブロデの軌跡
タイムマシンセンター。夜。
「催眠術なら前にも試したけど…
時空波動帯水平もつれ理論については、
結局、何も引き出せなかったな」
ソファに沈むブロデが肩をすくめる。
「それとは違うわ」
エアリは静かに言う。
「実を言うと、私は妖精で…超能力があるの」
沈黙。
ブロデはミユリさん、そして僕を見る。
僕はわざとらしく肩をすくめて笑う。
「…そんな馬鹿な」
「タイムマシンは信じるのに妖精は信じないの?」
「だってタイムマシンは現実だ。体験したからね」
「私が妖精であることも現実。翅もある」
エアリは1歩近づく。
「少しだけ。ね?興味あるでしょ?」
僕は横から口を挟む。
「頼む。試させてくれ」
ブロデはしばらく考え、やがて息を吐いた。
「…わかった。そこまで言うなら」
「力を抜いて。目を閉じて。思考をクリアに」
エアリが手を重ねる。
「始めるわ」
「まぁ念のために言っておくけど、
僕は催眠にかかりにくい…」
その瞬間。"光のビッグバン"。
爆発的な白い光が、部屋を塗りつぶす。
「—ッ!」
衝撃。
エアリとブロデが同時に弾き飛ばされ、
壁に叩きつけられる。
「エアリ!」
駆け寄る。床が震え、照明が明滅する。
機械が悲鳴を上げる。
そのとき。
「無茶な真似をしたな」
声。
ブロデは倒れたまま、目だけが見開かれている。
だが、その声は、明らかに別人だ。
「ブロデ?」
「違う」
口だけが動く。
「私はラレクだ。この器は未調整だ。
心臓が止まってしまったぞ」
背筋が冷える。
「だが、まだ使える。用件を言え」
僕はブロデの体を起こし、壁にもたれさせる。
「教えてくれ。50年前、
この世界線に侵入した"何か"がある。
青い結晶に似た寄生体だ。
今も、この世界線に潜んでいる」
一瞬の沈黙。
「"不機嫌ニウム"か?」
「わからない。ただ、生物だ」
ラレクの声が変わる。焦りが混じる。
「それなら、終わりだ」
「何?」
「秋葉原は汚染された。すでに奴らの巣だ」
空気が凍る。
「今すぐ閉鎖しろ」
「ふざけるな」
「警告だ。汚染が進む。このままでは、
秋葉原のヲタクたちは全員"宿主"になる」
言葉が、遅れて刺さる。
「もう手遅れなのか?」
応答はない。
次の瞬間、ブロデの体から力が抜ける。
崩れ落ちる。
「ブロデ!」
「だめ!」
僕の手を、エアリが強く押さえる。
「エネルギー干渉は危険よ!」
彼女はすぐに体勢を変え、人工呼吸を始める。
1回。2回。3回…
静寂。そして。
「—ッ、はぁッ!」
ブロデが激しく息を吸い込む。体が跳ねる。
「ここは…何が…?」
「館長は、気絶してただけです」
僕は告げる。
エアリは小さく息を吐く。
「ごめんなさい。こんなことになるなんて…」
「いや…多分、大丈夫だ」
ブロデは胸を押さえながら、苦笑する。
だが、その目の奥には、消えない何かが残る。
知ってしまった者の目だ。
ふと視線を落とす。
フロアに、未来人の人形が転がっている。
そのガラスの瞳が、微かに青く瞬く。
つづく
今回は、海外ドラマによく登場する"地底に潜む何か"をテーマに、長野ブロードウェイに住む怪しい夫婦、タイムマシンセンター館長のカラダを使って世界線を超えた会話をする主人公の旧友などが登場しました。
引き続き、ポストモダン文学寄りな作品を描いて逝く予定です。
海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、さすがにインバウンドが途切れ始めたようにも思える秋葉原に当てはめて展開してみました。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。




