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虫の音が聞こえる。聞いたことなない声に違和感を覚えて目を覚ました。
「……なんだ、この変な音」
「あ、起きた」
「へ?」
聞こえてきたのは鈴を転がしたような女の声。再びの違和感。おかしい。こんなきれいな声の人は知り合いにいない。背中を這う焦燥感に寝ぼけていた頭が急速に覚めていく。
「どこだよ…ここ」
起きた頭が理解を拒む。視界に映ったのは洞窟だった。硬い岩肌に強い土の匂い。光のある方を向けば、そこは深い森の中だった。
「どこって、深緑の森だよ?」
「俺は、部活して帰ってそれで…、痛ぅ…頭が痛い。なんだよこれっ」
思い出そうとすれば鋭い痛みが走り、ぼんやりと焦点の合い始めた記憶が散っていく。自分が今まで何をして、どうしてここにいるのかを思い出すことができない。混乱する彼に女は困惑した表情になった。
「思い出せないのかい?名前は?」
「名前…なまえ…俺は…誰だ?」
「名前も思い出せないのかぁ」
ぼんやりとした記憶はある。かすむような酷い近視の人のようなぼやけた景色。微かに浮かぶ学校、日本という言葉。それ以外は全くと言っていいほど思い出すことが出来なかった。
「参ったなぁ。いい服着てるし、貴族からお金もらえるかもって助けたんだけど。無駄骨だったかな。ああ、安心して。助けた以上は最後まで面倒は見るさ。それが責任だからね」
「助ける?」
意味がわからない。という表情の彼に、女はさらりと言った。
「そ、助ける。武器も持ってない少年をこのまま森に置いていくのは寝覚めが悪いし、死んだと知っても気分が悪い。だから、生きる術を教えてあげる。記憶もないみたいだからね」
「正直、助かる。えっと…」
「オレリア」
「ああ、ありがとうオレリア」
名前を知らないことに気がつき、詰まるとすぐに教えてくれた。それにオレリアは答えると、少し考えるような仕草を見せる。
「うん、どういたしまして。ただ、君の名前がないのは問題だな。うーん…あ、森で見つけたし、シンってどうかな?安直だけど分かりやすくて目立たない」
「分かった。じゃあそれで。俺はシンだ」
「うん、じゃあこれからしばらくよろしくねシン。早速街に行こう。立てるかい?」
オレリアの問いに、シンは頷くとゆっくりと立ち上がった。石の地面にねていたせいか、体の節々から音がなる。だが、怪我や痛みはない。
「じゃ、行こうか。ついてきて」
オレリアに導かれ、外に出る。森の匂いが強くなり、風が髪を擽った。ふと、横を見ればオレリアがにこやかにシンを眺めていた。
明るい場所で改めて見れば彼女はとても美しい。絹のような金髪に翡翠のような大きな目は柔らかく。顔立ちはすさまじく整っている。まるで、ゲームで出てくるキャラクターのような完璧な造形だ。
ふと、流れるような金髪の隙間から覗く耳に目がいく。それは大きさこそ人と変わらないが、尖っていた
「あ、耳…」
「え、ああ…うんそれがどうしたの?」
シンが気がつくと、オレリアの目が急に鋭く、そして不機嫌になった。その急変にビクリとして、その顔を見る。
「えっと…何か不味かったのか?」
「へ?」
恐る恐る聞くシンに思っていた反応と違ったのか、気の抜けた声を漏らす。そして何かを理解したような表情する。
「ごめんごめん。ちょっと耳にはいい思い出がなくてね。つい反応しちゃったんだよ。何も知らないのにびっくりさせちゃったね」
「え、ああ。問題ないならよかったよ」
再び、柔らかな雰囲気に戻った彼女はシンの手を引いて誘導する。その先には、踏み固められた獣道がある。
「森は深い。道を外れれば素人はすぐに迷う。手を離さないようにね」
「あ、ああ」
オレリアに手を引かれ、森の道を歩く。すぐそばは鬱蒼としており、蜘蛛の巣や小さな羽虫がいくつも見えた。30分ほど歩けば、森に遮られていた光が目の前から見え始めた。
「もうすぐだ。ここを抜ければ草原だよ」
言葉通り、数分で森の切れ目にたどり着く。一歩外に出れば、視界いっぱいに草原が広がっていた。遠くの方には何か大きな壁らしきものや、整えられた道のようなものも見える。
「これは…」
「驚いた?まぁ、記憶もなくて初めて見るならそうなるよね。今から私たちが向かうのはあれ」
オレリアの指が、遠くに見える壁を指す。彼女曰く、あの壁が街らしい。
「壁にしか見えないけど」
「そりゃそうさ。壁がないと魔物も不審者も入りたい放題じゃないか。そのへんの村ならともかく、街に壁がない方がどうかしてる」
「魔物?」
「あー、それも覚えてないのかぁ。その辺も、街に向かいながら説明してあげる。とりあえず、行くよ」
そのまま手を引かれながら草原を歩く。しばらく歩けば轍のある土の道が見えた。
「これが街道。街と街を結んでて、これはあの街に続いてる。名前はアレガド」
そう言ってオレリアは街を指す。やはり、大きな壁があるようにしか見えないが、あの壁の内側に街があるのだという。
「壁があるのは外の脅威から守るため。盗賊、魔物、犯罪者、脅威は様々だ。でも、一番多いのは魔物。魔物っていうのは……ああ、ちょうどいいのがいた」
そう言ってオレリアはシンの手を離すと、少しは離れた草むらの中から何かを引き出した。それは青い粘液が形をもったような、生き物と言うのも怪しいモノだ。イメージしやすいのは大きなアメーバといったところか。
「これは最弱の魔物。『スライム』種類によっては強いのもいるけど。この基本タイプは最弱ね。こう言う生き物たちを魔物っていうんだけど…こう言う奴ら。基本的な分け方は…魔力を持った人以外の生き物である事と人を襲うかどうか。こいつも、何もしなければ人の顔を覆って食おうとしてくる。どれだけ弱くても、どうすれば相手が死ぬかは本能で理解してるみたい」
その言葉通り、スライムはオレリアの腕を這い登り、顔を目指しているように見える。だが、その動きはひどく遅い。一通りその動きを見せると、オレリアはスライムの中に空いた腕を突っ込み、蠢くゴルフボールのような塊をつかむとそのまま引き抜いた。
「あ…崩れた」
引き抜かれた瞬間。スライムの身体は形を失い、粘り気のある液体となって地面に吸われていった。
「ま、こんな感じかな。で、こういった魔物の部位は売れる。私みたいな奴はこういうのを売って生活してるってわけ。はい、これ記念にあげる」
粘液で濡れた腕を布で拭いたあと、オレリアはスライムの核をシンに渡してきた。
「いいのか?」
「いいのさ。スライムの核なんて大した金にならない。いくら殺して持ってきても銅貨枚にもならないしね」
「そうなのか」
「そうなの、だから記念品。他にも色々説明しないといけないんだろうけど…常識すぎて何を言ったらいいのか分からないや。だから分からないことは聞いてくれよ。その都度答えよう」
「分かった」
そうこう話しているうちに、まちの壁が近づきてきた。壁の下の方には門があり、その門の前には何かの列ができていた。
「あれは?」
「街に入るための順番だね」
「街に入るのに並ぶのか?」
「そりゃね。変なヤツを待ちに入れないためにも確認してるのさ」
門の前には10組以上が並んでいる。門のところでは兵らしき者が一組一組しっかりと確認しているようだ。
30分ほど経つとようやくシン達の順番になった。
「冒険者か。カードを」
「はい、これ。それと、このこは森で生き倒れてたから拾った」
「こいつが?……ふむ、なら、こいつを持たせろ」
ぼうっと2人のやりとりを眺めていると突然、小さな赤いカードを渡された。戸惑いつつも受け取るが、用途が分からず首を傾げていると、門の兵が説明を始めた。
「そいつは仮通行許可だ。問題を起こせばそこの女が責任を負う。よく考えて行動せよ。そして速やかに身分証となるものを作れ」
「あ、ああ。分かった」
もう少し疑われるのかと思っていたが、案外あっさりと通され困惑が隠せない。そんな様子をオレリアはクスクスと笑いながら手を引く。
「衛兵も馬鹿じゃない。人を見る目はあるし、怪しいものを持ってるかどうかの判別の為の道具もある。衛兵から見てなにもないからあっさり通れたんだよ」
「なるほど?」
また、その仕事を何年もやってきたが故の感覚もあるらしい。今日の門番はベテランであり、人を見分ける技術も高いのだという。
「それはともかくだ。まずはーーようこそ、アレガドの街へ」




