第2話「猫になりたいにゃん!」
朝、目覚ましより少し早く目が覚めた。
カーテンの隙間から入る淡い光が、まるで「夢の続き」を期待させるような、そんな優しい色をしている。
……でも。
「やっぱり、人間だにゃん……」
布団の中で丸くなりながら、かえにゃ——
いや、天王洲楓25歳は、むくりと起き上がった。
肩にはふわっとした寝癖。Tシャツはずり落ち気味。
何より、夢の中の黒猫ボディじゃなくて、現実のふとももむっちりボディなのが切ない。
「……まぁ、これはこれでモテるとは言われるけど……って、何考えてんだか……」
ほっぺたをぺちぺちしながら、布団を脱ぐ。
ベッドサイドには、あの猫の顔した黒いバイブ。
「……昨日、あんなことして、夢見て……」
赤面しながらそっとタオルで拭き、研究所に向かう支度を始めた。
あの夢は偶然じゃない。
あの感覚、ただの妄想じゃない。
——あれは、明晰夢。
「明晰夢っていうのは、夢の中で『これは夢だ』と自覚できる状態を指すのにゃん」
出勤前、楓は洗面所の鏡に向かって“脳内プレゼン”をしていた。
「夢を自覚すると、その夢の中をある程度自由にコントロールできるって言われてる。しかも、感覚がリアルなほど、その深度は高いってこと……」
そして、あの猫になった夢は、どう考えても深度MAXだった。
五感全部あった。思考もクリアだったし、感情もリアルだった。
まるで本当に“霧崎さんの猫”として存在していたかのように。
「にゃん……」
鏡に映る自分の顔が、なんかちょっと嬉しそうでイラっとする。
「何メス顔してんの……はぁ……」
研究室に向かう電車の中でも、楓はずっとそわそわしていた。
つり革を持った手が勝手にスマホを開いて、検索履歴には「明晰夢 見方」「夢 操作 コツ」「動物になる夢 リアル」みたいな単語がずらり。完全にアブないやつである。
楓は、『株式会社Veil of Sleep』という大手家具メーカーの研究開発部に所属している。
“快眠”に関するあらゆる研究を行っていて、脳波測定、睡眠時の呼吸解析、体温変化の研究から、夢に関する分野まで多岐にわたる。
そんな会社に所属していながら、昨夜の自分の行動を誰にも言えないのは、ある意味逆にすごいことだと思っている。
「絶頂しながら寝たら、明晰夢で猫になって好きな人に抱かれました〜」なんて言えるかバカ!! 全部の信頼失うわ!!!
でも。
「この夢……ちゃんと研究すれば、制御できるかもしれないにゃん……」
明晰夢を使って、また霧崎さんに会えるなら——
猫になって、撫でられて、優しく、意地悪にされて——
「うぅ……っ、いかん、また変なスイッチ入るとこだった……!」
今は理性!冷静に!研究者モードで行く!
出社後、楓は研究室の奥にある自分の席にこもり、昨日の夢を再現するための条件を整理し始めた。
まず、明晰夢が発生した条件は以下のとおり。
•睡眠前に性的興奮状態(強め)
•絶頂した状態のまま睡眠突入
•夢の内容は明確で、自覚あり
•感覚がリアル(=深度が深い)
•睡眠時間は6時間程度
「……うん、やっぱりトリガーは性的興奮だと思うにゃん」
でも、いかに意図的に“あの状態”に持ち込めるかが問題。
「興奮してからすぐ寝るって、難しくない?」
現に昨日は疲れ果ててたからよかったけど、毎回同じタイミングで“寝落ち絶頂”できるかと言われると、かなりギャンブル。
「もっとデータ集めなきゃ……にゃん……」
キーボードをカタカタしながら、つい語尾に“にゃん”が漏れてしまう。
これがまたクセになりそうでヤバい。
いやもう半分なってる。
いやでも、あれがただの夢で片付けられるレベルじゃないことくらい、かえにゃはわかっている。感触、匂い、声、息遣い。すべてがリアルだった。
猫の身体なのに、感情も、興奮も、ちゃんと“女の子”のそれだった。
なにより——
「霧崎さん、やばかった……」
思い出すだけで、脚の奥がきゅっとなる。
やばいやばいやばい、こんな仕事中に股間意識するOL、他にいないってば……。
仕事のふりしてこっそり日誌に夢の詳細を書き込んでいたその時、
「天王洲、書類こっち」
タイミング悪く話しかけてきたのは、よりによってご本人。
「ひゃいっっ!!?」
……噛んだ。いや、変な声出た。完全に“やましい何かしてた女の反応”やん!!
霧崎さんは眉ひとつ動かさず、
「なにやってたの?」
とひと言。
「いやっ! ち、違うんですこれは! あの、研究の記録というか、えっと、えっとぉおおお……!」
「ふーん」
やめてくださいその“何も言わないのに全部バレてる感”満載の「ふーん」は。こちとら夢の中で猫になって、あなたにキスされそうになって、朝からずっと身体火照ってるんですよ!?!?!?
でも、現実の霧崎さんは冷静で、淡々としていて、いつもどおりの「掴めない男」だった。
だからこそ、あの夢の中の霧崎さんとのギャップがやばい。
優しくて、ちょっとSで、でも甘い空気もまとってて、撫でる手が優しくて……キスしようとしてきて……
「……っにゃ」
「ん?」
「な、なんでもないですぅぅ!!」
あっぶな。語尾に「にゃん」が出かけた。
かえにゃ、研究者生命が危ういにゃん……!
夜。
部屋に帰るなり、即・再現実験の準備を始めた。
あの夢を、もう一度見たい——というより、再現したい。
だって、これはただの「えっちな夢」じゃない。れっきとした明晰夢。夢の中で自覚があって、記憶も鮮明で、感覚も五感も現実と変わらないレベル。
そして——そのきっかけになったのが、「猫の顔のバイブ」だった。
「やっぱこれが……夢の鍵?」
バイブを手に持ち、見つめながらそうつぶやく。
昨日は確か、仕事のストレスからかだいぶ“盛れてた”し、そのまま絶頂して、挿れたまま寝ちゃったんだった。
「うわあ……文字にすると完全にアウトなやつ……」
でも、霧崎さんに会うためなら、あの猫になれるなら、なんでもする。
たとえそれが、猫の顔したバイブで絶頂する日々だったとしても——
「かえにゃ、やるにゃん……!」
そう、心に決め、かえにゃは
夢の鍵を鍵穴へゆっくりと差し込んだ。