第19話「人になったらどうするにゃん?」
霧崎さんは「待ってました」と言わんばかりの顔で
、ある方法を試すように言ってきた。
その夜————
霧崎さんに言われた通りにした私は———
気がつくと——黒くてふわふわじゃなかった。
「……あれ?」
耳がピンと立たない。しっぽが揺れない。肉球もない。
……あれ!? かえにゃ、猫じゃない!? え、え、え、ええええええ!?
「わ、わ、わたし、に、人間に戻ってる……にゃ、にゃん!?」
ガバッと上半身を起こして、手元を見下ろす。白い手。指が五本。爪が鋭くない。爪研ぎの必要、ゼロ。
……しかもなんか……裸だし。
「ふぇ……!? わ、わ、なんで裸!? え、夢!? いや、夢じゃない!? あれ!? どここれ!? わたし誰!? いや、天王洲です……」
心の中のツッコミが渋滞中。
しかも、しかも、目の前には——
「……起きた?」
霧崎さん。上半身裸で、わたしの顔をのぞきこんでた。
え、え? えええ???
「か、か、霧崎さ……ん!? な、なんでわたしの上に!? いや、横!? え、ていうか、なにこの状況!!?」
「落ち着け。大丈夫だ。」
わたしの動揺を察してか、彼はクールな顔で片眉だけぴくりと動かした。
「昨日まで夢では猫だったよな?」
「ですよね!? そうですよね!? 猫だった! わたし、かえにゃだった! 肉球で、霧崎さんの……ごにょごにょ……してました!!」
「あれは……なかなか攻めてたな」
「攻めたくて踏んだわけじゃないですにゃん!! ……あ、語尾が戻らない……」
完全に混乱中。
霧崎さんはおもむろにベッドから立ち上がると、わたしにバスタオルをぽいっと投げてきた。
「風邪ひくぞ。人間の姿で全裸は危険だ」
「そんな冷静に言わないでくださいにゃん!」
わたしはタオルをぎゅうっと胸元に巻きつけながら、ようやく周囲を確認した。
ここは……研究所じゃない。自分の部屋でもない。天井が高くて、やけに洒落てて、でも見慣れてる家具——
——霧崎さんの家。
夢が明晰夢でなく、現実と連続してることにもはや境界がない気がしてくる。
「……えっと……わたしって、今、夢ですか?」
「どうだろうな」
人間の姿になりたいと思い、
霧崎さんのいう通りにしたら
夢でも人間の姿になれた。
「なにこの世界、しんどい……!」
すると霧崎さんは、おもむろにソファに腰をかけ、コーヒーを一口。
「でも、面白いことがわかった」
「……はい?」
「猫の姿のとき、完全に猫になってた。思考も、反応も、匂いも。だけど、目の奥だけは、ずっと天王洲だった。人間の意識が、猫の体に入ってただけなんだ」
「は、はあ……?」
「つまり、意識の変容と感覚の転移が同時に起きていた。それが解けた今、ようやく戻ったということは——」
「え、え、え?」
「“意識の帰還ポイント”があるんだろう。おそらくは、猫の体で感情がピークに達した時点から一定時間で、夢または転移が終わる。だが——」
霧崎さんの目が細められる。あの、研究モードの顔だ。怖い。
「今回は、帰還後の天王洲の姿が“猫”ではなく“人間”だった。これは新たなフェーズだ。つまり、“夢の世界”が単なる夢ではなく、“仮想構造現実”として存在している可能性が高い」
「ちょ、ちょっと待って!? 難しい! 一旦“にゃん”でまとめてくれませんか!?」
「…とにかく人間の姿になれてよかった」
「え……?」
「——かわいい顔が近くで見れる」
ふっとした吐息が耳にかかり、
ゆっくりと顔が近づいてくる。
その顔を見た瞬間、堪えきれなくなった。
胸の奥からこみ上げるように、
わたしの心は、たった一つの願いでいっぱいになる。
「……甘えたいにゃん……」
ぽつりと呟いて、そっと手を伸ばす。
霧崎さんは驚いたように目を丸くしたけれど、
すぐに、あの大きな手でわたしの手を包み込んだ。
「いいよ」
たった一言。
それだけで、わたしは彼の胸に飛び込んでいた。
「霧崎さん……すき……」
「……ああ、知ってる」
彼の手が、わたしの髪を優しく撫でる。
ごろごろと喉が鳴りそうなほど、心地いい。
もっと甘えたい。
もっと近づきたい。
わたしは彼の胸に顔を押しつけながら、
自分でも驚くくらい素直な声を出した。
「……なでなで、してほしいにゃん……」
「……ふふ、甘えん坊だな」
くしゃっと頭を撫でられる。
髪の毛を梳かれるたび、全身がとろけそうになる。
「……しっぽも、なでて……」
小さくお願いすると、霧崎さんは笑いながら、
背中を優しく撫でてくれた。
本当の猫みたいに、なでられるたびゾクゾクして、
体が勝手にぴくんと震える。
「……かわいいな、天王洲」
「……にゃあ……」
思わず猫の鳴き声が漏れてしまう。
でも、止めたくなかった。
霧崎さんに、もっと甘やかされたい。
夢の中だけじゃ、足りないくらい、彼を欲していた。
霧崎さんの手が、背中から、腰へ。
そして、膝の上にそっと抱き上げられる。
「……ここ、好きだろ?」
「……うん」
わたしは彼の膝の上に丸くなりながら、
静かに頷いた。
ぎゅっと、霧崎さんに指を絡める。
「霧崎さん……」
「……なんだ?」
「……ずっと、こうしてたいにゃん」
小さな声で告げると、彼はわたしの額に、そっとキスを落とした。
「俺も、ずっとこうしてたい」
耳元でささやかれたその言葉に、
胸がじんわりと熱くなる。
夢の中なのに——
いや、夢の中だからこそ、
わたしはこんなにも素直になれるんだ。
この瞬間、わたしは、世界一幸せな猫だった。
いや、
世界一幸せな——女の子だった。




