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エルフ史概論

 人類はエルフと人間の2種に分けられる。

 正確にはドワーフ、ホビット、ゴブリンなども存在しているが、少数人類については本概論では割愛する。

 エルフと人間のみ記述する。

 人類史はその両者の歴史を知ることで概要は掴める。

 ドワーフ等についても知りたい方は拙著『エルフ考古学』を読まれたい。下巻で章立てしている。

 

 およそ500万年前、人類は南の大陸で誕生した。

 それ以前は樹上に棲む猿のごときものであったが、樹から下りて二足歩行するようになった。

 温暖な気候と豊富な食料に恵まれた南大陸に揺籃され、人類は数を増やした。

 原始的な人類から進化して脳が大きくなり、石器を使い、毛皮を纏い、火を熾すようになって、現生人類に近づいていく。

 最新の化石研究により、40万年前にはエルフと人間の2種が出現したことがわかっている。


 エルフは長命だが、生殖力は弱かった。

 彼らは病や不慮の事故、殺人などで命を落とさなければ、7~800年も生きることができた。

 セックスや子育てには関心が乏しく、長い生涯で子供を2~3人しか生まなかった。

 南大陸の洞窟にエルフが描いた壁画が残っている。彼らは多神教を崇拝し、歌を唄い、楽器を奏で、採集や弓矢による狩猟で食料を得ていた。

 身体的特徴は長く尖った耳である。総じて美形が多かった。


 エルフに比べると人間は短命だと言える。

 長くても100年ほどしか生きられず、多くは50歳を超えることができなかった。

 旺盛な性欲を持ち、生殖力は強かった。5人を超える子供を生むことも珍しくなく、夫婦共同で子育てをし、大家族を形成した。その結果として、南の大陸で大いに繁栄した。

 人間も壁画を残している。彼らも宗教を持ち、主に槍によって集団で狩りをし、肉を焼いて食べた。 

 身体的特徴は丸い耳である。エルフと比較すると美形揃いとは言いがたい。


 エルフと人間は混血することも可能だった。

 今日の生物学的に言うと両者は別の種ではなく、亜種と言うべきであろう。多少の例外を除いて、混住することはなかったようだ。

 エルフは森にちらばって暮らし、人間は集落をつくって集団で住んでいた。

 両者は価値観をたがえ、対立しがちであり、殺し合うことも稀ではなかった。

 生殖力の多寡と集団の力により人間の方が勢力が強く、エルフは南大陸で圧迫された。

 10万年前にはエルフは粗末な刳り木舟で中海を渡り、北の大陸へ移住した。その頃の化石が中海に突き出した北大陸南東部の半島で出土している。


 さて、これより北大陸におけるエルフ・人間史の概要を述べる。主な参考文献はパロドトス・ボドルム『エルフの歴史』とパトリック・ウィラー『エルフと人間の考古学』、そしてマナスの『反人間史』写本である。 


 10万年前の北の大陸は暗黒の森に覆われていて昼なお暗く、危険な獣が数多く生息し、人類の生存に適しているとは言えなかった。

 それゆえ人間が来訪せず、逆説的にエルフが生きていくのに適していた。

 光の届かぬ巨木の森に適応できた者が生き延びた。視力のよい弓の名手が生き、そうではない者は死んだ。

 エルフは狩猟採集民として南東の半島から各地へと拡散していった。

 恐怖の森はしだいにエルフの森へと変わっていった。


 1万年前まで北の大陸はエルフの楽園と言ってよかった。

 人口密度は低いものの大陸の隅々にまで生存圏を広げ、おおむね10万人程度の人口で推移し、増えもせず、減りもしなかった。

 文化は発展した。

 多神教を信仰し、緻密な絵画を描き、多様な音楽を演奏した。驚くほど種類の豊富な笛、弦楽器、打楽器がエルフの遺跡から出土している。

 文字を発明し、石に刻んで素朴な文学を生み出した。その多くは宗教的な神話だった。

 家族単位で森に散って暮らしていたが、祭りの際には集合したことがわかっている。

 森を切り開いた広場で宗教的な儀式を行い、原始的な果実酒を飲んだ。彼らは歌い、踊り、合奏したと考えられる。

 そのようにして、長くしあわせな時代がつづいた。


「エルフは何万年にも渡って北の大地を支配した。神々も羨む楽園が地上に出現した。悩みなき地であった。そのような時代が永続すると我々は信じていた」と北大陸中央山脈にある石碑に刻まれている。

「それは誤りであった」とも。


 遅くとも1万年前までに南大陸で人間は農耕を開始していた。

 これにより彼らは爆発的に増え、幾多の国家が生まれた。

 国と国は相争った。栄える国があり、滅びる国があった。

 滅亡した国の生き残りは勝利した国の奴隷となった。北の大陸へ逃げる人間が出現するのは当然の成り行きだった。

 亡国の民は木造船で中海を越え、南東の半島に上陸した。

 北大陸最初の人間は、南大陸で滅亡したパルキア王国人であったと言われる。


 南東の半島はもっとも南の大陸に近く、最初にエルフが到達した地である。すでにかなり開けていて、暗黒の森ではなくなっていた。エルフが住み、道があり、広場があった。

 人間たちはそこに入り込み、開墾し、水路を穿ち、農耕を始めた。

 歳月を経て、秋には小麦畑が黄金色に輝くようになった。

 亡国の王子が国家の再建を宣言する。

 南東半島に新パルキア王国が建国され、北の大陸で人間の歴史が始まった。

 それはエルフと人間の長い対立の歴史でもある。


 エルフは国家を持たなかったが、種族はあり、族内は共通の文化でつながっていた。

 南東半島はオールソン族の勢力下にあった。

 人間は勝手に侵入して、森を焼き、畑を広げている。当然だが、オールソン族は人間に反感を持った。

 しかし、族長は平和的なエルフで、争いを好まなかった。

「半島の南半分を人間に譲ろう。我々は北で生きていこう」

 族長の提案は長く楽園で暮らしてきた牧歌的なエルフたちに認められた。彼らは移動しつづける狩猟採集民で、住処を変えることに慣れていた。 

 族長はパルキア王と交渉し、南北に別れて住む取り決めは成立した。

 そのような取り決めが破綻なくつづくことはあり得ない。


 戦争や疫病がない限り、人間の人口は膨張していく。

 パルキア国民は決められた境界を越えて、半島北部にも多くの家を建てた。

 オールソン族の過激派のエルフたちは火矢を放ち、家を焼いた。


「やつらが越境してきたんだ」

「エルフは戦いを挑んできた」


 たちまちエルフと人間の緊張は高まり、殺し合いが発生した。

 エルフは森へ侵入する人間たちに矢を射かけ、人間は森を焼き払った。

 人間は戦う集団、軍隊を持っており、その戦法は南の大陸で進歩していた。

 兵士たちは青銅の剣を持っていたし、鋭い鏃のある矢を一斉に放つこともできた。

 オールソン族は北へ北へと追いやられる一方で、ついに半島を明け渡した。


 今から8千年ほど前、紀元前6000年頃には、北の大陸の南西の半島にも人間が到来した。

 南の大陸でハルビハル王国に滅ぼされたカルナダ王国の民たちである。彼らも半島に新カルナダ王国をつくろうとした。

 南西半島に住んでいたエルフはニルヨハン族であった。

 ニルヨハン族の族長、ハードット・ヨハンセンはオールソン族の敗北に学んでいた。

「人間に死を」と彼は言った。

 ニルヨハン族の戦士たちはカルナダ人の集落を襲った。

 数年の間、カルナダの民たちは南でハルビハルに迫害され、北でニルヨハンに殺戮され、酸鼻を極めた。

 そのような事態はカルナダの仮王がハルビハルと手を結ぶまでつづいた。


 ハルビハルの水軍が大挙して南西半島へやってきて、ハードット率いるニルヨハンの戦士たちは水際で迎撃した。

 将軍ハンガダル・ポルカが指揮する3万のハルビハル軍はわずか数百でしかないニルヨハンエルフたちを蹂躙した。

 ハンガダルはエルフの耳を切り取り、麻袋に詰めて本国へ送ったと言われる。

 やがて南西半島にハルビハル・カルナダ共同王国が建国された。カルナダ仮王が国王となった。

 それは1年も保たなかった。

 初代国王は暗殺され、南大陸のハルビハル王国に併呑される。半島には藩王が派遣され、ハルビハル藩王国と呼ばれるようになった。


 オールソンとニルヨハンの悲劇は北の大陸に広く伝えられた。

 エルフたちは危機感を強めた。

 この時代に強い勢力を持っていたエルフの種族は、スヴェングスタ族、アートス族、エルモード族、イサック族、ヤールフット族、ジェネー族などであった。

 彼らは中央山脈の麓で族長会議を開いた。

 エルフの大同団結を唱えたのは、イサック族の女族長、ヤーネール・スワンである。

 栄光ある孤立を主張したのは、エルモード族の族長、サンボルト・ザックである。

「人間は大軍で押してくる。私たちも束にならなければ戦うことはできない」

 最大の人口を持つ種族スヴェングスタの長、リンネ・ヤルリットが言い、大エルフ軍の結成が決まった。指揮はリンネに託された。


 大エルフ軍は南西半島の付け根にあたるバゲージ山脈の南に布陣した。

 ヤーネールが遊軍を率い、人間の村を襲って食糧を略奪した。

 ハルビハル藩王は軍を引き連れて、大エルフ軍と戦おうとした。

 リンネは大エルフ軍を山脈へと逃がし、藩王軍は追った。

 エルフは山中で罠を張っていた。藩王軍が宿営する小さな盆地に矢が雨霰と降り注ぎ、人間の軍は潰走した。

 盆地に数千の遺体が残され、藩王も戦死したこの戦いはバゲージ山脈の大勝利と呼ばれて、エルネスト山の頂に石碑が立てられた。


 南大陸にいるハルビハル国王が黙っているはずはなかった。

 かつてニルヨハン族を虐殺したハンガダルが新藩王に任命された。

 藩王ハンガダルとハルビハル軍は多数の船を連ねて中海を渡った。

 このとき大エルフ軍はすでに解散し、エルフの戦士たちは北大陸各地の住処に戻っていた。

  

 ハルビハル軍はバゲージ山脈を越え、イサック族が多く住むランス地域に進出した。

 電撃的な侵攻で、エルフたちには族長会議を開く暇もなかった。

 ハルビハルは強力な虎軍を有していたと言われる。

 イサック族長ヤーネール・スワンは絶望的な戦いを挑み、当然の帰結として敗れた。

 ハルビハル藩王国は領土を広げ、エルネストの石碑は破壊された。

 ヤーネールはスヴェングスタ族長リンネ・ヤルリットの館へ落ち延びた。

 リンネはアートス族、エルモード族、ヤールフット族、ジェネー族の長に手紙を送った。大エルフ軍再結成の檄文であった。


 人間の欲はとどまるところを知らず

 彼らの剣は北大陸の最奥まで届くであろう

 エルフは平和を愛し戦いを憎むが

 北極の海へ追い落とされるわけにもいかぬ

 手をたずさえ力を合わせて戦おう

 人間に死を さもなくば我らが殺される


 その頃、南東半島でも異変が起こっていた。

 エルフのオールソン族は駆逐され、半島全域がパルキア王国領となっていたが、南の大陸からベルグルド王国軍が襲来したのだ。

 南大陸の戦争の余波であった。

 人間同士の戦争に敗れたベルグルド軍は中海を越えて、パルキア軍と激突した。

 ベルグルド軍は寡兵であったが、ここで負けると後がない。全軍死に物狂いで戦い、パルキア軍を圧倒し、その王を戦死させた。

 パルキアの民は追突されたような形で、大陸東部に押し出された。

 その地域に勢力を張っていたエルフはジェネー族である。ジェネーのエルフとパルキアの人間は小競り合いを繰り返すようになった。


 ジェネー族は中央山脈に住むアートス族に救援を求めた。

 ジェネー・アートス連合軍が結成され、パルキア残党と戦った。

 王を失い、求心力に欠けるパルキア人は連合軍に打ち負かされ、その勢力は地上から消滅した。


 同じ頃、スヴェングスタ族、イサック族、ヤールフッド族は合同でエルフの軍をつくりあげた。

 北極海に面する地域で暮らしていたエルモード族は中立を保った。エルフに対する消極的な裏切りであると言われた。

 リンネ・ヤルリットは3族連合軍を第2次大エルフ軍と称したが、エルモード族、ジェネー族、アートス族の不参加により、第1次に比べて半数ほどの小規模なものとなった。兵力は7千程度。

 リンネはこれを率いて、大陸西部で藩王ハンダガルが指揮するハルビハル軍と交戦した。


 エルフは人間を森に引き込み、弓矢で射た。

 人間は森を焼き、エルフを平原に引きずり出そうとした。

 結局は平原で会戦が行われた。

 エルフ軍はハルビハルの騎士隊と虎軍に蹴散らされ、大敗した。リンネは死に、ヤーネールは重傷を負って、ハルビハル軍に捕らわれた。


 この後、ハンガダルは藩王軍を率いて東進し、南東半島でベルグルド王国軍と衝突する。

 北大陸の人間同士の戦争を制したのはハンガダルであった。

 ハルビハル藩王国は、北大陸の南西半島と南東半島を結ぶ広大な地域を領土とするに至った。

 南大陸の北部を支配するハルビハル王国と北大陸の南部を押さえたハルビハル藩王国を合わせ、ここに巨大な環中海経済圏が成立する。

 ハンダガルは王国と藩王国の合同執政官となり、その子ハミンガル・ポルカはついにハルビハル帝国皇帝を名乗るようになる。ハルビハル元老院はそれを追認した。

 ハミンガルは軍事的才能こそ父より劣っていたものの治世の才にすぐれていた。北大陸南東半島のミレーを首都とさだめて高い城壁で囲み、帝国内に街道、水道などのインフラストラクチャーを整備した。

 自然と共生してきたエルフには考えることさえなかった事業であった。

 ハミンガルは囚われのエルフ族長ヤーネール・スワンを側室としたことでも知られている。


 この後、ハルビハル帝国がじりじりと勢力を伸長する時代が長くつづく。エルフの森は縮小する一方であった。

 紀元前5900年には帝国は中海を文字どおり領土の中の海とし、完全にその周りを覆う超大国となっていた。中海は船が行き交う交易路となった。

 ハミンガルの子、皇帝ハンダガル2世は各地に城壁都市を築き、ハルビハルによる平和、パクス・ハルビハーナを唱えた。

 この時代のエルフの歌が残っている。


 ベルカ川の向こうには物見の塔が建ち並び

 人間たちが私たちを見張っている

 舟で魚を取ることさえできはしない

 対岸の巨木はみんな枯れてしまった

 こちらの森もいつまであることだろうか

 エルフは哀しい歌しか唄えない


 だが、紀元前5800年を過ぎて風向きが変わる。

 パクス・ハルビハーナの危機の時代がやってきたのである。

 南の大陸で一神教のダーナ王国が勃興し、布教の正義の名のもとにハルビハナ帝国南大陸領に侵攻した。

 帝国の首都ミレーは北大陸にあって、戦地から遠かった。

 皇帝はビスタ・ナコン将軍に将兵を預けて南大陸に派遣した。

 ハルビハル軍とダーナ軍は対峙し、均衡し、人間の戦争の決着は容易にはつかなかった。


 この頃、エルフはスヴェングスタ族、アートス族、エルモード族、ジェネー族がなおも勢力を保つ一方で、ナギ族、エルミターナ族などが人口を伸ばしていた。後者は人間との融和をいとわない暮らし方を選んだ種族だった。北大陸にも人間が増え、そういう生き方を選ぶエルフが出現するようになったのだ。

 ナギ族長は息子にハルビハルの皇女を娶らせ、人間との婚姻を奨励した。このため百年後にはナギはハーフエルフの種族となるに至り、農耕も始めることになる。ナギ族はハルビハル国の庇護を受けて繁栄したが、後世になるに従ってエルフの血は薄くなる一方であった。


 エルミターナ族もやや遅れてハルビハル帝国との友好へと舵を切ったが、紀元前5770年頃、海軍を大きく回り込ませて北大陸極東から上陸してきたダーナ王国との戦争に突入してしまう。

 エルミターナ族はハルビハル帝国に救援を要請した。

 ダーナの北大陸への侵略を看過できないハルビハナは大軍を編成し、ダーナ軍を撃退したが、その際にエルミターナの族長を王に擁立して、その領域を属国化した。

 エルミターナ王国には多くの人間が入植し、その地域のエルフ色は急速に失われてしまった。


 ハルビハルとダーナの争乱は反人間を謳うエルフの種族にとってチャンスであった。

 エルミターナ戦争が行われている頃、エルフは大族長会議を開催した。

 スヴェングスタ族、アートス族、ジェネー族だけでなく、オールソン族、ニカーナ族、ラーコーン族などの少数民族も参加し、長く孤立主義を保ってきたエルモードの族長までも話し合いに加わった。

 ここに第3次大エルフ軍の結成が約束され、ハルビハナ帝国と境界を接するジェネー族の街スータに集結した。2万の軍勢であったが、人間と比べて人口の少ないエルフにとっては空前絶後の大軍であった。


 大将となったジェネーの族長エルエシウスに将才があった。

 エルエシウスは南大陸戦線とエルミターナ戦線に軍を派遣して手薄になっていたハルビハナの首都ミレーを急襲した。

 ミレーは陥落し、皇帝は軍船に乗って南西半島へ退避した。

 紀元前5760年代、ハルビハル帝国は北大陸中海沿岸部の東半分を失った。そこに大エルフ軍とダーナ帝国軍が相争うように侵入して、治安は極度に悪化した。

 これより以後、大エルフ軍、ハルビハル帝国軍、ダーナ帝国軍の三つ巴の対立が常態化する。


 ハルビハルの属国、エルミターナ王国はダーナ軍に再侵攻されて、あえなく滅びてしまった。

 次に瓦解したのはハルビハル帝国であった。名将エルエシウス率いるエルフ軍の天馬弓兵は南西半島に攻め入り、ハルビハル軍との会戦に勝ち、皇帝を討ち取った。

 なお、天馬弓兵とはいかなるものなのか、後世には伝わっていない。

 補給を失って南大陸のハルビハル軍も立ち枯れるようにして消えてしまった。

 こうして、パクス・ハルビハーナを誇った古代の大帝国は滅亡した。


 北大陸の南東部はダーナ王国が支配した。

 国王は内政を優先し、大エルフ軍と戦わなかった。 

 エルエシウスは常勝の将軍として天寿をまっとうし、歴史上でもっとも有名なエルフとなった。享年755。


 エルフたちはひとときの春を迎えた。

 紀元前5700年頃、エルフ文化は爛熟し、文学のマナス、音楽のシャースタット、哲学のアトランテ、演劇のパルパテーナなど数々の有名人を生み出した。

 その文化の特徴は自然主義にあった。この時代にあってもエルフは森に住みつづけ、街を建設することはけっしてなかった。

 エルフたちは広場で祭りを楽しんだ。

 同時代の人間たちは多くの円形競技場を建造したが、建築家になるエルフは皆無だった。

 戦乱の焼け野原に雨が降り、いつしか森になっていった。

 アトランテは語った。

 我らは森の動物である。森の恵みを得て生きる。人間よりも狼に近いのだ。


 さて、人間の世界ではハルビハナの次の時代の覇者はダーナ国王と目されていたが、ダーナの天下は長くはつづかなかった。

 ダーナ・ハルビハナ戦争で疲弊した国力はついに元には戻らず、南大陸南部から勢力を拡大してきたサーシャロー王国に滅ぼされてしまったのである。

 その後、南大陸は多国が乱立する時代へと移り変わった。

 戦争はいつでもどこでも起こり得たし、実際に多く勃発したが、いくつかの民族国家が生まれて、南大陸ではしだいに国境は大きくは変動しないようになっていった。


 北大陸はダーナ王国亡き後、再び動乱の時代に入った。

 紀元前5600年前後、北大陸南部で力を持った人間の国は、ナギ族と同盟を組んだサーシャロー王国であった。この頃、ナギ族領の人間化は相当に進んでいる。

 サーシャロー王国は一神教の国で、多神教のエルフに棄教を迫った。

 エルフが応じるはずもなく、各地で戦争が起こった。

 名将がいたのは、今度は人間の側だった。サーシャロー軍の将軍ダンコンパスは戦力を集中し、大エルフ軍を結成できないでいたエルフの各種族を各個撃破した。

 エルフ文学者のマナスは地下洞窟に逃亡し、その壁に『反人間史』を書き残した。


 サーシャロー王国は一時北大陸の8割を支配するに至ったが、数十年経つうちにいくつもの王族や諸侯の国に分裂する。その国際関係は、南大陸のように多国分立しながらもほぼ均衡する方向へと進んでいった。

 エルフはダンコンパス軍に粉砕された後、兵力をまとめて人間に対抗することはできなくなった。

 人間が北大陸にも隈なく住み着くようになり、スヴェングスタ族、アートス族、ジェネー族、エルモード族など長く勢力を保った種族も没落し、独自の言語、文化を失う過程に入っていく。


 紀元前5000年、エルフは点在する森にわずかに生きる絶滅危惧種となり、人間は彼らを保護する法律を制定していく。

 南大陸のエルフはとうに絶滅している。


 紀元前4000年、長耳の者はごく稀にしか見られなくなっている。純粋なエルフではなく、ほとんどはナギ族の末裔で、隔世遺伝でエルフの特徴が現れたものと考えられる。

 この頃、最後の純血のエルフと言われる歌姫パーナー・タロスがミレーで病死している。


 紀元前3000年、エルフは伝説の存在となっている。人間が立ち入ることのない高山や極地で生き残っていると噂されることもあるが、真偽は定かではない。


 紀元前2000年、エルフの目撃談皆無。


 紀元前1000年頃、ドワーフ滅亡。


 紀元元年、ゴブリン滅亡。


 紀元1925年、マナスの洞窟が発見され、パトリック・ウィラーが研究し、エルフ史の解明が格段に進む。


 紀元1943年、軍事利用されていたマナスの洞窟が空爆され、壁に書かれた『反人間史』原本の大部分が破壊される。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 紀元2025年現在、エルフは考古学の対象となっている。

 筆者はエルフ考古学を専門とし、大学で教えている身ではあるが、遠い過去にすでに滅亡してしまっているエルフの歴史には謎が多く、私にとってもわからないことだらけである。

 現代のファンタジー小説や漫画では、エルフは魔法使いとして登場することが珍しくない。

 数々の魔法を使う長命で童顔の少女。そのようなエルフのキャラクターは多い。

 だが残念ながら、私はそのエルフ像に根拠はないと考えている。

 童顔で美少女風の容姿はミレーに残されているパーナー・タロスの彫像に影響されていると考えられるが、この像は紀元1400年頃に彫られたものであることがわかっており、実際のパーナーの姿は不明である。

 エルフが長命であったことは間違いないが、老化しなかったという証拠はなく、緩やかに皺が増え、四肢が衰えていったと想定する方が生物学的に自然である。

 また、彼らが魔法を使えたという考古学的な証拠はない。

 伝えられているマナス文学にも魔法が出てくる物語はなく、アトランテ哲学にも魔法は影も形もない。

 学術的には、エルフは超自然的な魔法を使うことはできなかったとするしかない。

 もちろん現代文学でエルフを魔法使いとして描くことは、人間の魔法使いを描くのが自由であるのと同じように自由である。

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