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伯爵家を追放されたら不思議な古書店で店長をすることになりました。ところでオーナーその本どこから入荷したんですか?

作者: 原雷火

「さあ出て行きなさいルナ! この遺言書の通りアッシュフォードの家名は、あたくしが継いで当主なのですから! 当主の命令です! とっととどこにでも行けばいいんだわ!」


 王都の貴族街にあるアッシュフォード伯爵家のタウンハウス。その玄関ホールで、私に「しっし」と手の甲を振る赤毛の女性。


 ガーネット・アッシュフォードは私、ルナ・アッシュフォードの母親に当たる人物だ。


 血のつながりはない。所謂、後妻。継母だった。


 お父様の寂しさにつけ込んだ彼女は、次々と家中の人間を味方につけていった。


 家で孤立した私が唯一、頼ることができたお父様も先月、急逝。


 世間じゃこれを家督の乗っ取りというんだと思う。


 お父様はガーネットにほだされて、おかしくなってしまった。


 本が好きな静かなお父様が、すっかり骨抜きにされて……。


 けど、遺言状なんて話は娘の私も初耳だったし、ガーネットがアッシュフォード家に来てから一年でこんなことになるなんて。


 執事に促されて、住み慣れた家を追われる。


 手に持つのはトランクだけ。他に行き場も頼れる人も、私にはいなかった。


 ガーネットは高らかに笑う。


「あたくしに大人しくしたがっているなら、家から追い出したりなんてしなかったのに、本当にお馬鹿さんね。ほら、とっとと出て行ってちょうだい」


 お父様の前でだけは、借りてきた猫のように大人しくて理知的な女性を演じてきた。


 私がガーネットの正体に気づいた時には、何もかも手遅れ。


 玄関から外に出る。見上げた空は鉛色で、今にも降り出してきそうだった。


 なんの反撃も反論もできないまま、私は家を出る。


 ルナ・アッシュフォード十六歳。元伯爵令嬢にして、現在無職だ。



 行き場もない。お金は少しはあるけれど、財産と言えるものはガーネットに全部没収されてしまった。


 お父様の死因は衰弱死。原因は不明。毒を盛られた形跡もなく、ある朝、書斎で机につっぷしているのが見つかった。


 それから、あっという間に彼女がアッシュフォード家を掌握して、今に到る――


 貴族街から大通りを進むうちに、寂れた町の隅っこに流れ着いた。


 この先、どうしたらいいのかしら。


 読書好きなお父様の影響で、本ばかり読んできた。社交も苦手。夜会も不参加。人脈作りもしてこなかったから、こういう時に頼れる人もいない。


 今夜寝る場所も、明日から食べるものも、生きていく方法もわからないまま――


 雨が降ってきた。


 もう、人生踏んだり蹴ったり。


 ポツポツが一瞬でザーザーに変わる。ぼーっとしていたらずぶ濡れで風邪を引いてしまう。


 涙を雨が覆い隠してくれるというのは、文学的表現だ。


 命以外、全部を失ったと思うと涙も出ない。


 私は裏路地の小さな店(?)の軒先で雨宿りをさせてもらった。


 なんだろう。薄暗い。というか、店の前の小さな張り出し屋根の下に、雑に布が敷かれて……本。


 本、本、本。山積みで放置されていた。これじゃ本の墓場だ。どれも立派な装丁だけど、強い雨が石畳に跳ねた水しぶきで濡れてしまっていた。


 このままだと布にも浸水して、本がびしゃびしゃだ。


 いくら魔法印刷技術に優れていて、本が売るほどあるエクリトリア王国でも、こんな乱雑に扱っていいわけがない。


 ああもう、お店の人は何をしているのよ!? 雨が降ってるのに気づいてないのかしら。


「文句の一つも言ってやらなきゃ」


 本と一緒に育ってきた私には、自分の身の上の不幸よりも、今、濡れてダメになってしまいそうな本たちの方が不憫に思えた。


 店の扉をノックして開く。


 チリンチリンとドアベルが鳴った。中は思いのほか広い。奥に店番が座るカウンターがあった。


 壁を本棚が埋めている。通路を作るみたいに本棚の列。ちょっとした図書館みたい。


 なのに、空っぽ。


 肝心の本はといえば、床に直置きだった。信じられない。


 処狭しと本が重ねて置かれて、まるで深い森だ。入りきらなかった本が、外に溢れてしまってたのね。


 足の踏み場を探しながら、奥のカウンターへ。


「すみませーん! 外! 雨! 本! 濡れちゃいますよ!」


 カウンターの奥にも部屋があるみたい。奥からのそりと、青年が姿を現した。


 銀髪に紅い瞳。年の頃は……正直わからない。若くも見えるけど、大人びても見える。


 ともかく不思議な雰囲気だ。店主だろうか。


 手で口を覆って大あくびをすると――


「ふあああああ。何? あんた客?」

「いえ、違います」

「だったら帰れよ。人が気持ち良く寝てたってのに」

「雨が降ってるんですって! 外に出しっぱなしの本が濡れちゃいますよ!!」


 紅い瞳がじっと、私の顔をのぞき込む。


「なに、あんた本、好きなの?」

「そういう貴男……ええと、店主さんは本が好きだから書店をしてるんじゃないんですか?」

「別に好きも嫌いもないけどな。あと店主じゃねぇオーナーだ」

「オーナーさん! 本! 雨! 外が大変なんです! 商品なんでしょ?」

「じゃあ、あんたが適当に避難させといて」


 言うだけ言って、彼はあくび交じりに奥に引っ込んでしまった。


 んもー。一応、オーナーの許可済みよね。


 私は荷物を本棚に一旦置かせてもらうと、外に出た。


 うわ、真っ白。水煙が激しすぎて外が霧で満たされたみたい。


 こんなんじゃ本がふやけてしまうわ。


 すぐに軒先の本を集めて、店の中の空っぽな本棚に詰める。


 危ないところだった。あと一分遅かったらびしょ濡れだったかも。


 本棚が空いてるなら、さっさと片付ければいいのに。


 文句の一つも言ってやらないと腹の虫が治まらない。って、あはは。私ってばなにやってるんだろ。明日も知れない我が身を差し置いて、本の心配なんてして。


 ううん、いいの。それはそれ。これはこれよ。


「すみませんオーナーさん! 本、しまえましたけど!」


 店の奥から再び銀髪の青年が顔を出した。


「あっそ。お疲れ」

「あの、このまま床に本を置きっぱなしは、本が可哀想です」

「本に気持ちなんてあるかよバカかお前」

「あります。ちゃんと大切にしてあげてください」


 銀髪がうんとうなずいた。


「よし、気に入った。じゃ、あんたに任せるわ」

「はい?」

「本の気持ちがわかるなら、どいつがどの棚に入りたいかもわかんだろ。並べといてくんね?」


 オーナーは床を埋め尽くす本の山に視線を落とした。


「ええぇ……私がですか?」

「嫌ならこいつらは一生床だが?」


 なにこの人、無茶苦茶よ。

 ああ、けど放っておけない。こんな雑魚寝みたいに置かれている本たちを、見なかったことになんてできなかった。


 アッシュフォードのタウンハウスにも、お父様の書斎がある。ジャンルごとに分類されて綺麗に並んだ本棚は、とっても立派だった。


 年に一度、故郷の本邸と本の入れ替えをする時には、私も手伝っていたから整理整頓には慣れている。


 手が勝手に床の本の山に伸びた。

 ああもう、こんなことしてる場合じゃないのに。


 銀髪が軽薄な口ぶりで「んじゃよろしくー」っと、また奥に引っ込んでしまった。


 と、急に店内が明るくなる。天井備え付けの魔力灯が点いたみたい。


 あのオーナーが? 他にいないか。


 本当に、私に任せるつもりなんだ。見ず知らずの人間に店の商品を好き勝手にさせるなんて……どうなっても知らないんだから。



 並べ終えた頃には外の雨音もすっかり止んでいた。


 空気の入れ換えをしようと入り口の扉を開けば、狭い路地裏の隙間に青空があった。


 虹が架かる。なんだか清々しい気分。


 それにしても――


 このお店の本、結構無茶苦茶だった。連作の小説なのに1、2、3、5、7、11巻しかなかったり、物語の専門店かとおもえば、お料理のレシピブックがあったり。


 初級編の魔導書と、超上級者向けの魔導書(たぶん国立図書館で許可を得た人しか閲覧できないレベルのもの)が、重ねて放り出されていたり。


 本に貴賎はないけれど、さっき店先で浸水しかけてたのよね。超上級者向けの魔導書。

 魔導師の人は、このオーナーに怒っていい。


 あとは紋章学の本とか、歴史書とか、子供向けの絵本に錬金術の調合書。


 ジャンルがバラバラだった。町の大通りにある書店だって、お店ごとに得意なジャンルの本に特化しているのに、まるでこのお店ったら個人の書棚をお店にしたみたい。


 ううん、個人だって好きな本や読みたい本は決まっているもの。そういった嗜好をまったく無視して、適当に集めたっていうか。


 ともかく雑。何もかもが。


 振り返って店の看板を見る。入った時は雨だったし、私が下ばかり向いていていたから屋号も目に入らなかったけど。


「……迷宮古書店?」


 確かに足の踏み場を探さなきゃいけないくらい、店内が乱雑に散らかっていたし、本の分類もなにもないから、目当ての本になんてたどり着けないと思ってたけど。


 一つ、謎が解けた。


 古書店だから、なんでも本を買い取ってしまって、この有様なのだ。

 やる気の無いオーナーを見ていたら、そう思えた。



 本が片付いてホッと息を吐く。こだわりポイントは本のジャンルの分類と、タイトル順に並べたところ。


 本の背の高さもできるだけ合わせるようにした。棚が全部埋まっちゃうかと心配していたけど、意外にもまだ空きがある。だから、各ジャンルの本の増減に対応できるように、スペースを分配しておいた。


 本の中身を確認するために、冒頭を読んだりもしたけれど、どの本も古書というには綺麗すぎる。


 それに、私が知らない本ばかり。特に物語の本は、正直全部読みたくなった。ちょっと読んだだけで、ああ、絶対これ面白いヤツって思って、作業途中に手が止まってしまった。


 巻数が揃っていないシリーズばかりで、殺意を覚える。


 その殺意をぶつけるべき相手――オーナーが店の奥から姿を現した。


「うわマジかよ全部一人でやったんか?」

「ちゃんとジャンルごとに分けてあります。本が増えてもいいように、ジャンルごとにスペースも確保しておきましたから、新しく本を買い取ったら、内容に合わせてそれぞれの棚に収めてください。あと、タイトル順で並べてあります。作者順にするには、ちょっとジャンルもバラバラでしたし、このお店の品ぞろいなら、お客さんもタイトル順の方が探しやすいでしょうし」


 ざっくり説明したけど、オーナーは半分口を開けたままだ。


「あのさ、お前、本好きなわけ?」

「好きですよ。嫌いならこんなことしてません」

「なんで上手く並べられるんだよ」

「お父様の蔵書整理のお手伝いをしてましたから」


 オーナーの紅い瞳が丸くなる。


「もしかして金持ち? 貴族かなんかか?」

「ええと……」

「ま、いっか。どーでも」

「訊いておいてそれ、ひどくないですか?」

「じゃあ何よ。店に入ってきた時は世界が終わったみたいな顔してたけど。なんかあったわけ?」

「…………」


 ちょっと考えたけど、今の私には失うものはなにもないと思い出した。


「実は……」


 伯爵家の娘だったこと。幼い頃に母を亡くしたこと。父に育てられたこと。その父が一年前に後妻を迎えたこと。継母が悪女だったこと。父が急逝したこと。都合良く父の遺言状が見つかって、家督は継母の手に渡り、今朝、追い出されて路頭に迷っていること。


 聞き終えてオーナーは吹きだした。


「ぶほっ! うっそだろ? ジョーク上手いねお前」

「本当です」

「はーん。そう。で、その悪女はやっつけないのか?」

「遺言状がある以上、私が何を言っても……」

「あっそ」


 訊いておいて興味なさそうにするの、止めて欲しい。


「じゃあ、これで失礼しますね」


 オーナーに背を向ける。せっかく本を綺麗に並べたけど、すぐに元に戻ってしまいそう。

 はぁ……私にお金があれば、お店ごと買い取るのに。


 歩きだそうとすると――


「ちょ待てって。なんか困ってんでしょ。んじゃさ、うちで住み込みで働くのどうよ?」


 足が床に接着されるレベルでビタッと貼り付いた。

 首だけ振り返る。


「ほ、本当……ですか?」

「ちゃんと金も出すし。そんかし売れなかったら給料0だけど」


 紅い瞳が鋭く光る。それって……売れば売るほどお金になるって……こと?


 オーナーは続けた。


「売上金の7:3でどうよ?」

「それって私が7ですか?」

「はああああ!? お前バカか? こっちが店と棚と本の入荷全部やってやって、住む場所も貸すのに3なわけねぇだろ!」

「5:5になりませんか?」

「なんねーよ! 嫌ならこの話は無しだ」


 私は振り返って頭を下げる。


「それでいいですお願いします!」

「なんで上から目線なんだよお前は」


 だって、私が整頓しなかったらこのお店……何ヶ月経っても売り上げ0っぽいんだもの。


「で、名前なんだっけ?」

「ルナ……アッシュフォード」


 まだ家名を名乗っていいのか迷ったけど、捨てられなかった。


 オーナーはカウンター越しに手を差し出す。


「この店……迷宮古書店オーナーのリブリスだ。よろしくなルナ」


 握手する。青年の手はまるで死者のように冷たかった。



 店の鍵を受け取った。


 こうして私は迷宮古書店の雇われ店長に就任した。といっても、店番から何から全部一人でやるので、名前だけの店長だ。


 初日こそお客様はこなかったけど、ビラを撒いたり看板を表通りに立てたりして、大通りと導線を確保した。


【迷宮の奥でどんな本に出会えるか、あなたも小さな冒険をしてみませんか】


 宣伝文句を考えるくらいしかできなかったけど、普通にお客様が来るようになった。


 売り上げはまあ、雀の涙。早く大きなパンが買えるようになりたい。


 そんな古書店の奥には小さなキッチンとダイニングなどの生活空間があった。オーナーお気に入りの横長のソファーが壁際を埋めている。店に居る時の彼はだいたいそこで寝転がってだらけていた。


 働くつもりは一切無いみたい。看板猫の方がまだ、お客さんを呼べるだけ勤勉かもしれない。


 しかも、初めて一冊売れたと報告した時には――


「ええッ!? 本って売れるの!?」


 このオーナー……いったい自分が何のお店を営んでいるのか知らなかったのかしら。


 本が売れたこと自体に文化的衝撃を受けているみたいだった。


 そんな彼はあくまで「本の入荷」が仕事で、出張買い取りをしたり、郊外にある自宅の蔵から不要な本を持ってきたりしている。


 なのでオーナーは通いだった。夜には自宅に帰ってしまう。


 店じまいのあと、二階の寝室でお楽しみタイム。小さくて、真新しいまま使われていなかったっぽいベッドと、筆記机があるだけの簡素なお部屋。だけど魔力灯が備え付けられているから、お店の本を読み放題なのだ。


 商品だけど、これくらいの役得はあってもいいと思う。だって私が店長で責任者なのだもの。


 それに本の内容を知っていれば、お客さんにオススメを訊かれて困ることもないのだし。


 黙々と読む。錬金調合書もレシピブックも難解な魔導書も歴史書も。


 面白いのはやっぱり物語なので、このジャンルははかどった。


 相変わらず歯抜けの物語シリーズ。4巻! このお話の4巻! すごく続きが気になるけど、在庫のある5巻は読みたくない!


 この気持ちをメモに残して、オーナーにぶつけよう。早く、抜けている巻数を埋めてくださいと。



 オーナーに発注すると、翌日には本を入荷してきてくれた。本当にどうなってるのか気になる。


 今度、彼の自宅の蔵書庫を見せて欲しいと頼んだら「絶対ダメだ。お前、本好きすぎて出てこなくなりそうだし」だって。


 意地悪。けど、自分でもそうなる気がした。


 ともあれ――


 シリーズ物の歯抜けが無くなって綺麗に棚に収まると、壮観。


 オーナーは入荷以外は本当に何もしてくれないし、気づけば店の裏口からどこかに行ってしまうので、猫だと思って諦めることにした。


 そうよね。猫は獲物はとってくるけど、本棚の整理はできないものね。


 お客様は……徐々に増えてきている。売り上げも日増しに右肩上がりになった。


 ちゃんと接客を心がけているし、本好きには意外な品があるとか、美品で手に入ると評判がいい。


 オススメを訊かれたら在庫があればすぐに案内できるし、ちょうど良い本が無ければ「明日、またお越しください」とお客様に約束できた。


 オーナーの本を探してくる能力だけは、信用できる。


 お客様の「ありがとう! 助かったよ!」や「この前オススメしてもらったお話、むっちゃ面白かったです!」とか「まさかこんなマニアックな魔導書を仕入れてくれるなんてね。内容も精査したが間違い無く良書だったよ」と、声を掛けてもらえた。


 嬉しい。とっても。本を読むことしかしてこなかったけど、誰かの役に立てるなんて……。


 居場所をくれたオーナーには感謝しかない。ほぼほぼ、人間サイズの猫だけど。


 棚に関しては、回転率が上がったのでパンパンになるということもなかった。


 噂を聞きつけてなんとなく足を運んでくれた初見のお客様向けに、私のオススメの物語の本コーナーなんてものも作ってしまった。


 ネタバレしないよう細心の注意を払いながら、簡単なレビューも書いて書棚に貼り付けてある。メモの縁取りとかも綺麗に装飾したりして、華やかだったり視認性が良くなるようにした。


 そうしたら――


 棚一列、シリーズまとめてお買い求め。金髪碧眼の素敵な殿方だった。なんというか、物語の世界から出てきてしまった王子様。


 たぶん貴族の令息だと思う。この国では貴族にのみ開放されている大図書館があるから、本ならそちらでも読めるのに、自分の足で買いに来るなんて。重たい本を馬車に積んで、青年は「読むのが楽しみです。ありがとう」だって。


 あんな貴公子でも、物語を読むんだな。って、これは私の完全な偏見ね。


 けど、狩りとか乗馬とか剣術とか、そういうのが似合う感じの人だった。


 棚、空いちゃったな。メモメモっと。


 オーナーに在庫を確認すると、翌日には三セットまとめて入荷してくれた。


 なんで同じ本がそんなに入荷できるんだろう。どの本も古本には見えなかった。


 ともあれ在庫も潤沢。これで一安心。


 と、思ったのもつかの間。


 開店から一時間足らずでシリーズごっそり、棚から消えてしまった。


 町ではすっかり「面白い物語や新しい物語が読みたいなら迷宮古書店に行ってみるといい」なんて、噂になるくらい。


 ある夕暮れのこと。


 専門書も売り切れて棚が寂しくなった店内。お客様を送り出すと入れ違いで、先日、物語のシリーズを棚買いした貴公子が来店した。


「いらっしゃいませ。あの、今日はもう在庫がなくて」


 飲食店ならメニューが売り切れることはあるけれど、古書店員のセリフじゃないと自分でも思う。


 貴公子は静かに返す。


「ああ、今日も何かオススメがあればと思ってきたんですが、残念ですね」

「申し訳ありません」

「次に読む本で良いものがあれば、教えてもらえませんか?」

「はい! そういうことでしたら。お客様が読まれた『緑龍と黒騎士』は気に入っていただけたようですので、次も英雄譚のようなものが良いでしょうか?」


 ちょっと早口になっちゃったかも。

 青年は目を細めると。


「それもいいですが、恋愛の要素が入った物語はありませんか?」

「でしたらオススメは『聖女と勇者』がよろしいかと。発注してお取り置きしておきますね」


 在庫は売れてしまったけど、私が読んだ限りこれが一番だった。ただ、男の人が読むにはちょっと甘々すぎると思っていたシリーズだ。三巻で読み終わるのもちょうど良い。


 貴公子は「君の推薦図書なら安心だよ。ありがとう」と、優しく告げた。


 それから――


「少し見させてもらうね」


 青年は専門書をいくつか開いて、二冊ほど手元に残した。



 金髪碧眼の貴公子は、いつも夕暮れ時にやってくる。

 他のお客様がちょうど途切れる頃合いだ。


 だからかよく、話すようになった。すっかり顔見知り。


 オススメした物語を読み終えると、この時間に感想会が開かれるようになった。


 何作品か紹介した。彼からもオススメを訊いて、オーナーに発注した。


 もちろん、迷宮古書店の棚に並べる前に私が読んでしまうのだけど。


 青年の愛読書はどれも面白かったし、どことなく……お父様の好きな物語に似ている気がした。


 彼の名前は知らない。私も名乗っていない。ここではお客様と雇われ店長。


 これ以上近くもなければ、遠くなることもない距離感。


 ちょっと詰めてみたくもなるけど、不用意にそんなことをして、彼がお店に来なくなってしまうかもしれないと思うと、怖い。寂しくなる。


 青年が空になった棚を見ながら言う。


「君の推薦してくれる物語なんだけど……」

「何か……お気に召さなかったですか?」


 はう、バカ。私のバカ。そんな返し方って。お客様なのに。


「どれも良かった。けど気になったんだ。僕の年の離れた友人と、そっくりで」

「そっくり……ですか?」

「少し前に亡くなってしまって。所用で国を離れていたから葬儀にも参列できなかった」

「それは……残念でしたね」

「だから、この古書店の呼び込み看板にあった『迷宮の奥でどんな本に出会えるか、あなたも小さな冒険をしてみませんか』の一文に、馬車を止めさせて本当に良かったと思っているんだ。君が考えたんじゃないかな?」

「そ、そんなこともわかるんですか?」


 青年は無言で小さく頷いた。


「言葉の選び方や雰囲気が友人と似ていてね。君と出会って、本を薦めてもらったら……まるであの人がこの世に甦ったみたいに感じたんだ」

「それは……ええと、良かった……って、良くないですよね。大切なご友人を亡くされたのですから」

「ごめん。気を遣わせてしまったね。本当に、良い本ばかりだった。今日は改めて、そのことに感謝をしたいんだ。ありがとう……ええと……」


 名乗るべきか迷ったけど、こんなに私のオススメを好きになってくれる人なら……。


「ルナ……です」

「ああ。そうか……やっぱり」


 青年は突然、涙をツーッと流した。


「え、ええ!? お客さまぁッ!?」

「ああ、ごめん。謝るのは二度目だね。そうか。君がフィン殿の……アッシュフォード伯爵の娘さんだったんだ」

「お父様の名前を……どうして? お知り合いなのですか?」

「さっき話した通りさ。フィン殿とは王立大図書館で出会って以来、何度も手紙のやりとりをしているよ。他愛ない近況と、最近読んだ良書についての意見交換だけどね」


 そういえば――


 生前、お父様は私が見ていないところでこっそり、お手紙を読んでいたっけ。たまにお見かけしていたけど、誰からかなんて訊けなかった。


 だって、新しい恋人になる人かもしれないのだもの。


 それもある時を境に、ぴたりと止んでしまった。


 ガーネットと再婚してからだ。


 青年はいったい何者なのだろう。王立図書館に出入りできるのだから、貴族には違いない。


「あの、貴男は……」

「そういえばずっと、名前は明かしていなかったね。僕はエリオット・エクリトリア」

「エリオット様……って、エクリトリア?」

「一応、この国の王族かな。第三王子だけど」


 国家式典にはほとんど顔を出さず、様々な国を旅しては本を集めているという変わり者の王子がいると、お父様から聞かされたことがあった。


 この人が、そうなの!?


「こ、ここ、このたびはその、知らぬこととはいえ失礼な言動をして、ももも申し訳ございません殿下!」

「君の接客はいつだって丁寧だったよ。今は打ち解けて、少し気さくになってくれたのが嬉しいくらいさ」


 うう、貴公子スマイル。こっちは緊張で背中がガチガチだ。

 と、笑顔がスッと青年から消えた。


「それにしても、夜会では君は家出をしたと噂になっていたんだけど、どうやら……ガーネットが広めたようだね」

「ええ!? そ、そんなことになっていたんですか?」

「彼女は社交界ではすっかり悲劇のヒロインさ。愛する夫に先立たれ、娘も蒸発。家督を継がざるを得なくなった。物語を演出するのが上手なようだ」


 ああ、なんてことなの。追放しておいて、家出扱いにされていたなんて。


「蒸発なんてしてません! ちゃんと……生きていますから」

「そうだね。お父上は君に母親が必要だと思ってガーネットを選んだようだが、騙されてしまったみたいだ」

「お父様が……騙されていた?」

「どうやらガーネットという女性は魔性の持ち主らしい。特に男の目を曇らせる術に長けているようだ。僕の兄二人も、国王陛下も彼女に良い印象を抱いていた」

「殿下は違うのですか?」

「本の蒐集しゅうしゅうのために、各地を巡っていたからね。夜会にはあまり出ない方なんだ」


 困り顔で青年は微笑む。


「じゃあ、なんでガーネットの本性に気づかれたのですか?」

「上手く言葉にできないけれど、ガーネットがフィン殿に接近してから手紙の内容文言に変化が出てね。ことさら君を心配するような雰囲気が増したし、不安そうだった。自身の選択を疑問視するような……あれは今思えば、助けを求めていたのかもしれない。だから気づけなくて僕も悔しいよ」

「そんなことがあったのですね」


 殿下は小さく頷いた。


「それまでのフィン殿の手紙には、いつも君を気に掛ける言葉や、自慢の娘だということが書かれていた。僕もどんな女性なのか、ずっと会ってみたかったんだ」

「そんな……現実の私を見て、殿下はがっかりしてしまいましたよね」


 青年はゆっくり首を左右に振った。


「とんでもない。想像していた君よりも、目の前の君の方が何倍も素敵だよ。清潔感があって、品が良くて本を愛している。棚の区分も小さな手書きのタグも、どれも手に取る人を想ってのもの。瞳も輝いているし、髪だってよく整えられている。なにより話し声が良い。とても落ち着く声だ」


 胸がドキドキして自分でも耳の先まで熱くなるのがわかる。顔、真っ赤だと思う。ああもう、恥ずかしい。


 そんな細かいところまで褒められるなんて……。


「お、お褒めにあずかり、こここ光栄……です。殿下」

「全部思ったままを口にしただけさ。ああ、せっかく本をたくさん読んでいるのに、良い言葉が出なくて我ながらもどかしいよ」


 見れば青年もかすかに頬が赤い。


 うう、なんだろう。ちょっと気まずい。もちろん殿下が悪いんじゃない。お心を煩わせてしまったのも恥ずかしいし、お父様のご友人だったことにも驚いてしまって、こんなに褒めてもらえて、感情がぐっちゃぐちゃになる。


 エリオット殿下が表情を引き締めた。


「だからこそ、大切な友人の愛娘が酷い目に遭っているのを看過できないんだ」

「わ、私は……確かに継母の仕打ちは酷いですけど、今の暮らしは幸せですし、なによりお父様の遺言状にはガーネットに家督を譲ると……ありましたから」

「そう……か。確かにそれはやっかいだね」

「本当にもう、いいんです。この小さな古書店で十分ですから」

「わかった。けど、個人的に君を応援させてほしいんだ。何かあった時には力になると約束するよ。それに……」

「それに……なんでしょう?」


 一瞬、青年の瞳が鋭い猛禽のようになった。


 けど、パッと元の好青年に戻る。


「いや、なんでもないよ。この店にお客さんが溢れて改築が必要になるくらい繁盛するといいね」


 言い残すと青年は静かな夜の風のように去った。


 数日と経たず――


 町の人たちだけじゃなく迷宮古書店の名は、貴族たちの間でも広まっていた。


 本はいくら入荷しても足りない状態だ。オーナーが自宅とお店を日に五往復するなんてこともあった。


 しまいには荷馬車を借りて、店の前に仮設テーブルを出して本を並べたそばから、全部売れる始末。


 貴族の従者たちまで本を買いに来る。忙しい! なんかもう、忙しすぎて閉店時間になると、そのままベッドにぶっ倒れて気づけば朝になっていた。


 評判が評判を呼んで、入場制限しなきゃいけないくらい。


 エリオット殿下……何考えてるのよもう!


 あれ以来、いつも夕暮れ時になるとやってきていた第三王子は姿を見せなくなってしまった。



 また数日が経って――


 赤いドレスの女性が他のお客様を押しのけて、店に踏み込んできた。

 従者を三人ほど引き連れて、店内が一気に狭くなった。


 外にもいるみたいで、並んでいたお客様に睨みを利かせて黙らせてしまった。


「あーら、こんなところで働かされていたのね!? なんて可哀想な、あたしの愛娘!」


 ガーネット。もう二度とその顔を見ることはないと思っていたのに。


「お客様、外の列に並んでください」

「んもう。他人行儀はやめましょう。お客様ではなく、お母様でしょう?」


 他人です。帰って。と、言いたいところだけど、他のお客様もいるし事を荒立てたくない。


「なにかご用ですか?」

「ええ、実は夜会で貴女が町のチンケな古書店で働かされていると聞いたのよ。だからこうして、助け出しにきてあげたの」

「私はこのお店に救ってもらいました。働かされているんじゃなく、自分の意思で働いているんです」

「あらあら可哀想に。誰かに脅されているのでしょう? ほら、一緒にアッシュフォードの家に帰りましょう!」


 急に何を言い出すのかしら。


「ここが私の家です」

「あなたには小さすぎるわ」

「どうして今更……」

「そうよねぇ理由が知りたいわよね。うん。あたくしが間違っていたわ。あなたが出て行きたくなるような、酷い言葉を言ってしまったの。だけど誤解よ。あなたのお父様が急に……亡くなって……ううっ……あたくしも辛かったの。わかってちょうだい。あのときは、どうかしていたのよ」


 ハンカチ片手にガーネットはボロボロ涙をこぼした。一瞬で泣けるなんて、彼女は生来の女優なんだと思う。


「帰ってください」

「そうはいかないわ。だって……あなたという宝石を薄汚い庶民街で見つけてくださったのは、第三王子のエリオット殿下というじゃない。あなたには平民にはない輝きがあるのよ! こんなところに置いてはおけないわ」


 一々演技がかっていてうさんくさい。


「私にもう関わらないで。伯爵家の権利も財産も、全部貴女のものでしょ」

「もう、怖い顔しないで。いずれあなたはもっと大きなものを手に入れるのだもの。エリオット殿下は、あなたが好きって噂なのよね。もし婚姻なんてことになれば、アッシュフォード家は王家の外戚よ? あなたも王家の一員になれるんだから!」


 な、ななな、なに考えてるのよエリオットってば!


「し、知らないわよ。ほら、もう出て行って」


 ガーネットの顔つきが変わった。もともとキツメな美人だったけど、猫なで声を止めると鬼の形相だ。


「あたしはお客様よ。なによその態度は。だったら……この店をまるごと買い取るわ。よくわからないけど繁盛してるみたいじゃない。上級貴族の皆様からもごひいきにされているんでしょう? 庶民の相手なんてしないで、貴族専用の高級店にすれば一財産つくれるわね。もちろん、店長のあなたも、あたくしのもの」


 うわ、無茶苦茶言い始めた。どうしよう。


「責任者を出しなさい! この店、いくらで売るつもりがあるのかしら? 少しくらい色をつけてあげるわよ!」


 ガーネットがヒステリックに叫ぶと――


「ったーく、うっせぇなさっきから」


 眠そうな目を擦って店の奥からオーナーがあくび交じりでやってきた。


 ガーネットが視線を向ける。


「あなたが責任者かしら?」

「この店のオーナーだ」

「じゃあ店を買い取らせてもらうわね。いくらがいいかしら?」

「いくらって言われてもなぁ。店長はどう思うよ?」


 オーナーはいきなり私に丸投げしてきた。


 そうだった。この人、本の入荷以外で仕事しないんだった。


「お店はオーナーの持ち物じゃないですか!」

「売るも売らないも別にどっちでもいーんじゃね。つーかめんどくせぇからお前が決めろよ」


 えええええッ!?


 なんて無責任な。けど――


 だったもちろん、選択肢なんて最初からない。


「お店は売りません。お帰りくださいアッシュフォード伯爵。私は今の……この仕事に誇りをもっています。暮らしにも満足しています。それに貴族専用だなんてとんでもない。本は読む人を選びません。求めるすべての人のため、本をお届けするのが当……迷宮古書店ですから」


 思いの丈を全部ぶつけた。通じるなんて思わない。これは自分に向けた覚悟の言葉だ。

 もちろんガーネットは髪を振り乱して、こっちの話を聞いてもくれない。


「な、なによそれ! あなた雇われ店長なんでしょ? あたくしはオーナーに訊いてますのよ」


 オーナーは小指で耳の穴をかっぽじると。


「うるせぇ! 店のことはルナに全部任せてんだ! ルナが売りたくないってんなら売らねぇんだよクソババア!! 本は売るけど店は売らねぇってわかれよバカかお前?」


 口悪い。けど、ちょっとスッキリ。


 ガーネットは唇をプルプルさせた。


「な、ななな、なんて無礼なんでしょう! 平民風情が!」

「黙れよ貴族ごときがッ!! ルナはうちの大事な店長だ!! もっと敬えバーカ。こんなに本の気持ちに寄り添える人間、いねぇんだよ!! こいつの天職は本に触ることだ!!」


 オーナーって、私のことを便利だから置いてくれているだけかと思っていたけど……庇ってくれるんだ。


 適当な人だと勘違いしていた。ちゃんと仕事ぶり、評価してくれてたんだ。

 なんだか涙が溢れそうになった。けど、ぐっとこらえる。


 目の前にはまだ、化け物が立ったままなのだから。


 ガーネットが鼻でわらった。


「あーそう。じゃあ本を買うわ。お客様のためなら求める本を揃えられるお店なのよね? そういう評判でしょ」

「でしたら外で並んでください」

「あたくしのために皆様譲ってくださるわよね? アッシュフォード伯爵家を敵に回したいのならご自由に庶民ども!」


 店内で固唾を呑んでいた他のお客様たちが、びくついて「いえ、ど、どうぞ」と腰が引けてしまった。


 ガーネットは得意げだ。


「ほーら譲ってくれたわよ。ねえルナちゃん。『祝福の書』っていう変わった本はあるかしら? 結構珍しい本でも、翌日には入荷してるっていうし」


 祝福の書? そんなタイトルの本はあったかしら? 宗教関連の本かもしれないけど、この国の聖典とも違うし、他国の宗教の本だったり?


「あーら知らないみたいね。あなた自分で言ってることが嘘じゃない! 本を扱うのが天職ですって? 求めるすべての人に本を届ける? できてないじゃない?」


 この世の本のすべてを把握している人間なんているわけがない。

 言いがかりだ。


 もしかしたら、実在しない本かもしれない。


 黙る私にガーネットは「ほらほらどうしたの? 何か言ったらどうかしら?」と、圧をかける。


「できないなら謝りなさい。知らなくてごめんなさいって言いなさい。そこの無礼な平民もよ」


 オーナーまで巻き込んで……本当に、どうして私がそこまで言われなきゃいけないのよ。


 一発……殴ってやろうかしら。拳を握りしめたところで。


 オーナーが「待て」と私を止めると、一旦店の奥に引っ込んで、すぐに戻ってきた。


 手には一冊の分厚い本。表紙に宝石があしらわれた美しい表紙をしていた。箔押しもされていて、本棚にしまうのがもったいない。飾りたくなる素晴らしい装丁だ。


 タイトルには「祝福の書」とあった。


「ほらよ。ちょうど一冊、仕入れてたんだ」


 途端にガーネットの表情が青ざめた。え? どうして?


「ど、どどど、どこで……その本を手に入れたのかしら?」

「どこだっていいだろが。ほら、持っていけよ。タダでいいから。その代わり二度と店に関わるな」


 化け物継母は口元をいびつに歪ませて笑う。


「あらあらあらあら。そうなの。本当になんでも出てくるのね。けど、困ったわねぇ。冗談のつもりで言ったのに。その『祝福の書』って禁書なのよ?」


 思わず私の口から「え?」と声が漏れた。


 禁書にも色々あるけど、総じて一般的に所有することが罪になる。そんな本だ。


 ガーネットは続けた。


「一度読めば呪われる本よ。読みたくなくても読んでしまい、読み切った時に死に到る。とっても危険な本なの。単純所持だけでも死刑確定ね。あらぁこのお店って、違法な禁書を売っているのかしら? これは通報しないといけないわね。営業停止じゃ済まないわよ!」


 オーナーは「はあ? 禁書? 知るかよ」って、本当に知らないのに入荷してたの!?


 と、止めないと。お店もオーナーも捕まっちゃう。


「ま、待って! お願い……なんでも言うことをきく……から」

「許さないわよ。あたくしに刃向かったのだものね。この店を潰せばどのみち、あなたに行く場所なんてなくなるわ。意地を張って刃向かったからいけないのよ!」

「お願いです……お母……様」

「嬉しいわねぇ。やっと立場をわかってくれたみたいで。けど、もう遅いわ」


 悔しくて涙がこぼれた。

 そんな私の肩をオーナーの冷たい手がそっと撫でる。


「何泣いてんだ」

「えっ……だって」

「そんなヤバイ本かどうか、どうやって証明すんだコレ」


 青年の紅い瞳がガーネットをボーッと見る。


「んでよ、なんだっけ? 読むと死ぬ本だってか?」

「ええそうよ。そんな本を客に売ろうとしていたなんて、恐ろしいわね」

「そっちが注文したんじゃねぇか」

「だから冗談よ。なのに勝手に馬脚を現したのはそっち。違法行為じゃない」

「本物かどうかわかんねぇだろ。そうだ、あんた読んでみる?」


 ガーネットは髪を手櫛で掻き上げた。


「バカ言わないでくれる? 読んだら死ぬのよ?」


 オーナーは私に向き直った。「祝福の書」を……こっちに投げてよこす。ちょっと! いくら禁書でも扱い方が雑すぎ! って、ずっしり重たい。何コレ。鉛の板でも挟んであるのかしら?


「じゃあ店長。お前が読んだらいいんじゃね?」

「あの、読んだら死ぬんですよね」

「店長が責任を持って読めよ。知ってんだかんな。夜中、商品読んでんの」

「そ、それはオススメのレビューを書くためです! 職務ですから!」

「大丈夫だ。さあ」


 最後の一言が、なんだかすごく……優しかった。


 本当に大丈夫なのかな。


 オーナーに拾ってもらえたから、こうして生きてる。なんだかんだ言って、本の入荷以外は全部任せてくれた。


 ガーネットから庇おうとしてくれている。


 そんな人の言葉を――


 私は信じた。


 分厚い表紙に指を掛けて、開く。


 どうせ死ぬなら、本を読んで死ぬ方がマシか。


 呪いがどんなものかはわからないけど、読むのが止められなくなるくらい面白い内容なら、本望かもしれない。


 開いたページは。


 白紙だった。真っ白。文字の一つも見当たらない。だから読めなかった。

 これって……すっごく高級なメモ帳かもしれない。


「な、なんで白紙……なのよ」


 ガーネットがブルリと震える。


 オーナーは首を傾げると。


「なんだぁ? まるで知ってるみたいじゃねぇかよ。あれあえ? もしかして、まさか本物持ってんの? それでルナのとーちゃん殺したんじゃねーの?」


 突然の爆弾発言に、ガーネットの従者たちがざわついた。


 当人はといえば。


「い、言いがかりよ! 本を読んで人が死ぬなんて馬鹿げてるわ! コケにしてくれたわね。こんな店……潰してやるんだから!」


 ヒステリックに叫んだあと、沈黙が訪れた。


 そして――


 店の奥から一人、金髪碧眼の青年が姿を現した。


「なるほどガーネット。ずいぶんと禁書に詳しいようだね」


 エリオットだった。な、な、な、なんで店の奥から出てくるのよ!?


 オーナーに視線を向けると。


「なんか知らんうちに裏口から入ってきてた。騒ぎになったあたりから」


 ええええッ!? なに……それ。


 私以上にガーネットは唖然としていた。


「で、で、殿下がどうしてここに!?」

「良いじゃないですか細かいことは。それにしても禁呪にお詳しいようですね。ところでガーネット。いやアッシュフォード伯。先代のフィン殿……つまり君の旦那様にしてルナの父上が亡くなった経緯について、改めて詳しくお話しをうかがいたいのですが」

「え、ええ、あれは……原因不明の突然死ですわ殿下」


 動揺している。元々感情の起伏が激しい女性だったけど、明らかに様子がおかしい。


「それとフィン殿が残した遺言状も見せていただけますか? 彼とは手紙のやりとりをしていて、文字の癖なら僕も知っています。不審な点がないか確認しておきたいんですよ」

「で、殿下にお見せするようなものでは」

「以前、僕との手紙のやりとりで家督はルナに継がせたいと相談があったんです。それが急逝して遺言状が見つかった。作為を感じませんか? タイミングがあまりにぴったりだ。まるで一流の職人が手がけた本の装丁のように」


 エリオットの登場から店の外も騒がしくなった。


 王都の衛兵たちが店を包囲してアッシュフォード家の……ガーネットの従者を全員拘束した。


 全部、殿下の采配だ。私の評判が社交界に広まり、エリオットが興味を示していると噂を広め、ガーネットが食いつくのを……待っていたんだ。


 エリオットは厳しい視線をガーネットに向けた。


「今、アッシュフォードの屋敷を兵士たちに探させています。まさか禁書と偽造された遺書が見つかりでもしない限り、君は潔白だ……ガーネット」

「い、い、いやああああああああああああああああああああッ!!」


 継母の絶叫が響き渡った。



 本当に出た。証拠が。


 禁書「祝福の書」は、オーナーが持ち出した高級メモ帳とまったく同じ装丁をしていた。


 この本は禁書の専門家曰く、捨てても燃やしても持ち主は死ぬらしい。


 合意の元、他者に譲渡しなければ処分もできない。


 ガーネットは……お父様の書斎の机にこの本を置いたんだと思う。


 素敵な内容なので語り合いたいから、是非読んでみてほしい。たぶん、お父様なら読んでしまう。元々、本が好きだもの。


 遺書が偽造なのも、詳細な鑑定で判明した。


 私一人じゃ、どうしたって無理な犯罪の立証をオーナーとエリオットはしてくれたのだ。


 ガーネットは最後まで容疑を否認した。


 王宮裁判で判事を務める国王陛下が下した裁定は――


「では押収された『祝福の書』を、この場で読んでもらおうか。もしお主が死ななければフィン殺害の証拠にはならぬ。無罪放免としよう」

「お願いです陛下! どうか寛大なる心でご慈悲を!! あたくしは悪くありません!!」

「くどい……潔白はその手でページをめくって証明するがいい」


 女は一人、狂ったように笑いながら「祝福の書」のページをめくり続けた。

 最後に「いや! いやあ! もう読みたくない! 読みたくないのぉ!」と泣きながら笑うと、本を閉じてそのまま事切れた。


 誰のものでもなくなった「祝福の書」は、専門家の手によって封じられ王立図書館の禁書棚に隔離封印措置がとられた。


 私の――ルナ・アッシュフォードの名誉は回復したのだ。


 そして――


 今日も私は迷宮古書店のカウンターについていた。


 夕暮れ時。エリオットが会いに来てくれた。


「君にはアッシュフォード家の財産と領地を受け継ぐ権利がある。それに……僕は……君を利用するようなことをしてしまった。謝るよ。いや……嘘じゃないんだ。本気で……君を妃に迎えたい。君の本を扱う才能を活かせるように、王立大図書館の司書長の椅子も用意する……どうかな?」


 私はプロポーズされた。


 二人きり。エリオットは私を救ってくれた恩人だ。地位も名誉も仕事も与えてくれるし、きっと……愛してももらえる。


「私にはもったいないです殿下」

「そう……か。君の居場所は……この店なんだね」

「はい。このお店に拾ってもらえたから、私の今があるんです。アッシュフォードの財産と領地は、殿下にお任せします」


 オーナーには「好きにしたらいいんじゃね」と言われてた。

 だから私は好きにすることにしたのだ。


 エリオットの申し出で、一つだけダメなところがあった。


 王立大図書館は貴族だけのもの。私はみんなに本を届けたい。


 エリオットはうつむくと。


「わかった。君の気持ちが一番大事だ。けど……」

「なんでしょうか?」

「もし君さえ良ければ、今後も客として迷宮古書店に足を運んでもいいだろうか?」

「はい! もちろん大歓迎です!」


 青年の笑みは安堵と寂しさが入り交じった、複雑なものだった。



 オーナーは相変わらず、どこからか本を調達してくる。

 郊外にある自宅の蔵なんて、本当だろうか。


 珍しい禁書そっくりのメモ帳だって、出所不明だ。けど、そんなことはもう、あんまり気にしてもしょうが無いと諦めた。


 店舗奥のダイニングでソファーにひっくり返ったままのオーナーに、エリオットとの「結末」を話した。


「はあ? 好きにしろって言ったろ。なんで断ってんだよ」

「好きにした結果です。それより、私の取り分をもう少し増やしてくれてもよくないですかオーナー?」

「ヴァーカ。本の入荷も店もこっちもちだって言っただろうが。減らすぞ。8:2にすっぞ」

「それって私が8ですよね」

「なるわけねぇだろ!!」


 と、今日も今日とて、この調子だ。


 けど、近々オーナーが貯めたお金で隣の空き家を買うみたい。

 壁をぶちぬいて店舗拡張して、棚を増やすんだそうな。


 従業員も増やすし、なんなら民家を改築して試読コーナーにした上で、カレーライス? という食べ物とコーヒーも出すつもりでいるみたい。


 カレーライスっていうのは、香辛料入りの煮込みで少しどろっとしたスープを、炊いたライスにかけて食べるんだそうな。


 オーナーの故郷の、所謂いわゆるお袋の味なのかな。


「カレーもコーヒーも染みになっちゃいそうで、本が可哀想なんですけど」

「そしたら買い取りしてもらうだけだ。カレーライスはスプーン一本で食えるし、コーヒーともばっちり合うからな。マジでよろしくな」

「ええ!? 私に丸投げですか!?」


 これは……従業員の指導と管理もがんばらないと。私が本を読む時間が無くなりそう。


 だけど、ま、いいか。


 ここが私の居場所なのだから。

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[良い点] びぶりお [一言] うっは 面白かった 小さな舞台ですけれど、とっても広がりがある不思議! リアル舞台向けの脚本にも良さそう 王子様は微妙に報われてなくてかわいそす。かといって王家離脱す…
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