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「イヴァンカ皇族は変態ばかり」


雪の積もる道を、ヴァローナ国王夫妻の一行は進んでいた。この季節は馬車での移動も困難なので、ルスラン王は妻を自分の馬に乗せている。

目指すはヴァローナ、イヴァンカの国境地帯にあるヴォルドーの城。そこで、ルスラン、メイベルの二人はイヴァンカ帝国の皇帝と会うことになっていた。


今年はイヴァンカの要請を受けて戦をしており、皇帝ミハイルはその礼と労いのためにルスランたちに会いに来る。

同じくイヴァンカの要請を受けて戦を行ったノルドグレーンの王エリアスも、この集いに参加することになっていた。


ヴォルドーの城までの旅の途中で町に立ち寄り、宿で休む。

この季節は野営も厳しい。女のメイベルを連れていてはそんな無茶をさせられるはずもなく、ルスランは町の宿で休みながら進めるだけの日程を取っていた。


イヴァンカの皇帝に会うということで、メイベルはちょっと憂鬱そうだ。


「君が不安になるのももっともだがな。久しぶりに美しい奥方にも会いたいから、ぜひ連れてきてくれと、わざわざ黒雷が君の参加まで指定してくるなどと」


部屋に入って、ため息を吐きながら毛皮のマントを脱ぐ妻の頬に手を伸ばしながら、ルスランが言った。

ルスランとしても、こんな季節にメイベルに遠出させるのは本意ではない。触れた頬は、すっかり冷たくなってしまっていた。


「旅をするのは良いの。ルスランと一緒にヴァローナの各地を見ることができるのは楽しい。前回はあまりにも憂鬱過ぎて、ヴォルドーまでの旅路のことを何も見る気になれなかった」


妻に困難な旅をさせることについてルスランが否定的な思いを抱いている内心を察し、メイベルが言った。


ルスランは、以前にもメイベルを連れてヴォルドーの城を訪ねたことがある。あの時も、皇帝ミハイルをそこで出迎えた。

――メイベルに、自分の死を予告された状態で。


今回は、そのような不吉な予兆は見えていないらしい。そのことだけはメイベルも安心していた。

だが……前回、ヴォルドーの城で何が起きたか――ルスランがメイベルに何をさせたかを考えると、あまり楽しい印象のある場所ではないかな。


「エリアス様もいらっしゃるのよね。あちらのほうが遠いから、少しお気の毒」


イヴァンカ皇帝、ヴァローナ王、ノルドグレーン王が集まるとなって、その場所にヴォルドーが選ばれたのは、ヴァローナ王妃メイベルへの負担を考えてのことだろう。彼女のために、ヴァローナ側が一番短い旅で済む場所が選ばれた。

皇帝ミハイルが指定したきたのだ。ルスラン王やエリアス王に異議などない。エリアス王も、それは気にしないだろう。


暖炉の火で部屋は暖められても、暖炉の前の長椅子に腰かけるルスランにメイベルはぴったりくっついていた。

ルスランもあえて妻と距離を取りたいとは思えず、メイベルを抱き寄せてぼんやりと暖炉の火を眺める――無意識に、ルスランの指は彼女の銀色の髪を弄んでいた。


ルスランも、イヴァンカの皇帝ミハイルは、積極的に会いたい人物ではない。




雪の積もる冬の旅は快適とは言い難いが、やはり一番距離が近いこともあって、ヴォルドーの城に最初に到着したのはルスランたちの一行であった。

イヴァンカ皇帝、ノルドグレーン王を出迎える準備をさせて、二人の到着を待つ。


先に到着したのはノルドグレーン王エリアスのほうで、数ヶ月ぶりの再会に、エリアス王は礼儀正しく挨拶した。


「立場は同じだというのに、私は客人扱いでもてなされるのは気が引ける。できることがあれば遠慮なく言ってくれ。ノルドグレーンも協力させてもらう」


相変わらず、エリアス王は誠実で真面目な男だ。

ルスランと友好的に挨拶をかわし、メイベルにも紳士的に接してくれる。


イヴァンカ皇帝の出迎えの準備で忙しいルスランに代わり、メイベルがヴォルドーの城を彼に案内した。エリアス王は恐縮している。


「ルスラン王にも言ったが、私にそんなに気を遣わないでくれ。貴女もここまでの道中は大変だっただろうに、私のもてなしまでしなくてはならないなど……」

「私、エリアス様にお会いできるのを楽しみにしておりました」


メイベルは微笑んで言った。


「せっかくお知り合いになれたのに、ゆっくりお話しする機会もありませんでしたから。ノルドグレーンのことなど、色々尋ねてみたかったと……残念に思っていたんです」

「私では気の利いた会話もできない。あなたの期待に応えられるかどうか」


エリアス王は決まり悪そうに言った。


「真面目で面白みのない男で、女性の扱いも心得ていない――いまだに独身なのは、私がモテないからだ」

「まあ」


謙遜……ではなく、本人は本気でそう思っているらしい。絶対、エリアス王の勘違いだ。


「エリアス様が素敵過ぎて、女性たちも気軽に近付くことができないだけです。私の夫とは正反対」


メイベルはいたずらっぽく笑って言い、エリアス王は照れたように苦笑する。


女性に対しても硬派なエリアス王と、軟派なルスラン王。足して半分に割れば丁度いいバランスになりそうなのに、人間ではそううまくいかないのが難儀なところである。




国境の関所からイヴァンカ皇帝の一行が通過したとの連絡があり、メイベルも彼らを出迎えるために正装へと着替える。

着替えをするメイベルの部屋では、間に衝立を挟んでいるとはいえ、無作法にもファルコがいた。ファルコも、イヴァンカ皇帝の訪問は歓迎する気になれないらしい。


「直接話をしたこともない身だけど、あいつの弟にとんだ目にも遭わされたし、俺も友好的な気分にはなれないね」

「ラマン……様だっけ?」


皇帝ミハイルには妹と弟がいる。

ラマンという名の弟に、ファルコは夏の戦でとんでもない目に遭わされたとメイベルも聞いた。

……妹のほうには、メイベルが大変な目に遭わされた。


「イヴァンカとヴァローナの合同部隊で、作戦もほぼ終わりかけた頃。あいつが突然暴走を始めた。敵味方お構いなしに虐殺していって。俺だけが生き延びてあいつの反逆を報告してやったっていうのに、黒雷は弟を罰しなかった」

「改めて聞くと、とんでもないことだね……ラマン様の行動も、その後のミハイル様の処断も」


合同部隊だから、犠牲になったのはヴァローナ兵士だけではない。イヴァンカ兵からも犠牲者が出ているだろうに、皇帝ミハイルは弟を処刑しなかった。

兄弟だから、情をかけたのだろうか……あまり、そういうタイプにも見えなかったけれど……。


「お気に入りではあるんだろ。あんなクソ野郎の何を気に入ってるのかは知らないが」


思い出すだけでも、ファルコは腹が立って仕方がないようだ。無理もないが。

メイベルも……皇帝ミハイルの妹のことは、笑顔で話す気になれない。


双方のためにも、皇帝ミハイルの姉弟のことは話題に出さないようにしたいものだ――と思っていたのだが、恐ろしいことに、彼はヴォルドーの城に妹も弟も連れてきていた。




「久しぶりだね、ルスラン王、エリアス王。こうして顔を合わせて礼を伝えることができて、私もとても喜ばしく思っているよ」


イヴァンカ皇帝ミハイルは、長く黒い髪が特徴的なこともあって、黒雷という異名を持つ男だった。

一見すると、容姿の整った、穏和で紳士的な男性で。


実は苛烈な性格と聞いているが、メイベルはその姿を直接見たことはない。

直接見ることになってしまった時点で無事ではいられないから、見たことがないほうが普通らしい。できることなら、これからも見ずに済みたいものだ。


「それに、メイベル王妃も――美しい貴女に会えることが、一番楽しみにしていたと言っても過言ではない」

「恐れ入ります」


自分の手を取って口付ける皇帝ミハイルに、メイベルは恭しく挨拶する。

……彼の隣に並ぶ者は、あまり視界に入れないようにして。どう触れたらいいのか分からない……。


「彼女たちについては、紹介は不要かな。妹のダリヤと、弟のラマンだ。私が君たちに会いに行くと知ったら、どうしてもついてきたいとごねられた」

「お久しぶりね、メイベル」


自分たちの間に何があったか、何が起きたか――まるで何もなかったかのようなとびきり上機嫌の笑顔で、ダリヤ・フォミーナは親しげにメイベルに声をかける。

お久しぶりです、とメイベルが儀礼的な態度で返事をしてしまったのも仕方がないと思う。彼女も、メイベルのそんな反応を面白がっている。


「今日のあなたもとても美しいわ。お兄様のために着飾ったのかと思うと、ちょっと妬けちゃう」


ルスランとメイベルの間に割って入るように、ダリヤはするりとメイベルの腕に絡んだ。

ドレス越しに伝わる彼女の体温に、嫌でも以前の接触を思い出してしまうから、メイベルは動揺を表に出さないように努めた。

ダリヤは唇が触れそうなほどメイベルに顔を近づけながらも、自分のすぐそばとなったルスランに振り返る。


「あなたにもまた会いたいと思っていたの。前はゆっくりお話をする時間もなかったから……」


ふふ、とダリヤはルスランを見て笑い、ルスランは完璧な愛想笑いを返した。

ダリヤとの因縁を知らないエリアス王は、なにやら意味深な会話に、訝しげな反応を示していた。


皇帝ミハイルの弟ラマンは、ファルコに声をかけていた。


「よう、ファルコ。俺もお前に会いたかったんで、兄上に頼み込んで連れてきてもらったぜ」

「ぶっ殺す」


ファルコは建前も取り繕うこともせず、物騒な本音をぶちまけている。


容姿は優れているミハイル、ダリヤ兄妹の弟らしく、ラマンという青年は美しい貴公子然とした男だった。口を開くとファルコ並にお行儀の悪い感じだが。


とんでもない発言をするファルコを、皇帝ミハイルは咎めなかった。むしろ、弟をたしなめている。


「――ラマン。今回は大人しくしているという約束で連れてきたはずだ。今回は目こぼしはない。調子に乗るなよ」

「申し訳ありません、兄上。感動の再会に、つい我を忘れてしまいました」


兄に睨まれ、ラマンはわざとらしいほど礼儀正しく振る舞い、改めてルスラン、エリアスに挨拶する。ラマンのほうもダリヤと同じで、兄の本性は嫌というほど知っているが、それで自省する気はないらしい。

……なんて嫌なところが似ている姉弟なのだろう。


ルスランとエリアス王が城内へと皇帝一行を案内し、それを見送ったファルコが、怒気と敵意と嫌悪に満ちた表情で、ぼそっと呟く。


「イヴァンカ皇族ってのは変態しかいねえ」


ファルコの評を、メイベルも否定することはできなかった。


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