獅子王のある平凡な一日
意外に思われることが多いのだが、ルスランは寝起きがよく、常に決まった時間に目を覚ますタイプであった。
戦場に出ていることも多いのだから、寝起きが悪くては話にならない……と付け加えれば一応納得するものの、なぜか周囲の人間は意外に思うらしい。解せぬ。
そんなわけで、今朝も女官たちに起こされずとも起床の時間に合わせて自発的に目を覚まし、少しの間、自分の腕の中ですやすやと眠る妻をぼんやりと見つめていた。
ルスランとは対照的に、メイベルは女官に起こされるまでぐっすり熟睡しているタイプであった。
いまも、ルスランがそっと頭を撫でているが目を覚ます様子はない――彼女の美しい銀色の髪は、ルスランのお気に入りである。さらさらとして触り心地がよく、指先に絡めるとするりと流れ落ちていった。
こういう時、やはりメイベルは箱入りのお姫様として甘やかされて育ってきたのだな、ということを実感する。
普通の王族なら、分刻みのスケジュールをこなすために起床時間はびしっと決められて、ルスランのように時間が来れば自然と目が覚めるという癖が身についているもの。
しかし甘やかされて育ってきたメイベルは、なかなか決められた時間にびしっと目を覚ます癖が身に着かない。
本人もそれを気にして、改めようと努力してはいるのだが……。
「起こさなくていい。ゆっくり休ませてやれ」
ヴァローナに嫁いでからも夫となったルスランがこうやって甘やかしてしまうため、メイベルはそもそも早起きができないのだ。
ルスランは、メイベルの箱入りお姫様でちょっと甘えん坊なところが実は可愛くて堪らなかったりする。直してほしいとは一切思わない。
女官たちはすっかり王妃親衛隊と化してしまったから、王の命令がなくとも特に理由がなければ早起きさせようともしないし。
……ルスラン王が無茶ばっかりさせるのだから、ゆっくり休める時は休ませてあげたい、というのが女官たちの総意らしい。ここはヴァローナ宮廷なのに、ヴァローナ王が軽んじられ過ぎではないだろうか……。
閑話休題。
メイベルは眠らせたまま、身支度を終えたルスランは寝室を出て朝食を取り、執務室へ向かう。
デスクワークは好きではないが、王城にいる間はなんだかんだルスランも真面目に書類仕事に勤しんでいる。
最終的に面倒くさくなって幼馴染でもある宰相に押し付けたりもするが――いまも、あとは優秀な宰相に任せてしまえと言って自分がやるべき書類まで宰相の執務室にまで届けさせてしまって、これで午前中の仕事は終わりである。
次の政務を手がける前に、休憩がてら城内の見回りだ。そんなものは兵にやらせておけばよろしいなんていう将軍アンドレイの意見は、もちろん無視である。
冬になって馬でちょっとひとっ走りもできなくなってしまったので、これがいまの息抜き方法であった。
中庭の訓練所には、ファルコとバルシューンがいる。二人で決闘か、とワクワクしながら寄って行ったが、今日は違った。
バルシューンが、王城を訪ねてきた自分の部下に呆れている。
「おまえらなぁ。用もないのに城に来てウロウロしてるんじゃねえよ。物欲しそうにしてると、ヴァローナ人共に舐められるぞ」
ダラジャドからヴァローナへとやって来た彼らは、バルシューン以外は平時は王城を離れることになっていた。
予想外に増えた兵士を養うことになって宰相ガブリイルは顔をしかめたが、彼らのほうも、戦がないのなら自分たちの食い扶持は自分たちで稼ぐべきという風習が身についているらしく、不満を言うこともなく町へ行って自ら別の仕事に就いている。
勝手な狩りと略奪はヴァローナ法で固く禁じられていると伝えたところ、意外と彼らは町での生活に馴染んでそれなりにうまくやっているそうだ。
最初は狩りや略奪をせずに生活費を稼ぐという方法に戸惑っていた彼らも、定住生活を始めてみて、戦う以外の才能を見つけ出していっているらしい。中には、そのまま兵士を辞めてしまった者も。
その一方で、やはり戦うことしか能のない部下もいた。そういう連中は、こうしてよく王城にいるバルシューンを訪ねてきて、雑用にも等しい仕事をもらって暮らしている。
春が来ればまた戦があり、手柄を立てる機会もあると、彼らも忍耐強く我慢の日々を過ごしていた。
――そんな彼らの忍耐を支えているのは、美しい女の存在である。
「ファルコ、バルシューン」
自分付きの女官たちを数人引き連れて、王妃メイベルが二人を呼ぶ。すぐそばにルスランがいることにも気付いて、ルスランにも声をかけた。
「おはよう、ルスラン。もうお昼近いけど。ルスランも休憩中?」
「そんなところだ。君は……今日も馬の世話かな」
連れている女官たちが馬用のおやつを持っているのを見てルスランが尋ねれば、メイベルが頷く。
バルシューンの部下たちがいそいそと寄ってきて、親切ぶって女官たちの持っているものを受け取り、手伝おうとする――バルシューンがいっそう顔をしかめ、たしなめるように言った。
「おまえら……デレデレしてんじゃねえよ。何が目的か明らかじゃねえか……」
「いいじゃないですか。言っておきますけど、王妃様付き女官の子たちって、美人で可愛い子揃いなんですからね!」
バルシューンの部下たちは開き直って反論する。
最も重要視されるのは中身とは言え、王妃付き女官はある程度、家柄や容姿も選別される。王城にいるとつい見慣れてしまって忘れがちだが、王妃付き女官たちも美女、美少女ばかりなのである。
狙っているとまでは言わないが、彼女たちに会いたくて、バルシューンの部下たちは王城に来ているのだろう。
感情の色が見えるメイベルは、もちろんそれを見抜いているわけで。
「町でのことや、ヴァローナ以外の国のこと――広い外の世界の話が聞けるから、私の女官たちも皆様に会うことをとても楽しみにしています。バルシューン、おおめに見てあげて」
メイベルが取り成せば、バルシューンはチッと舌打ちしながらも大人しく引っ込む。ファルコが肩をすくめ、バルシューンの部下たちはニヤニヤ笑いをした。
「そりゃ王妃様みたいな別格しか目に入らないような隊長……いえ、副隊長には俺たちのささやかな楽しみなんか分からないでしょうけど」
メイベルは、あえて女官たちを連れて、無用に王城に来ているバルシューンの部下たちの相手をさせているのだろう。
戦うことしかできない彼らが、戦いのない間……手柄を立てられずに焦れている間、その不満を少しでも解消できるなら、と。
王妃付き女官たちがちょっとチヤホやしてあげれば、それで満足するというなら――ダラジャドからついてきたバルシューンの部下たちも、聞き分けのいい連中だ。実は紳士的なバルシューンにならい、女性に強引な振る舞いはしない。
自分付きの女官を始め、城の兵士たちや、侍従たち……。メイベルは、王妃として目下の者への気配りを欠かさない。彼らの不満をちゃんと見抜いて、常に対応を考えている。
良い妻をもらったなぁ、とこういう時、いつも密かにルスランも誇らしく思っていた。
「メイベルにチヤホヤしてもらいたければ、まずは俺に勝ってからにしろ」
ファルコが眉間に皺を寄せてバルシューンに言う。バルシューンも、盛大に顔をしかめた。
「てめぇ、二、三回、まぐれで俺に勝ったからって、いい気になってんじゃねえぞ。あと、メイベルを勝手に自分の所有物扱いしてんじゃねえ。女をなんだと思ってやがる」
「俺が勝ち続けてるんだぞ、まぐれとかじゃないっての。あとおまえのその、実は無駄に理想が高い感じは何なんだよ。絶対、童貞だな」
「うるせぇ!てめえだって女はメイベル一人しか知らねえだろ!俺と大差ねえじゃねえかクソが!いますぐ尋常に勝負しやがれ!」
……なんてことを、東方の言語で言い合っている。ルスランもだいたいこんなことを言っているという程度にしか把握できておらず、正確にはかなりの俗語が飛び交っていたらしい。
言語の勉強をちゃんとしているメイベルは、習ったことのない単語ばかり出てくるのでまったく聞き取ることができずに不思議そうにしていた。
感情の色を見なくても、二人の雰囲気で最後はバルシューンがファルコに決闘を申し込んでたことだけは理解しただろう。
たまにはとルスランもファルコ、バルシューンと共に馬の世話をし、メイベルと一緒に馬たちにおやつをやって、それなりに息抜きにはなった。
ねだられるままに馬におやつを与えようとするメイベルをたしなめたら、バリーにもそれぐらい節度を持って可愛がってやってくれ、とファルコから言われてしまった。
ファルコの飼い猫バリーに対しては、ルスランもねだられるままにおやつをあげがちだ。
執務室に戻ってみると、メイベルの目がなくとも怒りの感情が見える宰相ガブリイルが仁王立ちで自分のことを待っていた。
宰相のもとに持っていかせた量の三倍ぐらいの書類がルスランの机に積み上げられており、彼の厳しい監視の下、夕方まで真面目に政務に勤しむこととなり。
もう一人の幼馴染み、陸軍大将アンドレイ・カルガノフも日常の業務の報告と提出に時折執務室にやって来ていてたので口実を見つけて彼について行こうとしたのだが、今日ばかりは宰相の隙を見つけ出すことができなかった。
とうも日が暮れた頃に、ようやくルスランは解放された。
ルスランが妻と我が子に会いに行けたのは、こんな時間になってからである。
「お疲れ様、ルスラン。今日のお仕事は終わった?」
メイベルの部屋に赴くと、彼女は長椅子ではなく、敷き布を敷いて、その上に座っていた。すぐそばで、息子のレオニートが腹ばいで寝転がっている。
赤ん坊は、近くのおもちゃに手を伸ばしたり、コロン、と飽きて転がったりしている。
「真面目に頑張ったからな。悪魔のような宰相のせいで、僕はようやく今日、初めて、リオンと会うことができた」
戦に行ってしまったら平気で数ヶ月は妻とも子とも顔を合わせることなく、存在すら忘れてしまう自分の薄情さは棚に上げて、ルスランが言った。
息子のそばに座ると、レオニートは小さな手足をジタバタさせていた。レオニートは、まだハイハイはできない。
「……ルスラン。前からオリガたちにも言ってるんだけど、私のこと、起こしていいんだからね。私も、ルスランに朝の挨拶して、ちゃんと見送りしたいと思ってるのに」
メイベルが言い、そうか、とルスランが相槌を打つ。
「僕は前からオリガたちに、君を起こさなくていいと言っているんだ」
「もう、なんでそんなこと……。私の寝坊記録が更新されていくだけじゃない」
むう、とメイベルは唇を尖らせ、不満そうにルスランを睨む。
――そんな姿も可愛いな、としか思えないことは内緒で、ルスランは素知らぬ顔で息子を抱き上げてあやしていた。




