身の振り方 (1)
メイベルたちがヴァローナの陣営へと到着すると、若き王妃付き女官のミンカがメイベルのもとへすっ飛んできた。
「王妃様!ご無事で……よかった……本当に……!」
ミンカはメイベルの姿を見て、思わず涙ぐんでいる。メイベルのことを本当に心配してくれていたようだ。
「ミンカ、来てくれてたのね」
「もちろんです!」
涙を拭って、ミンカが力強く言った。
「本当はラリサ様たちもみんな、王妃様のことを心配して、一緒に来たかったぐらいですよ。でもさすがにそれはダメだと言われてしまって……私が志願して、競争を勝ち抜いて来ました!」
……いったいどういう競争をして決めたのだろう。ちょっと聞いてみたい気もしたが、ミンカは笑顔でメイベルに話し続ける。
「王妃様。簡易なものではありますが、お風呂を用意してますよ。お湯に浸かって、ゆっくりくつろいでください。私一人じゃ不安もあるでしょうが……精一杯、お世話させて頂きます!」
「あ、なら……」
ダラジャドにいる間、メイベルの世話をしてくれたカシムも呼んで――彼女のことを、ミンカに紹介しようとメイベルは振り返った。
でも、カシムの姿はない……。
「カシムは?」
馬を引くファルコに、メイベルは声をかけた。ファルコは首を振った。
「途中で別れた。向こうも声をかけずに、スッと馬の方向を変えて。ダラジャドを出たら、あっちはノルドグレーンに戻るしかないからな」
「そう……。お礼、言いたかった……」
ようやく落ち着いて話ができるようになったのだから、改めて彼女に礼を言って……それから、色々と聞いてみたかったのに。
彼女には気になる点が多い――それについてはファルコも同意らしく、少し考え込んでいる様子でもあった。
「王妃様?」
不思議そうに首を傾げるミンカに振り返り、何でもないの、とメイベルは答えた。
ミンカに案内してもらって、メイベル用の天幕へと向かう。女性らしい内装になっていて、外には浴槽桶も用意されている。
ミンカに世話してもらって湯浴みをして、久しぶりにヴァローナ風のドレスを着る。
この衣装にも、すっかり慣れた。
身支度にゆっくりと時間をかけたメイベルがドレスを着終えた頃、ダラジャド本隊を襲撃しに行っていたルスランたちも陣営に戻って来た。
脅しに行くだけだとルスランは気楽そうに話していたが、無事に帰ってきてくれて、やっぱりすごくホッとした。
「ルスラン!」
馬から降りるルスランに駆け寄って、メイベルは夫に抱きつく。
大勢の前ではしたない振る舞いだと分かってはいたが、今回だけは再会の抱擁に飛びつきにいっても許されるだろうとメイベルは思ったのだ。
だがルスランは、メイベルのそんな甘い考えをあっさり飛び越えていく。
自分に抱きつくメイベルを力強く抱きしめたかと思うと、熱烈に口付けてきた。
さすがにこれは、感動の再会だとしてもやり過ぎじゃない?とメイベルも抵抗してしまうほどに。
ぺしぺし、と自分をがっちり捕らえるルスランの腕を叩いてみたが、鍛えられた軍人の腕はびくともしない。ようやくキスの雨から解放されたと思ったら、ひょいと担ぎ上げられてしまった。
「ルスラン、あの――会えて嬉しいのは私も一緒だけど、せっかくだからお喋りとかしたい――」
自分の主張は聞き入れられることはないだろう、とルスランから見える感情の色で察しながらも、メイベルも言わずにはいられなかった。
将軍やファルコ、ミンカが苦笑いでルスランとメイベルを見送る。冷やかしの視線を浴びながら、メイベルは自分用の天幕へと逆戻りさせられてしまった。
大きめのベッドに、ちょっと乱暴にメイベルが下ろされる。受け身を取り損ねてもぞもぞとするメイベルに、ルスランがすぐに覆いかぶさってくる。
「ルスラン――ルスランってば!私も、本音を言えば嫌じゃないけど――」
自分のドレスを脱がせようとするルスランの手をつかんで必死に止めながら、メイベルは訴え続ける――ちなみに、メイベルの細腕では一切の抑止力になっていない。
「こういうところって壁が薄いし、落ち着かない。どこか、町の宿に入ってからで――」
再会したルスランが、真っ先に自分を求めてくれることは嬉しい。ルスランとこういうことをするのはメイベルも嫌いじゃないし、メイベルのほうにも、ルスランを求める気持ちはある。
ただ、それを差し引いてもここではちょっと……と躊躇する思いもあるのだ。
ダラジャドで天幕生活をしてみて、色々と経験済みなので、どうしても気になってしまう。
思わずベッドの上で四つん這いになって逃げようとするメイベルを、ルスランはいとも簡単に背後から抱き寄せる。片手でぐいと引っ張られたら、それだけでメイベルはあっさりと連れ戻されてしまった。
背に覆いかぶさるルスランは、メイベルの耳元で言った。
「すまないが、僕は我慢が苦手なんだ。君が頑張って我慢してくれ」
「もう!いつも私ばっかり……!」
いつもメイベルに犠牲と忍耐を強いる酷い夫は、こんな時でもメイベルに一方的に我慢させるつもりらしい。
ここに短剣がないのが、非常に残念だ。
熱烈な再会と労いを経た夜更け。疲れ果ててルスランの腕の中でぐっすり眠っていたメイベルは、騒がしさに目を覚ました。
目を開けてみれば、意識を失う直前まで自分を手放すまいと強く抱き寄せていた腕も、ルスランもいない。ベッドの上でもぞもぞと起き上がるメイベルに気付いて、仕切り布の向こうからミンカが姿を現した。
「お目覚めですか?陛下でしたら、アンドレイ様たちに呼ばれて外に出ておりますよ」
「……もしかして、何か起きてる?夜襲とか……?」
外の騒がしさは、争いごと特有の緊張感がまざっているように感じる。
それにしてはミンカが落ち着き払っているのが気になるが――ベテランのラリサや職務に忠実で冷静なオリガならともかく、まだ若いミンカだったら、夜襲なんかがあれば、あわあわしていそう……。
「単騎でここに乗り込んできたダラジャド兵がいるらしいんです。もちろん、一人ぽっちじゃ何の脅威にもならないので、すぐに捕まえられたんですけど。なんかその人、ファルコ様に決闘を申し込みにきたって。それで陛下が立ち合いに」
「ファルコに……?」
単騎で乗り込んできて、ファルコに決闘を申し込むようなダラジャド兵。
それが誰なのか分かったような気がして、メイベルは天幕を出た。ミンカが慌ててついてくる。
乗り込んできたダラジャド兵がどこにいるかは、探せばすぐに見つかった。
ヴァローナ兵が野次馬に集まっていて、ルスランや将軍アンドレイもそこにいる。円陣のように取り囲んで……その中心にはファルコと――。
「バルシューン」
メイベルがダラジャド王のもとへ連れて行かれたあの日の夜も、こんな風に二人は向かい合っていた。
野次馬をかき分けて最前を目指せば、ヴァローナ兵士たちは当たり前のように王妃に道を譲る。メイベルが来たことに気付いて、ルスランも振り返る。
「――君も来たのか。女の君には、愉快な催しではないかもしれないぞ」
「バルシューンが、どうしてファルコと決闘を?」
遠回しに自分の天幕に戻れとルスランが言っているのを気付かないふりで、メイベルは夫に尋ねた。
ルスランは中央の二人に視線を向けて、メイベルに説明する。
「彼が乗り込んできて、最後に勝敗をはっきりさせたい、ファルコと決闘をしたいと申し出てきたんだ。そのために正面から一人で乗り込んできたと強気で主張されては、こちらも断れん」
メイベルにはよく分からないことだが、きっと男の面子とか、プライドとか、そういうもののためにバルシューンの挑戦を受けるしかなかったのだろう。ファルコも、そういうものには賛同しそうなタイプだし。
「……てめえ、右目はばっちり見えてるんじゃねえか。それで俺との決闘に挑んでたとか……舐められたまんまでいられるかよ!」
バルシューンのほうも、右目を眼帯で隠すというハンデ付き勝負をした挙句、ファルコに負けたことがどうしても納得できないらしい。
……自分が勝ったのならともかく、負けたのに納得できなくて雪辱戦を挑むとは、どういう心理なのだろう。本当に、男の世界というものはメイベルに理解できない……。
「君の蛮勇に敬意を評してこの決闘を承諾したが、審判は私だ。私の一存で君にとっては不本意な結末が下されることは覚悟の上で挑むがいい」
よく通る声でルスランが言い、バルシューンは頷く。
「分かってるよ。チャンスをもらえただけでも涙を流して喜ぶべきだってな――異存はねえ。とっとと始めな」
ルスランの合図で二人は戦い始め……やっぱり、見てるのは怖い。
ルスランの腕にぎゅっとしがみつき、二人の血が飛ぶたび、メイベルは反射的に顔を背けたり、目をつむったりしてしまった。すぐ後ろで見ているミンカも、時々小さな悲鳴を漏らしていた。
それでも、天幕に戻ることなく勝負を見届ける。
両目が使えるようになって、ファルコは前回の決闘の時よりもはるかに強くなっているはずだ。だが……メイベルが見た限りだが、バルシューンも前回に劣らずファルコを手こずらせているように感じる。
「……てめえも手、抜いてやがったな。前の時よりしぶといじゃねえか」
口元の血を拭いながら、ファルコが呟く。口の中に溜まった血をペッと吐き捨て、バルシューンが不敵に笑った。
「俺の場合はパワーアップしたんだよ。てめえと違って、日々ちゃんと鍛えてっからな!」
また互いの放った拳で両者が吹っ飛び、ファルコもバルシューンも地面に倒れ込む。
蓄積されたダメージで、二人はなかなか起き上がることができず……辛うじてファルコが立ち上がり、バルシューンは悔しそうな呻き声と共にバッタリと四肢を地面に放り出した。
それで、勝敗が決した。
「そこまでだ!勝者はファルコ!」
ルスラン王が宣言すると、ファルコも地面に座り込み、大きくため息を吐く。決闘の結末も、あの日と変わらない……。
「良い戦いっぷりだった。バルシューンだったか――そいつの手当てもしてやれ」
ルスラン王が兵士に命じ、ヴァローナ兵士たちは丁寧にバルシューンを起こして、どこかへと連れて行く。
将軍アンドレイがファルコに近づいて手を差し出し、ファルコは彼に手を貸してもらって、ふらつきながら立ち上がった。
「処刑してしまうにはもったいない腕と気骨だ。やつを説得できないか」
ルスラン王がファルコに問う。ファルコはまた大きなため息を吐いた。
「……可能性があるならメイベルだろ。あいつ、メイベルをかなり気に入ってるみたいだから。俺はぶっ倒す相手としか認識されてない」
「ふむ」
ファルコの答えに、ルスランは考えている。
「メイベル。勧誘を頼まれてくれるか。ただ、方法は考えてくれ」
優秀な部下を手に入れるためならば、ルスラン王は妻が色仕掛けで誑し込むのもいとわない――とんでもない夫だ。
でも、とメイベルも考えた。
「バルシューンは色事で引っかかるタイプじゃないと思う。話してみるけど……邪推しちゃダメだよ。そういうふうに思われるの、むしろ嫌いそうだもん」
「……なにやら、すでに私より信頼されていないか?」
ちょっと嫌味っぽく尋ねてくる夫に、メイベルもつんと素知らぬ顔をした。
……ルスランだったら、女の誘惑にまんまと引っかかるだろう。




