嘘つきばかり (1)
翌日、メイベルが目を覚ましたのは太陽もすっかり高く昇った頃――昼近くであった。
ここ数日の疲労と心労に、ちゃんとしたベッドで眠れていなかったこともあって、すっかり熟睡してしまった。
メイベルが目を覚ました気配を察して、ベッドそばに立てられた衝立の向こう側からカシムが姿を現した。
「おはようございます。お疲れだったのですね。ファルコ様から、ゆっくり休ませてやれ、と申し付けられておりましたので、お声はかけませんでした」
「うん……ありがとう……」
言いながら、思わずあくびが出てしまう。伸びをしてみれば、寝すぎで身体のあちこちがちょっと痛い。
カシムはてきぱきと朝食の用意をしてくれて、メイベルは果物をいくつか食べる。
天幕にはメイベルとカシムしかおらず、静かだった。時々、天幕の布を隔てて外から声が聞こえる以外は。
「ファルコのものになったわけだけど、それってどういう待遇なんだろう。捕虜ということで、ここで大人しく軟禁されておくべき?」
そうなると、間者としての役目を果たしにくいので困るな、という本音を交えながらメイベルが言えば、すでに情報収集を始めていたカシムが答える――彼女、ものすごく優秀だ……。
ヴァローナで自分付きとなった女官たちも結構優秀なほうなのだが、彼女たち以上かもしれない。
「ここには、メイベル様のようにさらわれてきてダラジャド兵の妻となり、そのままこの集団の一員となった女性も少なくないようです。ですので、メイベル様も彼女たちと同じように、ここの一員として振る舞うべきかと」
「……ん。それってつまり……もしかして、私も働かなくてはいけないということ?」
スプーンですくって果物を食べていたメイベルは、カシムの説明の意味を考えた。
望まずさらわれて、自分の意思などなく男に捕えられることになったのに、妻扱いなのか。奇妙な風習に微妙な反応をするメイベルに、カシムも少し苦笑いしていた。
「そういうことになりますね。実を言えば……夫の朝食の用意も、妻がすべきのようです。ファルコ様とメイベル様の分のご用意は私がさせて頂いたのですが、食事を取りに行った際、ちくりと嫌味を言われました。新参者は挨拶にも来ない女なのかと」
「挨拶」
「女ばかりが集まる天幕があって、日中はそこで何かしらの仕事をするみたいです。ただ……メイベル様のように身分が高く、さらわれてきて、適応できずにいる女性もいらっしゃるので、必ず全員がいるわけではないようですよ」
自慢ではないが、メイベルは家事雑事なんてものはできない。刺繍ぐらいはたしなみとしてできるが、料理も掃除もしたことがないし、働くと言っても邪魔しかならない予感がした。
……ただ、メイベルみたいな生まれ育ちの女に、そんなものを期待するほうが間違ってると思わなくもない。
「朝食の片づけは、メイベル様も一緒に来られますか?」
「うん。きっと足引っ張っちゃうけど、お願いね、カシム」
こればかりはカシムに頼りきりになるだろう。カシムも心得たように頷き、朝食後、彼女に案内してもらってメイベルは女たちが集まって働いているという天幕に向かうことにした。
それにしても、やはりとても独特な風習だと思う。
捕虜のはずのメイベルがウロウロしていても、誰も止めようとしない。それなりに注目は集まっているようだが――好奇心、警戒心……邪な下心など、向けられる感情の色は様々なものの、メイベルが勝手に移動しているのを止める男はいなかった。
か弱い女では何もできないと思われているのか……逃げるのなら、それでも構わないというのが彼らの考え方なのか……。
女が集まるという噂の天幕は大きく、外観はどことなく女性らしさを感じさせるデザインだった。
天幕の外では洗濯や昼食の用意をしている女性の姿があり、自分たちの仕事をしながらチラチラとメイベルを見てくる。
失礼します、とカシムが声をかけて入れば、中の女たちが一斉に振り返り、入って来たカシムと……すぐ後ろにいるメイベルを見た。
天幕内では女たちも寛いでいる。裁縫したり、子どもをあやしたりしながら、お喋りに花を咲かせていたらしい。
……子どももいるのか。
「おや。あんた、来たのかい。こんな下賤なところに足を踏み入れるなんてとんでもないと言って、てっきり引きこもってるものだと思ったのに」
この天幕内の女性たちの中でもかなり立場が強そうな女性が、すぐに声をかけてきた。
それなりの年齢の女性で、高貴な生まれではないだろうが、身に着けているものから夫の地位が高そうという雰囲気が出ている。
上等の布に高級そうな装飾品――ここの女たちは、夫の戦利品を身に着けているのだろう。彼女たちの着飾り具合は、彼女たちの夫がどれほどの手柄を立てているのか示していた。
「最初から召使いにかしずかれての生活だなんてね。優雅なもんだよ」
若く美しい女性が、嫌味っぽく言った。彼女と最初に声をかけてきた女性は、ハオ人のように見える。
ここには、さらわれて妻にされた女性だけでなく、このコミュニティで生まれ育って、そのままダラジャド兵士と結婚した女性もいる――あとからカシムが教えてくれた。きっと彼女たちがそうなのだろう。
明らかに異国人らしい年配の女性が、控えめに口を挟む。
「王の妻なのでしょう?なら、本当に私たちとは育ちが違うのよ。そんな子がわざわざ自分でここに来てくれたのだから、いきなり嫌味な態度を向けるのはお止めなさいな」
彼女の執り成しに全員が納得したわけではないが、先に声をかけてきた女性たちはそれきりメイベルに絡んで来なかった。
異国人らしき年配の女性が、こちらへいらっしゃいな、と笑顔でさらに声をかけてきて。
取り巻きのような女性たちが座っていた場所を少しずつ移動して、一人分の場所を空ける――そこに座るしかないような空気だ。
逆らうことなく、メイベルはそちらに座った。カシムは、外に出て朝食の片づけだ。
「フーロンよ。よろしくね。あなたのお名前は……」
「メイベルです」
メイベルが礼儀正しい態度で自己紹介すれば、フーロンと名乗る年配の女性はにっこりする。
「見れば分かると思うけど、私も、遠い国の出身なの。あなたと同じようにさらわれてきて、強引にここの男のものになって……私の場合は、もう何十年も前の話なのだけれど。彼女たちも、あなたと似たような境遇よ」
フーロンが取り巻きをぐるりと見渡して言い、取り巻きの女性たちは友好的な笑顔をメイベルに向ける。
それから、メイベルに最初に声をかけてきた女性たちの集団に視線をやった。
「あっちは、ここの育ちだったり、自分からここに来たような女性ばかりでね。そのせいか、さらわれてきた新参者や、ここの生活に馴染めない女性にちょっと当たりが強いの。あなたに最初に話しかけてきた女性がハルダルという名で……彼女があの集団のリーダーみたいな感じよ。夫がダラジャド王の信頼も厚い男だから」
やはり、ここでは夫の地位がそのまま女性の地位になるようだ。フーロンという女性も、夫は地位の高い兵士なのだろうか。
メイベルが疑問に思うよりも先に、フーロンが答えた。
「私は寡婦なのよ。夫はとっくに戦死してて、娘ももう……。亡くなった娘が王の最初の妻だったから、いまもこうしてここに置いてもらっているだけ。もう帰る場所もないし……」
穏やかに微笑むフーロンの顔に、一瞬だけ暗い影が見えた。すぐにそれは消え去ったが……。
「まあ、まあ。ここへ来たばかりのお嬢さんに、いきなり色々と話し過ぎたわね。あなたの味方もいるから、そう悲観せずにいてね、と伝えたかっただけなのに」
フーロンが笑う。
それから彼女の取り巻きの女性たちを一通り紹介され、昼食の用意ができたカシムから声をかけられて自分の天幕に戻ることになった。
自分の天幕に戻って一息つくと、カシムから声をかけられた。
「まずはフーロンという女性から、探りを入れますか?」
メイベルは首を振る。
「友好的に振舞ってくれてるけど、向こうも私の真意を探ってる。私で相手できる女性には見えない……」
感情の色が見えるメイベルには、フーロンの警戒心も見せかけの友情も伝わっていた。そして恐らくは、一筋縄ではいかない相手であることも。
その年齢に相応しい老練者だ。腹の探り合いで、メイベルが勝てる気がしない――箱入り育ちだし、王妃としてもなんだかんだルスランに守られてきた自分では……。
「さらわれて一員にさせられた女性と、最初からここの一員として生まれ育った女性で、はっきり派閥が分かれてる」
メイベルが考えながら言うと、カシムが頷く。
「そこからさらに、さらわれていまも馴染めず、フーロンの派閥にすら属さない女性もいるようです。そういう女性は引きこもったまだったり……逃げ出して、そのまま消息不明になるのも珍しくないとか」
カシムが声を落として話し続ける。
「ここの男たちは、女が逃げ出してもあまり追いかけないそうです。夫がお気に入りの女を連れ戻そうとすることはたまにあるようですが……。移動を続ける彼らにとって、群れから自分勝手に離れた女など、そのうち野垂れ死ぬだけの取るに足らない存在だそうです。また別の女をさらってくればいいという発想で」
「じゃあ、私が勝手にここを出るのは難しくない」
最終的には、メイベルはダラジャド軍から逃げ出さなくてはならない。ルスランたちは、彼らと戦をするつもりでいるのだから。
戦場となってしまえばメイベルにできることはないし、ルスランの足枷となるだけ。
どうやって逃げ出すかも考えなければならなかっただけに、勝手に逃げ出すこと自体は難しくないというのは有り難い。
考えることが一つ減ったなら、間者としての役目に集中しよう。腹の探り合いをするには手強そうな相手だが、やはりフーロンと親しく振る舞って、彼女の取り巻きたちのほうに探りを入れるか……。
メイベルが考えていると、ファルコが戻って来た。昼飯食いに来た、とファルコが言った。
「ファルコはいま何してるの?」
ざっと見た感じ、ダラジャド兵士たちは寛いだ様子で、ダラダラと日常を過ごしている感じだった。緊張感がないというか。
女たちは日常の雑務をこなしているわけだが、男たちは何をしているのか――気になっていたことを、戻って来たファルコに聞いてみることにした。
「適当。幹部連中は次の移動場所とか話し合ってるみたいだが、俺はまだその話し合いに加われるほどの立場にはないんでね。ぶらぶらしたり、狩りに行ったり……その中で運よく獲物と出くわせれば一仕事できるけど、そう都合の良い展開にはなかなかならないもんだ」
食べ終えたファルコも、これといった予定は入ってないらしい。朝ごはんを食べたばかりのメイベルはお腹が空いていないので、飲み物を飲むだけだった。
「ノーラスって男から、夜、一緒に飲まないかって誘われた。嫁も連れてきていいって。親睦を深めようって満面の笑顔で言われたが……あんたも来る?他にも誘われたやつがいる感じだぜ」
もちろん、とメイベルは頷いた。
いまは取っ掛かりを見つけるため、とにかく色んな人間に会ってみたい。




