間者たち (1)
かつて東の大陸には、草原の覇者と呼ばれるまでに勢力を拡大させたハオ帝国が存在した。
偉大なる大王の治世を終えた後、それぞれの後継者によって領土は分割されていき、いまは多数の部族に分かれてしまっている。
その内のひとつであるダラジャド族の兵士たちは、国境近くを密かに通り抜けようとする馬車を襲撃した。
もとは遊牧民族として定められた国土を持たなかったハオ人たちは、いまも狩猟と略奪を主な産業とし、国境近くでの狩りに熱心である。
いまも要人を乗せているらしい馬車を発見してはヴァローナ王国の国境を越え、一個中隊で襲ったところだ――本来なら他国の領地に侵入してのルール違反なのだが、全員が馬で移動するダラジャド軍は迅速かつ完璧な統率の取れた動きで目的を達成すると逃げてしまうので、国境警備兵も彼らを逮捕できずにいるのだ。
馬車を襲ったダラジャド軍は護衛たちがみっともなくすべて逃げ出していくのを笑いながら見送った後、車内を確認した。
馬車の中には厳重な封印が施された荷物が多数と、その荷物に紛れて姿を隠す美しい女性が一人……。
「女だ」
「服装からして、そこそこ良いところの女じゃないか?」
略奪品を確認するダラジャド兵たちは、女を見て口々に言った。思わぬ戦利品だが、どう扱うべきか――女は片隅に寄って兵士たちから精一杯距離を取り、恐怖に耐えているようだった。
馬車に、並の兵士たちとは明らかに格の違う若い軍人が入って来た。
「どけ。その女か」
横柄な態度で兵士たちを蹴散らして馬車に入ってくるが、兵士たちは怒るどころか彼に低姿勢を取っている。着てる服からも推測すると、恐らくこの若い軍人がこの部隊のリーダーだ。
若い男は値踏みするようにジロジロと女を見、兵士たちに振り返った。
「この銀髪。ヴァローナ王の女だ――ならこれは、まずは王に渡すべき戦利品に違いねえ。おら、近寄んじゃねえ。オレが管理する」
ひょいっとメイベルを肩に担いで、若い軍人は馬車から出る。兵士たちは、少し不満そうにしていた。
――自分たちのものにできるかと、期待したのに。
しかしリーダーに逆らえる人間はいないらしい。若い軍人はメイベルを担いで別の頑丈そうな馬車へ向かい、そこにメイベルを放り込む。
ドサリと馬車の中に降ろされたメイベルの前にかがみ、若い軍人はドスを利かせて凄んだ。
「いいか。逃げようとか馬鹿なこと考えるんじゃねえぞ。ここにおまえの味方はいねえんだ。逃げればかえって立場が悪くなるだけだぜ――大人しくしてるんなら、とりあえずの待遇は保障してやるよ」
分かったか、と若い軍人は吐き捨てるように言ったが、メイベルは落ち着いた様子で頷いた。
「……あの、おひとつだけ」
「なんだァ?」
引き留めるメイベルに、若い軍人が睨みつけるように振り返る。
「あなたのお名前を教えては頂けませんか?お話をしたくなった時、お名前が分からないままでは探すこともできないので」
メイベルの言葉に、男は虚を突かれたようだ。一瞬ポカンとなり、チッと舌打ちした。
「バルシューンだ。無闇にオレを呼ぶんじゃねえぞ。何でも聞いてやると思ったら大間違いだからな」
はい、とメイベルが素直にまた頷けば、バルシューンという名の若い軍人はチラっとメイベルに振り返った後、馬車を出て行って扉にしっかりと鍵をかけていった。
馬車には小さな灯りがあるものの、薄暗くて中はよく見えない。窓なんかない荷台の中で、馬車がガタゴトと揺れ始めるのをメイベルは感じた。
ルスランの計画通りに進んでいる一方で、ルスランの計画通りになっていない部分も大き過ぎる。
あのバルシューンという軍人のおかげで事なきを得たが……メイベルは一人、敵地に送られることになってしまう……。
「メイベル様……あなたが、メイベル様ですか……?」
馬車の中で一人考え込んでいたメイベルは、自分を呼ぶ声にすぐには気付かなかった。
他のことに気を取られていたとはいえ、気配も全然しなかったし。
声の聞こえたほうをきょろきょろと見回すと、若い女性が一人、片隅からそっと姿を現した。年齢はメイベルより少し年上だろうか。綺麗な女性だが、ヴァローナ人ではない。
彼女は、控えめに微笑んで自己紹介する。
「カシムと申します。エリアス王よりメイベル様に付き従う役目に任じられ、一足先に潜入しておりました。身命を賭して、あなた様をお守りします」
「ありがとう」
ノルドグレーン側の協力者はすでにダラジャド軍に接触することに成功していたようで、メイベルもホッとしながら礼を言った。
「しかし……私たちを捕らえるのは、ファルコというヴァローナ側の協力者と聞き及んでいたのですが……あのお若い軍人さんではございませんよね……?」
カシムが、恐らくは自分が捕らえられた時のことを思い出しながら、メイベルに尋ねる。メイベルは頷いた。
「ファルコじゃない。バルシューンっていう名前だって。悪い人ではないみたいだから、しばらくはあの人に庇ってもらえそうだけど……」
メイベルには、公にしていない秘密がある。メイベルだけが持つ特別な能力。
――メイベルの目は、相手の感情を色で映し出す力がある。いつもその力で相手の真意を判別し、見抜いてきた。
今回も、バルシューンという若い軍人は、態度こそ粗野でぶっきらぼうだが、女のメイベルにかなり配慮してくれていることを見抜いていた。
美しく若い女に群がろうとした兵士たちを追い払い、厳しく牽制してくれて。
おかげで、メイベルは指一本触れられることなく済んだ。どうやら、カシムのほうも同様の経緯らしい。
自分を捕らえに来たのがファルコでなかったのを見た時には、背筋が凍った。護衛なしに敵地に女一人放り込まれ、どんな目に遭うか戦慄したが……とりあえずは、バルシューンがメイベルたちを守ってくれそうだ。
「……でも、あの人もダラジャドの王にはきっと逆らわない」
自分たちの身の安全は、ダラジャド王のもとに着くまで。
恐怖と不安で自分の手をぎゅっと握りしめるメイベルに、カシムが手を伸ばして励ますようにメイベルに触れた。
「どのようなことがあっても、私は最後までメイベル様にお供します。その覚悟で、この任務にも志願致しましたから」
カシムの感情は冷静そのもので、強い信念に満ちている。いまはとても、心強い。
メイベルも手を伸ばしてカシムの手を握り、静かに頷いた。
メイベルがダラジャド軍に捕えられるより一ヶ月ほど前。
ヴァローナの王城に、ノルドグレーン王国の主エリアスが訪ねてきた。対ダラジャドとの戦において、彼はルスランと共闘するらしい。
今回は、戦に向けての話し合いだ。
「ようこそ、エリアス様。ルスランの妻でメイベルと申します」
エリアス王はルスランよりも若く、ルスランにも劣らぬ長身の偉丈夫で、誠実を絵に描いたようなハンサムな男性だった。
挨拶するメイベルに、何やら見入っている。何かに気を取られているようなのだが、思考停止に陥っているのか、感情の色は見えなかった。
「エリアス様……?」
メイベルが恐るおそる呼びかけると、エリアス王がハッと我に返った。
「あ、ああ、申し訳ない――ノルドグレーンの王エリアスだ。よろしく頼む――ハルモニアの鈴蘭姫という噂は聞いていたのだが……」
エリアス王は、メイベルからさり気なく視線を逸らし、照れた顔を必死に隠しながら言った。
「考えていた以上に可愛らしい女性だったので、驚いてしまった――月並みな言葉しか出てこないな……重ね重ね申し訳ない……」
真面目な王だと聞いてはいたが、本当に真面目な男性らしい。メイベルは苦笑した。
「エリアス王よ、よく参られた」
先に応接室でエリアス王を出迎えたメイベルに遅れ、ルスランが部屋にやって来る。エリアス王は、ルスランにも礼儀正しく挨拶した。
「挨拶は手短に終わらせよう。我々には、考えねばならぬ議題が山のようにあるからな。時間が惜しい」
北の大帝国イヴァンカからの要請で、ヴァローナ王国のルスラン、ノルドグレーン王国のエリアスは、東方の国のダラジャドという部族と戦うこととなった。
メイベルにはよく分からないのだが、これがなかなかの強敵らしく……具体的には、ダラジャド軍の全容がつかめないでいるらしい。
「ダラジャド軍はもともと遊牧民族国家だった時代の名残が最も強く残った一派だ。好機を見逃さずに速やかに攻勢に出、ほどほどの戦果を挙げれば欲をかくことなく速やかに撤退していく」
「端的に言えば、逃げ足の早さだけは天下一ということだ」
エリアス王の説明を、ルスランは皮肉っぽく笑いながら要約した。
「彼らの兵力は略奪によって支えられているといっても過言ではなく、兵士たちも多様な民族に富んでいる。略奪した先の兵士を配下に加えるのもザラだ」
「あー……つまり、それを逆手に取って間者を送り込もうとしてるってわけか」
作戦会議には当然参加しているファルコが、察したように口を挟む。その通り、とルスランが頷いた。
二人が発する感情の色から――同席するヴァローナ陸軍大将アンドレイ・カルガノフからも同じ色が見えているのだが、メイベルも察しがついてきた。
東方の多民族部隊で、全員が騎兵で構成されている。
……このヴァローナ宮廷にも、似たような条件の兵士が一人、在籍していた。
「このファルコも、ダラジャド軍に潜り込ませようと思っている。ファルコの顔立ちならばあの地域に違和感なく溶け込めるし、馬の腕も確かだ」
「なるほど。しかし……あの大軍の実情を探るのに彼一人では任が重すぎるのではないか」
ノルドグレーン王エリアスが言った。
ファルコの身を案じてくれているのもあるし、ルスランがいささか無謀であるとも考えているようだ。
いくら腕の立つ男だったとしても、間者一人が数日探ったぐらいでは、大した情報を得ることはできまい――冷静なエリアス王は内心で留めているが、ノルドグレーン側はルスラン王の浅はかさを嘲笑するようなそぶりも見せた。
「無論。送り込む間者はもう一人いる――ファルコは、彼女の護衛役として潜り込むに過ぎない。ダラジャドの全容については、我が妻メイベルに探らせる」
えっ、と声が漏れそうになるのを、メイベルは懸命に押さえ込んだ。
昔から対面する相手の感情の色が見えてしまってもそれに反応しないよう訓練してきたおかげで、表情はほとんど変えずに済んだが。
――そんな話、自分は聞いていない。
ノルドグレーン王エリアスも、これには露骨に眉をひそめた。
「妻君を、あの野蛮なダラジャドにだと?正気なのか?」
エリアス王は、今度こそ敵地に送り込まれる者の身を案じてはっきり反対の意を示している。将軍アンドレイも、黙ってルスラン王の言葉を聞きながらも、複雑に感情の色が揺れているのが見えた――彼も、本心では王のこの作戦に賛同しかねるらしい。




