嵐への対応 (2)
ビルギッタ王女が客室へと案内されるのを見送った後、メイベルも自分の部屋に戻り、改めて宰相と話し合う。
「困ったことに、王女は本当に自分の逢瀬の相手がルスランだったと信じているみたい。お腹の子の父親も、本気でルスランだと思ってる」
厄介な、と宰相がため息を吐き、一緒に部屋に戻ってきた若い女官たちが口を挟む。
「でも、そんなのヴァローナ宮廷の誰も信じませんよ」
「あり得なさ過ぎですよ。彼女が会ってたって主張するシジェンコ地方は遠すぎますし」
「いくら陛下でも、あんな女は好みじゃないですし」
「――そう正論で言い返して、王女殿下は納得なさると思う?」
あの姿を見て。
オリガが指摘すると、三人共黙り込んだ。
メイベルたちを嘘つき扱いして、こちらの言い分は一切聞き入れないだろう。あの王女には、自分に都合の悪いことを聞く耳も頭も存在しない。
若い女官たちですら、それは痛感したらしい。
メイベルもため息を吐く。
「……となると、彼女のほうから間違いに気付いてもらうしかない」
「陛下を呼び戻し、実際に対面して頂くのがもっとも手っ取り早いですが……」
宰相が控えめに提案した。
ビルギッタ王女の誤った思い込みというのなら、ルスラン王に会わせればすぐに真実が明らかになる。王女の主張する「ルスラン」と、実際のルスランの姿は異なっているはずなのだから。
しかし、メイベルは首を振る。
「ルスランはいま、戦の真っ最中。こんな馬鹿げたことに気を散らして、戦場でルスランに万一のことがあったら……。それこそ私、あの王女を許さない。ハルモニアを巻き込んでリングダールと戦になろうとも、命をもって絶対に償わせる」
メイベルが何よりも望むのは、ルスランが無事に自分たちのもとに帰ってきてくれること。
美しい女以上に戦が好きで、嬉々として戦場に行ってしまう夫。
いつだって無事を祈っているし、生きて帰ってきてほしいから、戦場にいる間はメイベルたちのことを忘れていたって構わない。
メイベルは彼に余計な負担をかけないように務めているというのに――あんな小娘のためにルスランの足を引っ張るなんて絶対に嫌だ。
強く主張する王妃に、宰相も女官たちも異を唱えなかった。メイベルが王妃として決意した時の頑なさは、ルスラン王にも劣らないと、彼らもだんだん分かってきていた。
「それに、今回の戦はイヴァンカ皇帝からの要請でもある。ルスランが個人的理由で勝手に撤退できるとも思えない。どう考えても、ビルギッタ王女よりミハイル皇帝のほうが重要だもの」
宰相も頷く。
リングダールと国際問題になるより、イヴァンカ帝国を刺激してしまうほうがよほど恐ろしい。もはや、比較の対象にするのも馬鹿馬鹿しいほどに。
メイベルはもう一度ため息を吐き、改めて宰相に話す。
「ガブリイル様。大変だと思うけど、ビルギッタ王女の逢瀬の相手を突き止めてほしい。彼女が真実だと思い込んでいるということは、ルスランの名を騙った男は確実に存在するということ――それもそれで許せない。その男にも然るべき罰を与えるべきだし、放置できない」
「御意に。時間はかかるでしょうが、必ず見つけ出します」
一国の王の名を騙って、一国の王女を妊娠させてしまった。たしかに、この男も大罪人である。ヴァローナ宮廷の面子に賭けて見つけ出し、逮捕すべきだ。
「……うん。時間はかかっちゃうよね。その間、王女とどう過ごそう……」
宰相ガブリイルなら必ずやり遂げてくれると信じているから、それについては心配していないけれど。
大罪人を見つけ出すまでの間、メイベルも果たさなくてはならない大役があるわけで。
……王妃としてあれの相手をしなくちゃいけないなんて……とてもしんどい。
沈黙して話を聞いていたラリサが、口を開く。
「王妃様。お住まいを、一時的に移してはいかがでしょう。レオニート殿下と共に。バーベリ城あたりでしたら、王都からも近く、移動も容易です」
「王妃様がお城を出て行かなくちゃいけないんですか!?」
若い女官が仰天して言い、他の女官たちも目を丸くしている。ラリサは落ち着いた様子で頷いた。
「あなたたちの言いたいことは分かってる。押しかけてきたビルギッタ王女が大きな顔をして王城に残って、何の落ち度もない王妃様が王城を出て行かなくてはならないなんて――普通は逆よね。出て行くべきは招かれざる客のほう」
ラリサの言葉に、三人の若い女官たちが揃ってこくこくと頷く。ラリサが笑った。
「でもね、考えてみて。王城に残っていては、王女は王妃様にまた突撃してくるかもしれない。いえ、絶対してくるでしょう。でも、王女には詳細を知らせず王妃様のお住まいを移してしまえば、彼女は突撃してくることもできない――いくらなんでも、今回ばかりは王妃様を裏切ってビルギッタ王女に味方するような人間はヴァローナ宮廷にはいないでしょうし」
なるほど、と三人の若い女官たちが声を揃えて言った。メイベルも、三人の息ぴったりな姿に笑ってしまった。
「女官長の言う通りです。王妃様にはレオニート殿下と共にお住まいを移して頂き、あのような女性に煩わし思いをすることなくお過ごしいただくべきです。いまの王妃様は、休養が何よりも必要だというのに……」
オリガが言い、いま女官長はあなただけどね、とラリサがちょっとだけ反論する。宰相も同意した。
「――たしかに。いま、何よりも優先されるべきは王妃様と殿下の御身。シジェンコでの成果があがるまで、どうせビルギッタ王女のことはのらりくらりとかわさなくてはならないというのなら、何も王妃様にお相手していただく必要はない――王女に気付かれることなく、すぐに手配いたします」
「いいの?」
とてもありがたい申し出だが、メイベルがいなくなると、あの王女はアスワド宮で好き放題することだろう。いや、メイベルがいても好き放題するだろうが。
女主のメイベルがいれば、彼女の行いを多少制限することはできる。いくらリングダールの王女といえど、このヴァローナでは、ヴァローナ王妃のメイベルのほうが立場も権限も上なのだから。
「手に余る事態となったら、また王妃様のお力をお借りします――そんなことにならないようにするのが本来なら私の役目なので、情けない限りですが」
こうして、メイベルは王子レオニートと乳母のラリサを連れて、密かにバーベリ城に移ることとなった。
ビルギッタ王女の関心を引いてしまわないよう、身の回りの世話をするのは二、三人の女官だけ。
最初はミンカとオリガが選んだ他二名だけの予定だったのだが、メイベルが住まいを移して半日と経たないうちに、ニラクとニタクが泣きながら訴えてきた。
「お願いします、交代制にしてください!」
「ずっとあの王女のお世話係なんて無理!」
メイベルが目を丸くしていると、同行してきた宰相がため息を吐いて説明を付け加えた。
「おおかたの予想通りではありますが、ワガママ三昧のビルギッタ王女に、王妃様付きの女官たちは耐えられないようで」
「長い間、主人不在だったところに、ようやく得た主はメイベル様という経験をしてきた子たちばかりですものね……」
ラリサが苦笑する。
アスワド宮はルスランの姉が外国に嫁いでいってしまった後、長い間、女主人不在の時期を過ごしている。女官たちは主不在で自由な時を過ごし、ようやくやって来た新しい主は、女官への配慮を欠かさない優しくも聡明な王妃。
王妃付き女官たちも、なかなかの温室育ちのお嬢さんばかりだ。ビルギッタ王女のような強烈な女主人に耐えられるはずがない。
あの王女相手でも耐えられるのは、職務に忠実なオリガぐらいだろう。
「交代制にしてあげないと、あの子たちの精神がもたないかもしれませんね」
メイベルは頷き、乳母のラリサ以外は入れ替わり制となった――女官たちは、改めて自分たちが女主人に恵まれた幸運を痛感していた。
交代制となったことで、メイベルは何もしなくても、ビルギッタ王女の様子や王城のことを知ることができた。
ビルギッタ王女に辟易しているのは彼女を直接世話する女官たちだけでなく、城の男たちもうんざりしているようだし……王女が国から連れてきたリングダール人の女官たちも、自分たちの王女に良い感情を抱いていないらしい。
王女が会っていたという「ルスラン」の情報が欲しいミンカがこっそり探りを入れたところ、すごい勢いで向こうから話してくれたそうだ。
「……やっぱり、王女様がお会いになったっていうルスラン王はニセモノですよね」
王女の世話をする苦労に共感すれば、リングダール人の女官たちはあっさりミンカたちと打ち解けた――ワガママ王女のことを、彼女たちも決して好く思っていないのだ。
その流れでさり気なく王女が会っていた男への不信感を口に出すと、リングダール人の女官たちのほうが冷静かつ客観的に事をとらえているのが判明した。
「だって、あんな季節に王様がシジェンコ地方にいるなんて、絶対おかしいもの」
「ルスラン王といえば勇猛果敢な逞しい軍人王で有名なのに、あの男はヒョロヒョロして軽薄そうだったし」
「王女様を褒めたたえる口説き文句も、ありきたりな結婚詐欺師みたいな言葉ばかりだったのよ。私たちも注意してみたんだけど、王女様ったら聞きもしない」
堰を切ったように、リングダール人の女官たちの不満と愚痴は止まらない。ミンカが話題を振らずとも、彼女たちのほうで一方的にしゃべり続けていた。
「昔からワガママで困り者の王女様ではあったけど、いまはもう手が付けられないわ」
「ルードヴィク王子が結婚して以来、リングダール宮廷でも看過できないレベルになっちゃったわよね。昔はワガママでも可愛げがあったのに」
「正確には、ディアナ王女が嫁いできたことが原因よ」
その後、ミンカがおしゃべりの洪水の中から取捨選択、整理してメイベルに教えてくれたのは。
リングダール王族の紅一点としてちやほやされ、可愛がられてワガママいっぱいに育ったビルギッタ王女の幸せは、長兄ルードヴィク王子のもとにディアナ王女が嫁いできたことで終わった。
母親も早くに失くしていたビルギッタ王女にとっては、初めて自分と同格以上の女が宮廷に現れたことになり、それはもう激しく嫉妬し、彼女を嫌った。
義姉が大人しいのを良いことに、さんざん嫌がらせをして。
そんなビルギッタを諫めつつも曖昧に許してきた長兄も、ディアナが妊娠したことでついには動いた。
さすがにこれ以上は妹の暴挙を許せないとシジェンコ地方に追いやり……ディアナが出産を終えた頃、父王の執り成しもあって仕方なく妹を王城へ呼び戻した。
「リングダール王家にとっては、国王もちょっと問題ある感じですね。ビルギッタ王女がワガママ三昧になったのは、娘を可愛がって放置してきた父親にも原因があるっぽいです」
「リングダール王は、王女の主張をどう考えているのかしら」
ミンカからリングダール王家の実情を聞かされたメイベルは、考えながら呟く。
ビルギッタ王女のお腹の子の父親は、本当にヴァローナ王だと思っているのか。それとも、王女一人の勝手な暴走なのか。王女付き女官たちがとっくに気付いているというのに、リングダール王は王女の妄想を信じているのか……。
宰相ガブリイルは王女の回収要請も兼ねて、リングダール王にも手紙を送ると言っていたが……。
そして、リングダール王の返事が届くよりも先に、答えが出た。
――リングダール王本人が、ヴァローナ王城へとやって来たのだった。




